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トロイア戦争の終結を決定づけた木馬作戦は、ほんとうにあつた話なのですか。

A 回答 (15件中1~10件)

こんにちは。

ちょうどオデュッセーを読もうと思っていたところです。

三つの説があるようです。


実際には破城槌のようなもので、馬に似ていたためそう呼ばれた。事情を知らないのちの口承歴史家が、名前の由来を知らずに、神話の中で変形させた。そのころ、アッシリア人が、動物の名前を付けた攻城兵器を使用しており、火矢を防ぐために湿らせた馬の皮で覆っていた。そういうものであった可能性がある。


トロイア戦争の時に、実際に地震が起きて城壁を破壊した。ポセイドンは、海、馬、地震をつかさどる神である。


木馬が船を意味していたという説。古代ギリシャの水軍は、船を馬のように利用していた。馬は、戦士を潜ませた贈り物ではなく、平和の使者を乗せた船であったという説。

トロイア戦争自体の真偽につてもいろいろあるようです。Wikiによれば、シュリーマンの発掘調査では、破壊の跡がある地層が見つかったことから、それがトロイア戦争時代のものと考えられたようですが、のちの研究で、その地層の破壊は地震によるもので、その上の地層から、戦争による破壊と考えられる痕跡が見つかったということです(紀元前1200年中期とのことですが、ドイツ語版のWikiでは、この地層の研究もまだ明らかではないと書かれています)。さらに、

トロイア戦争それ自体は、確固たる歴史に編纂されるものではなく、紀元前1700年から紀元前1200年頃にかけて、小アジア一帯が繰り返し侵略をうけた出来事を核として形成されたであろう神話である。しかし、これについては、紀元前1250年頃にトロイアで大規模な戦争があったとする説もあれば、そもそもトロイア戦争自体が全くの絵空事であるという説もないわけではない。
トロイア戦争にまつわる叙事詩の全てが架空のものではないとすれば、その中心はやはりイーリオスの破壊と考えられる。都市が火災に見舞われたことは考古学的に間違いないが、それが侵略によるものかどうかは、可能性としてはかなり高いものの推察の域を出ない。さらに、トロイアの略奪があったとする場合、『イーリアス』に従えばアカイア人による侵略ということになるが、ミュケーナイが宗主権を握っていることや、ここに登場する諸都市がミケーネ文明に栄えた都市であることから、アカイア人が入植する以前のミュケーナイ人による侵攻、あるいはトラーキアやプリギュアの他民族による侵略であったと考えられる。少なくとも、アカイア人であったとする積極的な証拠は存在しない。

とあります。日本語版のWikiですが、参考文献がかなり上がっているので、参考にはなると思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

先日、「馬鹿力」の御質問が削除されましたが、何かあったのですか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ぶらげろさんとねこさんは、まだ老荘の議論をしています。私はもう行きませんが、老荘に関しては、ねこさんと同意見です。
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この回答へのお礼

いつも回答ありがたうございます。私は元の本を読むのは好きなのですが、背景を解説したやうな書物はめんどうに感じて、なかなか手が出ません。ついつい質問してしまひます。創作かもしれませんが、それならそれで、どこから持つてきた題材なのか、ずつと気になつてゐました。木馬作戦の詳細は、クイントゥス『トロイア戦記』にあるのですが、ホメロスよりも1000年も後の叙事詩ですので、歴史的には参考になりません。

>>ちょうどオデュッセーを読もうと思っていたところです。

学生のとき、ギリシャ語の授業ではじめて読んだのが『オデュッセイア』でした。Tastenkastenさんは何でもお読みになるのですね。

>>1 実際には破城槌のようなもので、馬に似ていたためそう呼ばれた。

お示しいただいた三説のうち、これがいちばんありさうに感じました。海岸から城内への移動も必要ですから。古代兵器には詳しくありません。実際にはどんな名前だつたのでせうか。アッシリア語はわかりませが「シス」ですか。

