【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

為替市場が乱高下する時には、政府日銀が円売りや、逆に円の買支えをして、適切なレートを維持し経済不安を避ける努力をすると聞きますが、疑問に感じるものがあります。

日本が変動相場制を採用したのは、1971年からと聞きますが、なぜ固定制ではだめだったのでしょうか?

たとえば、360円でだめなら200円に固定するとか、あるいは100円にするとか、その時点での適切な為替レートについては日米間で毎年協議して、次の協議まではこの固定レートで決済しよう、とか色々と方法はとれたのではないかな、と思っています。 あるいは、もっと短期間毎でもいいと思います。 それに今からでもこのような方策で固定相場制に移行する事は可能ではないかな、と思います。

我々は変動相場制のおかげで、取引上大きなリスクを負わされているのですが、この制度を採用する事によって、そもそも一体誰が利益を得ているのでしょうか?

通貨の売買を生業にしているアメリカや日本の為替ディーラーでしょうか?  アメリカの巨大年金基金でしょうか?  だとすると、そのような極く一部の相場師のために一国の経済の基盤を揺るがすような変動相場制を維持させられているのでしょうか?

もちろん、トヨタなど巨大企業では本業以外に為替差益による収入が桁違いに多い、という話はよく耳にしますが、そもそも彼らは自動車メーカーであって、為替などで利益を上げようという考えはないはずです。 また、逆に巨大な為替差損が生じる時もあるはずです。

数年前にアジア諸国を襲った通貨危機の際に、マレーシアのマハティール首相は、アメリカの露骨な圧力に決せず、固定相場制を維持し、自国の通貨危機を回避したと聞いております。

我々一般庶民の感覚では、変動相場制にだれもが享受できる利点など存在しないように思えるのですが、どなたか為替にお詳しい方、分りやすくお教え下さい。

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A 回答 (3件)

円の購買力がドルの購買力と同等の交換比率にならないと公平な国際競争・国際金融が成立しないとの欧米各国からの圧力が大きく加わった。

70年代は1ドル=200円を突破すると輸出産業は壊滅するというのがエコノミストの警告だったが、自動車産業等アジア諸国に生産拠点を移すなどの対策を講じ現在に至っている。その経緯は以下の通り。
1.1949年4月23日、GHQが48年12月に示した「経済安定9原則」の一環として、為替レート1ドル=360円の固定相場が決定し、同月25日から実施された。
2.長く続いた固定相場の時代から、円とドルの通貨の交換比率を示す外国為替レートは、その後、スミソニアンレート(1ドル=308円)という時代を経て、1973年2月より完全な変動相場制に移行した。
3.スミソニアン体制ができたきっかけは1971年8月15日にニクソン大統領が、金とドルの兌換を停止する宣言をしたいわゆる「ニクソンショック」です。その善後策を話し合うため、同年12月18日スミソニアン博物館に先進10ヶ国の蔵相が集まり、結局ドルを約7%切り下げ、各国の通貨との交換レートも見直しがなされることになりました。この時1ドル=308円というレートが定められます。
4.しかしこの体制はわずか2年で崩壊。オイルショックのあった1973年からは主要通貨の交換は為替交換の際に需要と供給のバランスで決められる変動相場制で処理されることになりました。この結果、ドル-円の相場は1973年に260円くらいまで高騰。
5.1985年に、米国のドル高対策としてプラザ合意がおこなわれた。これによって、急速な円高が進行した。プラザ合意前日の東京市場は、1ドル=242円であったが、1988年の年初には1ドル=128円まで進行した。円高を受けて、日本国内の輸出産業や製造業は他国と比べ、競争力が落ちてしまった。この状況を受け、公定歩合を引き下げるなどの政策が打たれ、その後、バブル景気が起こった。
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この回答へのお礼

詳しくご説明願い、ありがとうございます。 この経緯でみると、変動相場制に変わってわずか15年程で円のレートはなんと3倍近くに急騰した事が分りました。 それでも耐えていたのですから、日本経済の底力はすごいものがありますね。

