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為替市場が乱高下する時には、政府日銀が円売りや、逆に円の買支えをして、適切なレートを維持し経済不安を避ける努力をすると聞きますが、疑問に感じるものがあります。

日本が変動相場制を採用したのは、1971年からと聞きますが、なぜ固定制ではだめだったのでしょうか?

たとえば、360円でだめなら200円に固定するとか、あるいは100円にするとか、その時点での適切な為替レートについては日米間で毎年協議して、次の協議まではこの固定レートで決済しよう、とか色々と方法はとれたのではないかな、と思っています。 あるいは、もっと短期間毎でもいいと思います。 それに今からでもこのような方策で固定相場制に移行する事は可能ではないかな、と思います。

我々は変動相場制のおかげで、取引上大きなリスクを負わされているのですが、この制度を採用する事によって、そもそも一体誰が利益を得ているのでしょうか?

通貨の売買を生業にしているアメリカや日本の為替ディーラーでしょうか?  アメリカの巨大年金基金でしょうか?  だとすると、そのような極く一部の相場師のために一国の経済の基盤を揺るがすような変動相場制を維持させられているのでしょうか?

もちろん、トヨタなど巨大企業では本業以外に為替差益による収入が桁違いに多い、という話はよく耳にしますが、そもそも彼らは自動車メーカーであって、為替などで利益を上げようという考えはないはずです。 また、逆に巨大な為替差損が生じる時もあるはずです。

数年前にアジア諸国を襲った通貨危機の際に、マレーシアのマハティール首相は、アメリカの露骨な圧力に決せず、固定相場制を維持し、自国の通貨危機を回避したと聞いております。

我々一般庶民の感覚では、変動相場制にだれもが享受できる利点など存在しないように思えるのですが、どなたか為替にお詳しい方、分りやすくお教え下さい。

A 回答 (3件)

たしか.沖縄返還で大量のドルを円に切りかえるのがこたえるので.変動に切り替えた


ような話を聞いたことがありますが.当時.為替に興味がなかったので記憶が定かではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 そういえば、沖縄返還と時期が近かったですね。 何らのかの関連性があるかもしれませんね。

お礼日時:2004/06/08 09:13

円の購買力がドルの購買力と同等の交換比率にならないと公平な国際競争・国際金融が成立しないとの欧米各国からの圧力が大きく加わった。

70年代は1ドル=200円を突破すると輸出産業は壊滅するというのがエコノミストの警告だったが、自動車産業等アジア諸国に生産拠点を移すなどの対策を講じ現在に至っている。その経緯は以下の通り。
1.1949年4月23日、GHQが48年12月に示した「経済安定9原則」の一環として、為替レート1ドル=360円の固定相場が決定し、同月25日から実施された。
2.長く続いた固定相場の時代から、円とドルの通貨の交換比率を示す外国為替レートは、その後、スミソニアンレート(1ドル=308円)という時代を経て、1973年2月より完全な変動相場制に移行した。
3.スミソニアン体制ができたきっかけは1971年8月15日にニクソン大統領が、金とドルの兌換を停止する宣言をしたいわゆる「ニクソンショック」です。その善後策を話し合うため、同年12月18日スミソニアン博物館に先進10ヶ国の蔵相が集まり、結局ドルを約7%切り下げ、各国の通貨との交換レートも見直しがなされることになりました。この時1ドル=308円というレートが定められます。
4.しかしこの体制はわずか2年で崩壊。オイルショックのあった1973年からは主要通貨の交換は為替交換の際に需要と供給のバランスで決められる変動相場制で処理されることになりました。この結果、ドル-円の相場は1973年に260円くらいまで高騰。
5.1985年に、米国のドル高対策としてプラザ合意がおこなわれた。これによって、急速な円高が進行した。プラザ合意前日の東京市場は、1ドル=242円であったが、1988年の年初には1ドル=128円まで進行した。円高を受けて、日本国内の輸出産業や製造業は他国と比べ、競争力が落ちてしまった。この状況を受け、公定歩合を引き下げるなどの政策が打たれ、その後、バブル景気が起こった。
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この回答へのお礼

詳しくご説明願い、ありがとうございます。 この経緯でみると、変動相場制に変わってわずか15年程で円のレートはなんと3倍近くに急騰した事が分りました。 それでも耐えていたのですから、日本経済の底力はすごいものがありますね。

お礼日時:2004/06/08 09:11

曖昧な記憶ですが、この1ドル360円というのも円は360度だから360円にしようとしたとか、嘘か本当か分からない話も伝わっており、かなりいい加減に決められたようです。


当時の日本は成長期で、この交換比率は不合理になっていて、連日アメリカから交換比率を改めるよう圧力があったとか新聞にありました。
確かおっしゃるように固定性という意見もあったように記憶してますが、当時の成長率は現在とは比較になない速度で上がり、TVでは銀行のCMで「七分四厘五毛」と絶叫してたような記憶もあります。
貯金の利率が7.45%ですよ、今では信じられない。
こういった時代ですから、固定にして1年間それでいけるかどうか分からない時代でした。
動きが激しすぎて無理だったのです。
私は当時、実際に新聞雑誌を読んだだけの知識ですので、専門家の解説を待ちます。
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この回答へのお礼

早々のご回答、ありがとうございます。 変動相場制を採用した当時は、たしかに今と違って経済が激動する時代だったかもしれません。 ただ、逆に今のような停滞期に変動相場制を続けた場合、企業の収益全体に不透明な部分を与える事になり、良くない結果になるのでは、と考えるしだいです。 つまり、本業では収益を上げているのに、為替相場の見込み違いなどによって大きな損失が出るとか、ないでしょうか? よく聞きますのは、トヨタの場合には、為替相場が1円上下するたびに、十億単位の為替差益や逆に差損が発生しているらしいのですが、あまりにもリスクが大きすぎないでしょうか。 まるで博打の世界になってしまっているような気がします。

お礼日時:2004/06/07 13:20

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