>>2 トロイア戦争の時に、実際に地震が起きて城壁を破壊した。

ポセイドンもトロイア戦争にかかはる神ですから、これもありさうです。

>>3 平和の使者を乗せた船であったという説。

戦争の終結につながりましたので、この説もうなづけるものがあります。

トロイア戦争そのものにつきましては、私としては、あつた、と思つてゐます。美女をめぐつて、英雄たちが10年間も争ふのは実にいい話です。

*** *** *** *** ***

>>先日、「馬鹿力」の御質問が削除されましたが、何かあったのですか。

回答がつかないので自分で削除しました。平日は忙しくて、お礼が書けないかもしれないので、月曜の朝までにはなるべく決着をつけるやうにしてゐます。

>>ぶらげろさんとねこさんは、まだ老荘の議論をしています。
>>私はもう行きませんが、老荘に関しては、ねこさんと同意見です。

ねこさんは老荘思想に詳しいやうです。私も儒教よりもはるかに好感を抱きます。Tastenkastenさんの神道への影響のご意見も納得いたしました。ぶらげろさんは、ずいぶん気にしてゐるやうです。ブログのコメントでそんなことを書いてゐました。同じ見解ばかりではおもしろくありません。

アイネクライネのページはむづかしすぎて解りませんでした。

OKWaveに移動となつてから、回答評価の数字がgooなどと連動しなくなつたので、何かと不便です。

ご回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/10/10 19:09

>私も投稿で「木を見て森を見ず」といふ言葉をしばしば使用するのですが、微細に分析すればすべてがわかる、といふ還元主義のゆきすぎを是正する意味で利用します。



リチャード・E・ニスベット「木を見る西洋人 森を見る西洋人」という本があります。西洋人の側から、東洋的なものの見方を評価する本です。まだ、見つけたばかりで読んでいませんが。
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この回答へのお礼

>>リチャード・E・ニスベット「木を見る西洋人 森を見る東洋人」という本があります。

たしかどこかでお書きになつてゐたはずです。買つて読んでみます。価格次第ですが。この言葉の、西洋人からの視点に興味があります。

いつも貴重な情報をありがたうございます。

お礼日時:2014/10/12 19:10

>今聴いてみると、わるくありません。

奨めてくれた人がペルシャ音楽を絶賛してゐたのですが、それほど評価の高いものなのですか。

その方の好みの問題でしょう。2番目のリンクのものは興味深いです。私は、ブルガリアの音楽が結構好きなのですが、ペルシャ、アラビアの音楽の影響があると思います。ペルシャ、アラビアの音楽は、普段は聞きません。昔よく聞いたのは、インドやインドネシア、その後日本の伝統音楽、それからヨーロッパ諸国の民族音楽です。今聞くのは、日本とヨーロッパです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

これ以上plapotaさんのページを利用させていただくわけにはいきませんので、簡単に補足します。まず、私自身は別に老荘派というわけではありません。「じねん」という考え方は、日本の文化を考えるとき、現代にいたるまで結構重要なキーワードです。私は、知に凝り固まった、過剰に合理主義的な西洋の思考法へのアンチテーゼとして、バランスをとるために「じねん」を意識しています。「じねん」という考え方は、西洋人には理解しにくいものです。ただ、老子はずいぶん古くから知られていましたし、私が若いころ、フリッチョフ・カプラの「タオ自然学」なる書物が出て、ずいぶん話題になりました。ニューエイジはすぐ下火になったようですが、この書物だけはいまだに結構人気があるようで、西洋中心の価値観に一石を投じたものとして、いろいろな方面に影響を与えたようです。もっとも、理系でない私は、初めの方で内容についていけなくなって、読むのをやめました。ずいぶん昔のことです。

