日本、中国の古代史に興味があります。
お勧め文献、おもしろサイト等ありましたら
教えてください。
自力で検索してみたのですが、「コレ」というのが
見つからなかったもので・・・

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

こういう古代史もあります。



参考URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/japankokogakun …古代王国
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こういう地域別に詳しく・・・っていうのは
初めてです。
ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/07 23:16

もしあんまり学問的で無くて良ければ、


黒岩重吾(日本古代史)、宮城谷昌光(中国古代史)等の小説も面白いです。それぞれファンサイトがあって作品解説など載ってたりします。
高校程度の歴史知識があれば楽しめると思います。学問的でないと書きましたが、古代だと詳細まで分かっていない部分が多いのでそのあたりを想像で補っているということで、私の読んだ範囲では面白さのために定説を曲げたフィクションというわけではないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ふむふむ・・・参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/08 16:08

こんにちは


「東洋歴史年表」で検索してみてください。
歴史の流れがわかりやすくでてます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/07 23:13

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q東洋史「しゅんじゅう戦国時代」?

東洋史「しゅんじゅう戦国時代」?

大学生です。
東洋史でしゅんじゅう戦国時代というのを勉強するらしいのですが、
字は「春秋戦国時代」であっていますでしょうか?
他に勘違いしそうな時代の名前はありますか?

おそらく東洋史の一番最初の段階だと思われます。

Aベストアンサー

字はあってます。

中国史ですね。夏・殷(商)・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢・三国・・・と続きますが、「秦」「新」「晋」「清」と「シン」と読む時代が4つありますので混同しやすいです。

Q超古代史はイカサマ史?

こんばんは。

超古代史とは、
何万年も前の人類が地球外知的生命体と遭遇、
その助けにより現在では謎とされる遺物を工作し、
地球を去った知的生命体はその後現在で言うところの神のモデルとなった。
と言う前提の元に成立するストーリー?(学問?)である。

以上のような認識で宜しいですか?
では宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

うーん
宇宙人の存在が必ずしも必要というわけではないけれど、ニュアンスとしてはだいたいあってるかな?

要するに
現代文明以前にもっと進んだ文明社会が存在していたが、何らかの理由でそれが滅んでしまったとする仮説。
宇宙人からもたらされた文明とするものもあれば、地球人類が独力で築いたとするもの、先行人種の存在をほのめかすものもある。
おそらく一番古いのはプラトンの著作に現れるアトランティスかな?
以前は世界各地に残る現代技術でも不可能に近い構造物は、失われたアトランティスの文明が残したものだという説がまことしやかに囁かれていた。
日本でも上記(ウエツフミ)やら東日流外三郡誌、富士宮下文書など、超古代史を記したとされるものがありますね。
考古学的な傍証(裏付け)に乏しく、強い先入観によって書かれたものが多く、信ぴょう性には乏しい。

「イカサマ」とまでは言えないでしょうが、まあ娯楽・エンターティメントの一種だと考えていいでしょう。
(イカサマと言ってしまうと、意図的に騙すニュアンスが入ってくる)

まあ、それを教義として語る宗教はイカサマだといっていいでしょうけれどね

うーん
宇宙人の存在が必ずしも必要というわけではないけれど、ニュアンスとしてはだいたいあってるかな?

要するに
現代文明以前にもっと進んだ文明社会が存在していたが、何らかの理由でそれが滅んでしまったとする仮説。
宇宙人からもたらされた文明とするものもあれば、地球人類が独力で築いたとするもの、先行人種の存在をほのめかすものもある。
おそらく一番古いのはプラトンの著作に現れるアトランティスかな?
以前は世界各地に残る現代技術でも不可能に近い構造物は、失われたアトランティスの文明が残...続きを読む

Q東洋史学科について

東洋史学科を目指す受験生です。

モンゴル帝国以前の北アジア史や西域史をやりたいんですが、この地域を領域としている大学にはどんなところがありますか?調べたところ、京大、阪大、早大、中大、関大、あたりが充実してそうだったんですが…。