お礼日時:2004/06/08 09:11

たしか.沖縄返還で大量のドルを円に切りかえるのがこたえるので.変動に切り替えた


ような話を聞いたことがありますが.当時.為替に興味がなかったので記憶が定かではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 そういえば、沖縄返還と時期が近かったですね。 何らのかの関連性があるかもしれませんね。

お礼日時:2004/06/08 09:13

曖昧な記憶ですが、この1ドル360円というのも円は360度だから360円にしようとしたとか、嘘か本当か分からない話も伝わっており、かなりいい加減に決められたようです。


当時の日本は成長期で、この交換比率は不合理になっていて、連日アメリカから交換比率を改めるよう圧力があったとか新聞にありました。
確かおっしゃるように固定性という意見もあったように記憶してますが、当時の成長率は現在とは比較になない速度で上がり、TVでは銀行のCMで「七分四厘五毛」と絶叫してたような記憶もあります。
貯金の利率が7.45%ですよ、今では信じられない。
こういった時代ですから、固定にして1年間それでいけるかどうか分からない時代でした。
動きが激しすぎて無理だったのです。
私は当時、実際に新聞雑誌を読んだだけの知識ですので、専門家の解説を待ちます。
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この回答へのお礼

早々のご回答、ありがとうございます。 変動相場制を採用した当時は、たしかに今と違って経済が激動する時代だったかもしれません。 ただ、逆に今のような停滞期に変動相場制を続けた場合、企業の収益全体に不透明な部分を与える事になり、良くない結果になるのでは、と考えるしだいです。 つまり、本業では収益を上げているのに、為替相場の見込み違いなどによって大きな損失が出るとか、ないでしょうか? よく聞きますのは、トヨタの場合には、為替相場が1円上下するたびに、十億単位の為替差益や逆に差損が発生しているらしいのですが、あまりにもリスクが大きすぎないでしょうか。 まるで博打の世界になってしまっているような気がします。

お礼日時:2004/06/07 13:20

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Q日本の固定相場制が崩壊した理由

なぜ固定相場制が崩壊したのか、大まかで良いので教えてください。
またなぜ固定相場制を最初に導入したのか?などもよろしくお願いします。

Aベストアンサー

従来の金本位制が世界大恐慌と世界大戦の原因となったという共通認識から、戦後の世界通貨体制を構築するに当たって、圧倒的な経済力を持つアメリカのドルを基軸通貨とすることを基本として、1944年に国際復興開発銀行(IBRD)と国際通貨基金(IMF)が設立され、自由貿易や資本移動の促進を目的に金1オンス=35ドルと定め、常にドルと金は交換可能とされた(ブレトン・ウッズ体制)。ここにドルを国際通貨(基軸)とするIMF体制が確立された。しかしドルの大量流失に伴い、1973年に先進各国は変動相場制へと移行した。
○崩壊の原因
アメリカの貿易赤字の拡大によりドルが大量に黒字国に流出し、公定価格での金との兌換が不可能になった。ニクソンは71年に金との兌換を停止しするとともに、固定相場での変動幅を拡大させついに固定相場を一方的に放棄した。これにより貿易黒字国の通貨である円、マルクなどに対して大幅なドル安を実現させた。
理論的には、アメリカについては、固定相場は国際通貨であるドルを垂れ流すことへの規律が存在せず、制度の崩壊は時間の問題であった。一方、固定相場は相場の調整が例外的に可能であったが、これが短期資金による投機によって相場の大幅変動を引き起こすとみられた。経済理論では変動相場によて、国内のインフレと景気に経済政策を専念できるとするM.フリードマンのマネタリストの発言が圧倒していた。これを信じて、後に世界経済は手痛いしっぺ返しを受けることになる。通貨の乱高下と世界的金融恐慌が再発したのである。