意志行為の分類は、私の解釈ではこうです。

1. 母親が 赤子を育てる。⇒ 自然
2. しつけるために 声を荒げたり これこれをしてはダメだと伝える⇒ 道に合致した人為
3. 母語をおしえ込む。⇒ 自然  
4. 別の言語をもおしえる。⇒ 子供のためになるなら、道に合致した人為。見栄を張るためなら作為。
5. 子どもがねだるとき 望むものをかなえてやる⇒ 子供のためになるなら、道に合致した人為。御機嫌取りのためなら作為。
6. 父親が 母親に子をあまやかしちゃいけないと言う⇒ 本当に甘やかしているのなら、道に合致した人為。焼きもちを焼いているのなら作為。

「道」が「非知」であるかどうかは微妙なところでしょう。知覚ではとらえられないもので、ゆえに名づけられないものとしています。知覚を超えたところで「道」を知ることはできるという解釈はあるようですが、「サトリ」とは違うような気がします。
 
それよりも、うっちゃっておけばよい、とおっしゃらず、少しお読みになった方がよいです。このサイトの回答欄では書ききれません。儒教や老荘の前には、シャマニズム的、マニ的信仰があって、その対象は「天帝」という自然神です。儒教と老荘には、政治的ないきさつや、勢力争いもありますし、三国時代以降は、仏教も絡んだ三つ巴の抗争に入ります。中国史まではとても手が回りません。質問が立ってから調べるよりも、先に知ることから始めた方がよいです。コメントが来るたびにまたまた調べるのはなかなかしんどいので。
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この回答へのお礼

>>ブルガリアの音楽が結構好きなのですが、ペルシャ、アラビアの音楽の影響があると思います。

さがして聴いてみます。

>>これ以上plapotaさんのページを利用させていただくわけにはいきませんので

私のページはご自由にお使ひください。たすてん先生の曲の宣伝をしてくださるとよろしいのですけれど。

>>私は、知に凝り固まった、過剰に合理主義的な西洋の思考法へのアンチテーゼとして、>>バランスをとるために「じねん」を意識しています。

この点は理解してゐるつもりです。私も投稿で「木を見て森を見ず」といふ言葉をしばしば使用するのですが、微細に分析すればすべてがわかる、といふ還元主義のゆきすぎを是正する意味で利用します。

>>意志行為の分類は、私の解釈ではこうです。

こんなふうに判りやすい例を挙げてくださると充分納得できます。

>>うっちゃっておけばよい、とおっしゃらず、少しお読みになった方がよいです。

今てもとには『老子』の中公文庫版、『荘子』の岩波、中公文庫版だけです。朝日文庫版もあつたはずなのですが、行方不明です。みなさんの投稿を読みながら、必要箇所を拾ひ読みしてゐます。

>>儒教や老荘の前には、シャマニズム的、マニ的信仰があって、その対象は「天帝」という自然神です。

ねこさんのページにも出てきましたが、このあたりはさつぱりわかりません。

>>先に知ることから始めた方がよいです。
>>コメントが来るたびにまたまた調べるのはなかなかしんどいので。

反省します。
ご回答ありがたうございます。御指導よろしくおねがひいたします。

お礼日時:2014/10/12 18:34

 でも アイネーアスが生き延びて カルタゴ経由でローマにまでたどり着いたというんでしょう。

トロイア人という主題は ないんですかね。ヨーロッパ史に。


 と書いておいて:
 ★ (No.10補足欄) さうさう、ペルシャといへば、オマル・ハイヤームですね。
 ☆ けっこう退廃的なんですよね。(あっ ひとつ単語を思い出しました。 ノー・ルーズ=新年)。しかも デカダンでいながら ある程度読ませる力があるようですね。刹那的なことを言いながら うまくまとめているというか。・・・



 □ (回答No.11) ~~~~~~~~~~~~~~~
 あそこのNo.9にある、「人為」というのは誤りです。「自然」に対立するのは「作為」であって、「人為」ではありません。
 「人為」は、それが道に合致し、道の発展であれば、「自然」とみなされます。
 「無為自然」というのは「作為を施さない」ということです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 議論というかたちになってしまいますが 人間の意志行為の分類は むつかしいですよね。

 1. 母親が 赤子を育てる。⇒ 自然としての人為。

 2. しつけるために 声を荒げたり これこれをしてはダメだと伝える⇒ 自然としての人為。
 
 3. 母語をおしえ込む。⇒ 自然としての人為。
 
 4. 別の言語をもおしえる。⇒ 自然? 作為?

