出産前後の痔にはご注意!

こんにちは。
戦国時代が好きです。大河ドラマではあまり戦略や戦術などについて触れないのであまり面白くないです。有名ドコロ、桶狭間とかはさすがに知っているので大丈夫ですが、戦国時代の戦略戦術、情報収集、謀略のたぐいを知りたいです。縁組などの外向政略、下克上でどうやってのし上がったかも興味あります^o^
ご存知のかたよろしくお願いします

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A 回答 (5件)

私は上杉謙信をお薦めします。

 

彼の生涯戦績は70戦35勝2敗33引き分けという極めて優れたものでした。 その中でも33引き分けに彼の戦さに対する考え方が強く滲み出ています。 

彼は戦さを (1) 情報戦、 (2) 武闘戦と (3) 事後の和睦交渉の三つで考える優れた武将であり、政治家でもありました。 その原則は費用を最少に抑えて(自分の兵を失わないで)、かつ最大の効果を狙う。 費用対効果を考える極めて優れたビジネスマンでありました。

上杉軍の特徴は次の通りです。

(1)兵の総数は八千、そのうち馬に乗った兵の割合が多く、迅速に行動出来た。
(2)本陣が常に最前線に近くにあり、総大将も敵陣深く切り込む姿勢にあった。
(3)総大将を取り囲む親衛隊は総大将謙信の擁護とともに精鋭から成る特殊任務遂行部隊だった。

(4)戦さはいつも謙信側の間合いで火ぶたが切られる。 彼は容易に敵の間合いでは戦いの火ぶたは切らない。 じっと待って、自分の間合いを図り、一気に敵本陣を目指す。 短期決戦で甚大な被害を与え、敵が陣形を立て直して反撃に出る間を与えず、さっと引いて行く。 騎兵の割合が高いので行動力が極めて優れていた。

(5)武闘戦が終ると和睦交渉に入る。 そこに達した時には敵陣に間者を放ち、内部を攪乱していたので極めて有利な交渉が出来た。

(6)情報戦、武闘戦、事後交渉のトータルで戦争を考える近代的なビジネス経営者であった。 だから33引き分けも事後交渉の結果を考慮すると極めて勝利に近いものが多かったのです。 
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raupoaさん、こんばんは。



宇喜多直家はいかがでしょうか?斎藤道三、松永久秀とともに三大梟雄といわれた武将です。また秀家の父でもあります。
詳細は下記のURLを参照ください。


宇喜多直家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%96%9C% …
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大河ドラマは「天地人」でイケメンを揃えて歴史云々を割とガン無視して作ったら歴女ブームになってしまって以来、そういうものになってしまいました。

「江」で徳川秀忠が泣きながらお江に「浮気しちゃってごめん」と謝ってるシーンを見て、「こりゃ❛歴史風ドラマ❜だ」と思いました。まあしょうがないですね。ドラマを見るのは女性や子供やお年寄りもいます。

なお、ご質問の件については大きな本屋さんに行くと学研の「歴史群像シリーズ」というのがあるので、それの興味がある戦国武将のものを読むといいです。ビジュアルが豊富だし、分かりやすいです。
「桶狭間はさすがに知っているので大丈夫」ったって、「迂回奇襲論か正面強襲論か」なんてところまでは知らないでしょ・笑?「はたして本当に信長は中島砦に行ったのかどうか」なんてね。まあそこまでマニアックなのは知らなくていいです。でもマニアはそういうところまで知っているので、「そのへん全部をひっくるめて教えてくれ」というのは「百科事典に何が書かれているかご存じの方は教えてください」に近いものはあります。
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毛利元就は武田信玄や織田信長よりも少し前の戦国武将です。

元々が地頭出身の地侍ですが、下克上を成しとげました。その知略と外交手腕は抜群です。後の戦国大名も彼を見習ったと言われています。厳島の奇襲作戦にも見事です。息子達を婿養子縁組させることで小早川家や吉川家を乗っ取っています。村上水軍を配下にしたのも情報戦略としても有利です。毛利元就を調べてみると面白いですよ。
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戦略と戦術はマクロとミクロの違いのような物です。


名のある武将は相当な戦略家でした。
先ずは経済政策、城郭配置や都市計画、領民撫育に力を注ぎ、戦力拡大の資としました。
有名武将の伝記は多くの資料が残されています。今日の研究から明らかにされたものも少なくありません。
戦術とは、個々の戦闘の勝敗に直結する戦闘配置や臨機応変の作戦を云い、戦記物などに出てきます。
一々の事例は、とてものことに書ききれません。
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Q世界の戦術(戦国時代の戦術ってどれくらい?)

