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昭和42年7月12日に上野駅から青森までの寝台列車に乗りました。
その列車名が判りません。
お分かりの方お教え願います。

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A 回答 (7件)

昭和42年(1967)の八甲田の上野発は16:30です(上野入線は15:58)。



上野15:50発の列車は見当たりません。東北本線、常磐線、高崎~上越線も。

八甲田も寝台2両連結していますがほとんどは座席車です。
純粋に寝台列車と呼べるのは19:00のはくつる。21:30発ゆうづる(常磐線経由)。
客車列車では、あと第1十和田とか第1津軽とかありますがすべて19時以降の発車です。

と、ここまで書いて気が付きました。15:30入線15:55発「北海道第1観光号」という常磐線経由の団体専用臨寝台急行があります。

5分違いますがいかがでしょうか。質問者さんが団体旅行で北海道へ行かれたのなら、この列車の可能性が高いです。団体用の臨時列車ですから修学旅行などで利用する場合に限られ、一般発売はありませんから、5分程度の時間調整はあったかも知れません。
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この回答へのお礼

時刻も一致しますので15:55発「北海道第1観光号」だと思います。
有難うございました。これですっきりしました。

北海道への個人旅行で、青森から青函連絡船に乗り北海道に渡りました。
50年近く前の学生時代の懐かしい旅でした。
恐らく席が空いていたので、個人にも発売してくれたのかもしれません。

ご回答して頂いた他の方々にもお礼申し上げます。

お礼日時:2014/10/23 18:10

私も、43系一般客車主体の急行八甲田の可能性が高いと思う。


http://www.jnrpc.com/N-TRAIN/st-time/ueno-st.html

昭和39年9月、東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正後の白紙ダイヤ改正は昭和43年10月(俗に言われるヨンサントウ改正)。その間のダイヤ改正は、小規模改正だから。
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青森電化は昭和43年のことですから、盛岡から先がD51の天下


だったころですね。それで上野発15:55と言うことは、青森発
早朝の連絡船接続の筈ですから、「八甲田」の可能性が高いと
思います。座席車中心の列車ですが、寝台も連結していたので
「寝台列車」と思っちゃうかと。

普通の人は、乗った列車の前から後ろまで見たりしないですから。

7月ですから、臨時の「おいらせ」かもですが、昭和42年なら
臨時列車に寝台があったとは思えないので。
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#3です。


失礼いたしました。寝台特急でしたら#1さん、#2さんご指摘の通り、「はくつる」か「ゆうづる」の可能性が高いです。先ほどのリンク先にも掲載されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97% …

改めてお詫び申し上げます。

この回答への補足

早速ご回答下さいました3名の方有難うございました。

再度記録を調べましたら乗車日時は
昭和42年7月12日 上野発15時55分でした。

当時の時刻表が近所で参照できれば解決するのですが、ちょっと見当たりません。

列車名が確定できればうれしいです。

補足日時:2014/10/22 21:15
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昭和42年7月といえば1967年7月ですから、当時、上野⇔青森間を運行していた列車、「急行


みちのく」であると思います。

[ご参考]
(1)http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%BF%E3%81%A1%E3% …
[抜粋]
1965年10月 上野~陸羽東線鳴子・青森経由大鰐間にみちのく1往復が設定されみちのくの名称は2往復となる。

(2)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97% …
[抜粋]
1965年10月 盛岡電化完成により以下の変更を実施。 「ひばり」…仙台運転所(現・仙台車両センター)に新製配置された交直両用483系特急形電車による運転となり2往復に増発。その後は3電源対応の485系が増備され、583系も投入された。
「いわて」…電車化され再び盛岡発着とする。
「青葉」…盛岡まで運転区間を延長し、愛称を「きたかみ」に変更。
「つばさ」…盛岡発着編成を分離し483系電車特急「やまびこ」に変更。
「みちのく」…1往復増発。運行区間を上野 - 陸羽東線鳴子(現・鳴子温泉)・青森経由奥羽本線大鰐(現・大鰐温泉)間とし、下り1号・上り2号とする。従来の上野 - 青森間列車は下り2号・上り1号」とする。
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20系ブルートレインなら、「はくつる」or「ゆうづる」


一般客車寝台なら、「八甲田」or「津軽」では???
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当時は特急も急行もありましたし、経路も3系統以上ありました。


特急なら
あけぼの
ゆうづる

急行なら
八甲田

出先なので今はこれくらいしか思い付きません。
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Q昭和初期の上野青森間の鉄道について教えて

教えて!goo初心者ですので、失礼な質問であったり、以前同様の質問があったら、先にお詫びします。

現在、叔父の趣味の小説作りの手伝いをしております。
その物語の舞台が昭和五~十年ぐらいで、上野駅から青森駅まで行くとあるのですが、その頃の鉄道事情が全く分かりません。
色々調べて、明治に開通して26時間程かかるとありましたが、
それが乗り換えなしの直通なのか、蒸気機関車なのか、一日何便あったのかなどが分かりません(>_<)。

どんな情報でもいいので、知っている方、教えてくれませんか。

どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 全て蒸気機関車牽引で、昭和10年ごろで一番速い急行列車でも12時間以上を要していました。もっとも、大正時代には15~6時間以上かかっていたので、随分便利になったなあ、というのが当時の人の印象かもしれません。
 長距離の主役は急行列車、準急列車(料金無料で戦後の快速列車に相当)、そして通し運転の普通列車も走っていました。夜行列車でも寝台車は一般的ではなく、もっとも立派な夜行急行でも、イメージとしては、2等(A寝台)と3等(B寝台)の寝台車が1~2両ずつ連結されているだけでした。3等の寝台車にはカーテンもなかったそうですが、車両自体は昭和5年登場、当時最新式の鋼製車両で、当時の人には羨望の眼差しでみられていたかもしれません。
 当時の上野~青森間の運賃は、正確には覚えていないのですが、当時のお金で7円~10円位です。米価換算なら1万数千円というところですが、当時は所得格差が極めて大きかったので、これは低賃金労働者にとっては5万~10万円に相当し、利用しにくい乗り物でした。逆に、裕福な階層の人は割高な二等車、二等寝台車を利用し結構あちこち外出しています。

 このあたり、詳細は紀行作家宮脇俊三の「時刻表昭和史」が詳しいです(下記URL参照)。戦時期になりますが、東北本線から連絡線に乗り継いで稚内に向かう旅行記も収録されています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8F%B2

 全て蒸気機関車牽引で、昭和10年ごろで一番速い急行列車でも12時間以上を要していました。もっとも、大正時代には15~6時間以上かかっていたので、随分便利になったなあ、というのが当時の人の印象かもしれません。
 長距離の主役は急行列車、準急列車(料金無料で戦後の快速列車に相当)、そして通し運転の普通列車も走っていました。夜行列車でも寝台車は一般的ではなく、もっとも立派な夜行急行でも、イメージとしては、2等(A寝台)と3等(B寝台)の寝台車が1~2両ずつ連結されているだけでした。3等...続きを読む


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