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意味があるとは、自身の肉体的、現実的な、感覚、感情、情動、などで、生(生き方)にかかわっているクオリアがある。ということにして、文字の「これ」が単に視覚にとらえるだけの感覚、また「これ」の単なる純粋な音声表象はクオリアと言えるかもしれないけれど、それは除外する。

「これ」に限らず、「それ」「あれ」「どれ」という代名詞。それと、関連して連体詞(?)「この」「あの」「どの」の意味に関心がある。また、疑問詞「いつ」「どこ」「だれ」「なに」「なぜ」「どのように(な)」の意味にも関連して関心がある。

これらは機能語として、辞書で調べればわかる意義は持っているが、それ自身が《直接》指し示す実体がない。指示対象を示す機能を働かせてこそ間接的には実体がある場合があり、意味を持つ可能性があるが、「これ」等の機能語はそもそも意味を持つことが可能でない。

そういう語を文にもつ場合に、不完全文と呼ぶことにする。

「この本は分厚い」は不完全文である。「で、どの本よ?」という疑問が沸く、ナンセンス(意味のない)ない文である。と言うことにする。

自己言及のパラドクス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1% …

この手のパラドクスに対して、ぼくは、はじめ面白がっていた。解消法探すのが面白かった。その次の段階は、つまらなさを感じた。もう話題にしてもワクワクすることがなかった。
こういう経験を経て、なおここで取り上げようと思ったのは、言葉の使い方への警鐘のつもり。

さて、
文A「この文は偽である」
にあなたはどう反応するか。なんなの>おもしろがる>つまらなくなっている>またー、でなんなの?

ぼくは言う。文Aは、ナンセンスであってパラドクスは成立しない。と。
「この文ってどの文よ?」これが正しい反応である。

それとも、「この文」とは文Aでなければならないのか?

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A 回答 (13件中1~10件)

>それとも、「この文」とは文Aでなければならないのか?



仮に自己言及パラドクスの例として文Aを挙げるなら
「この文」は文Aでなければなりません

自己言及パラドクスの例として挙げずに、脈絡もなく
文Aを提示したなら「この文」が指す文が何なのかは不明です

なのでatomonadosさんの提示の仕方だと自己言及パラドクスの例として挙げている
わけではないのでパラドクスは成立しないとの指摘は正しいように思えます

が、突き詰めて考えると「この文」が指す文が文Aではないとは言えないのだから
パラドクスが成立しないとは言えないんじゃないでしょうか

またナンセンスであるという指摘もおかしいと思います
というのも自己言及パラドクスの例として文Aを挙げますというふうに文Aを扱ったならば
「この文」は文Aを指すことになり意味が成立します
つまりナンセンスかどうかというのは文そのものではなくどのような文脈で文を用いるかということで決まります

そう考えますから、文Aがナンセンスだという指摘はatomonadosさんが文Aをナンセンスに扱ったために
ナンセンスになっているのであって、そのナンセンスさは文そのもののせいではないと思います
そのためatomonadosさんの主張には微塵も同感できません

この回答への補足

>そう考えますから、文Aがナンセンスだという指摘はatomonadosさんが文Aをナンセンスに扱ったために
ナンセンスになっているのであって、そのナンセンスさは文そのもののせいではないと思います

論旨をよく読み、的を得た判断だと思います。私は「文Aがナンセンス」と言うべきではなかった。私の主張を根拠に矛盾をつかれたするどい反駁です。

補足日時:2014/12/11 15:25
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この回答へのお礼

asisai888さん。ご回答ありがとうございます。

おっしゃっるとおりです。
「この文」が文Aを指すとなると、パラドックスになります。

ぼくがナンセンスだと意味づけしているので、ナンセンスになります。

つまり、パラドクスになるのもナンセンスになるのも、ぼく次第というわけで、ぼくはパラドクスに飽きたので、ナンセンスの意味を自ら生成したんです。

文Aには意味を生成する力はありません。文Aにはなんの責任もありません。


>「そのためatomonadosさんの主張には微塵も同感できません」
この文にも、意味を生成する力も責任もありません。

不快感はまったくありません。あなたの主張を尊重します。

お礼日時:2014/12/04 02:50

>「人権不可侵 人権不可侵 と唱えれば御利益ありそうですね。



ひとたび、人権侵害をゆるしたら、御利益どころではありません。
(「人権可侵」と唱えてみれば・・・)100年後退、「罪、万死」ですか。
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この回答へのお礼