三国志、西洋の戦争(ポエニ戦争、ノルマンディ上陸など)など世界でいろんな戦術があります。

日本でも、戦国時代や日露戦争、第2次世界大戦などさまざまな戦争で戦術を解説されたりします。

戦術の智恵って日本のたとえば戦国時代とか世界や時代を比較するとどれくらいなんでしょう?
レベルが高いってどの地域時代の戦術とかになるのでしょう?

兵器の技術がある上の戦術で単純な比較は難しいとは思いますが。

今の現代のビジネスなど役に立つってどれですか?

Aベストアンサー

すべての時代を通じてとなると、ちょうどいい本がありますのでその紹介という形にしておきたいと思います。
「兵器と戦術の世界史」中公文庫
http://www.chuko.co.jp/bunko/2013/10/205857.html

日本の戦国時代においては、国内戦争だったのでお互いに「やりすぎない暗黙のルール」はあった点はあると思います。外国人というのはある種の異星人みたいなものなので、いくら殺してもあまり心は痛まないのです。しかし同じ民族となると、やりすぎはよろしくないというブレーキがかかります。これは世界中どこの民族でも同じです。
戦国時代はああ見えて、各武将の独立採算制でやっていたので、統一戦術というのはありませんでした。だから、個々の武将兵力は強くても、それをトータルで運用する高度に専門化された戦術というのはありませんでした。
サッカーで例えるなら、個人技がすごい選手もいるけれど、チーム全体としての戦術はあまり決められていないという感じです。アフリカのチームみたいなものですかね。
「同じ時代のヨーロッパ正規軍と戦っても強かった(と思う)」という人もいるけど、当時のヨーロッパ正規軍は近代軍としての組織化が進んでいたのと、何より騎兵の質が違いすぎる(体重200~300キロ程度の内国産馬と、体重800キロくらいあるヨーロッパの軍馬では重戦車と軽戦車以上の開きがある)ので、実際に対戦したら騎兵突撃で散々な目に遭ったことでしょう。戦国大名軍は兵科の区分けも曖昧でしたからね。

軍隊の戦術がビジネスに応用できるのかというと、マクドナルドの接客マニュアルが工場の生産現場で使えるかみたいなもので、ジャンルが違いますからそのまま使うことはできませんが、思想やエッセンスを抽出してその一部を取り入れるということはできるかもしれないですね。例えばリーダーの心得的なものは、管理職の部下操縦術にも応用できるかもしれません。
私は、山本五十六が残した「やってみせ、いってきかせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」という言葉を部下を持ったときの教育の心得にしました。

すべての時代を通じてとなると、ちょうどいい本がありますのでその紹介という形にしておきたいと思います。
「兵器と戦術の世界史」中公文庫
http://www.chuko.co.jp/bunko/2013/10/205857.html

日本の戦国時代においては、国内戦争だったのでお互いに「やりすぎない暗黙のルール」はあった点はあると思います。外国人というのはある種の異星人みたいなものなので、いくら殺してもあまり心は痛まないのです。しかし同じ民族となると、やりすぎはよろしくないというブレーキがかかります。これは世界中どこの民族...続きを読む

Q最強の戦国武将は?

最強の戦国武将は誰だと思いますか?皆さんのご意見を聞かせてください。戦略的にではなく戦術的に強い武将でお願いします。ちなみに私は上杉謙信だと思います。

Aベストアンサー

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合も損害が少ないように上手に逃げます。
信長の大失敗で知られる越前攻めですが、部下を全て見捨てて自分だけ逃げ帰るような事はなかなか出来ることではありません。
途中で名も無き土民に首を獲られれば末代までの恥ですし、リーダーが逃げ出せば軍団は壊滅し、裏切り者が出て岐阜に反転し、自分の妻子すらどうなるか判らない。
私なら落城した金ケ崎城に兵を入れて浅井軍を牽制し、全力で木の芽峠を越えて朝倉を攻撃します。
運がよければ朝倉を壊滅させて浅井と対峙できますし、運悪く命を落としても武士の名誉は守れ、悲運の名将という名が残ります。
それがあんなにも大胆に逃げたのは、将に天才的な名将と言えるかと思います。
途中の朽木も、それを見越したからこそ恩を売るつもりで朽木谷を通したのではないでしょうか。

