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あなたの「腑に落ちたとき」体験を教えてください。

悩みや、受け入れきれない自分の感情が、ふと転換するようなことがあると話に聞くことがあります。「気づき」「諦め」「悟り」「受容」など、言葉は色々あるのでしょうが、そのような体験をしたことがおそらく無い私は、それがどのように起こるのか知りたくてたまりません。人は「納得してやる!」という努力で、納得というのはできるのか?心を転換できるのか?

そこで、皆さんが体験した「すとん」というような体験を教えてもらえないでしょうか。どういう時にどういう経緯でそれが起こりましたか?ずっと悩んでいたことに対して、転換するようなことが起きたのがなぜその瞬間だったのか、考えられる理由もあれば教えてください。

*
私事でざっくり言うと、私は、昔からの自分嫌いが直りません。自己肯定感が低い状況だと思います。なのに、矛盾してるようですが、俺なんぞ何もなし得てないし、そんな大層なことができる人間じゃないんだ、ということが受け入れられてないようなのです。

それでも「すとん」はまだ来たことがないです。毎日何をこんなに悩み苦しんでるのかアホかと思います。何と戦ってるのか。言うなれば自分に対して「愛情は薄いが要求は高い」そんな感じです。諦めきれたら、そこから再スタートして少しずつ自分に自信をつけながら生きていけるのかなと漠然と思っているのですが・・・。今だと、何とかついた自信もちょっとしたことでいつもおじゃんになってしまってる気がするのです。
*

あの時をきっかけに私は変われたよ、というお話を聞き、参考にしたいと思っています。人生的なことでなくても、どんなジャンルでもかまいません。よろしくお願いします。アドバイス等もあれば嬉しいです。

30歳男

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A 回答 (12件中1~10件)

10です。



>「愛し愛され」は同時に発生するものなのですか?

おどろきですが、そういうこともあります。

何かをしたから、とか、見た目がいいから、とかではなく、
魂がひびきあうような・・・

でも、甘えて待っていればいいのではなく、良い意味で自分らしく生きていることで、
魂のくもりを落として自分らしい輝きをはなって初めて、
相手も自分を、自分も相手を、見つけやすくなるのでは・・ と思います。

甘えたい気持ちは私もあります。わかります。
ただそれは、くもりの部分なのかもしれません。
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この回答へのお礼

そうですね・・・。
自分らしい輝きですか。
難しいですね。
今の自分は自分らしくないのかどうかもよくわかりません。
曇りがなんなのか、気づけるように生活したいととりあえず思います。

何度も回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/04 12:45

貴殿は若いのに「すとん」の事に気付くなんて素晴らしいじゃないですか。


半分は得心して後は今暫く「すとん」待ちでよいと思います。必ずその日は来ますよ。

私は今、貴殿のこの文章読ませて頂いて
そおいやかつて憎くてしょうがない事や残念で悔しかった事を今更の如く思い出して、半ば忘却状態でもありながら何とも無駄な感情に支配されていた事かと今頃になって思い起こし納得でも合点でもストンでもなく…

何やってんだろか?

しかし小さくも憎くさや残念さ悔しさは消えないのです。
でも
貴殿の文章読んで分かったのは…

ストンな感触は無くもイジイジした感情はこれからかなり小さくなるぞ!

という確信が持てました。
という事で貴殿の歳倍手前のジジイは未ストンの身でありながら
また
何ら意見どころか逆に感謝の意を表します。
(^人^)
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。

そうですね・・・。
いつか苦しくなくなっていくものだと思いたい。
やはり完璧主義というか、ストンがないと人としてだめな人間だという意識が
強すぎるのでしょう。
そういうことにばかり執着してしまいます。

僕自身も、
昔は執着していたが、今考えるとそうでもないな・・・ということがありそうな気もします。
そう考えると徐々にいじいじした感情は移ろいでいるような気もします。
成長しているんだと信じて生きていくしかないんですかね。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/26 22:25

わたしも同じでした。

 自分が嫌いで、とてもつらかった。
いまは、治したいところもあるけれど、存在としての自分はokと思っているかなと。

こんなたとえをききました。

人間を、植木の選定に例えると。

治すべき、整えるべきは枝葉であり、
幹を切り倒したり、根っこを引っこ抜いたりなんて、とんでもない。

人間も同じで、枝葉を整える必要はあっても、
存在を否定する必要はない。


あなたは誰かに否定されて生きてきたかもしれない。
言い方は、あなたの存在否定の言い方だったかもしれない。
けれど、他人は誰かの存在否定、人格否定をすることなんてできない。

そう思ってしまうのは、あなたがそれを信じてしまった、受け入れてしまったから。
それは、ある意味あなたのその人への愛でした。その人を信じたのです。でもそれは、間違いでした。
他人ができることなんて、せいぜいが、あなたの枝葉のこういうところを治したら、その程度です。
人格否定なんて、八つ当たりか、言葉の選び方を間違えているかです。


まあこれは知識や心構えであり、
癒されるには、ほかにもいろんな経験を積み上げることが必要になると思います。

人の間で傷ついた心は、人の間で癒されます。
いちど大人になると、誰かから一方的に愛をもらうことはできないけれど、
愛し愛され、優しくし優しくされ、 そんな関係を築くことは可能なんです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。

>いちど大人になると、誰かから一方的に愛をもらうことはできないけれど、
愛し愛され、優しくし優しくされ、 そんな関係を築くことは可能なんです

これが僕の目下の悩みです。
「愛し愛され」は同時に発生するものなのですか?
「愛したから愛される」「愛されたから愛する」のどちらかしかない気がします。

僕は一方的に愛されたいばかりです。
自分から愛せることが皆無です。
たまに愛かと思ったら、自分の劣等感を埋めるための道具だったりします。
そしておっしゃるとおり、誰かから一方的に愛されることは他人からはありえないと思います。

それに絶望しかけている、というのが実情です。


>いちど大人になると

この「大人」はやはり、自分を愛せるよう人のことを言うのではないでしょうか。
よって、
この「大人」になっていない人は、愛し愛されの関係を築くことは不可能なのではないでしょうか。

私は自分を愛せません。
よって愛し愛されの関係を築くことは不可能に思えます。

なんか変な証明問題みたいになってしまいましたが。

お礼日時:2014/11/26 22:37

> これを知って「受け入れられた」という実感、


> 自分が変わったという実感はあったのでしょうか。


「じゃあ、傷つかない心安らかな愛があるんだ」と希望が持てて、自分が目指すものがクリアになりました。
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この回答へのお礼

なるほど。
僕がその立場だったら、「これが愛じゃないのなら何が愛なんだ・・・」と絶望しそうですね。

希望が持てたということは、
心のどこかで「これは違うのでは」ということなんでしょうかね。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/13 14:11

受け入れられなかった事で、苦しみや生き難さを感じていた場合で、主に行動と言う面から述べる時神経症と呼んでいると思います。

自分の行動に自分自身が制限を掛けている場合です。強迫観念や、強迫行為なども含みます。

又、受け入れられない事として、苦しみや生き難さを感じていた場合で、身体的或は肉体的な健康状態に対して疑いを持つ場合を、自律神経失調症や過敏性腸症候群等の、難治性と言われている心身症と呼んでいるようです。