 5. 子どもがねだるとき 望むものをかなえてやる⇒ 作為? 自然?

 6. 父親が 母親に子をあまやかしちゃいけないと言う⇒ 作為? 自然?

 7. ・・・

 ☆ 言いかえると 《道に合致するかどうか》の判定は むつかしい。しかも判定という意志行為を 自然的人為か人工的な作為かで判断しなければならない。

 (宣伝:ゆえに 《ハカラヒ無き自然》であって しかもハカラヒを無くすハカラヒをどうにかしようという問題になったとき 《非知》なる場にひとはみちびかれて行くはずです)。
 (ですから すでに何度も触れて来ていますが 《無為自然》が この《非知》に到達しているなら タオイズムの勝ちです。そうでなければ シントウの独自性が活きます)。



 □ 「大道廃れて」というのは、実際に廃れたということより、儒教への批判として、反語的に表現したものと考えられます。
 ☆ 言いかえると 《無為自然ではない人為》が すでに大道が生きられていたときに現われ得たという問題だと捉えられます。つまり 自由意志なるテーマです。


 □ 「かんながら」という語は、もともと大して宗教的な意味の言葉ではなかった可能性があります。誤読が元になり、江戸時代の国粋主義者がそれをもとに「かんながらの道」をでっち上げた可能性があるのならば、それを日本的霊性とするのは危ないです。
 ☆ これでしたら余計に 神ながらの道という言葉を 何のおそれも あぶなっかしさも憂いもなく使えます。手垢がついていないと見られますから。

 あとででっち上げがあっただけでしょうし その前には《もともと大して宗教的な意味の言葉ではなかった可能性があ》るなら ますます持って来いの術語です。



 形而上学(タ・メタなんとか)も対格( accusative )も 誤読や誤解で成り立っていますよね。問題ないですよ。



 《日本的霊性》と呼ぶのは 《反自然としての人為= 作為》をすべて――自然としての人為とともに―― 一段高いところに揚げて棄てるという作業を経たあとのやはり《非知》の問題として指し示そうとするものです。

 人間の存在の内にあっては――自然本性を超えたところとも 自然本性にそなわったものとも見られるような――《非思考の庭》として定義されるべきものです。《非知》をわが心に受け容れたときに成る信仰の動態です。

 信仰というからには 理性と感性とを超えています。超えた庭で 生まれつきやどしているという言い方においても 捉えられます。要するに アートマン(霊我)≒ブッダター(仏性)≒ルーアハ(霊)≒・・・。


 
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この回答へのお礼

>>でも アイネーアスが生き延びて カルタゴ経由でローマにまでたどり着いたというんでしょう。
>>トロイア人という主題は ないんですかね。ヨーロッパ史に。

これは削除防止なのですか。私はねこさんのやうな芸当はできませんから。それができたら、自分の投稿があんなに削除されたりはしません。アイネイアースの話は、『トロイア戦記』にも、それからウェルギリウス『アエネーイス』にもありますね。シュリーマンはこの物語をきいて、トロイア戦争にはまつてしまつた、と自伝に書いてありました。

>>けっこう退廃的なんですよね。
>>(あっ ひとつ単語を思い出しました。 ノー・ルーズ=新年)。

ペルシャ語ですか。ありがたうございます。現在のイスラム社会でも、過激な勢力ではなく、オマル・ハイヤームのやうな人が指導的役割を果たしてくれるのが望ましいと思つてゐます。今回のノーベル賞の女性も活躍が期待されます。

>>議論というかたちになってしまいますが 人間の意志行為の分類は むつかしいですよね。

老子についての私の考へは、これまで書いてきたとほりです。用語の問題なのでしたら、さほど気にすることもないと思ひます。自分も知らず知らずのうちに、老子の思想の影響を受けてゐるのを気づかされます。ニーチェのときもさうでした。

ご回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/10/12 17:22

>ペルシャの音楽は、以前民族音楽の店主に奨められてCDを何枚か買つたのですが、良さがわかりませんでした。



どんなものですか? カッワーリですか?