上杉謙信は結局人間の心理が読めない武将と思います。
この時代の武士はドライなもので、恩とか義理とかは余り考えていません。
実質の無い関東管領を名乗り、見入りの無い信州に介入し、部下の心は離れ、関東の諸将は冷ややかに彼を見つめ、同盟していた北条もメリットが無いとして同盟を破棄します。
戦に出ても勝ちを拾えず、砂上の楼閣のような物を得て引上げる、しかも田植えが済んでごく短期間だけちょろっと戦をして引上げる。
上杉謙信、武田信玄などは所詮はアマチュア武将であり、嘗て清原・桑田を擁したPL学園が阪神タイガースより強いのではないかと幻想を抱かせましたが、実際にはプロとアマとの間には大きな差があるように考えます。
短期の戦ではアマチュアがプロを抑える事は出来ても、決定的に破ることは出来ませんし、やがて破れていく。

上杉は運良く謙信が死んだので幕末まで残りましたが、生きていれば、北陸道を進む柴田軍と信州から進入する信忠軍、伊那から徳川軍などが進軍し、じりじり春日山に迫られ自刃したかと思います。

歴史的にも徳川家には武田の生き残りが多く仕え、彼らにとって武田信玄は神のような武将で、それに5分に渡り合った謙信は神に準じる武将と祭り上げられ、逆に家康が臣従した今川家と織田家は低い評価が付きますので、そこは割り引いて考えてもよいのでは。

最強というからには、やはり兼業武士(アマチュア)ではなく専業の武士(プロ)で競うべきで、信長を除けば、蒲生氏郷、結城秀康、柴田勝家、加藤清正などかと思います。

私の独断と偏見で。

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合...続きを読む

Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ

戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ広いようなところで敵味方混ざりながら戦っていたんですか?
戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが

Aベストアンサー

何とも言えませんが・・・そうですね、自然に考えれば戦闘の際は現在の科学戦法と違い、真っ向勝負が基本だった事が「何々合戦図屏風」なんかを見れば、分かります。敵味方入り乱れて背中に自分の軍である幟を背負い目印にし、ワーワーやっていたんだろうという事は想像に難くありません。大声を上げるのは「自分を鼓舞」するのと「相手を威圧」する効果があるので、「おりゃ~」「きさま~」「死ね~」「お前らの負けじゃ~」とか言いながら戦闘してたんでは無いですかねぇ。それが入り混じれば、ワーワーとしか聴こえないので、12noname34さんが疑問に思っている事は正しいと思いますよ。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q四次元というのはどんな世界ですか?

そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?
三次元の世界とは縦横高さのある空間の世界だと思います。
これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?
我々の世界にも時間があるので、四次元といってもいいのでしょうか?
それとも四次元とは時間とは無関係の世界なのでしょうか?
あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタインでした。
 彼は、リーマンという数学者が作った、
曲がった空間の幾何学(現在リーマン
幾何学と呼ばれています)を使い、4次元の
空間が歪むという状態と、重力や光の運動を
あわせて説明したんです。これが相対性理論。

>これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?

 物理学的にはそうです。

 相対性理論の話に関連付けて説明するとこんな感じです。
例えば、下敷きの板のような平面的なもの(数学的には
これを2次元空間と言ったりします)を曲げると
いう動作を考えてみて下さい。下敷きに絵が書いて
あったとして、曲げながらそれを真上から見て
いると、絵は歪んで見えます。平面的に見て
いても下敷きという2次元空間が歪んでいる
ことが感じ取れます。
 2次元的(縦と横しかない)な存在である下敷きが
歪むには、それ以外の方向(この場合だと高さ方向
ですが)が必要です。

