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先日、雑誌で、朝鮮戦争初期時には、韓国軍、北朝鮮軍、中共軍の一部部隊兵士は、旧日本軍の38式小銃、99式小銃を使用していたと、記載されていました。
太平洋戦争終了後、5~6年も経過しても、なお、当該小銃の弾薬実包が、それほど大量に残っていたのでしょうか? それとも、各国で生産したものでしょうか? 
ご教示方よろしくお願いします。 

A 回答 (7件)

 武装解除した日本兵が置いていったのでしょうね。


銃の生産が出来るのは工業国だけです。中国も朝鮮もそんな工業はありませんでした。
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>太平洋戦争終了後、5~6年も経過しても、なお、当該小銃の弾薬実包が、それほど大量に残っていたのでしょうか? それとも、各国で生産したものでしょうか? 



三八式6.5mm弾は、旧日本軍の工廠を接収して中国共産党軍が弾薬を製造していました。

製造時、旧日本軍が残した弾薬用素材を使用し、日本軍より接収した機械でそのまま製造していた為、旧日本軍が作った弾か中共軍が作った弾か、殆ど見分けが付かないそうです(箱入りなら区別可能)

九九式7.7mm弾も同様で、旧日本軍が、資材、機械、工場をそのまま残して行ったため、戦後も製造が続いていました。

旧日本軍が残した資材が尽きるか、機械が壊れるまで、製造が続いたと思われます。

韓国も、中国と同様の状態だったと思われます(旧日本軍は、中国同様、韓半島でも全部置き去りにしたので)
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この回答へのお礼

そのような状況だったのですか! そういえば、中国では、1960年ころまで、中国農村部の民兵組織では、38式小銃で軍事訓練をしていたというTV報道があったのが思い出しました。 ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/04 09:24

実包の製造は特に技術的な難易度が高いわけでもない


今現在だって製造されているくらいだし
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 No.2様のおっしゃるような状況だと思います。



 実は中国(当時の蒋介石軍)はいち早くドイツやアメリカから兵器の製造ラインを導入し、小銃・機関銃、はては軍用トラックまで生産を行なっていました。日本との戦闘が勃発した後には、鹵獲した日本軍の機関銃や火砲のコピー生産もおこなっていたとのこと。
 それなりに技術も施設も保有していたので、銃弾の製造程度は簡単にやってのけていたはずです。
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実際に朝鮮戦争の詳しい知識があるわけではありませんが・・・



99式って7,62mm弾が使用可能なので、特に7,7mm弾が余ってる状況じゃ無ければ普通に中朝の制式弾の7,62mm弾を使ったと思いますよ。もちろん7,7mmがあれば7,7mm使ったんでしょうけどあらたに弾丸生産する場でそんなめんどくさいことせず7,62作るんじゃないですかねえとは思います。現場で補給物資間違いそう・・・。

6.5mm弾については似たような規格の弾が無いですから需要があれば作るしかないでしょうし、いくら中国と言えど小銃弾くらい生産できるでしょうから当然生産したと思いますが・・・。
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>朝鮮戦争初期時には、韓国軍、北朝鮮軍、中共軍の一部部隊兵士は、旧日本軍の38式小銃、99式小銃を使用していたと、記載されていました。



それどころではなく、中国で余剰となったこれらの銃器は、中共はベトミン、ベトコンに引き渡していました。

38式はそのまま、もしくは別の銃弾用に改造されたものがあります。99式はさほど外地には行き渡らず、また、戦争末期のこともあり、話にならないレベルの品質のものが多く、大量に流用されたとは思えません。

38式の実包は30年式と互換性があり、ロシアでも採用されています。また、当時の戦争では鹵獲兵器を使うことも多く、鹵獲量が多ければその実包は比較的簡単に量産されていました。国民党軍が大量に使用していた万能機関銃ZB26の実包は日本でも製造されています。

どの国でも実包の製造は基本的に難しいことではありません。サイズをあわせるということだけであれば簡単です。パウダーの仕様であったり、HS(Head Space)がマイナスであるとか(7.62x51なんかはそうです)となると難しい点が出てきますが、それ以前の時代のことなので何とかなります。
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この回答へのお礼

タイかラオスかカンボジアか忘れましたが、15年くらい前頃、住民が狩猟用に38式小銃を使用していたとTV番組で放送されていたことありますが、もしかしたら、その小銃は、ベトコンあたりから流出したのかもしれませんね! ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/04 09:33

99歩兵銃が開発され、配布優先順位として満鮮部隊、内地部隊と決められました。


しかし、置き換えの途中で、太平洋戦争開戦となりました。
完全置き換えが完了しませんでしたが、関東軍に日本軍兵器、実包等の兵器の大部分がストックされていました。
満洲の38式は、中国、南方にも送られましたが、半数は移動されずに、関東軍根こそぎ動員に使われました。
38式の実包は、奉天工廠で生産を続けられました。
残っていた38銃、99銃を接収と共に、接収された奉天工廠の設備も利用操業増産されました。
確か、奉天工廠の工員は、帰国が遅れたと思います。
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この回答へのお礼

また一つ知識を得ることができました。 ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/04 09:25

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