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当然ある程度考えるというのは人生を見つめなおしよりよく生活していくために良い部分もあるのだと思いますが、それ以上に突き詰めて考えるコトに利点はありますか?

A 回答 (9件)

わたしは小学生の頃から虐待を受けて育ったので


生きる事の意味についてまた死ぬ事について何度も何度も深く悩み考えてきました。
その時々の精神的影響や成長によって様々な考えが巡りました。
中二病的であったり恋愛や交友によって色々です。
しかしいい歳くってハタと思いました。(ふざけてません。真面目な話ですよ)

人間(に限らず生物って)便を生産する為に存在しているんだなぁ。
二酸化炭素を生産する為に存在しているんだなぁ。
地球から産まれ地球に生かされて地球に返るんだなぁ。

非常に中二病的な考えですが、ある意味事実です。
それ以来生きる事の意味なんて考えるのが馬鹿馬鹿しくなりました。
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この回答へのお礼

今は考えていないんですね?
それでスッキリされたと?
ならやはり考えるのに利点はなさそうですね
大変参考になりました
ありがとうございます

お礼日時:2014/10/24 14:14

人生の意味について考へることができるのは、それがすなはち、幸せなのではないでせうか。



私などは、人生の意味どころか、やること、なすこと、すべてが無意味である、何をやつても駄目な奴だ、と周囲の人たちから糾弾されます。
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 個人にとっての理想の人生観から社会にとっての理想さらには種にとっての理想という方向へ拡張すると、共通の認識をもって協調体制をとって先へ進むために、定義や意味を突き詰めていく必要が出てきます。

少なくともそういう必要性はあると思います。
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 生物としては高性能の精神を持っているのだから、それを生かす(活用する)べく努力しなくてはそれこそ“宝の持ち腐れ”となってしまいます。



 ここ、哲学カテの住人はこの高性能の精神ある故に、その心の不可解部分を満たそうという“求め心の迷い人”なんです。
 それは“宝”を腐らせないことでもあるのです。

 そしてこの心の作業は、迷いのブレの幅を減少させる可能性が有るので、その意味では利点もあると思います。
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答えを得られるのでは無いでしょうか。

人生の意味を獲得すると言うことです。ただ、考えるだけでなく、それが人生に反映されてこそですが。意味のある人生というのは確かに存在するでしょう。
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質問者の今までの投稿どおり、何も考えていないんだから


今更考えるふりをするのに、何の利点もない。
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この回答へのお礼

まぁ!面白い答え!

お礼日時:2014/10/24 22:34

他人や社会によって生かされ、外に生きる意味を求めるがゆえに、それが得られなかったり、認められなかったりした場合に、自我が不安定になります(or 他律的社会化+宇宙(意識)の希薄化)。


宇宙が存在するのは、認識されるがゆえにであり、それは自己の内なる生きる意志の投影に基づいてこそ、確立させ得るものなのです。

生命を構成する物質に目的はないが、「目的がない=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。
であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、低認識な自己チューな意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)。
認識の深まり(社会生命としての自覚化)による自律的社会行動=自己存在の本質に根差した、生きる事自体による喜びこそが(助け合いとしての社会による相乗効果もあり)、生きる真の目的である「人生を通算した精神的充足量の最大化」につながるのです。
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「生命」の意味は未だに明かされていない。


だから「人はなぜ生きるのか なぜ生き続けるのか」を掘り下げても真実には至らないだろう。

おそらく「人」では無理なのだ。

もっとも突き詰めたところで得するとは限らない。
より大きな重みを背負うことになるかもしれない。
だから利点とも言えないしそうでないとも言えない。

しかしそこに向かおうとするならば少なくとも「知ろうとする者」になるだろう。
暗闇を照らそうとする一群だ。

ただ道を外して崖から落ちるかもしれん。
過去そうやって落ちた人間も数多い。
「わからんものはわからん」と投げたほうが楽だし案外正しいのかも。

まあもともと分からんのだからこの質問にも「分からんなあ」と答えるしかないな。
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この回答へのお礼

なるほど、今は分からないだけですもんね

それなら確かに分からんですね

今後あるかもしれない、と思えば、もしかしたら考える意味があるかもしれない

ということですね

お礼日時:2014/10/24 12:20

人生の意味を考えることの利点は、人生には意味なんてないことを知ることです。


人間は生きているから生きている、そこに何の意味もない、それがだんだん分かってきます。
意味を考えるのは病気だということ、それが分かってくるという点だけでも、人生の意味を考える利点があります。

聖書・伝道の書にいわく、
「空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦はその身に何の益があるか。世は去り、世は来る。しかし、地は永遠に変わらない」

という通り。
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