 19世紀に、電気や磁気の研究をしていた学者たちが、
今は小学校でもやる砂鉄の実験(紙の上に砂鉄をばら撒いて
下から磁石をあてると、砂鉄が模様を描くというやつです)
を電磁石でやっていたときに、これは空間の歪みが
原因ではないかと直感したんです。
 電磁石の強さを変えると、砂鉄の模様が変化します。
これを砂鉄が動いたと考えず、砂鉄が存在して
いる空間の歪みが変化したのでは?と考えたんです。

 3次元の空間がもう1つ別な方向に曲がる。
その方向とは時間という方向だということを
証明したのが、相対性理論だったんです。


>あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

 4つ目の方向である時間は、存在していても
その方向に、人間が自由には移動する方法は
現在ありません。時間方向を自由に動ける機械と
いうのは、タイムマシーンのことなんですが。

 日常生活を考えてみたとき、縦、横といった
方向は割りと自由に動けます。1時間ちょっと
歩けば4kmくらい楽に移動できますが、
道路の真中で、ここから高さ方向に
4km移動しろと言われたら、人力だけでは
まず無理でしょう。
 飛行機やロケットといった道具が必要と
なります。
 時間方向というのは、このように存在していても
現在のところ自由に移動できない方向なんです。

 例えば、人間がエレベーターの床のような
平面的な世界に生きているとしましょう。

 この場合、高さ方向を時間と考えて下さい。

 エレベーターは勝手に下降しているんです。
この状態が、人間の運動と関係なく、時間が
経過していく仕組みです。

 人間もほんの少し、ジャンプして高さ
方向の移動に変化をつけることができます。

 同様に時間もほんの少しなら変化をつける
ことができます。

 エレベーターの中で、ジャンプすると
ほんの少し下降を遅らせることができる
ように、時間もほんの少し遅らせることは
できるんです。




 

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタイン...続きを読む

Q戦国時代での合戦での戦い方

戦国時代での合戦での戦い方

回覧ありがとうございます。
よく、三国無双、戦国無双など合戦物のゲームをプレイします
そこで歴史事典みたいなので、武将の武勇伝をよく見るんですが

真田幸村など敵陣に攻めて暴れてたようですが
実際の戦場ではどのように剣を振り戦っていたんでしょうか?
ゲームはゲームで何度斬られても死にませんし、ピンピンしてますが、実際じゃ一度斬られただけで箇所によっては即死ですよね

いかに相手の剣を避け、弾き、相手の急所や胴体を斬るかが強さの定理なんでしょうかね?
敵に囲まれたり、1対数十で来られたら流石に無理でしょうし
敵に背を向けたら最後。後ろから斬られ死ぬような残酷な現実もありそうですね
なので立ち回り?みたいなのも重要なんでしょうかね

Aベストアンサー

最初は弓矢の応酬。
その後槍部隊。

実際、剣では戦わなかったみたいよ。
リーチは短いし、
鎧には刃がたたないし。

もし、士官クラス同士が組み合ったら、
鎧徹しで首を切ったほうが勝ち。

Q戦国時代でまさに知将と言えるすごい武将を教えて下さい

戦国時代でまさに知将と言えるすごい武将を教えて下さい
できればその理由なども書いて頂けたら嬉しいです

Aベストアンサー

一般的に「知将」というと戦上手な武将を指すと思うのですが、「頭がいい」というような意味合いもあると思うので、インテリというか知識人的な意味で明智光秀を挙げたいと思います。

明智光秀という人はなかなか謎が多い人物で、来歴がよくわからないのですが元々は足利義昭の家臣でした。将軍家の家臣ですから天皇家や公家ともかなり太いパイプを持っていたらしく、信長に重用されました。義昭が追放されるまでは信長の家臣であり、義昭の家臣でもありました。そういうのが認められていたのはいかな戦国時代とはいえ異例だと思います。
信長の家臣の中で、最も早く「一国一城の主」となったのが他ならぬ光秀です。京都に程近い坂本城が与えられました。光秀は秀吉より柴田勝家より新参の家臣で、その抜擢ぶりも極めて異例です。いかに信長が重用していたかが分かります。
合戦で活躍したイメージはないですが、参加した合戦でこれといった負け戦も特になく、信長の野望を始めゲームでの武力値などのレートはどれもかなり高いですね。丹波国を平定してその治世は大変な善政だったらしく、今でもあの辺りでは「光秀公は名将、信長は悪者」なんだそうです。何より、他ならぬ本能寺の変を起こすときに彼の家臣から裏切り者は誰も出ず、彼の直卒の家臣は全員最後まで光秀についていきました。あの「人たらしの天才」秀吉の切り崩し工作に崩された家臣は誰もいなかったのです。
公家や天皇家、将軍家との関係も深かったので知識人でもあったでしょう。ああいうところは様々なしきたりやなんやが何かとうるさいところで、その辺りの事情に疎い(当時からすると)田舎侍だった織田家ではありがたい存在だったと思います。