Aベストアンサー

某大史学科で東洋史専攻にいた現・院生のものです。
自専攻は中国ですが、わかる範囲でアドバイスをば。

 まず、ご質問の範囲だと、「東洋史」という枠だけで見ないほうがよいのではないでしょうか。中央アジアは東洋史・西洋史両面に絡んできますし、時代地域の設定によっては、イスラム研究などの専門家についたほうがよいという可能性も高いです。
 イスラム研究は外国語学部や国際系の学部で人気があるようなので、同じ大学の史学科になくてもそちらに置いている場合も結構あるかもしれません。(というか、うちの大学もそうなのですが。)連携体制が取れていれば史学科に在籍しておいてそちらの講義を取るという手もありますので、学科名だけで絞ってしまわない方がいいと思います。他学部の講義にも面白そうなものがあるかチェックしてみて、史学科生でも取れるかどうか確認していくと選択肢が広がるのでは。

 範囲が広いのでピンポイントで「ここ」というのは指定しかねますが、興味のある内容の本や論文を探してみて、その著者を辿るという手は結構使えるかと。しかし学部の研究ならばノウハウくらいは専門外の教授でも十分指導してもらえますし、必要ならば詳しそうな研究者を紹介してくれると思います。(しかし訪ねていく手間を考えると(確率的に)都心にいた方が楽などということはあるかもしれません。)

 ・・・もしかしなくてもペルシャ語あたりが必要になってきそうですから、それも考慮に入れて探した方がいいかもしれませんね(汗)史料読むだけなら発音などはまったくできなくてもいいのではありますが・・・

某大史学科で東洋史専攻にいた現・院生のものです。
自専攻は中国ですが、わかる範囲でアドバイスをば。

 まず、ご質問の範囲だと、「東洋史」という枠だけで見ないほうがよいのではないでしょうか。中央アジアは東洋史・西洋史両面に絡んできますし、時代地域の設定によっては、イスラム研究などの専門家についたほうがよいという可能性も高いです。
 イスラム研究は外国語学部や国際系の学部で人気があるようなので、同じ大学の史学科になくてもそちらに置いている場合も結構あるかもしれません。(とい...続きを読む

Q近代~古代という日本史・世界史の本を探しています

学生のころは、日本史・世界史を縄文時代から順番に勉強していき、卒業近くになったときは、戦後の近代史を全く学ばずに終わってしまいました。
今になって思えば、重要なのは2000年以上の大昔のことではなく、今の生活に密着した近代を多く学ぶべきであり、現代から過去を振り返っていって、その転換期がどのように発生したのかを知ることが大切であったと思います。
再度、歴史を学びたいと思い、書店でできる限り分厚い本を探していますが、全部が全部、時系列に書いてあるものばかりで、逆時系列のものがありません。できれば、現代~戦後のことが3割ぐらい書かれていて、残りが戦前~古代のもの、というのが読みたいのですが。
1冊にまとまった量の多い日本史・現代史をご存知の方、教えてください。