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Q小学生にも分かるように、固定相場制と変動相場制を教えてください

マル投げはしたくないのですが、

実際ちんぷんかんぷんです。

お助けください。

Aベストアンサー

ご質問は円と外国通貨の交換の相場のことを聞かれているのだと思いますので、一番分かりやすい円とドルの交換の例で説明します。

固定相場制とはドルと円の交換の時の値段を固定しておき、いつでもこれでドルと円の交換がなされる制度です。終戦後日本は1ドル=360円という固定相場制によってドルと円を交換して貿易をやっていました。しかし日本を含む先進国は1972~73年に変動相場制に移りました。米国の貿易収支が悪化し世界的に貿易を盛んにするためには各国が協力して変動相場制に移行する必要があったためです。

変動相場制はドルと円の交換率は需要と供給の関係で決まる相場による制度です。従ってドルを欲しい人が沢山いれば(需要が増えれば)ドルの価値は上がり、例えば今迄1ドル=100円だったものが1ドル=110円になります。米国の経済が上向いて、将来更に米国の景気が良くなると予想すればドルを欲しがる人が増えて更に上がって1ドル=120円になるでしょう。勿論この相場を左右する原因は他にも沢山ありますから一概には言えません。ドル高(=円安)になれば、日本からの輸出は有利になり輸出増加になり、ドル安(=円高)ならその逆です。これがその国の経済に影響を与えます。

一般的に発展途上国は固定相場制、先進国は変動相場制を採用しています。

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Q国定相場制と変動相場制のメリットとデメリットについて

こんにちは。
早速ですが、質問をしたいと思います。
国際的な資本移動の動きが大きくなった状況下での、固定相場制と変動相場制のメリットとデメリットについて教えてください!お願い致します。

Aベストアンサー

「国際的な資本移動の動きが大きくなった状況下で」は、固定相場制は事実上成立しません。

もし、日米間の為替相場(ドル/円相場)が固定相場制に戻ったとしたら、日本の金融当局(財務省・日銀)は、円の金利水準を自由に決められなくなってしまいます。つまり、米ドルと円の金利水準を同一にしなければならず、完全にアメリカの金融政策に従わざるを得なくなります。

日本の外貨(米ドル)預金を例にとって、説明しましょう。

固定相場制になると、為替相場の変動がないのですから、米ドルのほうが円より金利が高ければ(現在のような状態)、預金者は為替相場を心配することなく、いくらでもドルを買って預金することになります。つまりドル高・円安に相場は動きます。ところが、固定相場制ですから、通貨当局は限りなくドル売り・円買い介入をし続けなければならなくなります。さもなければ、ドル預金の魅力がなくなる水準まで、円金利を引き上げなければなりません。

景気刺激の目的で金利を低くおさえておきたいという金融政策は、ドルの金利高が続く限り、採れなくなってしまうのです。
現在は、円金利がいわゆる「ゼロ金利」で、異常な状態が続いていますが、たとえこれが正常な水準まで戻ったとしても、もしアメリカがインフレの状態で、金利を高く誘導していれば、日本もこれに従うことになって、日本経済の実態を反映しない高金利にせざるを得なくなります。

固定相場制なら、輸出・輸入業者は、為替の変動を気にすることなく貿易が出来ますから、それなりのメリットはあります。しかし、繰り返しになりますが、現在のように資本の移動が自由化されている状況では、固定相場制は成立しません。

「国際的な資本移動の動きが大きくなった状況下で」は、固定相場制は事実上成立しません。

もし、日米間の為替相場(ドル/円相場)が固定相場制に戻ったとしたら、日本の金融当局(財務省・日銀)は、円の金利水準を自由に決められなくなってしまいます。つまり、米ドルと円の金利水準を同一にしなければならず、完全にアメリカの金融政策に従わざるを得なくなります。