光秀の人となりを知らせるあるエピソードがあります。彼の奥さんになる人は結婚の直前に疱瘡だかなんだかにかかり、顔の左側に痕が残ってしまったそうです。父親は醜い娘を嫁にやるのは失礼だと思い、妹を嫁におくったそうです。光秀は最初それを知らなかったのですが、事情を知ると「自分の妻になる女性は姉のはずだ」と妹を送り返し姉を妻にしたそうです。奥さんはそれを感謝して光秀のそばにいるときは醜い顔を見せないようにいつも左側にいたんだとか。誰ですか、姉妹丼で羨ましいなどといったのは。

一般的に「知将」というと戦上手な武将を指すと思うのですが、「頭がいい」というような意味合いもあると思うので、インテリというか知識人的な意味で明智光秀を挙げたいと思います。

明智光秀という人はなかなか謎が多い人物で、来歴がよくわからないのですが元々は足利義昭の家臣でした。将軍家の家臣ですから天皇家や公家ともかなり太いパイプを持っていたらしく、信長に重用されました。義昭が追放されるまでは信長の家臣であり、義昭の家臣でもありました。そういうのが認められていたのはいかな戦国時代と...続きを読む

Qマイナーな合戦

戦国時代のマイナーだが面白い合戦を教えてください。
兵数が少ない戦い(兵1000VS兵500)とか奇襲戦とか小さな城だが長い間持ちこたえた、などです。
よろしければ回答お願いします。

Aベストアンサー

そりゃもうダンチで面白いのは「長谷堂城の戦い」ですよ。
迫りくる精鋭上杉軍、必死で守る最上義光、見殺しにする伊達政宗と役者も揃っています。この戦いが永遠にマイナーなのは、戦国武将で屈指の人気を誇る伊達政宗が悪役(この戦いで最上が滅亡すればラッキーと思っていた)であるからに他なりません。

小さい城で持ちこたえたなら、「九戸政実の乱」ですな。ドラマチックで選ぶなら「岩屋城の戦い」です。700の城兵で5万の島津軍と戦ったんですからね。最終的には玉砕したのですが、岩屋城攻略に手間取ったため島津の九州統一は阻まれてしまいました。
ところでNHKは直江兼続とか黒田官兵衛とかを大河でやるならいつになったら立花宗茂をやるんだろう。黒田官兵衛より立花宗茂のほうが絶対面白いのに。

本当は結構面白いのに知られてないのは「三増峠の合戦」。武田信玄の戦歴の中でも実は1、2を争う大ピンチでした。北条軍を腹背に受け、挟撃される可能性があったのです。この戦いの実に惜しいところは、北条軍が逃げの機動を行ったことにより敗北したことです。

キャンペーン(戦役)としての面白さなら、伊達政宗の大崎一揆の敗北から郡山の合戦に至るまでの伊達包囲網の戦いは結構面白いです。

そりゃもうダンチで面白いのは「長谷堂城の戦い」ですよ。
迫りくる精鋭上杉軍、必死で守る最上義光、見殺しにする伊達政宗と役者も揃っています。この戦いが永遠にマイナーなのは、戦国武将で屈指の人気を誇る伊達政宗が悪役(この戦いで最上が滅亡すればラッキーと思っていた)であるからに他なりません。

小さい城で持ちこたえたなら、「九戸政実の乱」ですな。ドラマチックで選ぶなら「岩屋城の戦い」です。700の城兵で5万の島津軍と戦ったんですからね。最終的には玉砕したのですが、岩屋城攻略に手間取った...続きを読む


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