Aベストアンサー

 イイ質問ですね。歴史を学ぶ時には幾つかのスタイルがありますが、今日現在の小学校から高校までの歴史の授業はご指摘のとおり「古代から現代に至る時系列的なデータの羅列」が殆どであり、それぞれの歴史事象を歴史的過程の中にどのように位置付けるか、という最も大切な部分が見落とされていることも事実です。
 もう一つの方法もご指摘のとおり「現代からその対象となる歴史事象を見る」スタンスです。こうした歴史考察の視点を学ぶことができるのは大学の学部での専門課程となります。そして実際の歴史研究の中でこうしたスタイルを積極的に取り入れている学部としては法学部あるいは政治経済学部の「近代日本政治史」や「近代日本経済史」の講座になります。歴史研究を対象とする文学部の歴史学科でも扱わないこともありませんが、専門分野としては前者の方が一歩先行しているといっても過言ではありません。
 こうした点でお奨めできるのは、みすず書房刊行の『日本の200年 上・下』『歴史としての戦後日本 上・下』共にA.ゴードン氏の著作です。しかしながらご要望には叶えられない点もあります。この書物も時系列的な処理を行っているのですが、それに先だって「始めに」として著者がこうした記述で日本の歴史それも近現代史を扱う時の視点を幾つか整理してから具体的な本文に入っていく点です。そしてもう一つ、こちらは内外の歴史学及び関連諸科学の研究動向を見ても皆無です。1冊で日本の歴史を網羅している書物はありません。あるとすれば悪名高い「日本史教科書」を逆のページから読むしか今のところでは手だてはありません。
 逆に「なぜ歴史書は古代の記述から始まるのか」との問いに対する答えとして「○○という歴史事象に対して××のような不具合が生じ、△△という手段で対処した」との人間の足跡を辿ることの意味を考える、スタイルに規定されているからとも考えられます。
 何れにせよ、現代史的視点から歴史を捉え直すことは大切なことではありますが、その際に一つだけ注意せねばならない点があることも書き添えさせていただきます。それは「現在における概念やシステム」を前近代の社会を見る時に濫用してはならない、とのことです。戦後の一時期、日本の歴史学界にもそれ以前の歴史学のあり方に対する反動から「太閤検地以前は全て古代社会である」と乱暴な議論があったことは確かで、その根拠たるや「マルクスの○○という論文に書かれているこの部分が該当するから」という、ゾッとするようなモノでした。一つのモデルをそのまま緩用するなどと今の私達からみれば「とんでもない勘違い」が真剣に論議されていたなどと笑い話にもならない笑い話に陥らないように自らのスタンスを常に検証しつつ、歴史を学んでください。

 イイ質問ですね。歴史を学ぶ時には幾つかのスタイルがありますが、今日現在の小学校から高校までの歴史の授業はご指摘のとおり「古代から現代に至る時系列的なデータの羅列」が殆どであり、それぞれの歴史事象を歴史的過程の中にどのように位置付けるか、という最も大切な部分が見落とされていることも事実です。
 もう一つの方法もご指摘のとおり「現代からその対象となる歴史事象を見る」スタンスです。こうした歴史考察の視点を学ぶことができるのは大学の学部での専門課程となります。そして実際の歴史研究...続きを読む

Q東洋史における語句を調べています

以前、「東洋史について」という題で出していたのですが、どうもそれに対する回答が別の方向の話へと発展してしまったもので、再質問です。

東洋史における語句「爵」「均輪平準法」「均田制(均田法)」「封体制」についての説明をお願いします。 (それについて調べることのできるサイトをお知りでしたら、そちらもお願いします)
私自身、図書館等で資料を探していますが目下貸し出し中などでお手上げ状態です。一般の書店で市販されている書籍に関しては探している時間もないもので。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「爵」について、
中国では、周代の諸侯が、天子のもと公・侯・伯・子・男の五等爵にわかれ、領地
と人民を管理していたということで、これが爵位制の始まりとされています。その後も時代により、秦・漢の二十等爵、魏・晋の五爵に王を加えた六爵(その下に各種の侯もいる)など、時代によってかなり制度はまちまちとのこと。

「均輪平準法」について、
まず「均輪」ではなく「均輸」です。
均輸法・・・地方の特産物を徴収し、それを他の地域へ転送して物価の調整と利益を国庫の収入としたこと。
平準法・・・物価が安い時に国が物資を貯蔵しておき、物価が上昇した時に放出して利益を上げる政策のこと。
共に漢時代に行われた経済政策で、逼迫した財政を立て直すため、重税を課し、桑弘羊の献策によって塩・鉄、そしてのちに酒を専売にし、平準法(時期差を利用して備蓄米を販売)・均輸法(地域差を利用して不作地域での穀物の販売)などの法をもってして物価政策を行いました。

「均田制」については
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/akira16/index5-6.html

「封体制」はその前に「さく」(文字化けが恐いのでURL参照)が入り「さく封(ほう)体制」となります。この参考URLで内容は分かると思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog057.html