>ひとたび、人権侵害をゆるしたら、御利益どころではありません。

そうですね。

お礼日時:2014/12/04 02:05

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~


   文A「この文は偽である」

 にあなたはどう反応するか。

 ぼくは言う。文Aは、ナンセンスであってパラドクスは成立しない。と。
 「この文ってどの文よ?」これが正しい反応である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ その前に この《文A》は 誰が言ったの? と問わなければならないと考えます。

 誰がいつどこでどういう情況で言っているかが分かれば 《この文ってどの文よ?》という問い返しをすでに兼ねることが出来るはずです。よ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ その前に この《文A》は 誰が言ったの? と問わなければならないと考えます。

 誰がいつどこでどういう情況で言っているかが分かれば 《この文ってどの文よ?》という問い返しをすでに兼ねることが出来るはずです。よ。
~~~~~~~~~~~~~~

おっしゃるとおりです。《この文ってどの文よ?》以外に正しい反応がありえます。
これ「が」正しい ではなく、これ「も」正しい ですね。

たぶん、正しい反応といっても、自分に偽りがなければ、なんでもありなんです。

しかし、「この文」は文Aであるという反応は、するのは勝手なんですが、問題ありと思うんです。求める文が見当たらないので、文Aで間に合わせてしまう。そういう「この」の指示の仕方は、言葉を正しく使うとすれば、行わない。

釈迦に説法になってしまいますね。

お礼日時:2014/12/03 23:21

 No.7です。




 ★ 「それ」に意義があり、「それ」が指すものに意味がありうる。ということです。
 ☆ そうしますと 何らかの語に《意義》がありしかも同時に――それが指し示すものにではなく――その意義を持つ語じたいに意味がある というのは どういう語を言うのでしょう?


 あるいは 不完全文ではない文とは どういう文を言うのでしょう?

 つまり 言葉は シルシ(記号)であって すべては《機能語》でしかないという見解に立って 尋ねています。


 あるいはつまり 《言う》という言葉は 口ないし舌を用いて言葉をしゃべることという意義を持ち 言葉をしゃべるという像ないしイメージを指し示します。そうして このイメージと話し手とのあいだに何らかの感覚や思いがクオリアとなって醸し出される。

 よって
 ○ 「言う」に意義があり、「言う」が指すものに意味がありうる。ということです。
 ☆ となるはずですよ。
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この回答へのお礼

>★ 「それ」に意義があり、「それ」が指すものに意味がありうる。ということです。
 ☆ そうしますと 何らかの語に《意義》がありしかも同時に――それが指し示すものにではなく――その意義を持つ語じたいに意味がある というのは どういう語を言うのでしょう?

おそらく、語には《意義》(意義・意味)しかないでしょう。
全て語は何かを指し示すというのであれば。


>その意義を持つ語じたいに意味がある というのは どういう語を言うのでしょう?

その場合は、語の《意義》(意義・意味)が触発するクオリアに《意味》(意義・意味)を感じて、それを語のラベルを用いて《意義》(意味・意義)なのに《意味》(意義・意味)があると言うのでしょう。

それは主観的に言われるのみの《意義》(意義・意味)であって、それに対して、いやそんな《意義》(意義・意味)はないという意見もあるでしょう。


>あるいは 不完全文ではない文とは どういう文を言うのでしょう?

これは難問です。必然的に意味を触発する文でしょうか。

>つまり 言葉は シルシ(記号)であって すべては《機能語》でしかないという見解に立って 尋ねています。

おそらく、不完全文でない文というものはないでしょう。言葉は機能するといっても、用いる人間側の事情というものがありますから。ですから、あくまで一側面ですが、意味可能性の程度で言葉の品質をはかろうと思います。また、意味可能性、これは言葉を使用する人間の方もはかることになるでしょう。

> あるいはつまり 《言う》という言葉は 口ないし舌を用いて言葉をしゃべることという意義を持ち 言葉をしゃべるという像ないしイメージを指し示します。そうして このイメージと話し手とのあいだに何らかの感覚や思いがクオリアとなって醸し出される。

前半は、概念のほうからは写実的イメージ、すなわち抽象的クオリア。これも人間の反応が無意識的に関わって、広義には《意味》(意義・意味)の反応となるんでしょうが。

後半は、意識的なもので、感情や思いを含んだ具体的クオリア。心身の方からの写実的イメージ。

つまり、概念悟性と感覚感性の狭間で生じる二方向のクオリア。

>よって
 ○ 「言う」に意義があり、「言う」が指すものに意味がありうる。ということです。
 ☆ となるはずですよ。

おっしゃる通りです。

必然的にはならない。悟性、感性が働いて、可能的に意味が生じる。

お礼日時:2014/12/03 21:23

アニメ『デ・ジ・キャラットにょ』には、