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この回答へのお礼

何度もお付き合ひいただき、ありがたうございます。

>>どんなものですか? カッワーリですか?

『ルバイヤート』といつしよに出してきました。整理できてゐなくて、みつかつたのは、ファーテメ・パリサーのCD2枚だけです。お示しのURLのものは聴いた覚えがありませんので、買つてないと思ひます。

http://www.youtube.com/watch?v=sxuCg_mwVSg
http://www.youtube.com/watch?v=xqGfKbVeBSE

今聴いてみると、わるくありません。奨めてくれた人がペルシャ音楽を絶賛してゐたのですが、それほど評価の高いものなのですか。

お礼日時:2014/10/12 16:15

こんにちは。



日曜日なので、まだしばらくは締め切りませんね。plapotaさんの質問履歴があるので、ぶらげろさんはどこにでもいらっしゃいますね。

シュリーマンが不評ということではないと思います。ただ、考古学の調査はどんどん進みますから、修正は避けられません。シュリーマンが、トロイアの遺跡を発掘したことは偉業ですが、どの地層がトロイア戦争のものかという判断が、段階的に修正されたというだけです。トロイアの戦争は、たぶんあったと思います。両方の説があり、否定する説が有力というわけでもないようです。これは、ウィキペディアの「トロイア戦争」の「考古学におけるトロイア戦争」の項を読むとわかります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD% …

シュリーマンの「古代への情熱」は持っています。そのうち読んでみます(積読)。

このページで老子の話をするのも、規約違反の恐れがありますよ(笑)。昨日気が付いたのですが、老子に関する優秀な解説書を2冊持っていました。自宅を耐震補強工事した時、台所の天袋に入れて、それきり忘れていました。時間があったら、ぶらげろさんのページに寄稿します。あそこのNo.9にある、「人為」というのは誤りです。「自然」に対立するのは「作為」であって、「人為」ではありません。「人為」は、それが道に合致し、道の発展であれば、「自然」とみなされます。「無為自然」というのは「作為を施さない」ということです。「大道廃れて」というのは、実際に廃れたということより、儒教への批判として、反語的に表現したものと考えられます。「かんながら」という語は、もともと大して宗教的な意味の言葉ではなかった可能性があります。誤読が元になり、江戸時代の国粋主義者がそれをもとに「かんながらの道」をでっち上げた可能性があるのならば、それを日本的霊性とするのは危ないです。
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この回答へのお礼

>>トロイアの戦争は、たぶんあったと思います。

賛同ありがたうございます。どちらかといへば否定派のほうが多いやうに思へます。インドの『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』も、どこまでが史実なのか気になります。以前『ラーマーヤナ』を読んで、人形にサンスクリット語の名前をつけたいといふ質問がありましたが、あんな人がこのサイトに増えていつてくれれば私も外国語カテゴリで楽しく回答できます。

>>シュリーマンの「古代への情熱」は持っています。そのうち読んでみます(積読)。

この人も「天才」なのでせう。モーツァルトのやうな不器用な天才ではなく、何でもやつてしまふ器用な人です。たすてん先生に似てゐます。

「運」に関しては、シュリーマンはトップクラスの逸材ですね。それから、語学の習得にしても、勉強法が普通ではありません。あんなことができるのは、たすてん先生か、ぶらげろ先生、ねこ先生くらゐでせう。

