プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

間違えでも時と場所により重大な結果となりますよね
例えば、運転していての交通ル-ル間違えれば
違法行為などで取り締まりの対象になります。
でも、ここのサイトとかで間違えた文章書いたとしても
犯罪に関わることでもない限り処罰されませんよね。
歌手とかでも歌詞間違えて歌ったとしても、職業としての
収入は得られると思います。
人生のほとんどは失敗とか経験しないと、それが間違いなのか
気づけないと思いますけど、何かの発明するにしても失敗の
連続のように思います、人間は間違えるほど成長していく
ことはできるのでしょうか。
宜しくお願いします。

A 回答 (9件)

人は仰有るとおりどんなに注意しても程度の差こそあれ、間違いから完全に免れることはできません。

しかしその間違いを犯すような脳の働きから創造が生まれるのです。つまり人が間違えなくなったら文明・文化の進歩は止まってしまうのです。現に間違いを犯さないように設計されたコンピュ-タには創造性は全くありません。

 何かを生み出したいと一生懸命努力しているとき、考えが堂々めぐりしてしまうのは既存の知識を組合わせて論理を追求しているといくら考えても同じ結論になってしまい、思考が袋小路に入ってしまうからで、こんな状況をよく経験しますね。そんな場合には一度その論理の追求から離れて休んだり運動したりしているとフッと違うアイディアが浮かんで来ます。それは思考回路が道を踏み外したことによる現象なのです。その考えが正解であることもつまらないものであることもあり、それは大概後者なのですが、千にひとつ、万に一つ、素晴らしいアイディアであることがあるのです。それに突き当たると人は飛び上がって喜ぶということになるのです。

 これは生物の進化と全く同じなのですよ。細胞分裂の際にはDNAの伝達が確実に行なわれるのですが、そこへ例えば宇宙線が当って伝達に過誤が起きると、それは突然変位という形でその影響が生体にさまざまな影響を耐えます。その多くは生存には不適切な変化であるため、その個体は子孫を残す確率が減少して絶滅します。そんな中でたまたま生存確率を高める変化が起きることがあります。するとその個体は子孫を沢山残せることになり、その変化が子孫に伝わるのです。こうして生体は進化を続けているのです。つまりは過誤が生物を進化させているということが言えるのです。

 ですから人の過誤をあげつらうのはよくないことであり、その過誤が悪意や怠慢の結果生じたものでない限り、受け入れて許すげきなのです。この点、日本の社会は過ちを認めない風潮が強すぎるように見受けられるのが残念なことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/11/28 11:19

学習能力のない人は 同じ間違いを 何べんもしますが これは人間失格です 成長は無理

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/11/28 11:18

質問者さんみたいなタイプは「失敗を恐れるな。

ノーペイン、ノーゲイン」と励ましたほうがいいと思いますが、世間には同じ失敗を何度もくり返してもけろっとしている人がいますので、そういう人には「お前の辞書には学習という言葉はないんか」と思ってしまうこともありますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/11/28 11:19

その種類によるというのが答えかと思います。

まあ、一般には単体で言えば、悪いことです。
多くの人は、良いことと思っているかもしれませんが、間違いや失敗自体は短期的に悪いことです。

間違えないと成長しない部分は確かにありますが、
たとえば、お菓子と思って石けんを食べるのは、幼い子供に可能性のある間違い(誤飲)であり、親にとっても子供の手の届く場所に置いたことが、間違いです。(保護者の監督責任)
これは、自動車の運転でも言えますが、基本的にイージーミス(簡単な誤り)と呼ばれる物と、インシデント(事故)と呼ばれる物で、間違いの大きさは変化します。

即ち、やり直せる間違いと、やり直せない間違いが世の中にはあるのです。
その結果として、その人が成長するとは限らず、成長するというのはたいていの場合、その間違いによって被害を被った相手が大事に至らないか、寛大に許した場合に限られます。

許しがなければ、その間違いは取り返しが付かないということであり、成長する機会も永久に失われる恐れすらあるのです。

尚、自分にしか影響のないことを一人で間違って、一人でカバーするならそれ自体は社会的に間違いとして見られない場合もあるので、個人の問題です。それに対してポジティブに考えるか、ダメだと思うかで間違いから学ぶ成長の方向が変わります。ただ、リカバリーに成功すれば、たいていの場合はこの間違いを生かすことが出来るでしょう。