又、受け入れられない事として、苦しみや生き難さを感じていた場合で、沸き上がる自身の”感情や考え”を問題にしている場合を心を病むと表現しているようです。

今書いた事柄は、全く別な事柄のように感じられるかも知れませんが、問題の根っこは同じです。同じと言う意味の根拠です。

赤ん坊を例にすると分り易いと思います。赤ん坊に元々備わっている働きと言う意味ですが、この働きを機能と書き換えても同じ意味になります。

赤ん坊に元々刷り込まれている、DNAとしての機能かも知れません。それが命そのものの働き=生命を機能させている機能という意味です。

赤ん坊は、手の動かし方や行動に付いてハウツウ本に必要な内容を質問してくる事はありません、何故かと言うなら『もう既に知っているからです。』

同じく、赤ん坊は身体の器官の全てに付いても同じく機能する力があります。発汗作用でもホルモンの分泌でも、腸の機能でも臓器の機能でも知り抜いて働かせている機能を持っています。

同じく、赤ん坊は『沸き上がる感情や考え』に付いても予備知識が無くとも、不安や安心する事を始めとして全ての『感情や考え』を感じています。

今書いた三つの機能を兼ね備えている働きが『生命維持機能』=『命を働かせている者』と言う意味です。この為に、先に書いた三つに関して『医師の元に行って、如何に精密な検査をしたとしても、異常なし』という検査結果になっています。

またこの三つに、便宜上分けて書いたのですが、生命体としての人間を語る場合では、必ずしもきれいに三つに分ける事も出来ない場合があります、それはお互い同士に繋がりがあるからですので、同時に三つとも症状として訴える場合や、二つの症状として訴える場合もあるからです。

この生命維持機能を仏教では仏性、聖書では神としています。仏教の場合では『悟りを開く時』全ての悩み苦しみから解放されると言われる理由です。悩み苦しみとは、悩み苦しんでいる人間が『本人の頭の中に作り上げた仮の思い込みであった。』と言う理由が此処にあります。

この三つに共通する苦しさや生き難い想いや、漠然とした得体の知れない不安とは、自身の自我意識=顕在意識が『自分の生命維持機能』とうまく同調出来難くなっている印です。

悩みや、受け入れきれない自分の感情が、『ふと転換するようなことがある体験』が、自分自身を知る体験『見性』と言う体験です。

この体験を重い脳卒中の体験を通して熱く語っている動画をご紹介します。


もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

URL:


博士の言葉の中のキーワードは、『全てを諦める』と言う言葉です。この意味は、『諦めが付かない事が、悩みを拡大していた事』です。人間の悩み苦しみとは『受け入れられない事』で発生しているからです。

自我意識が諦める事が出来ない場合に『悩みや苦しみが生じているからです。』自我意識は思い込みで生きていたという意味です。命の働きは『今現在の全ての真実の情報を脳梁を介して逐一送っています。この情報を『勘違いして受け取る事』が、先の場合では『症状』として認識をする結果に成っています。

悩みや苦しみの場合でも同様です。一つの見方から抜け出せないでいる時、悩みや苦しみに深刻さが増しているからです。そう云った偏った見方から抜け出すきっかけが、自分自身との付き合い方の変更です。それが自分自身を知る事、詰まるところ見性体験の意味です。

私事ですが、死に対する恐怖症に陥ったのは14歳の時でした、そうしてその死に対する恐怖症が解けたのは32歳の時でした。

恐怖症の時は絶えず『死の影に怯えた生活でした。』毎日を死刑囚の心持で暮らしていた事です、その死刑執行が何時も”今”執行されるような心持です。生きた心地がしない感覚です、その為に死に対する恐怖症が『離人症』と言う形で現れていた事です。

入院森田療法を27歳頃、2ヶ月間受けて、自分の”意識の在り方”を学んで来ました。それから5年後、32歳の時にその転機が訪れました。

死に対する恐怖症が解消する転機です。『死』は恐ろしいものだ!の解消方法は『死は恐ろしいものだ』でした、当たり前の事が当たり前になった事です。

その背景に在るものは、死というもののあり方です。肉体の死と、魂の死は違う事です。肉体は滅びたとしても『命の働きとしての魂は、永遠からやって来て又その永遠に帰ってゆく事』を知った事です。

死が恐ろしかった理由は、右脳からの『魂の救いの手を跳ね除けようとしていた事』が苦しみの原因、詰まり心の矛盾に苦しんでいた事が原因だった事です。命そのものの働きは『元々備わっていた事』でした。無いものでもなくて、又あるものでもない事です。

死を恐れる事は、自身の中に、永遠の命が備わっていて、そう云った実態を認める事が出来ないジレンマが恐怖症の原因だった事です。心の矛盾と言う理由が此処にあります。

その結果『肉体は滅びる事があっても、自分の命は又永遠に帰ってゆく事』を体得或は体認出来た事です。恐怖症の原因は自分自身の中にあった事を知る体験です。

世の中の見方の変更があります、それが『死の受容』でした。絶対肯定という足場に立つ事が出来た点です。その時点で長年身体中に力が入っていましたので、身体中の力が一辺で抜けた事です。

死にたくない想いで体中に、力を込めて生きて来ましたが、そういった力みが一辺に抜ける体験です。道元の言葉を借りるなら『心身脱落、脱落心身』です。全身から力みがスーッとなくなる体験です。

その時をもって『死に対する恐怖症』とそれに付随して発症していた『離人症』が完治する体験を語りました。

心の矛盾が『生き難さの原因』と言う話をして来ました。

神経症の症状ならその症状が在って当たり前と気が付いた時が『治る瞬間です。』

自律神経失調症の場合でも同じです。

心を病む場合でも同じです。心の健康など何処を探しても無い事が分かる時、心は自由に開放される事です。『心を健康にしようとした瞬間から』心が病み始めているだけだからです。心を自由にしたいと求めたり、安心を探し始める瞬間が『心を病むきっかけになっています。』

悟りを開きたいと願う場合も同じです。悟りを開く必要さえなかった事が分った時が悟る契機になっているからです。

ヒントを出すなら、人間の心は『意識する自分』と『意識していない時の自分』と二人存在している事です。自分の中の”無意識の意識”が仏性です。

脳科学で示すなら、『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

ウイキベデアからのコピーです。

健常者とか悩みが少ない人の場合では『自我意識と無意識の交替制が順調に行っている場合です。』この場合では、自我意識は引っ込んでいる事が特徴です。この場合をメンタル面が強いと表現しています。

優勝が掛かった一打を打つ場合や、大勢の人達の前で華麗な演技をする場合などで『自我意識が出ないでいられる場合です。』自我意識が出ないでいる時『没我とか無我』と表現しています。我を忘れると言う意味です。

メンタル面が弱いと言う意味は、何事も『自我意識の計らいでやろうとしている場合です。』その場合では『意識地獄に落ちています。』自我意識が強く出た場合では『何事も計算をする機能ばかりが出てしまっています。』

その結果『予期不安』に落ちてしまって、人間の自由が損なわれています。心配事があったとしても、その心配事と一つになれた時、心配事は心配事としてあったとしても、そう云った心配事を忘れています。

不安にしても同じです、不安のままに不安と一つになった時不安そのものが不安ではないものに変化しています。それは『不安を相手にしない』と言う意味になるからです。

沸き上がる雑念を相手にしないでいる時不安とか心配事を相手にしていない事を意味します。

メンタル面が弱いと言う意味は『沸き上がる自分の雑念』の相手ばかりしている、と言う意味があります。
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『傷つくならば、それは愛ではない』



という文章を読んだ時。

自分が愛情だと思ってたものがそうではないと知った衝撃。
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この回答へのお礼

自分の中で信じて疑わなかったものが否定されると、ショックですよね。
これを知って「受け入れられた」という実感、
自分が変わったという実感はあったのでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/13 00:04

貴方はとても正直な人だよね?


