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ゾロアスター教に霊が2つ存在があって、一つが善で、もう一つが対立するためにすべてさかさまにとらえるというのがあります。

正論、正義って偽悪醜でも成立して、過激に霊性で扇動して訴えかけて、相手を間違っているって思わせるというころも可能ですし、結構使われているように思えます。これって感情的な感じもしますけど、理性の限界なんでしょうか?

刺激ある個別の論理を述べれば、俗悪でも最大公約数の人々の支持をえれるように熱狂的に広がるように思えます。
ポピュリズム的ですけど。

奇怪なローカルの因習に存在しうると思うのですけど、この対立霊の正義でもその論理に違っていたら間違っているってなるんでしょうか?多数の意見が正しいとは限らないように思うのですけど。

A 回答 (7件)

pkuobe99様、今晩は。




>「これって感情的な感じもしますけど、」

「感情の限界」は、誰しも一度は、経験しているのでは?
(後から、冷静になって、考えてみると・・・)


>「(これって)理性の限界なんでしょうか?」

「理性の限界」は、個人的には来ません。
・・・他者を射程に入れたとき、限界があるでしょう。


>「刺激ある個別の論理を述べれば、俗悪でも最大公約数の人々の支持をえれるように熱狂的に広がるように思えます。ポピュリズム的ですけど。

憲法(人権侵害不可能)が、歯止めとなります。


>「奇怪なローカルの因習に存在しうると思うのですけど、この対立霊の正義でもその論理に違っていたら間違っているってなるんでしょうか?多数の意見が正しいとは限らないように思うのですけど。」

「ローカルな因習」も、「多数の意見」も、人権を侵害する事は不可能、なのです。
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 自然状態の基準をゼロにとってプラス1とマイナス1を同格ととらえることによる世の中の解釈の仕方で、歴史の中の未熟な時代において避けて通ることができなかった考え方の一つであるような気がします。


 現実には、人間にとっての自然状態は社会的動物として若干プラス方向に偏っているのが正常で、現状がそうでないのならばその方向を目指すことが妥当なのが人間の世の中なのではないでしょうか。
 つまり、ここまでの歴史の成果を踏まえれば、たとえば「偽悪醜」に対して「真善美」の方向に偏った方向を目指すというのが普遍的な考え方であるように思います。
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”多数の意見が正しいとは限らないように思うのですけど。


    ↑
ここの部分、論理矛盾を犯しています。

何が正しいか解らないから多数決で決めるのです。

正しいモノが解っていれば、多数決で決めては
いけません。
たとえ全員が反対しても、その正しいことが正しい
のです。

地球が動くかどうかを多数決で決めるのは誤りだ
といえば理解できるでしょう。

世の中、特に人間社会は複雑に過ぎますので、何が
正しいか解らないことが多いのです。

何が正しいか解らないけど、何かの結論を出さねば
ならない。
そういう時に、やむを得ず多数決にするのです。
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愚か者を欺いたら詐欺罪だが、愚か者をその気にさせたら教えだ。


錬金術だよ。
効率的なようだが、むしろ信じられたら、それを真理と証明する必要がある。
その気にさせたまま、詐欺罪の立件を逃れて、あの世に夜逃げ出来れば人生の成功者だ。
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ゾロアスター教というのは、幾つかの違ったヴァージョンがあって、それによって考え方が結構違うんですよ。



ということで、一番、ダイナミックで華々しいヴァージョン、ズルヴァーン主義というのを御紹介します。

時の神様が、アフラ・マズダーとアンラ・マンユ(アーリマン)という光と闇の神を作った。
光の神、アフラ・マズダーは、アーリマン(FFなんかで出てくる)の存在に気づき、ヤバいと思った。あいつを滅ぼすためには何か武器が必要だ、というわけで宇宙を作った。
アーリマン、時の神様の援護を受けて、宇宙に現われる。でも、アフラ・マズダーは、戦の準備をしていた。このままではやられてしまう、と考え、地獄に戻り、地獄の軍団を組織する。
アフラ・マズダ、「このままじゃヤバくねぇ?」と、天地創造をし、生き物と人間を作る。
3000年後、アーリマンは、時の神様の支援を受け、今度は地獄の軍団を率いて、宇宙に再侵攻。、アーリマンとアーリマンの軍勢は負け、アーリマン、地獄に落とされる。

であったが、宇宙はアーリマンと地獄の軍勢によって、汚されてしまった。宇宙に悪が蔓延ってしまう。

人間は悪の軍団と戦ったのだけれど、悪が人間に侵入してしまう。

「じゃぁ」ということで、アルラ・マズダは、宇宙に散らばった悪と人間を混ぜ合わせる。で、人間は互いに戦争をするようになる。最終戦争へと至る。
アフラ・マズダーによる裁判で、悪い奴はアーリマンによって汚染された悪とともに綺麗サッパリ焼かれて───この時、すべての人間は焼き尽くされると考えられます───、宇宙から悪はすべて消え去る。めでたし、めでたし。
ほいで、
神の側についた人間は、そのご褒美として、神さまに復活させられ、永遠の命を与えられる。

つまり、
ズルヴァーン主義では、人間は悪、悪魔、そしてアーリマンを葬るための道具として作られたんでございます。
悪、アーリマンと刺し違えてもらうために、神によって人間は創造された・・・。

このようなシナリオが描かれております。


偽悪醜のヤカラは、アーリマンの仲間です。聖戦・ジハード(ジハードの本家本元はゾロアスター教です。イスラームのそれはパクリ)の名の下に、葬り去ることができます。
これは正義の戦い、神と悪(魔)との戦いであります。
相手は悪の軍団、悪魔の手先、情けをかける必要などない!!



