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(再質問です)

人が他人の事(性格や人間性や考え方など)をあれこれ話しているその内容は、話している当人自身そのものであるという事にある時気づきました。
人はなんでその事に気づかずに、他人のことをあれこれ話すことができるのでしょうか。

他人の事をあれこれ話すということは、自分自身のことを話すことと同じであり、自分の事をさらけ出すことです。
つまり露出狂みたいなものです。
他人のこと(つまり自分の事)を話すことが恥ずかしくないのか。
人はその事(他人の事を言うのは自分自身の事を言っているのと同じ)を知っていながら、露出するがごとく話しているのでしょうか?
もしくはただ単に気づいていないから話せるのでしょうか?

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A 回答 (5件)

気付いていない人もいるでしょうし、気づいていても話す人もいるでしょう。



別に他人の事でなくても、趣味だの好きなものだのについて話すだけでも、ある程度は自分のことをさらけだしていますよ。
価値観レベルなら、何も話さなくても服装や身だしなみ、持ち物なんかにも表れます。

自分を出さないと、親しい相手を作れないでしょう?
それに自分の事を話すのが恥ずかしくないのかってことは、自分は話すのが恥ずかしいほど低いレベルなのでしょうか?
もちろん、見ず知らずの人だとか、仕事仲間だとか、友人だとか、相手によって自分を見せるレベルは違うわけですがけれどね。

この回答への補足

質問させていただいたあと、本に、「こうやって他人の話をしていればその間は自分の事を考えずに済むのです。無惨な身の上はみな一緒なのです。」というのを偶然目にしました。
他人の事をあれこれ話すことの意味は上記の本の一文がよく表しているのでしょうか。

補足日時:2014/10/27 16:39
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この回答へのお礼

ご回答頂きました皆様へのお礼とさせて頂きたく失礼致します。

お礼日時:2014/11/01 13:34

まるっきりその人である場合もありますが、そうじゃない人もいると思いますけど・・


多様な価値観を知る機会が多ければ、自分中心に考える事ばかりではないですから。
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物事の見方として客観的と主観的がありますが


そもそも客観的と言われるものさえ
主となる人の経験や価値観が反映されているものです。
人は経験と価値観の枠を出ることはできませんからね。
どのような事柄にも主となる人のフィルターがかかっているということですが
主観者のレンズが曇ったり歪んでいれば
映る像もおのずと歪みます。

自身の評価を押し殺し、
大多数が納得できるような理解や意見が客観的と言われるものです。
客観的な見方ができるかどうかで人としての成長度合がわかるものです。
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僕はバカなのであなたの言ってること理解できませんが、イコールの使い方を間違ってるあなたはもっとバカなのかな

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一般的に昔からあることで、そう言うことを


「自分のことは 棚に上げて」と 言います。
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