日本の外貨(米ドル)預金を例にとって、説明しましょう。

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Qプラザ合意

こんばんは。

自分は高1です。今日、先生が、政経の時、バブルのことを話してくれました。
そもそもバブルってなに?ってかんじだったのでさいしょはあまりよくわからなかったのですが、
今日なんとなく、ふ~んというカンジがしました。
その時に『プラザ合意』ということを何回かいっていました。
なにか最終的には、プラザ合意によってバブルが起こった的に自分では解釈したのですが、
そもそもプラザ合意とはなんなのですか?
円高にするために行われたみたいなのですが、内容はからっきしです。
また、なぜプラザ合意をしなければならなかったのかもよくわかりません。

そこで皆様に教えていただきたく質問させていただきました。
なぜプラザ合意をやらなければいけなかったのでしょうか(必然性?とでもいうんでしょうか(^^; )、
そして、そのプラザ合意というものとはどのようなもの(プラザホテルで何を決めたのでしょうか?)なのかを、詳しく教えていただけると嬉しいです。

では、宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

こんばんは。
私なりの解釈で簡単に書かせていただきます。
 

アメリカの双子の赤字(貿易収支、財政収支)
        ↓
米)ドルをもっと安くして貿易を増やすことでアメリカ経済をよくしよう。
 (ドルは基軸通貨だったので、アメリカの経済が悪くなると世界の経済は混乱する)
        ↓
円を高くすれば、相対的にドルは安くなる
        ↓
【プラザ同意】=円の切り上げ、ドルの切り下げ
        ↓
日)円高による貿易収支の減少
        ↓
日)     円高不況
        ↓
大蔵省)金融緩和政策(金利を下げて、国内経済を活性化させようとした)
        ↓
日)金利が下がったことにより、日本の大量の金融資産(預金とかね)は行き場を失った 
        ↓
日)金融資産を土地に回すしかなくなった。
  (今まで土地は値下がりしたことがなかった)
        ↓
日)土地の本来の価値以上の値上がり
  投機的な土地の売買
        ↓
      バブルの発生

こんばんは。
私なりの解釈で簡単に書かせていただきます。
 

アメリカの双子の赤字(貿易収支、財政収支)
        ↓
米)ドルをもっと安くして貿易を増やすことでアメリカ経済をよくしよう。
 (ドルは基軸通貨だったので、アメリカの経済が悪くなると世界の経済は混乱する)
        ↓
円を高くすれば、相対的にドルは安くなる
        ↓
【プラザ同意】=円の切り上げ、ドルの切り下げ
        ↓
日)円高による貿易収支の減少
        ↓
日)  ...続きを読む

Q兌換紙幣と不換紙幣って??

高3です。
日本史の授業で今日先生が言っていた「兌換紙幣」と「不換紙幣」の意味がよくわかりません・・。
金や銀に換えることのできる紙幣、というようなことを言っていたと思うのですが、どういうことなのかいまいちイメージがわかないのです。。
こんな私にもわかるようにかみ砕いて説明して頂けませんか?
よろしくお願いします(>_<)

Aベストアンサー

 再び失礼します、No.7です。

 不換紙幣の発行理由ですが、自信がなかったので検索をかけてみたら、こんなページを見つけました。下の方に書かれています。

 このページは分かりやすいと思います。(わからない部分があれば、また補足をください。可能な限り回答します。)

 以上、参考にしてくださいね、これで失礼します。

参考URL:http://www.findai.com/yogo/0013.htm

Q金融政策と財政政策の関係って?

おしえてください!
金融政策と財政政策の関係ってなんですか?
目指すところは同じ、経済目標の達成だと思うのですがこのふたつの大きな違いとその関係がイマイチ理解できません。
金融政策は中央銀行が主体となり貨幣供給量を変化させる政策で、財政政策は政府が主体となり民間では不可能な経済の安定と発達の手助けをする。とわたしは理解しています。で、このふたつの関係って?なんですか?
おしえてください!