自分の限界を決め付けたくない、
そんな凄く認め難い部分を結構あっさりと認めているから。
おそらく貴方には、
これからも都合の良い「ストン」は起こらない。
それが、
貴方の体感では一番「ストン」なんじゃないの?
30歳の貴方は、
まだまだ自分との格闘技に夢中なんだよ。
夢中と言うとプラスイメージだけれど、
モソモソと自分自身を触り続けている感じ。
そういう自分を「選んで」いる貴方。
自己肯定力がとても低い。
でも、
自分という人間のポテンシャルは今でも信じている貴方。
俺はこんなものじゃない。
何かきっかけがあれば・・・
何か良い節目を経れば・・・
俺は今に、
もっともっと特別な人間になるんだ(認められるんだ)!
その可能性(空想)にはしっかり余白を残している。
それ自体は全然問題無い。
その余白こそが、
貴方という人間の色を「決め付けない」事にも繋がり、
明日からの日々を前向きに進んでいくエネルギーにもなる。
使い方次第ではね?
どうせ俺はこんな人間なんでね。
どうせ俺は何にも出来やしないよ(だってもう俺は30だから)。
口ではそう語る時があっても、
本音ではそうは思っていない貴方。
心の中では起死回生を狙っている。
かと言って、
その起死回生の「為」に、
翻って目の前の「今」を大事に貯金しているか?
そう言われると、
貴方はおそらくあまりしていない。
ある程度溜まりに溜まった自己肯定が、
今の僕という人間の考えをコロッと変えていく(ストン)
そんな想像は出来ても、
貴方は丁寧に肯定を溜める事が出来ない(苦手な)人。
でも、
溜めるのは人一倍下手なのに。
溜める事が出来た「後」の、
「タラレバ」世界には凄く興味空想がある。
興味どころか、
そんな自分になりたいとさえ思う貴方がいる。
それでも、
基礎(溜める)無く応用(変化)は起きない。
起こらないと虚しくなる。
起こらないと自分を否定したくなる。
否定したら溜まらない。
でも、
溜まらない(溜められない)自分を否定したくは無い。
そんなグルグルを貴方は続けている。
続けられる体力があるうちは「ストン」は起きない。
言い換えれば、
今の自分を継続出来なくなった時に・・・
貴方にはストンとはまた別の変化が起きる気がする。
例えば、
考えの変化よりも、
体調の変化や環境の変化の方が何かを変える力を持つ。
貴方の肯定力の低さの歴史って根深い。
今まで持ち続けた考え方の癖って中々変わらない。
でも、
変えたくなくても(続けたくても)、
変えなければいけない時もやってくる。
30歳の貴方にはまだそれが来なくても、
40歳の貴方には来ているかもしれない。
自分のノビシロ問題に向き合うにも、
実は心身の「ゆとり」が必要だから。
そして、
ノビシロどころか自分の人生の「残り」をどう生きるか?
可能性よりも現実の方が貴方の身に沁みて来た時・・・
貴方は、
良い意味で自分自身の立て直し方を考えていくんだと思う。
組み立て方次第では、
十分自分を肯定出来る家を建てる事が出来る。
そんな建築資材(経験)は、
既に貴方の手元にもあるのかもしれない。
でも、
貴方の設計図がいつもお城だったり、
立派過ぎる青写真故に上手く建たない(足りない)
じゃあ今の材料の方から見て、
その材料でゆとりを持って建てていける家とは?
無駄な天守閣や外装を排してみたら、
意外にあっさり(でもしっくり)した、
貴方らしい家を建てる事が出来るのかもしれない。
そう感じた時に、
あ、俺がやってきた(溜めてきた)事は、
案外自分自身の為になっていたんだな、と。
少し時間差ではあれ、
貴方なりに認められる時が来るのかもしれない。
貴方はどう思う?
貴方には貴方の「ストン」があったりする。
それは、
物凄く分かりやすく瞬間的にやってくるものもあるし。
実はこういう事なのかな?
時間を掛けてゆっくりと落ちていくストンもある。
貴方はおそらく後者。
ゆっくりと深呼吸を。
貴方は貴方のペースを大切に。
貴方は貴方の前向きな生き方を大切にね☆
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この回答へのお礼

何となくですが、分かるような気がします。「今」を大事に生きていないな、と数年前から思っていました。「歳を取るまえになんとか自分を認めて楽になりたい」とかずっと思っていました。

そして残念ながら今もそれが消えていません。たまに忘れながら生活するようにはなりましたが。ただそれは忘れているにすぎません。悟れてはいません。

おっしゃるように、老後に入ったんだなと実感があったときに、徐々に受け入れられるのかもしれません。ただしかし、たまに見かけるようなヒステリックな頑固おやじ頑固じじいを見ていると、将来俺もこのままだとこうなるのか、という気がしてなりません。自分を受け入れられてないな、と明らかに分かります。そして僕も少なからずそのように見られているはずです。彼らは幸せそうには見えません。僕にとっては幸せの形からは遠いです。だから何かしなければ、と焦っているのかも知れません。

自己肯定を溜める、っていうのが方法なんでしょうか?
しかし全くイメージつきません。
これまでやった「ほめ日記」も「肯定のアファメーション」も全く溜まってないように感じますし、むしろその記憶を思い出すたびに嫌な傷口が開いてかきむしりたい思いです(笑)

お礼日時:2014/11/13 00:00

私、50年以上生きてきてるわけで、その中で何回もあなたのいう「ストン」を経験してきてますけど「そのこと」で劇的に生き方が変わったってことないですけどね?。


モヤモヤが解決してスッキリした感覚はあったけどね。

変わるのじゃなく「変える」んですよ。
何かが腑に落ちたとしても、それはただの「きっかけ」にしかなりません。
それを手掛かりにして、うまくいくかどうかはわからなくても、とりあえずやってみる、という。
そういうことの繰り返しじゃないんでしょうか?。

自分が嫌いとか、好きとか、そういうのは「どうでもいい」ことじゃないんですか?。
楽しければいいと思うし、笑えるなら笑えばいいじゃないですか?。
自分が起こしたアクションで、自分は変わっていく。
自分の中に「何もない」と思うのは間違いで、単に「蓋が閉まってるだけ」なんですから。