「爵」について、
中国では、周代の諸侯が、天子のもと公・侯・伯・子・男の五等爵にわかれ、領地
と人民を管理していたということで、これが爵位制の始まりとされています。その後も時代により、秦・漢の二十等爵、魏・晋の五爵に王を加えた六爵(その下に各種の侯もいる)など、時代によってかなり制度はまちまちとのこと。

「均輪平準法」について、
まず「均輪」ではなく「均輸」です。
均輸法・・・地方の特産物を徴収し、それを他の地域へ転送して物価の調整と利益を国庫の収入としたこと。
平準法・...続きを読む

Q北九州の古代史旅行

 長崎を中心に古代史旅行をしたいと考えています。ここは、ぜひ、訪問した方がよい!というお薦めの縄文・弥生の遺跡を紹介してください。

Aベストアンサー

長崎県中心となると古代史には残念ながら縁が薄いように思われます。縄文、弥生と言えばやはり佐賀県、福岡県と言うことになります。訪問されたと言う吉野ヶ里遺跡はむろんのこと、これと匹敵する福岡県甘木市の平塚川添遺跡があります。長崎県下では壱岐の古代都市の首都であった(大げさだが)原の辻遺跡(邪馬台国時代)が有りますが。一海を渡ることになりますから難しいでしょう。
 平塚川添遺跡が先に発見されたなら吉野ヶ里はこうも全国的に知られ無かったかも知れないほどです。弥生時代と言われると初期古墳も入るのであれば、佐賀県九里双水古墳(唐津の南、九里)があります。あちこちと見ておられて思ったほどではないのでがっかり、ということがあったでしょうが、日本の歴史に対する体制が整っていないことに少し腹立たしさがありますが、吉野ヶ里、平塚川添は国指定の公園決定が早かったのは嬉しい限りです。

Q東洋史です。

いつもお世話になっています。東洋史通論の試験で
「7世紀はじめまでに、中国を中心とした東アジア世界がどのように形成されていったかを述べよ」
というお題が出ました。
皆さんなら、どのように答えられますか。教えてください。

Aベストアンサー

7世紀はじめまで、ということですから、これは要するに「唐」の成立までを答えれば良いわけですね。で、唐朝の創始者である李淵とその前の隋朝の創始者である楊堅は同じ北方民族の出身であり、親戚でもありました。

つまり、ここではいわゆる漢民族と北方騎馬民族との関係や同化していく過程を南北朝あたりから順をおって述べていけば良いのではないでしょうか。

もう一つ、東アジア世界というのが何を意味するのか考えてください。これは中国を中心とする(朝貢)貿易体制の成立ですから、当時の朝貢国はどの範囲まで広がっていたかなどもお調べ下さい。基本的にはこの程度のことを調べておけば、時化には充分対処できると思います。

Q日本古代史の真偽

日本書紀の内容は本当なのでしょうか?
邪馬台国の記述が無いのはなぜでしょうか?

Aベストアンサー

日本書紀に邪馬台国の記述はありませんが、魏志を引用して「神攻皇后のことか」と注記しているくらいなので編纂当時に知られてはいたと思います。

文字のない世界での伝承が正確に伝わるのは50年位前までのできごとであることが民族調査などから確認されています。そのことを考えると日本書紀が編纂された時点では3世紀頃の話はすでに伝承の状態だったのかと思われます。
「本当」ではないかもしれませんが「嘘」でもありません。あくまでその時点で伝承されていたことと政治的な脚色がされて記述されている、ということでしょう。

Q東洋史のことでお聞きします

私は大学で東洋史を勉強しています。今、漢代か唐代における中国の異民族政策について調べようと思っています。特に中国の覊縻政策に興味がありますが、なかなか史料がありません。そこで何か良い史料や論文をご存知の方が見えましたら教えて下さい。また中国の少数民族の歴史にも興味があるのでそのあたりでも何かありましたらよろしくお願いします。特に中国の南、雲南や南越あたりでお願いします。