これらから考えると、個人が自分で間違い自分で回復させることが出来るなら、その間違いは比較的良い方向に進む可能性があります。

しかし、相手があっての間違いの場合は、相手の反応に左右されます。たとえば、他の回答にあるエジソンは、自宅の納屋を幼少期に全焼させていますし、友人に空を飛ぶ薬を飲ませて、腹痛で病院送りにしています。今なら、逮捕され少年院送りかもしれませんが、その当時は叱られるだけで許されたのです。
それに戻ることが、今の社会にとって良いかといった話ではないので、この良し悪しは別として、その当時の緩い社会、近所とのつながりなどが、彼を発明家にしたとも言えます。

間違いは許すものが合ってこそ、それによって成長する可能性を得られます。
しかし、間違いが全て許され、成長できる訳ではありません。成長しないむしろ退行するような間違いも数多くあるということは理解しておくべきです。

最近は厳格化、厳罰化などが多いですが、いわゆる間違いを許さない社会というのは、実は自分が間違ったときに全てかえってきます。それが、自分の知らなかった間違いでもです。間違いを許さない人が増えれば増えるほど、成長の可能性は削がれることになり、許されない、小さな間違いを繰り返すと、心が廃れるため人は大きな間違いに繋がりやすくなります。

許される間違いが、間に一回あると、その人が成功するチャンスをものにすることになる。それを、棒に振れば次はないかもしれませんけどね。

これが、間違いの本筋です。間違いは決してよいことではありません。悪いことです。ただ、間違うことを短期間で許されたときに、人は改心したり新しい何かを発想する可能性があります。そのときに、成功が生まれやすい。しかし、間違いによって過度の批判を受けたり、その回復に時間を取られると、堕落し無駄に時間を消費する恐れがあります。だから、間違いによって得られる成長は他に比べてハイリスクハイリターンの成長方法なのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/11/28 11:18

間違えるだけでは成長しません。


間違いの反省と原因究明や打開策を模索して成長の可能性が生まれます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/11/28 11:17

間違えてごめんてすむことと、すまないことあります。

悪気なくても、交通事故など、責任あります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/11/28 11:17

正しくは


「間違いに学ぶ程」でしょうね。
単に「間違いう程」だといつまで経っても成長しないと思います。
あなたの言いたかった内容は前述のほうだと認識しています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/11/28 11:19

逆に失敗からしか学べないですよね


成功から得るものは少ないと思います、気分が良くなったり自信がついてきたりするだけですね。(自信は大事ですが)むしろ調子に乗って 次の失敗を起こす可能性も多いです(笑)

人は間違いを起こす生き物です
だから 多くの規制があり 多くの予防策があり それでも漏れがあるものです
失敗は起こすもの という考え方から 予防策が検討されるのは 一般的なものだと思います。
体調 精神 経験 そのすべてが備わっても 間違えるときは間違えますから
エジソンは 多くの失敗を通して 歴史に残る発明をしたと言われます
そしてその失敗を 1万回うまくいかない方法を見つけた と言いました。

ただ 間違えるほど成長していくとは限らないですね
間違いを活かすことができる人が 成長できるのだと思います。
大切なのは 間違いをどう捉えることができるか?ということだと思います
間違えても ただ落ち込むだけだったり 自信をなくしたりするだけなら なんの成長の役にも立たないでしょう。それを栄養にできるか 前を向いて立てるか という活かす気力が成長につながると思います。


 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

歴史に名を残す有名人でさえ、法則は後世で否定されていますよね
その時には気づけなくても、それが発明の原動力になっているという
ことですかね。

お礼日時:2014/11/27 10:50

その考えで正しいと思いますよ。


判断としては、してしまった事を判定するのではなく、
してしまったことに対して反省し繰り返さない事が重要かと。

悪い事を、知らないと正しい事が本当に正しいのか判らなくなる。
※悪い事を知るのは、なにも本人が悪い事をする必要は無い。

こんな話を知ってますか
(1)
悪があるから正義の味方がいる
悪が無くなれば正義の味方も居なくなる

(2)
全てが善人になると、善人の基準が無くなるので善人がいなくなる。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

鬼退治とかの節分の豆まきとかでも
鬼は外といって遠ざけようとしますよね
普段から失敗恐れずチャレンジしていかないと
明るい未来は無いという感じですかね。

お礼日時:2014/11/27 10:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!