自分って、時には強引に変えていくものですよ。
自分が嫌いなら「自分、うぜぇ!!」って言いながら、それでも走ればいいじゃないですか。
嫌いなら嫌いでいい、好きにならなくたっていいと思います。
そのうちには疲れ果てて倒れるかもしれないけど、その時に休みながらまた振り返ってみればいいじゃないですか。
ああまた傷がついた、血が出た、なんて言ってるより、もっともっと遠くに走ることが必要なのではないですか?。

生きることなんてね、大したことじゃないんです!。
だって今地球上に生きてる人間は何十億人いるし、人間の他の生物は何千兆、何千京いるかわかんないんですから。
そのなかの「たった一つの命」じゃないですか…大したことないですよ。
人生なんて、そんなものでしか無いですから…振りかぶりすぎないようにしてくださいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

回答を読ませていただいて、以前別の質問をしたときに頂いた回答にとてもよく似ていることに気がつきました。「とりあえず動いて」という回答でした。
それは分からないでもないんですが・・・。

おそらく、回答者さまは受け入れとかができてるんだと思いますけどね?
こういう回答もらって、「そうだよな、動こう!」つって腑に落とせるんだと思います。
僕みたいのは、そういうのが超苦手なんです。
んでこういうのはこれまでの経験上、
訓練努力によって何とかなるものとは到底思えないのです。
だからこういう質問しました。
これまで何度もそのようにしてリスタートしましたけど、頭のどこかに不安が残っていて、それがどんどん膨らんできてしまうんです、何やっても。

そもそも、僕は回答者さまのように
人生で「何をやったか」に価値を見出せないのかもな、
「何を考えたか」のほうに重きを置いてるのかもな、というのは、
前のその質問したときも思いました・・・。

自分を好きかどうか、は僕にとって今一番重要なことです。
僕の目下の目標は人を愛せるようになることで、
そのためには自分を好きにならないと人も好きになれないと思っているからです。

お礼日時:2014/11/12 23:00

・権威は金を纏うもの。

真心は裸にされるもの。
・基礎的な学習を嫌う人々は思いの外多いということ。さらに、他人の足を引っ張り無為を強制する亡者はその何倍もいるということ。だから霊感なぞ、凡俗は持たぬが吉ということ。
・当たるも八卦、当たらぬも八卦。
・金の生る木はまめに剪定しておけ。
・生身の犬猫から学ぶことの多さ。動物嫌いは損。
・結婚は人生の墓場どころか災いの儀式。
・出産を自慢していいのは二人目から。
・金持ちは本当に喧嘩しない。飼い犬同士に喧嘩させて楽しむ。
・病気はノーマークなところから。
・人の他人への嫉妬は自分への自信のなさから。
・嫉妬心の弱い人は謝ることに抵抗がない。ただしすみませんが口癖になっている人はむしろ腹の底では勝ち気。
・謝りたくない人ほど、謝らなければならない人の回りをうろうろするが「ごめんなさい」が言えない。
・魚のほうが肉より旨い。
・大型ないし中型魚の兜煮をきれいに食べられる男は責任感がある。
・男は短髪。
・女の白髪は愛情に贅沢、女の薄毛は愛情の貧しさが原因で起こる。
・女流作家の髪は美しい。
・子持ちの女性の腕はたくましく、また美しい。
・野菜を好みすぎる人々は繊細。
・犬派vs猫派以上にうさぎ派vs小鳥派の抗争は熾烈。
・赤ちゃんは圧倒的に大人より特に自分と年の近い幼児や赤ん坊に興味を持つ。
・暇な人は悲しい。
・年相応の老け方でない人には何か不健康な原因がある。
・チャラチャラしている人とのつきあいはほどほどに。
・社員の夢を拒絶する職場からは離れるべき。
・会社に勤めるために生きているのではない、生きるために会社に勤めるだけなのだ。
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この回答へのお礼

なるほどと思うことがいっぱいありました。
すごいですね、こうやって自分の意見を文にして残せるのは
人生をしっかり歩んでこられた証拠なんでしょうね。
僕は何にもないや・・・。

勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/12 23:05

今は、すっかり、疎遠になっている、高校時代の友人が、或る時、突然、「お前のお袋が来ただろう?」と言い出しました。


僕の実家は沖縄なのですが、彼が言うのは、「お前のお袋が上京してきただろう?」という意味です。
お袋は、その頃、京都にいた従姉と妹に会うために、京都には行ったことがありますが、東京にいた僕に会うために上京したことは、一度も、ありません。
僕は、「来なかったよ」と応じましたが、彼は、頑として、「来ただろう」を繰り返しました。
その都度、僕は、否定しました。
彼は、僕がウソをついていると思ったらしく、なおも、「来たはずだ」「来ただろう」と言い続けました。
それを否定しながら、僕は、「この男は、なぜ、こんなことを言うのだ?」「まるで、俺のお袋が東京に来たのを見たかのようだ」と思い、困惑しました。
因みに、彼と僕のお袋は、面識はありません。
だから、彼は、僕のお袋を知っているはずもないのです。

その後、彼とは、交流はありません。
ですから、彼が、なぜ、あのような疑問を持ったのか、本人に確かめる機会はありませんでした。
折々に、「あいつは、なぜ、上京したことが一度もないお袋が『来ただろう』と、しつこく、訊いてきたのだろう?」「やつは、俺のお袋の顔さえ、知らないはずなのに・・・」と思い返していました。
ところが、永い間が経って、或る時、突然、それが「解明」できました。

話は、彼と僕とのやり取りの以前の出来事に遡ります。
多分、その前年のことです。
或る、夏の日、僕は、千葉県の房総半島を走る電車に乗っていました。
その電車の、僕が乗っていた「箱」には、一群の若い男女と、母親と娘さんらしき二人連れも乗っていました。
経緯・事情は省きますが、その様子から、若い男女のグループは、「沖縄の人間だな・・・」と分かりました。
母親と娘さんらしき二人連れは、多分、地元・房総の人だったのでしょう。

或る時、突然、この、電車内の状況が浮かびました。
そして、僕は、全てが納得できました。

僕が「解明」した「謎」は、こういうことです。
あの電車内の若い男女のグループは、沖縄の人間で、奇妙な質問を投げかけてきた彼ともつながりがある。
その男女は、母娘を、僕のお袋と妹と勘違いした。
後日、彼は、その男女から電車内のことを聞き、僕に、前述の疑問を発した・・・。

これ、彼と僕との人間関係や、僕を取り巻いていたさまざまな事情から、間違いありません。
このよう「謎」解きをしますと、全てが説明でき、納得できるのです。
当時、彼の態度は不審なものでした。
或る時期から、妙に、僕に対して、棘々しくなりました。
何かが彼の周りで起き、僕に対して嫉妬心を抱くようになり、それが、僕に対する敵意のようなものを感じさせるようになった・・・。
そして、その敵意は、僕に対する「工作」をも生んでいたかも知れません。
この推理は、当時の事情を基にしています。
それを知らない人には、イマイチ、理解できないかも知れません。
が、間違いはないでしょう。