>>このページで老子の話をするのも、規約違反の恐れがありますよ(笑)。

おつしやるとほりです。ただ、われわれがかういふことをすると、しよつちゆう削除になるのですが、「ブータン帰りのあの人」が明白な規約違反をどれほど繰り返しても、削除にならないのが不思議です。ブータンの人徳なのでせうか。私などは道も徳も愛も礼もありませんので、次から次へと削除になります。昨日も1件一部削除になりました。いつもそのついでに、サポート担当さんと話ができるので、都合がいいのですけれど。

>>自宅を耐震補強工事した時、台所の天袋に入れて、それきり忘れていました。

以前うかがひましたが、お隣との関連なのですか。私は民法関連のドロドロが苦手で、このサイトでも法律問題にはほとんど口を出しません。ちよつとした人間関係ならむしろ好きなくらゐですが、長期化したものは困難です。

老子についての見解は、私も、たすてんねこ理論に賛同します。でも、ぶろげろ理論にも惹かれます。極端な否定をしないのが、老荘の思想の一部であり、日本古来からのありかたではないかと思ひます。もちろん議論はあつてしかるべきです。

ご回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/10/12 17:03

 ★ (No.8お礼欄) ぶらげろさんは、ペルシャ語はいかがですか。


 ☆ きれいさっぱり忘れました。

 アヱスタはやっていませんが 近代と現代だったかのペルシャ語をやりました。そのときは必要だと思って いくらか長い時間を当てました。

 関係代名詞で ケだったかがあったこと このひとつだけしか覚えていません。(ラテン語などの qui, quae, quod ですかね)。
 
 アラビア文字は 読めますが。



 
 あと 検索が どうもわたしは苦手なようですね。
 苦手とは気づいていなくて 少し検索したら あとは放っておくというような性分なようです。困ったものなようです。


 

この回答への補足

さうさう、ペルシャといへば、オマル・ハイヤームですね。曲のついたCDを買つたはずなのですが、これから探して聴いてみます。民族音楽のCDよりも聴きやすかつたと思ひます。YouTubeにもあるのでせうか。

補足日時:2014/10/12 14:46
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この回答へのお礼

回答ありがたうございます。

>>アヱスタはやっていませんが 近代と現代だったかのペルシャ語をやりました。

アヴェスタはまつたく読んでゐません。ちくま文庫で翻訳が出てゐたやうに記憶してゐますが、買つてもゐません。たすてん先生が心配になつて回答なさるくらゐですから、人気のある言語ではありませんよね。使ひ道がなければ、忘れるのも早くなると思ひます。もし気が向けば、あちらへの回答をお願ひします。私の回答の誤りがありましたら、指摘しておいてください。プラトンの名言(?)のページの画像のギリシャ文字は、フォント変換に失敗して母音の区切り符号がついてしまひました。次の回答者が指摘してくれるだらうと、放置してゐるのですが、投稿がありません。

ペルシャの音楽は、以前民族音楽の店主に奨められてCDを何枚か買つたのですが、良さがわかりませんでした。

>>検索が どうもわたしは苦手なようですね。

これは私もです。いまだにアナログ媒体が中心です。

お礼日時:2014/10/12 14:36

 No.8です。



 ★ ぶらげろさんの老子ページの、回答になつてゐない回答、単なる自己主張、これこそが正真正銘の規約違反なのですが、いつもながら笑ひました。「この回答のどこが 老子なのですか? 」そのとほりですが、まあひとりくらゐはいいとは思ひます。
 ☆ もう五十回は 同じことをもって返答しています。だからです。怒っています。
 五十回は行くと思いますよ。ほんとですよ。
 四十九回だったりして。・・・





 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 回答番号1「お礼」に書いたのですが、私としては、トロイア戦争はあつた、と考へてゐます。

  「都の広大な丘が火につつまれていた」
  (『トロイア戦記』406ページ)

 とのことで、木馬が出土することはないでせうから、こちらは何ともいへません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるほど。戦争はあった。らしい。木馬は 何とも言えない。ですね。
 ということは 何らかの作戦としては そのたぐいのことがあったかも知れない。ですね。
 と受け取ります。
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この回答へのお礼

