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死刑の存在意義の中で、“被害者は
罪も無いのにむごたらしく殺され、家族を地獄
に落としておきながら、一方で、加害者は 医衣食住つきで、天寿を全う
することを国家が保障する なんていうのは不公平だ。”という意見もあります。
確かに、全ての殺人者が死刑になるのであれば、もしかしたら その通りかもしれません。
でも、実際には殺人罪で死刑判決が出るのは全体の1割以下の凶悪犯だと断定された者だけだし、傷害致死や過失致死で相手の命を奪った者たちは、当然誰一人死刑になどなりません。
被害者の命が奪われ、遺族が地獄におちるという現実に差が無くてもです。
理不尽だと思いませんか?

それに、同じ様な事件でも、死刑判決が出るかどうかだって、検事や弁護士のスキル・裁判官(陪審員)の心情や被告本人の反省度合い(反省を見せかける演技かもしれなけど)によっても変わってきます。
その時に、死刑と他の懲役刑とでは、量刑にあまりに差が有りすぎて、ある意味不公平です。

そこで質問ですが、みなさんは 死刑と公平性の関係について どう解釈しますか?

A 回答 (6件)

被害者が右腕を失なったら加害者は右腕を失いますか?


被害者の家宝の何億の壺を割った場合、加害者にそのような壺がなかったらどのように等価を狙うのですか?
刑罰は等価でできていません。殺人に対する等価が死刑でもありません。

刑罰は被害者感情でできていません。感情は人により受け止め方が変わるので不都合です。

刑罰は刑法により決められている刑を罪の重さによって司法が裁量しているもので罪刑法定主義といいます。

従って、ある罪をおかした場合にあらかじめ設定された刑は決まっているので裁判所は適切な刑を与えるだけです。その際に加害者の心境や環境もまたは反省具合も配慮し、ごく一部として被害者の感情も配慮して刑を決定するのです。

刑罰に対しての被害者感情は、考慮の範囲の極めて少ないことです。

罪に対して刑を与えることで再発防止と犯罪抑止を狙っています。

死刑については冤罪だった場合、取り返しがつかなくなることから刑の執行には慎重なのです。

死刑をなくすことは、私は賛成です

ただ考えなくてはならないのは無給で収監した囚人が真面目に働くのかと言うことです。収監しているのなら、希望を持たせないと自暴自棄になったり反抗的になったり労働拒否をしかねません。

日本には一度懲役を受けると村八分にされ、社会から抹殺することで対処しようとしますが、一種の差別ではないでしょうか?

更正されれば社会が受け入れることも必要です。
それがないから、また犯罪に向かうしかないのです。

犯罪を個人責任にする風潮が日本にはありますが
犯罪は社会全体の連帯責任ではないでしょうか?

よく監視された教育のゆき届いた環境では犯罪はおこりにくい。
落書きだらけのスラム街では犯罪が多発する。

このことから、犯罪は社会環境がおこすとも言えます。犯罪を個人責任にしないでおくことでいえば
犯罪者の社会復帰に対しても寛容になる必要があるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>犯罪を個人責任にする風潮が日本にはありますが
犯罪は社会全体の連帯責任ではないでしょうか?
それは私も思います。そのことについて論点を整理して後日考えてみようと思います。

お礼日時:2014/11/29 16:42

他の回答者さんのおっしゃるとおり、目には目をで公平というニュアンスは欧米や現在の日本の法律ではうすいですね。



法律や裁判は公平を目指す性質があるとは思うのですが。

死刑で一番の問題は冤罪かと思います。

リストは機会犯人と改善可能な犯人と改善不能な犯人にわけて対処を考えてます。
(威嚇刑、改善刑、隔離刑)

人間の意思についても議論があるようです。

刑法の意義は予防であったりその他があります。
相対的応報刑論など調べれたらと思います。

加害者って同情を得やすくもあります。依存症などでしょうか?

古典派は応報で新しい学派は改善とかも聞いたことがあるのですが、古典派が有利に組み立てられてます。

中世刑法ではないですが死刑を苛酷とみるより、私は冤罪なければ妥当なことって多いように思えます。
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いつか必ず死ぬという事実は、すべての人間に与えられた運命であって


これは公平です。これ以外に完全な公平は存在せず、不公平なのが健全な
社会です。

法律を犯した者に対する罰則は、被害者が受けた損害を埋め合わせるために
あるのではありません。
国家が定めた法律を破り治安を乱した者を国家が罰するのが罰則です。

少しは改善されつつありますが、被害者は部外者とされているのが
現状です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/29 16:44

公平性で言うなら死刑は公平ではありません


3人殺すのも100人殺すのも同じ刑罰なんですからね
おかしな話だと思います

この不公平を是正するには拷問を取り入れたらいいと思います
死んだ方がマシだ思うような拷問を100人殺した方にはたくさん行う
3人の方はただの死刑とかね
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刑罰は公平、不公平は関係ありません。



「この罪にはこれくらいの罰を与えよう」という程度であって、公平だのなんだのは考えられていないのです。
公平不公平を考えると、質問者様のように「何を持って公平とするのか」という疑問は当然でてきますし、被害者の心情も持ち出すと歯止めが効かなくなります。

ちなみに「眼には眼、歯には歯」というのは刑罰の公平性を言っています。
眼を奪った者は眼を奪うだけで済ます。それ以上の罰はなし。という意味です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/29 12:31

死刑は公平性を目指した制度ではありません。



死刑は見せしめとして犯罪抑止効果を狙ったものです。
従って、現在の様に密室で死刑執行しておっては駄目で、東京なら都庁前広場の様な場所で大勢の都民に見られながら死刑を執行しないと目的(=凶悪犯罪抑止効果)が余り達成されないのです。

個人的には死刑を廃止して、「無給の強制労働」の罰を与えるのが良いと思います。

一日実働8時間、週7日間の強制労働で、休日は与えません。
この強制労働の罰を30年とか40年とか与えるのが本人に対する罰として妥当だし、社会的にも医衣食住のコストを回収する面で妥当です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>従って、現在の様に密室で死刑執行しておっては駄目で、東京なら都庁前広場の様な場所で大勢の都民に見られながら死刑を執行しないと目的(=凶悪犯罪抑止効果)が余り達成されないのです。
確かに、現在のように 秘密裡に執行が行われるのだったら、やらない方がいいかもしれせんね。

お礼日時:2014/11/29 11:58

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