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こんにちは
敗戦メディアが戦後何を流し、国民が其れをいてどう動いたのかあまり報道されないので
知りたいです。今の目から見て当時のひとは正しく動いたのかどうかも教えて下さい。
よろしくお願いします

A 回答 (3件)

GHQ(General Headquarters)とは、連合軍総司令官の略です。


これはアメリカ軍を中心とする国連軍の占領政策を実施する機関です。
主に日本に対してポツダム宣言の執行が本来の役目ですが、主に占領(洗脳)政策の実施でした。
1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ平和条約締結まで活動。せん
・民間情報教育局(CIE: Civil Information & Educational Section )
・民間諜報局(CIC:Civil Information Center)※和訳なら民間中央情報局なことに注目。
主に、上記の部署で洗脳(War Guilt Information Programs)を担当していました。
当時は最新のビルである第一生命本社ビルに司令部は置かれました。※ビルは接収。
参謀部
1.参謀第1部(G1 人事担当)
2.参謀第2部(G2 情報担当)プレスコードの実施を担当
3.参謀第3部(G3 作戦担当)
4.参謀第4部(G4 後方担当)

このGHQがある内は、実質”言論の自由”はありませんでした。
政策としては
・戦争犯罪人の逮捕
・公職追放
・言論統制
・非軍事化
・民主化
・農政
・教育改革
・非共産化と再軍備
・「慰安所」の設置
・対日講和
・日本語のローマ字化計画
でした。

これで、連合国を批難してはならなくなったのです。
つまり国連加盟国のドイツ・イタリア・日本以外の国を批判してはダメという洗脳がされました。
また、自衛隊嫌いもそうです。
君が代・日の丸NOもそうです。
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その頃はテレビはありませんでした。

ラジオも普及していませんでした。放送はNHKだけでした。新聞はありましたが、ほとんどの国民は毎日の生活に追われ読んでいませんでした。だから今のように国民がマスコミに影響されることはほとんどありませんでした。至る所が破壊され、国民の多くは衣食住に事欠きました。食べるものもなく、飢えに苛まれました。毎日がその日暮らしで、新聞読んでああだこうだと言っている暇はありませんでした。脇目もふらず、汗水たらして働きました。その結果敗戦国にもかかわらず、世界第二の経済大国になりました。国民がおおむね正しく動いた証拠です。
今頃はテレビ新聞に踊らされ、ろくでもないことしかしていません。だから経済成長が止まり、国力が落ちかかっています。新聞テレビが主導する国はろくでもありません。朝日を見ていれば分かります。
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>>今の目から見て当時のひとは正しく動いたのかどうかも教えて下さい。



GHQによる報道管制、記事のチェックがしっかり行われていたようです。ですので、「日本は侵略国」「南京大虐殺があった」なんて嘘を戦勝国側が流しても、日本のメディアは反論できなかったそうです。
そんなことをすれば、「出版差し止め!!」です。その結果は、倒産ですからね。

また、日本の国民性からも「戦に破れたのである。相手が嘘・デタラメを言っていても、反論なんて見苦しいことは武士道に反する。」って雰囲気だったようです。
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