Aベストアンサー

金融政策も財政政策も目標は経済目標の達成で金融政策は日銀が、財政政策は政府が行います。この点の理解は正しいと思います。2つの関係についてですが、2つの違いを考えればいいと思います。
(1)金融政策
金融政策とは、利子率の変化を利用して景気の調整をしようとするものです。公定歩合を下げる、預金準備率を下げる、債券を買う(買いオペレーション)を行うと利子率が下がりますね。すると、企業はお金を借りやすくなります。借りたお金で投資・生産を拡大します。そうするとGDP(まあ所得ですね。)が増大し、景気は回復に向かう。このようなことを狙って行うのが金融政策です。
(2)財政政策
財政政策は公共事業などを行い、GDP(所得)を増やしそれによって更なる需要(消費)を増やし景気を回復させようとするものです。
で、違いですが、財政政策でGDPが増えるとどうなるか。GDOが大きいというのは、物がたくさん作られて、たくさん売れるということでしょう。そのような状況では、すぐにでもお金が必要になります(そう、利子を払ってでも)。言い換えれば貨幣需要が増大する。すると、利子率が上がる。その結果、投資・生産は縮小に向かう。GDPは縮小し景気は後退に向かう!(当初の目標と逆効果)
と、こういう具合に財政政策は、結果として金利の部分にまで触ってしまい逆効果になることがあります。
金融政策・財政政策の評価は色々考え方があります。(ケインズ・新古典派など)貨幣数量説・k%インフレ説を適用すれば金融政策は無効だということになってしまいます。まあ財政政策も金融政策も無効でも万能でもないでしょう。その中間的な見方をするのが一般的です。政策でも2つをうまく組み合わせようとするのが普通。

金融政策も財政政策も目標は経済目標の達成で金融政策は日銀が、財政政策は政府が行います。この点の理解は正しいと思います。2つの関係についてですが、2つの違いを考えればいいと思います。
(1)金融政策
金融政策とは、利子率の変化を利用して景気の調整をしようとするものです。公定歩合を下げる、預金準備率を下げる、債券を買う(買いオペレーション)を行うと利子率が下がりますね。すると、企業はお金を借りやすくなります。借りたお金で投資・生産を拡大します。そうするとGDP(まあ所得ですね。)が増...続きを読む

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qロシアの南下政策はどうして日本にとって脅威だったのでしょうか?

はじめまして。

歴史を少し勉強するにあたって、どうしても理解できない部分がでてきたので、お詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

当時のロシアは不凍港を狙って朝鮮半島に進出する気配をみせていたそうなのですが、日本にはどうしてそれが脅威になるのでしょうか?
朝鮮半島の次は日本が危なかったからということで認識していてよろしいんでしょうか?

その結果として日本は朝鮮半島や満州に進出したとのことなのですが、そこの部分も平和ボケした私の頭では良く呑み込めません。(^_^;)
海を挟んだ「対岸の火」という位にしか感じないのです。

分かりやすく教えていただけると非常に助かります。
なお、政治的思惑等は一切ありませんので、中立的な立場からのご回答を期待します。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