Aベストアンサー

異民族政策などであれば、一番いいのは二十四史の関係するところにすべて目を通すことだと思います(暴論かもしれませんが、私も卒論で明についてやったのですが、明史を通して3回読みました)。漢代や唐代であれば、漢書・後漢書・(ちょっと時代は違いますが)三国志・旧唐書・新唐書・(北方遊牧民であれば)晋書・北朝系統の正史(北斉書・魏書など)などの関係するところを見てみるのがいいと思います。論文などに関しては、それぞれの時代の専門家が何かしら論文などは書いているはずですし、あと確か(時代は古いですが)布目潮風さんだか誰かが遊牧民については研究しているはずです。

中国の南の話であれば、「史記」中の始皇帝や「明史」の永楽帝のあたりを見れば南方で活躍した人の話などがついているはずです(明史には中国南部からベトナムにかけての攻略に従事した人の列伝もあります)。雲南というと大理国などなんでしょうが、文字資料だけでいくとなると、中国側の資料を読むしかないのでは、と思います。

役に立たなくてすいません。

Q(古代史)日本人と外国人との接点は?

古文には何の知識もありませんが、枕詞には「ことさへく(言騒く)」や「さへづるや(囀るや)」があって、これは韓、百済、(隋唐も?)などの外国人や日本人の方言が聞き取れないことを言ったものだそうです。ということは当時、外国人との接点が相当あったのではないかと想像します。
当時の日本人のうち歌を詠ったり文字を書き残したり出来る階層と接点のある外国人とは、どんな場所でどんな活動をしていたのですか。こういうことに触れた手ごろな啓蒙書がありますか。新書の1~2冊なら読む気力が続きそうです。この質問に解説で答えて下さっても書物の推薦で答えて下さっても、どちらでも歓迎です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ご想像の通り、百済などの朝鮮半島や大陸からやってきた人はたくさんいました。弥生時代から現れるのですが、古墳時代に限定すると大きく分けてただ外交などの渡航目的でやってくる者と、政治的な要因など亡命のような形で定住を目指してやってくる者の2つに分けられるでしょうか。
後者のことを「渡来人」と言います。ちなみに当時~今から3~40年ほど前までは「帰化人」と呼ばれていたのですが、どうも最近は渡来人の記述の方が多いみたいですね。最近は「帰化」という意味に抵抗感があるみたいです。


その渡来人ですが、多くの者は先進的技能を持っており大和朝廷に仕える技術者集団としての側面を持ちました。土地を与えられて、現在の地名にその名残があるところもたくさんあります。有名なのは「太秦」「百済」などです。

有名な一族は「秦(はた)氏」「東漢(やまとのあや)氏」「西文(かわちのふみ)氏」ですが、渡来人系の有名人には、法隆寺や飛鳥寺の仏像を作った止利仏師や、学者で政治家のの高向玄理、僧旻(日文)などがいます。有名な僧侶の鑑真和上も渡来人に分類できるかもしれないですね。
ちょっと変わったところでは、新羅に滅ぼされた百済の王族が日本に亡命し、最後の王である義慈王の弟の血統は朝廷から「百済王(くだらのこきにし)」の姓を賜っています。


当時、大陸や半島との接点だった日本海側では渡来人との関わりを表すものがたくさんあります、特に都と日本海を結ぶルートだった若狭国(福井県)、近江国(滋賀県)や、北陸地方の越前国(福井県)、加賀国(石川県)などには、多くの渡来人の一族が定住し多大な発展への貢献をしました。これら意外にもたくさんの遺跡があるので、よろしければお調べになってみるのもいいかと思います。

ご想像の通り、百済などの朝鮮半島や大陸からやってきた人はたくさんいました。弥生時代から現れるのですが、古墳時代に限定すると大きく分けてただ外交などの渡航目的でやってくる者と、政治的な要因など亡命のような形で定住を目指してやってくる者の2つに分けられるでしょうか。
後者のことを「渡来人」と言います。ちなみに当時~今から3~40年ほど前までは「帰化人」と呼ばれていたのですが、どうも最近は渡来人の記述の方が多いみたいですね。最近は「帰化」という意味に抵抗感があるみたいです。


そ...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報