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いうまでもなく、水にはそれ自体として定まった形はない。そうして、形がないということについて、おそらく日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのである。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏付けられていた。それは外界にたいする受動的態度というよりは、積極的に、形なものを恐れない心の現れではなかっただろうか。
問題1.「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そ     ういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏     付けられていた。
   「思想以前の感性」この言葉は何の意味ですか。
問題2.
    それは外界にたいする受動的態度というより     は、積極的に、形なものを恐れない心の現れで    はなかっただろうか。
このセンテンスも分からないのです。特に受動の態度というのは何の意味ですか。
私は外国人です。日本の文学の愛読者です。以上のセンテンスはいくら読んでも分からないのです。是非教えてください。お願いいたします。


   

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A 回答 (1件)

 外国人の方で日本文学に関心を持ち、このような文章を読んでいるという質問者さんに敬服いたします。

「水の東西」は、身近な「水」というものを取り上げて、西洋文明と日本文化の違いを的確かつ簡潔にのべたすばらしい文章ですよね。
 日本語理解のレベルはかなりのものとお見受けしますので、そのつもりで書かせていただきます。

 まず、問題1.

 それぞれの語は簡単にいえば、「思想=考え」、「以前=~の前」、「感性=感じる力。感受性。」ですね。だから、「思想以前の感性」は、これも簡単にいえば、「考える前に感じとる力」ということになると思います。

 ちなみに、ご存じとは思いますが、その前にある「行雲流水」は、「空をただよう雲と流れる水」のことで、他の力にさからわず、とどまることなく変化していく、自然のゆうゆうとした姿をいいますね。
 たとえば、「彼の生き方は行雲流水のようだ」というと「彼は、(運命にことさら逆らったり、自己の考えを周りの人に押しつけたりは決してしないで、無理をせず周囲と調和して)自然のまま、なりゆきにまかせて行動して生きている」ということになります。

 したがって、「そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏付けられていた」というのは、「『行雲流水というような物のあり方や人の生き方がすばらしい』とする考え方は、(日本人にとっては)自分であれこれと考え抜いて思いついたり、あるいは他人から教えられ納得・理解したりして身につけるものではなく、ひとりでに自然と感じ取れるものである。」ということを言おうとしたものだと思います。

 次に、問題2。

 まず、タイピングのミスだとは思いますが、引用部分に誤りがありますね。
 「形なものを恐れない心」ではなく「形な『き』ものを恐れない心」です。「形がないもの」ということですね。

 「受動の態度」の「受動」は、自分から他人や物に働きかける「能動」に対して、「他人や物から働きかけけられること、受け身であること」を言います。したがって「受動の態度」は、こちらから働きかける積極的な態度ではなく、相手から働きかけられることによって行動したり思考したりする消極的な態度と言えると思います。

 したがって、「それは外界に対する受動的な態度と言うよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の現れではなかっただろうか。」という部分は、「日本人が『行雲流水』を尊ぶ理由は、外界(自分のまわりの環境。自分をとりまく自然や社会)から何らかの働きかけがあってはじめて、それに対する反応として(しかも、その働きかけに逆らわないかたちで)自分が行動する消極的な、受け身の態度があるからではない。形のないものを恐がらないで、その形ないものと積極的にかかわっていこう、働きかけていこうとする心がもともとあるからこそ『行雲流水』を尊ぶのである。」ということだと思います。

 日本には「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がありますが、ご存じでしょうか。
 「夜、向こうに何か白くてふわふわする正体不明のものがあり、幽霊ではないかと恐がっていたが、近づいて見るとススキの穂が風に揺れているだけであった。」ということから、恐怖の対象となっていたものも、その正体が分かってしまえば恐いことはない」というような意味で使います。
 「水は方円(ほうえん)の器(うつわ)に従う」という言葉もあります。水は四角い容器に入れれば四角くなるし、丸い容器に入れれば丸くなる。容器の形によってどんな形にでもなる。」ということから、この言葉は「人は、交友や環境しだいで善にも悪にも感化される」ことを言いますが、確かに、物質としての水(液体)はそのものにきまった形はないわけです。いってみれば、正体がないようなものです。
 「正体がないものを(理解できないからと)排除せず、恐れずに親しもうとする心が日本人にはあり、水に対して親しく接することができる。だから、たとえば、目で見て水の存在を確かめなくても、「鹿おどし」の音を聞いただけで、水の存在を感じることができるのだ。」ということを筆者は述べようとしているのだと思います。
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この回答へのお礼

usagisanさん:
こんばんわ!私のコンピュータにウイルスが入りましたのでずっと開くことができませんでした。御礼を書くのはおそくなってほんとうにすみませんでした。

usagisanに褒められてほんとうにうれしく思います。
ところで日本の文学を読めば読むほどおもしろくなって、そしてその中から、たくさんの知識や道理を悟ることができます。これからもっとたくさん読もうとおもいます。
いろいろ教えていただきましてほんとうにありがとうございました。これからまたご指導をお願いいたします。

お礼日時:2004/06/07 02:05

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