小生も専門家というわけでなく、いくつか書籍をを読みかじっただけなので、実際回答する資格があるか否か判然としませんが、自分で理解している範囲でコメントさせていただきます。(当然批判的見解も多々あろうかと思います。)
まず、当時と現代とでは、世界を支配していた価値観がまったく異なります。当時はヨーロッパ式の帝国主義が、ほぼ絶対的な支配観念でした。つまり、他国を植民地として支配するのは、まったく悪徳ではなく、むしろ支配されたほうが悪いというような考え方です。
このような考え方によって、西欧列強諸国はアジア、アフリカを次々とその支配下にいれ、やがて、その動きは極東の中国(当時の清国)、朝鮮、日本をもその標的としていったのです。
中でも、当時の日本人が脅威を抱いていたのは、国境を接するロシアでした。ロシアは、御指摘のごとく南下政策により、ウラジオストック以南に不凍港を獲得しようとします。そしてロシアが太平洋方面に擁していたのは、極東最強といわれたウラジオ艦隊でした。それでも、その軍港がウラジオに限局していれば、冬季は凍結のため、活動できないので、まだその脅威は少ないといえます。
ところが、朝鮮半島以南に、不凍港を獲得すれば、1年を通じて艦隊が出航できますので、日本海の制海権を完全に握られることになります。そうなれば、おそらく、ロシアは、武力を背景に日本列島を支配するか、日本にロシア傀儡政権が作られる可能性が高いと当時の日本政府は考えたようです。(これは決して、無理な想像ではないと思います。ヨーロッパに目を転じて、その後の、バルト三国や、東欧諸国の運命を見れば同様な道をたどる可能性が高いでしょう。)こうした脅威を背景に、朝鮮半島、南満州から、ロシア軍を駆逐する必要が生じてきたものと考えられます。
以上、雑駁な内容で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。
なお、当時の雰囲気を知るためには、司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」が有益な示唆を与えてくれると思います。
最後に、冒頭で述べたとおり、上記は色々ある見解のひとつに過ぎませんので、他の方のご回答もよくご覧の上、熟慮くださいますよう、お願い申し上げます。

小生も専門家というわけでなく、いくつか書籍をを読みかじっただけなので、実際回答する資格があるか否か判然としませんが、自分で理解している範囲でコメントさせていただきます。(当然批判的見解も多々あろうかと思います。)
まず、当時と現代とでは、世界を支配していた価値観がまったく異なります。当時はヨーロッパ式の帝国主義が、ほぼ絶対的な支配観念でした。つまり、他国を植民地として支配するのは、まったく悪徳ではなく、むしろ支配されたほうが悪いというような考え方です。
このような考え方に...続きを読む

Q国会と内閣の違いを簡単に教えてください!!

国会・内閣・裁判所って三権分立であるじゃないですか?それで、裁判所と国会は建物もあるし、なんとなくは分かるんですけど、内閣って一体なんなんですか??内閣には国会議事堂や裁判所のような建物とかって無いですよね??(間違ってたら指摘お願いします!)
じゃあ内閣って一体どこにあるんですか?内閣で一番偉い人は首相。つまり今は小泉総理ですよね?じゃあ国会で一番えらい人って誰なんですか?今の僕の意識では国会の中に内閣がある。っていう感じなんですけど、コレって間違ってますか??教えてください!

Aベストアンサー

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指摘する(こちらは決算)ことができます。
このように、お互い独立して仕事をしていますが
自分の担当だからといって自分勝手な行動をとらないようにチェックしあっているのです。
ですから、どこが偉いということはありません。
3つとも同じ地位にあります。
総理大臣は必ず国会議員ですから
「国会の中に内閣がある」というような気もしますが
そうすると、国会議員の中でも偉い人が総理大臣、
つまり国会より内閣の方が偉い!ということになってしまいますから
その認識は正確ではありませんね。

 内閣はどこにあるか?ですが
内閣には総理大臣のもとにたくさんの省庁がありますね。
外務省とか財務省とか、防衛庁もそうです。
その建物の一つ一つが内閣をつくっています。
仕事が膨大で職員の規模も大きいので、
まとめてどこかに置くというわけにはいかないのです。
内閣のまとめ役の総理大臣の城である首相官邸が一番小さかったりします。
紛らわしいですが、内閣府は内閣の一つの機関にすぎませんのでお間違えなく。

 最後に、国会で一番偉い人ですが
やはり衆議院、参議院の議長でしょうね。
議長は野党でも与党でもなく、中立の立場にいます。
議長、副議長になると、党を離れて無所属になるんですよ。
ですから、与党からも野党からも敬われる存在です。
とはいえ、話し合いを重んじるのが議会ですから
偉いからといって何でもできるわけではないですけど。

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指...続きを読む


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