不思議なことです。
自分の知らないところで自分に関わることがスタートし、それが、悪意のある人間の工作でいびつに展開・推移していく・・・。
上述の出来事は、今も、僕の人生に影を落としています。
率直にいって、彼の悪意と工作が無ければ、今とは異なる人生もあり得た・・・。
このように思っています。
ただ、僕は、「運命論者」です。
「あれも、何かの意味があって、僕に与えられたものだろう」と意味づけています。
それが何か、まだ、分かりません。
僕は、今、小説を書いています。
これまでの経緯から、「僕は、天に護られている」「天の目的は、僕に使命を果たさせることにある」「あれも、その一環なのだ」と思っています。
「さまざまなことを文学的に昇華し、天命を果たすことが求められている」と感じています。

彼は、今も、自らの誤解を信じているでしょう。
「ヤツのお袋は上京していた」と・・・。
そして、その「謎」を僕が解いたことは、知らないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。謎が解けたという経験だったんですね。
「誤解」というのは確かにキーワードなのかもしれません。

お礼日時:2014/11/12 23:01

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と分析しています。

いつも無意識にしてしまうため、どのようにしたら自分を変えることがでしょうか?
もちろん、相手をを愛そうとすることが大事だとわかっています。しかし、愛の受け取り方や愛し方がわからず、愛しているつもりがいつも追いかけてばかりで、うんざりされてしまいます。

学生時代に、父親くらいの年の離れた男性と長く付き合い、同棲し、結婚も考えた経験もあります。とても癒され、一度治ったと思っていましたが、それから15年くらい経ちました。彼も心が寛大で包容力のある方で、私に優しく対応してくれますが、やはり、無意識に同じ過ちをしてしまいます・・・。

どなたかアドバイスをいただけるとうれしいです。

■彼にしてしまう過ちとは
 (1) 仕事、学歴、趣味等の達成度を、彼に評価してもらい、自分の存在をさらに認めてもらおうとすること。
 (2) 自分がストーカーや変質者に嫌な目に会うと、彼に被害者意識で相談し、彼の気を引こうとすること。

■生い立ち=原因なのか??
 (1) 中学を卒業して、家を出るまで、アルコール中毒の父親が、自宅の壁にビール瓶やガラスのコップを投げつけ、恐ろしくて、男性恐怖症になっていました。女子高に入りました。(→彼が大好きで安心するのに、彼と室内にいると何を話してよいのかわからなくなる)

 (2) 父親から安心して抱擁された経験がなく、いつも愛されたいと思って育つ。(→彼にもっと愛されたいと努力してしまう)

 (3) どのようにしたら父親が振り向いてくれるのか、父の顔色ばかり伺って考え言動してきた。(→彼の顔色ばかり伺って考え言動してしまう)

 (4) 父や機嫌の良い時に、テレビと会話している内容から、高学歴のタレントが好きだと知りました。
   父と会話が成立した記憶はありません。
   勉強して、よい大学に入ったり、資格をとれば、私を認めてもらえて、愛してくれると思って生きてきた。(→彼に学歴、趣味等の達成度を、認めてもうらおうする)

 (5) それとも、上記(1)~(4)のような育った環境と関連性はなく、私の単たる弱さでしょうか・・・?

私は、彼になった人にいつも同じ過ちをして相手に不快な思いをさせてしまいます。

簡単に言うと、原因は、(1)幼少時の寂しさが無意識に露出するのか。(2)単たる私の弱さか
と分析しています。

いつも無意識にしてしまうため、どのようにしたら自分を変えることがでしょうか?
もちろん、相手をを愛そうとすることが大事だとわかっています。しかし、愛の受け取り方や愛し方がわからず、愛しているつもりがいつも追いかけてばかりで、うんざりされてしまいます。

学生時代に、父親くらいの年の離れた男性と長く...続きを読む

Aベストアンサー

> やってみました。

お疲れ様です。

> 1)自分には価値がある
> 2)自分は幸せでいていい
> 3)親にも自分にも罪はないと思います。

ではそれを父親に面と向かって言うのがよいです。頭の中で。


あとは、彼氏と会う時も頭の中でそう言ったらいいと思います。

言っているうちに慣れてくる。

価値があるのですから、彼に対して何かを証明する必要はないし、
彼の前で幸せでいればいいです。

もちろん、仕事で成功して嬉しければ一緒に喜んでもらえばいいですし、
嫌なことがあったら話を聞いてもらってスッキリすればいいです。

自然体ですよ。
自然体の自分になじむまで、誰の前でも、彼の前でも

> 1)自分には価値がある
> 2)自分は幸せでいていい
> 3)親にも自分にも罪はないと思います。

と思ったらいいです。

Qパニック障害の克服

2か月前位にパニック障害(不安神経症)に陥り、病院にも行き気持ちの切り替え、森田療法など行って少しずつですが、症状がでなくなってきて症状が出ても軽めで済むようになってきました。
ですが、昨日症状が出てしまい、しかも症状が重く最近良くなりだしていたのにショックで、冷や汗ともう治らないんだと思い込み出して本当に落ち込み、そういう時に限って悪い方向ばっかりに考えてしまい、もうワケわからなくなってしまいました。こうした心(脳?)の病は症状が出ても自分は治るんだといつも思って付き合って行けば治るんでしょうか?もうショックで仕方ありません…

Aベストアンサー

パニック障害はあなたも書かれているように、以前は不安神経症と言われていた症状だと言って良いと思います。

あなたは病院に行き、気持ちの切り替え、森田療法などを行なったとのことですが、森田療法の場合には神経質性格の特徴を持っていることが必要になると思います。

つまり、心配症や自己内省性の強さ、負けず嫌いといった神経質性格の特徴を持っている場合には森田療法の学習により不安神経症を克服していくことも出来ると思います。

しかし、こういう神経質性格の特徴を持っていない場合は思うような効果は出てこないと思います。

ただ、神経質性格を持っていたとしても、神経症は良くなったり後戻りしたりを繰り返しながら、少しずつ良くなっていくものだと言われています。

また、森田療法では不安神経症は心や脳の病気ではないと言っていると思います。

ですから、もしあなたが、不安神経症を心や脳の病気だと考えているとしたら、この時点で森田療法の考え方は身についていないということになると思います。

不安神経症は「死の恐怖」に対する「とらわれ」が出来た状態であり、うつ病や統合失調症などの心の病気とは全く異なるものだと言われているのです。

そして、だからこそ、森田療法の学習をしていく中で、この「とらわれ」が薄らいでくると症状を克服していけるのだと思います。

ですから、もし、あなたが神経質性格の特徴を持っているのであれば、森田療法の考え方をきちんと身に付けていけば、充分、不安神経症を治していけると思います。

ただ、今は森田療法を掲げている病院でも、きちんとした森田療法の指導を行なっている所は少ないように思います。

ですから、むしろ、あなた自身で森田療法の学習をしていった方が良いのではないかと思います。

パニック障害はあなたも書かれているように、以前は不安神経症と言われていた症状だと言って良いと思います。

あなたは病院に行き、気持ちの切り替え、森田療法などを行なったとのことですが、森田療法の場合には神経質性格の特徴を持っていることが必要になると思います。

つまり、心配症や自己内省性の強さ、負けず嫌いといった神経質性格の特徴を持っている場合には森田療法の学習により不安神経症を克服していくことも出来ると思います。

しかし、こういう神経質性格の特徴を持っていない場合は思うような...続きを読む

Q人生何歳からでもやり直せるという風潮が死ぬほど嫌い

薬剤師になりたいのですが
40歳から薬学部に進学したら卒業するのは46歳ですよね。
現実的にいく意味があるのでしょうか?(就職とか)
薬学や人体に興味があり、やりがいもありそうだと思ったので
進学したいのですが・・あと給料もボチボチ良さそう・・
(お金よりはやりがいや興味が優先)
無事に卒業しても50前のじじいを雇ってくれる病院や薬局はあるのでしょうか?
あと働きながら昼間の大学に通ってるのは新聞奨学生くらいですよね?
現実と照らし合わせると難しいか・・
もうじき38歳になる独身おっさんで貯金0の日雇い労働者の質問です。