>>もう五十回は 同じことをもって返答しています。だからです。怒っています。

七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
(マタイ福音書18章22節 新共同訳)

あれほど明白な規約違反の連続で、処分されないのは不思議です。

>>何らかの作戦としては そのたぐいのことがあったかも知れない。ですね。

はい。さう思つて質問しました。
生き残つたオデュッセウスが、創作気味に話を大きくしたか。
もしくは、ホメロスか他のだれかが、どこか別の地域の話をそれらしく組み込んだか。

一部の聖書考古学者のやうに、聖書の記述をすべて歴史的に正しいとするのも行き過ぎですが、伝説として何もかも否定するのも、おもしろくありません。シュリーマンの行動は尊敬に値します。

聖書の記述に関しては、洪水説話のやうに、世界的に共通するものが多いのですが、ホメロス叙事詩については、独自性が高く、他の資料でおぎなふのが困難です。

ご回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/10/12 12:25

 あさーーぁですね。

特に日曜日ですから。


 No.7です。

 ★ ねこさんのコメントがつかないのですが、出張でせうか。
 ☆ または 老荘の中に《非知》なる説をさがしておられるのではないか。これが見つかればわたしは あたまを丸めねばなりません。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >>この理論の設定から自由になるのが 無為自然であるのではないでしょうか?

 私もそれに近い考へです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ よいわるいの以前におそらく日本人は そうであろうとわたしも考えます。


 ★ 回答番号6「お礼」に書いたのですが、「礼儀」が乱をひきおこします。同じやうに「正義」「愛」も争ひのもとになります。これは以前、ぶらげろさんの「自己チユー」ページに記しました。
 ★★ (No.6お礼欄) ~~~~~~~~~~~~
 「礼儀を持っている人は礼儀を持たない人を責める。ここから乱が始まると説いている。」私も似たやうなことを何度か投稿しました。

 「老子の言葉は、中味の伴わない礼儀に拘ることを言っているのだろう。そして中身が伴っているかそうでないかは誤魔化しが利くということだ。」そのとほりでせう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 仁義礼智信は おおむねアマテラス普遍語(とくに人格語)の問題です。

 普遍語じたいには 特に科学語には 罪はないのですが これをどうあやつるかで普遍語であるにもかかわらず アマテラス方言に成り下がってしまいます。都合の良い部分的な事実認識だけで議論する場合などです。

 あるいはつまり あやつるより以前に普遍性であることに物を言わせて あやまつべからざるものとして権威を付与し飾り付けようとするウゴキが出て来ます。さらにあるいは 神聖にして侵すべからざる聖域を成すというところまで飾りつけは 延びます。

 アマテラス語は 中身をともなった場合ですら すでに上から目線です。それをしゃべる人間がです。


 △ 「礼儀を持っている人は礼儀を持たない人を責める。ここから乱が始まると説いている。」
 ☆ ところが ここで《乱が始ま》らないのが くにゆづりの精神に立つわれらが日本人です。神ながらの道です。《ハカラヒ無きを自然と言い 義無きをもって義とする》日本的霊性です。もののあはれを知った心の土壌に根を張っている人間です。

 人は人に対してオオカミである( Homo homini lupus. )という前提のあるところで 《乱が始まる》のが一般です。

 日本では 《和を以って貴しと為せ》と言われなかったなら 和を乱すことはそもそも知らなかったと言って せいぜい一揆を起こすまでです。それも 止むにやまれぬまでに苛斂誅求を課され圧政を受けてぎりぎりまで我慢したあとのことです。これが 日本人です。われらがこころです。


 道・儒・仏うんぬんと一緒にされてたまるか。


 しかも ねこさんの探索で シントウと同じ道を生きるほかの民族の人たちが見つかったとしたら それは 互いに同じはらからであると認め合い たがいをたたえあうことでしょう。あとは わたしの頭がさむくなるだけです。





