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タイが欧米の植民地にならなかった理由は何でしょうか?

A 回答 (2件)

おや、アバターが・・・・。




1,英仏の緩衝地帯に位置していたため、という
 のが一番の理由です。
 つまり、英仏の都合です。

2,内部的には、王政を採っていた、というのも
 指摘できます。
 王様のもと、国民の団結力が優れていたのです。

3,キリスト教徒が少なかった。
 キリスト教は侵略の先兵でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/09/26 14:21

タイの歴史に詳しい訳では無く、概要になりますが、タイも当初は地方を貴族が領有していた分権制でしたが、此れを国王に集権する事に成功し、「タイ国」として列強との条約締結を結ぶ事に成功しました。



そしてイギリス領とフランス領に挟まれていた為に緩衝地帯としての役割もありました。

其の後も不平等な条約の下、不利な交易等で様々な苦労をした様ですが、国王の統治の下で乗り切りました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/09/26 14:21

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Qタイはどうして植民地にならなかった

タイはどうして植民地にならなかったのでしょうか?
また、第二次世界大戦ではタイは戦ったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代化を進めており、自身の力での独立維持という見方も、わずかながらあります。

さて、第2次世界大戦についてですが、あまり知られていませんがタイは枢軸国として参戦していた日本の数少ない味方国です。(以降は以前の回答から持ってきたものですが、そのまま回答になっています)。
イギリスの爆撃や、B-29の空襲も経験しています。関係としては、日本が仏印(今のベトナムを含めたインドシナ半島の東、つまりフランス領です)に進駐したころから、歩調を合わせ始めています。その前は第2次大戦について中立宣言をしていました。その後、日本が参戦するとほぼ同時に、宣戦布告を行っています。
しかし、最後には完全にそれを翻し(というか日本との同盟など、参戦した理由をうまく自国からそらしたのです)、ついには敵国条項(第2次大戦における連合軍の「敵」リストとでも考えてください)にすら名を連ねていません。これはタイの外交手腕の勝利といえます(今でもそうですが、タイという国は非常に外交が上手です。第2次大戦の前後におけるタイの外交は非常に巧妙で、見事といえます)。
なお、現在の日本との関係は友好的ですね。

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
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Qタイが独立を貫いた理由は?

今から10年以上前のこと、私が高校生のころ、歴史の教科書に書かれていた記述で、(日本での明治時代の)東南アジアの情勢について、少し触れた箇所がありました。「フィリピンはスペインに、ベトナムはフランスなどの植民地となり…、しかし、タイは独立を貫いた。」というようなくだりがあったように記憶しています。(まちがっていたらすみません)当時も不思議だったのですが、その疑問はそのままお蔵入りしてましたが、今になって思い出しました。それは、なぜなのでしょうか?外交手腕に優れた方がいたのでしょうか?また、軍事力が欧米に引けをとらなかったのでしょうか?どなたかご存知の方、教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「イギリスとフランスの間で・・・」というのが正しいですね。
ビルマ・マレー・シンガポールがイギリス領、
カンボジア・ベトナム・ラオスがフランス領で、
緩衝地帯となったというわけですから。

それからアユタヤ朝のころから、西欧とも交流があって
通商・外交の経験があったことも大きいでしょう。
ビルマの侵攻の後、チャクリ朝が立ち上がってからも、
タイはイギリスと通商条約を結ぶなど、国際化の道を進んでいて、
映画「王様とわたし」のエピソードみたいに、
王室も近代化を進めました。

現実的にいて、直接植民地経営をするのは金がかかるわけで、
有効で安定的な通商関係が結べるほうが遥かに得です。
タイに大きな軍事力がなかったこともプラスといえるでしょう。
結局、帝国主義はそろばん勘定ですから。

人物としては、ユル・ブリンナーが演じたチュラロンコン王が
有能な人で、カンボジアとマレーを放棄する一方で、
イギリスとフランスの両方と条約を結んで、タイの独立を確立しました。
第二次世界大戦では、ビブン首相のもとで日本側について
カンボイアなどを攻めて領土を増やしますが、日本の敗戦が決定的になると、
この内閣は退陣して、クオン新内閣が、連合軍と裏で通じて
結果的にタイが敗戦国の立場を免れました。


ちなみにですが、琉球王国は、すでに江戸時代初期に薩摩藩・島津氏によって
征服されていました。琉球は、島津の植民地だったといのが事実です。
名目上の独立は全く名目で、中国と間接的に貿易を続けたい薩摩の利害が一致したからで、
現実には過酷な支配に苦しむことになります。
日本領に組みいられたのは、明治時代、廃藩置県の時です。
しかし日中間では、今でも琉球の領有に関する条約がなく、中国側は
まだ公式に領有権を放棄はしてません。(ま、現実的には放棄したも同然ですが)
現在の沖縄の立場は、主にサンフランシスコ平和条約など
アメリカなど、中国以外との外交条約にもとづくのみです。

「イギリスとフランスの間で・・・」というのが正しいですね。
ビルマ・マレー・シンガポールがイギリス領、
カンボジア・ベトナム・ラオスがフランス領で、
緩衝地帯となったというわけですから。

それからアユタヤ朝のころから、西欧とも交流があって
通商・外交の経験があったことも大きいでしょう。
ビルマの侵攻の後、チャクリ朝が立ち上がってからも、
タイはイギリスと通商条約を結ぶなど、国際化の道を進んでいて、
映画「王様とわたし」のエピソードみたいに、
王室も近代化を進めました。

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Qなぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのか?

題の通りなんですが、なぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのでしょうか?

植民地支配されてもおかしくない状況であったのに欧米が進出してこなかったのにはどんな理由があるのでしょうか?

どんな意見でもかまいませんので回答していただけると光栄です。

Aベストアンサー

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかしかった。
仏教、神道がの生活の隅々まで行きわたる一方、当時の日本人は宗教の”まやかし”の部分もちゃんと理解していた。

当時、日本の文明のレベル(特に底辺のレベル)が高く、西欧文明を日本流に取り入れることに成功した。
実は、他の植民地となった国々はこれが出来ず、欧米人の思うようにコントロールされてしまっている。
例えば、日本人はヨーロッパ人以上の識字率を誇っていた。
一部のインテリが欧米を見て知識を得ると、すぐに翻訳したり本を書いたりして、
それを印刷(江戸時代からの木版印刷、貸本屋のインフラがあった)し、あっという間に全国民に広めた。
寺子屋の伝統があったので国民皆教育の立ち上げも早かった。
市場経済のインフラもすでにあったので、欧米の商人と対等に渡りあえた。

明治維新が驚異的に早く終結した。
たいていの国々は封建制→中央集権制の変換に100年はかかり、
この間に国土は荒れ、富も消耗し、人材は消失し、国民の間に憎悪だけが蓄積する。
この間に先進国にいろいろな利権を奪われる。
これが最小限で済んでしまった。
また、幕府側も新政府側もそのことを熟知しており、さっさと手締めした。

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかし...続きを読む


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