Aベストアンサー

意味があるかどうかは、自分が決めること…

現実はどんな年齢でも目の前にある…

やり直せるかどうかとはあんまり関係ない。
やる人はやる。その事実があるんだからしょうがない。

Q乗り越えられる試練

神様は乗り越えられる試練しか与えないとは言いますが…手をつくした結果どうにも乗り越えられそうにない場合は、どうしたらいいんでしょうか

もう諦めるか、それとも数年越しに頑張るしか無いのでしょうか

Aベストアンサー

乗り越えられる試練と言うと、響きは良いかも知れませんが、諦める事も『乗り越えられる試練』の内に入ると思います。

ただそう云った問題の前に立った時如何考えるのかで結果は違うと思います。出来なかった言い訳を考えるのか?或はどうやったら出来たのか?の違いです。

出来なかった言い訳だけを考えたり、出来なかった理由はいくらでも見付ける事は出来ると思いますが、それだけでは進歩が無いと思います。

出来た可能性を探す事の方が良いと思いますが、それが出来なかったとするなら諦める事も選択肢の一つと思います。全てを諦めると言う言い方は言い過ぎかも知れませんが、『万策尽きるほど』考え尽くしたのかを考えたらさっぱりすると思います。

針の穴にらくだを通す事さえ出来る考え方もこの世の中にはある事も知って下さい。不可能を可能にする智慧を学ぶ試練を貴方は、今、体験しています。

Qパニック発作を引き起こした原因について

パニック障害になる前に
人と話すのが得意ではないのに、がんばって話して脳が停止するような感覚が何日かあったのですが
ストレスになってたんですかね?

Aベストアンサー

パニック障害の経験者で完治した経験があります。』ので、生半可な専門家よりも詳しく説明出来ます。


パニック障害の原因は、その障害を感じている人が、本人の頭の中に作り出している『幻』を、あたかも存在するものと思い込んでしまって、避けようともがいて返って身近なものにして、実感してしまう現象です。

自分で、”自分” から危機回避とか危険回避をしようとしていると言うものです。

もう一つの方面から説明します。それは、花粉症のメカニズムを使っての説明です。花粉症とは『自分の免疫機能が自分の身体を攻撃する現象』ですが、このメカニズムと同じメカニズムが働いています。

花粉症の場合では、免疫機能が『アレルゲンと認められたものが、(実際にはアレルゲンではないものに対してまで)体内に存在すると感知した場合に発動します。』そのアレルゲンを体内から排出するための防衛機構が働く事を意味します。又この間違ったアレルギーにならないものにまで過剰反応して暴走してしまうものが花粉症のメカニズムです。

『心や行動や感情』に対しても人間には『危険回避』と言った花粉症に対する身体の反応と同じ様に反応する、防衛機能が存在しています。パニック障害とは今書いた『自己防衛機能』が暴走をしてしまう現象です。

始めに暴走する原因を書いて、後で暴走しない方法とか考え方を書いてみますので参考にして下さい。

パニック障害が起きる背景を始めに説明をして置きます。分り難い事を書きますので分らなくとも良いですので、兎に角読んで置いて下さい。私の云う事が腑に落ちた時貴方はパニック障害から抜け出していると思います。只理解するには時間が掛かるかも知れません。

身体にはアレルゲンと判断する機能が存在するように、心にもそう云った判断する機能が存在しています。是を説明する為には脳の構造を説明する必要が在ります、或いは脳の機能と言ったほうが分りやすいかも知れません。

是は誰にでも備わっている機能ですが、簡単に説明します。生まれたばかりの赤ん坊を想像して下さい、生まれたばかりで何も教え込まれていない『白紙状態の脳』を想像して下さい。学問を学ぶと言う意味では『赤ん坊の脳は白紙』の状態であって、何も知らないでいると考えられますが、実際では『全てを知っています。』

その証拠は、見たものに対して安心出来るものか?、恐怖に値するものか?は教えてもらう必要がない事で証明出来ると思います。又自身の生命維持をする機能という意味に置いても、自分の生命を維持する機能を働かせる事は既に知っています。

此処で問題にしたいのは、『見たものに対して安心出来るのか?、恐怖に値するものか?』という問題です。是は母親の懐にいる時には『”安心して”すやすやと眠っている状態』を言いますが、『”安心”させている者が存在しているからです。』

言い換えるなら『自分の心=自我意識』に『外界からの情報を安心出来るのか?、恐怖に値するのか?』を教える機能が存在している事を意味します。

この教えられた情報によって『赤ん坊が安心したり、恐怖に陥ったりしています。』是がパニック障害に於けるストレスになります。心地良いものは当然ストレス源にはなりません。心地悪いものが問題になってストレス源になります。

此処まで書いて貴方の問題に触れて置きたいと思います、貴方の嗜好に対する問題点です。貴方は好き嫌いが激しい部分があるという問題です。人として生きて行く場合では、良い事も悪い事も誰にでも大体は、等しく襲ってくると考えられます。良い事ばかりに恵まれる人などいないという意味です。

処が貴方の願いは、良い事ばかりを願っていて、厭な事を嫌い過ぎている点が問題になっています。

自分が感じた『五感から得た情報をストレスとして感じるのか如何か?』が問題になっています。

話を変えて”ストレス”の意味を考察します、誰でも同じ環境の中で生きていますが、パニック障害になる人と平然としている人に大別されます、その違いは『同じ環境』の中にストレス源を作り出している人がパニック障害で苦しんでいる事実があります。

言い換えるなら、他の人がストレスにしないものをストレスとして感じている、という意味です。強い言い方をするなら『本人が頭の中にストレスを作り出している部分がある。』という意味です。

もう一つ付け加えるなら、ストレスの意味ですが、それは『受容れたくないもの全般』をストレスと表現します。ですので貴方にパニック障害の症状が出る場面では『受容れたくない情報』が貴方の心に送られている事が原因で貴方はパニック障害としての症状が出ています。

此処が大事なところです、この情報が貴方にとってのパニック障害の原因です。貴方が『受け取りたくない』と感じてしまう情報が、花粉症における『免疫機能を発動させるきっかけになっている事です。』