☆過激に霊性で扇動して訴えかけて、相手を間違っているって思わせるというころも可能ですし・・・
◇霊性ではなく、《悪魔性》です。
地水火風の4元素はアーリマンの軍勢によって悪に汚染されています。その肉体に起源するもの、欲望などは《悪魔性》に起因しています。
そして、
間違わせる相手は、神の戦士であり、悪の軍団に引き入れようとしている。



☆ポピュリズム的ですけど。
◇ゾロアスター教以外はすべて悪魔の教えです。世界平和のために、この世から絶滅させなければなりません。
そのためのジハードです。


☆奇怪なローカルの因習に存在しうると思うのですけど、
◇神の命令です。
牛の尿も飲まなければなりませんし、近親相姦、近親婚もしなければなりません。
これらの因習は、一見、ローカルに見えるかもしれませんが、神の掟であり、実はもっとも普遍的でユニヴァーサルなものです。
勘違いをなさってはいけません。



☆この対立霊(アーリマン)の正義
◇対立霊ではなく悪魔です。悪魔に正義などありません。



☆その論理に違っていたら間違っているってなるんでしょうか?
◇論理を構築する前提がそもそも悪魔のモノです。結論がたとえ正しかったとしても、それは意味を有しません。



☆多数の意見が正しいとは限らないように思うのですけど。
◇圧倒的多数の者は、アーリマンの手先です。善の神、アフラ・マズダーに背く者たちであり、その意見が正しいことはありえません。間違っているからこそ、圧倒的多数の人々から受け入れられるのです。



ということで、
「善たらん」と思う人は、今日から牛のオシッコを飲まなければなりません。
アーリマン派の私は遠慮しますが、
質問者さんは、さぁ、グイッと一気にいきましょう!!
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この回答へのお礼

ゾロアスター教の解説ありがとうございます。

善悪感覚というのがよくわかりました。物語的な解説はよく現実を説明したものでもあると思います。

>☆この対立霊(アーリマン)の正義
◇対立霊ではなく悪魔です。悪魔に正義などありません。

よくわかります。

>☆その論理に違っていたら間違っているってなるんでしょうか?
◇論理を構築する前提がそもそも悪魔のモノです。結論がたとえ正しかったとしても、それは意味を有しません。

前提が、なるほど。

ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/05 16:23

#1の者です。



>それには殺人、窃盗など伝統的にしてはいけない
>ことが価値を持つんでしょうか?

私がケニアの田舎(ビクトリア湖畔)で2年過ごした間に、
5回強盗に入られました。
警察にも同僚にも「財産があるという事は、それを守れると
いう事だ。銃をもった番人を雇え」とアドバイスされました。
遊牧民の財産である家畜を、力ずくで強奪する事は悪では
ないと言われました。
人間同士が遠慮しても、ライオンやヒョウなど、より凶暴な
肉食動物に襲われるのだから、他人から家畜を奪う力=自然
の中で家畜を守る力なのです。

また、2年過ごした南太平洋では、動物性タンパク質の不足を
補うための食人の風習が、第二次大戦まで残っていたそうです。
「殺人が悪」などというのは、時代が下って自給自足から分業
化による相互依存が強まってからの話です。
ちょうどその頃にキリスト教や仏教などの世界宗教が(政治と
不可分な形で)広まったのは、それなりの理由があるのです。
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善悪の分別は相対的であり、都合によってある人に


とっての善は、ある人には悪であり、絶対的な善悪
の対立の構図は成立しません。
それは究極的に、そうした現象的評価の根底にある
存在そのものが、原理的に無(超弦における量子性)
に還元されるものを、階層現象性(超弦(量子定常波)
>クォーク>素粒子>原子>分子>細胞>個体(脳=
認識))を表面的に(経験的&いい加減に)捉える事で
不確定性原理による絶対確定による無限発散を回避し
て、有限な存在性を派生しており、「間違い」=無だ
と分からない事が有だと言えるのです。
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この回答へのお礼

価値は相対的でですね。しかし完ぺきではなく、問題を抱えているようです。
何とでもいえるというのは困ったことでもありますよね。

それには殺人、窃盗など伝統的にしてはいけないことが価値を持つんでしょうか?これらは自然犯的で道を外しているともいえますよね。

価値絶対的というのはわかりません。

でも難しい問題です。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/01 16:43

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