 すでに《ほんもの》について書き込みを終えたと思います。:
 ★ では「本物」はなにか、と突つ込まれると、明確には答へられません。ただ、ねこさんの態度、孔孟より老荘、杜甫より李白、には共感してきました。





 シュリーマンは評判がよくないのですか? せっかくわくわくして読んだのに。
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この回答へのお礼

>>老荘の中に《非知》なる説をさがしておられるのではないか。

ねこさんはさういふタイプですね。コメントを書くためにずいぶん調査なさるやうです。私はあまり調べません。回答文の詳細も、まづコメントを書いて、そのあとにじつくり読む、といふこともあります。お礼欄が三つくらゐあれば、あとからいろいろ書けて便利です。

ぶらげろさんの老子ページの、回答になつてゐない回答、単なる自己主張、これこそが正真正銘の規約違反なのですが、いつもながら笑ひました。「この回答のどこが 老子なのですか? 」そのとほりですが、まあひとりくらゐはいいとは思ひます。

神道と道教については、自分で調べたわけではありませんが、たすてん先生やねこさんの見解をよむと、思想的に近い、と感じます。韓国は儒教社会だと言はれますが、こちらはどうなのでせう。

>>《ハカラヒ無きを自然と言い 義無きをもって義とする》日本的霊性です。

とりたてて何かを強調しすぎないのが、自然だと思ひます。特定事項に固執することは、他者を排除する姿勢につながりやすくなります。

>>シュリーマンは評判がよくないのですか? せっかくわくわくして読んだのに。

回答番号1「お礼」に書いたのですが、私としては、トロイア戦争はあつた、と考へてゐます。

「都の広大な丘が火につつまれていた」
(『トロイア戦記』406ページ)

とのことで、木馬が出土することはないでせうから、こちらは何ともいへません。シュリーマンの自伝は私も好きです。とうてい真似できませんが。

>>人は人に対してオオカミである( Homo homini lupus. )

そろそろ、気乗りしないラテン語の質問には回答しないことにしました。さほど詳しくもありませんから。ぶらげろさんは、ペルシャ語はいかがですか。最近なにかとかかはりのある人が質問をたててゐます。初めは、ひとのみちさんのフクアカかと思つてゐました。協力したいとは思ひますが、ペルシャ語はさつぱりわかりません。

昨日ひさびさに、螺旋階段さんを見ました。ニュートラルさんも安心でせう。おたまさんもよく登場します。

ご回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/10/12 11:03

 メリーゴーラウンドの木馬です。





 △ (永遠の未完成を奏でる 天籟の風) ~~~~~

 私はこう解釈したい。

 「道」があって「徳」が生まれ、
 「徳」があって「仁愛」が生まれ、
 「仁愛」があって「正義」が生まれ、
 「正義」があって初めて「礼儀」が生まれる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ すなわち この理論の設定から自由になるのが 無為自然であるのではないでしょうか?

 タオイズムが わがシントウと同じ穴の貉であるとすればです。

 禅家ですら 大道無門を言います。
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この回答へのお礼

おはやうございます。

先日のシステム停止は改装工事なのかと思つたのですが、ただのバグだつたやうです。「偶然と必然」のページにはぶらげろさんの回答がずらりと竝んでゐて笑ひました。あれは必然のなりゆきなのですか。あちこちで同じ現象が見られました。ねこさんのコメントがつかないのですが、出張でせうか。

>>この理論の設定から自由になるのが 無為自然であるのではないでしょうか?

私もそれに近い考へです。回答番号6「お礼」に書いたのですが、「礼儀」が乱をひきおこします。同じやうに「正義」「愛」も争ひのもとになります。これは以前、ぶらげろさんの「自己チユー」ページに記しました。

では「本物」はなにか、と突つ込まれると、明確には答へられません。ただ、ねこさんの態度、孔孟より老荘、杜甫より李白、には共感してきました。

ご回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/10/12 08:58

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