この情報で、貴方は防衛機制を自分の心に掛けています。つまり『逃げ出したいとか、危険回避をしよう』がパニック障害の原因と結果になっている事です。

したがって貴方がパニック障害から解放されるという意味は、『今までストレスとして受け入れる事が出来なかった事柄を、ストレスにしない、人間性への変貌が求められている事を意味します。』

難しい事を書いていますが、決して難しい事ではありません。今までのように『好き嫌い』の激しかった部分に少し、学びの部分を積み上げるだけで良いのです。

私の云う事を実践して下さい、それは『良い事に遇った場合では”喜び過ぎないでいる事、厭な事に遭った場合では落ち込み過ぎないでいる事』たった是だけです。

今の貴方とパニック障害から抜け出した貴方の違いとは、感じた事柄に対して『向きになって感情に走ってしまっているのか?或いは感情的にならずに冷静でいられるのか?』たった是だけの違いで、パニックになるかならないのかに分かれているからです。

貴方が完全にパニック障害から抜け出した暁には、『湧き上る感情(雑念)に右往左往するのか?或いは”雑念は雑念”としてそのままにして置けるのか?』の違いをマスターしています。

パニック障害とは、『只の雑念に右往左往しているに過ぎないからです。』

パニックになるような事が起きたとしても『泰然自若』としていられる事を学ぶ場として貴方に『パニック障害』という学びの場が与えられています。

パニック障害の経験者で完治した経験があります。』ので、生半可な専門家よりも詳しく説明出来ます。


パニック障害の原因は、その障害を感じている人が、本人の頭の中に作り出している『幻』を、あたかも存在するものと思い込んでしまって、避けようともがいて返って身近なものにして、実感してしまう現象です。

自分で、”自分” から危機回避とか危険回避をしようとしていると言うものです。

もう一つの方面から説明します。それは、花粉症のメカニズムを使っての説明です。花粉症とは『自分の免疫機能が自分...続きを読む

Q宗教について調べるのは、もうやめるべきか?

要するに、中村元は間違っている、いうことでよろしいのでしょうか?
それならそれでいいです。

振り返ってみると、時間の無駄でした。
書き込むたびにわけのわからない人々から攻撃されるのもうんざりです。

私には私の人生があります。
一円にもならない宗教の研究など人生を浪費するだけで無駄でした。

病院へ行ったら?とか、カウンセラーの世話になったほうがいい、とアドバイスされていますから、
宗教よりも、そちらの世話になろうかと思います。

Aベストアンサー

こんにちは
>>振り返ってみると、時間の無駄でした。
一円にもならない宗教の研究など人生を浪費するだけで無駄でした。


私も自分なりにいろいろな宗教について20年以上調べたりしました
結局本当のことは分かりませんでしたし、悟りも開けませんでした

ダライ・ラマは自分は悟りを開いていないと言っています
また数年修行しただけで悟りを開いたという人を見ると、思わず吹き出しそうになると言っています

色々な仏教ーそれはもう釈迦の考え教えとは似ても似つかない物もあるかもしれませんし、中国人が作った偽経もあるそうで、何を本当に釈迦が言ったのか分かりませんね

多分死ぬまで考え続け、調べたり学んだりしても悟りは開けない気がします

私の場合人生において悟りを開くと人は幸福になるか?
宗教は人を幸せにするか?

この2つを知る目的が今回の人生にあったので(何故そう思うかについては詳しくは書けませんが)、そんなに無駄にはなってないのですが、確かにお金にもなんないので、今まで何をしてたんだろう?

こんなことなら経済の事をもっと知って、金儲けのことでも考えていたほうが良かったかなと思ったりもしました

もうそろそろ宗教について学ぶことは必要ではなくなって来たので、人生が違うことをやるようになってきてるのかもしれませんね

こんにちは
>>振り返ってみると、時間の無駄でした。
一円にもならない宗教の研究など人生を浪費するだけで無駄でした。


私も自分なりにいろいろな宗教について20年以上調べたりしました
結局本当のことは分かりませんでしたし、悟りも開けませんでした

ダライ・ラマは自分は悟りを開いていないと言っています
また数年修行しただけで悟りを開いたという人を見ると、思わず吹き出しそうになると言っています

色々な仏教ーそれはもう釈迦の考え教えとは似ても似つかない物もあるかもしれませんし、中国人が...続きを読む

Q禅の自覚の本質

禅の自覚の本質を、難しい仏教用語をなるべく廃し、回答者様の言葉で15行位で書き込んで頂ければ幸いです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

人生の少しの間、禅寺にいたのですが、
そこで聞いた体験からの言葉は、禅の自覚を本領とする京都学派の哲学よりも面白いものでした。
そして、本質は同じことを言っていました。
座禅や問答をとおして、痛みや苦しみや悩みが、もはやわけがわからなくなり、
自分が痛いのか床が痛いのかがおぼろげになって、認識ではない悟性のようなところが研ぎ澄まされてくると。
強度として在るがままに在るものが、ただ在るだけと。
わたしは、若冲の絵を思い浮かべました。
夥しい集積でひしめきあうように成っている世界が、空漠の世界とも見える。
点ただひとつが、無限の時空間をはらみ、それらの在るか、無しかは、わたしたちの自と他によりかかる浅い認識に触れているのみと。

Q精神疾患の、真の原因は?

神経症というものは、どうして、発症するのですか。
どうすれば、解決するのですか?
解決するための、根本を、教えて下さい。

鬱についても、原因は、何ですか。
どうすれば、解決するのですか?
解決するための、根本を、教えて下さい。

Aベストアンサー

私が知る限りでは、神経症と鬱病などの精神病は、発症もそれに起因する原因も違うと思います。
神経症は、過度のストレスが大きな要因になる心の病だと思うのですが、精神病は、色々な要因が重なっての発病で、脳の神経伝達物質の異常の病気だと思います。ですから、神経症は、薬に頼らなくても治る場合がありますし、カウンセリングなども有効でしょうが、鬱病の場合は、薬の治療は、欠かせないと思います。

Qブッダ以外で悟りを開いた人はいますか?

もしいたらすみませんが、あまりブッダ以外で悟りを開いたという人の話を聞いたこと上がりません(訳の分からない新興宗教の教祖連中は除外してください)
大乗仏教理論をまとめたナーガルージュナなども、悟りを開いたという意味には当てはまらないのでしょうか?

いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。

Aベストアンサー

悟りを開くと云う事が、如何いうものかを書いてそれから、説明してみます。悟りを開く事を他の言葉で言うなら『見性』です。自分の性を見るという意味ですが、その意味を科学的な文献から解き明かしたいと思います。

人間には二つの人格が備わっていますので、科学的な文献を載せてから説明します。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


この研究はその後余り進んでいないように見えますので、残念と思います。

右脳の人格は左脳に存在する『自我意識』にはかなり分かり難くなっています。全く判らない場合に『健常者』と言う風に呼んでいます。

右脳の人格は『命そのものを働かせている者』です。人間の命の働きは、ある程度細分化出来ますので、もし細分化をするなら、概略三つに区分けする事が出来ます。

それは人間の、『身体に対する命の働きと、行動に対する命の働きと、心に対する命の働き』と言う風にですが、本当の意味ではそれらの三つには境目が在りませんから、全ての大元では共通点が在ります。

その共通点とは『心の矛盾』です、心が騒がしく争っていると言う意味です。具体的な言い方をするなら『生き難い想い』或は『一切皆苦』或は『漠然とした不安や、何処から押し寄せているのか分らない正体不明の心的な圧迫感』です。

人間の命は命として芽生えた瞬間から『働き始めています。』初めての働き始めが細胞分裂ですが、この働きを働き始める事を知っている働きが『命そのものの働き』です。

生まれてからは、誰も教えなくとも、安心する事も、不安になる事も、更に云うならば恐怖する事さえ知っている働きです。心臓の打つ数も、呼吸する数もホルモンや消化系等や排便する事も全て承知している働きです。

暑い時には汗が出る仕組みそのものや、心的には涼しい所や、水の在りかを探すように『自我意識に』指示さえ出している働きです。ですが健常者の場合では、今書いたシステムに何の疑いも持つ事が在りません、この疑いがない姿を聖書では『天国に住んでいる』と形容しています。

人間の脳の機能が大人になる頃から『人間は全てを疑う場合があります。』この現象を『失楽園』と形容しています。

二つの脳の機能が上手く同調出来ている場合の事です。天国に一番近い存在は『幼子』と言われる由縁は、脳の機能分化が進んでいないために、未だ一つのものとして働いているからです。

脳の機能分化の完成を待って始めて『人間は天国から追放される事』を意味します。この意味は『心が二つの機能になることで、争いがはじまるという意味です。』

つまり知恵が付いたために天国から追放されると言う意味は、『心が分裂をしたり矛盾を起したり、対立する事』を意味します。おもに思春期頃の事です。

人生がなんであるのか?や、自分は何者か?と言う疑問が湧き始めるころの事です。この疑問を抱き始める事によって『失楽園』と言う表現方法を取っています。

この疑問の解消方法が『悟り』を意味します。それは自分自身に疑問を抱かせていた者の正体を知る、と言う意味になります。つまり自分自身の感情を湧きあがらせていた者の正体が『自分自身であった事を知る』と言う意味です。

もっと具体的な表現方法を取るなら『死に対する恐怖感』と言う書き方をすると分かり易いと思いますので、この線で書いてみます。

普通の状態で『死』を意識した場合に、恐怖感が湧き上がります。この恐怖感の正体が何であったかを知る事が『見性』と言う意味です。

人間の心に不安や恐怖感が湧き上がる場合では『二つの意識が戦っていたり、矛盾を起しています』この意味は、『意識の根底で二つの意識は、脳梁を介して情報交換をしています』この情報交換に、ある場面で『自我意識が、感情が湧き上がる情報の受取りを拒否する場合です。』

もっと平たく言うなら『死に対する不安や恐怖心が芽生える場合では』人間の心は『永遠の命を希求しています』この事実が、心の矛盾です。

自我意識は有限の身ですが、右脳の人格は永遠の存在だからです。有限の身である自我意識は『永遠の存在である右脳の意識=仏性や神としての存在によって、』永遠を希求させられています。

右脳の働きは分り難いので、実際に右脳の人格を体感している動画が在りますので、載せてみます、その後でもう一度説明します。


URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM


この動画から汲取っていただきたい事は、『自我意識が全てではない事』です。もう一つの意識によって、自我意識は支えられている事です。

貴方が質問している事にお答えしたいと思います。


『いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。』


禅宗の記録を読んでください、禅宗では、悟りを開く事がその修行の全てに近い事を示しているからです。死の恐怖に怯える事からの開放を示しているからです。

禅宗では、見性した場合では『生死の問題が解決した』と言う表現方法を取っています。その意味は『死に怯えていた自我意識は、永遠の存在である右脳の働き、命そのものの働きに出会う事によって、有限のこの身の存在が、朽ち果てたとしても、自分は元々永遠の存在であった事を身を持って知る事を意味します。』

この永遠の存在との出会いを見性=悟りを開くと表現しています。そうして自我意識が二度と、右脳の人格の前にでしゃばらなくなると言う意味です。

キリスト教であっても同じ事を違う表現で言っています。『神と和解して、神の僕となる』と言う表現です。

釈迦の悟りは禅宗では、連綿と伝えられています。そのテキストの価値を書いて終わりにします。

右脳の意識は『言葉を持っていない事が特徴です。』右脳の意識を引き出す事が出来れば『見性』出来ることを意味します。

そのためのテキストとは『禅問答』です。禅問答は左脳の自我意識では、歯が立ちません、これは脳の機能的な問題です。

その理由は禅問答は右脳の人格としての機能が出て来ないと解けないように仕組まれているからです。

鬱と言う場合でも、神経症としての強迫行為も恐怖症も、自律神経失調症としての症状も、『心の矛盾』を症状として感じています。正に意識地獄の状態です。一切皆苦になっていますので、その症状を起こしている意識との出会いで『完治する事』を意味します。


それは『意識が発生する丁度、正にその時の事です。』その体験以後では『心の矛盾が解消しますので』もう二度と心同士が争う事がなくなりますので、寛解ではなくて、完治した事を意味します。

言葉にするなら、右脳と左脳の間にホットラインが開通する事によって、いつも心が静まり返っている事を意味します。仏教的な表現方法では『涅槃』です。

悟りを開くと云う事が、如何いうものかを書いてそれから、説明してみます。悟りを開く事を他の言葉で言うなら『見性』です。自分の性を見るという意味ですが、その意味を科学的な文献から解き明かしたいと思います。

人間には二つの人格が備わっていますので、科学的な文献を載せてから説明します。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん...続きを読む

Q西田の純粋経験について

西田幾多郎の純粋経験や主客未分といったものは、現代ではどのように評価され、また解釈されているのでしょうか。

私の見解では、多くの観念的な悩みが純粋経験によって消失しますが、現実は一つも変わりません。
雨が降れば傘を差し、日々の勤めに精をだし、飯も食い、そして一日一日また歳をとっていく。

頭の中の悩みを消し去ったというのは一つの功績として立派ですし、静かな思索が可能になったというのも大きなことです。

風邪を引くとか、怪我をするとか、そういったことは回避できませんが、心は軽くなったように思います。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。

リンゴは自分の中にあるという認識の世界において
誰しもが別の世界に生きているのは、ご存知のことかと思います。

その認識で観察し得たものである訳ですから
その世界で体験した者しか、その世界は存在しないと考えています。

現象は、起きる条件が揃わないと起きることがないので
それは、人によって違いというものがあるかと思います。

観察からでも、観察し得るのは自分の事のみです。

それを「環世界」と言う、つまりネーミングがある事を
つい先日知りました。

それぞれの言動の違いは、「間違いではなく違いにある」と言うのは
そこから来るのかなと思います。


ここで大切なのは、a_honaさんの純粋経験によって
誰もデメリットを負わないと言うことであり
何一つ新たな問題が起きる訳ではないという言うこと。

a_honaさんが、少し軽くなり少しでも気分良く過ごせて
少しでも笑顔が増えれば、a_honaさんの周りの人も
少しだけハッピーになれると言うことだと思います。

徐々にでも自由を広げられたらと願います。


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