~~~~~~~~
何か屋
 黒マントに(ハロウィンのような)カボチャのかぶりものをかぶった、正体不明の人物。様々な種類の「アレ」を扱っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BB% …
~~~~~~~~
が登場します。

この「アレ」は、固有名詞であり、普通名詞(何か屋で売られている正体不明の商品)です。
指示語や代名詞でも普通名詞や固有名詞になりうるという例ですね。
???の商品で、言葉で上手く表現できないので、もう「アレ」と表現することしかできない。
ですが、この「アレ」は、代名詞や単なる指示語ではなく、明確な意味内容を有している。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「内容語」である「アレ」があるということは分かりました。すこし、進めてみますと、「内容語」といえども、意味(意義・意味)の可能性があるだけです。そして、「内容語」が固有名詞であっても意味可能性(意味可能性・意義可能性)があるにすぎない。

たとえは、一般名詞「母」は、意義内容(意義内容・意味内容)を持ちますが、これだけでは意味(意味・意義)を持ちません。固有名詞としての「母」となっても意味可能性にとどまります。
具体的な個人、現実的に、直接的に自分がかかわっている対象、ぼくにとっての母が、ぼくの人生に意味(意味・意義)を持つことがあるのです。(まだ意味可能性)
結局、意味(意味・意義)とは、現実的なものにあるのです。


( )内はあえて、曖昧な日常語を記しました。曖昧な意義と意味の区別を明確にして、区別が曖昧にならないようぼくは一貫して用いているのです。日常語として違和感があるにしてもです。

「明確な意味内容を有している」はたしかにそうですが、「明確な意義内容を有している」と言ってもよいとするうちは、このニュアンスは簡単には伝えられないと思います。

お礼日時:2014/12/03 19:51

あんよがお上手


あんよがお上手である。
中身、質はともかくあんよがお上手。すなわち、考えることが出来たのか、偉い、偉い。
NHK、民放なら生命の誕生と美化することだろう。
もっぱらあんよがお上手であるも美化であるが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃっていることは分かるようにな気もします。

お礼日時:2014/12/03 18:27

 こんにちは。



 1. 《これ》に意味はあります。つまり この回答は 前提について異論をとなえるものです。

 2. フレーゲの《 Sinn と Bedeutung 》の問題 およびそれと必ずしもきちんと対応してはいない日本語の《意義と意味》 これらの用語については ドイツ語の〔フレーゲ理論からは離れた〕ふつうの日常の用法をも合わせて問い求めました。

 【Q: Bedeutung と Sinn との違いは?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8834540.html

 ですが ここではこれらの成果とは別に 質問者の趣旨説明に従って議論をすすめます。前提の問題と言っても そこまでこだわっていては話がすすみませんから。

 3. 論点は 単純です。けっきょく《こ・そ・あ・ど》の指示詞というべき語は 意味を持たず それらを含む文は《不完全》であるという命題をめぐってです。

 ★★(趣旨説明欄) これらは機能語として、辞書で調べればわかる意義は持っているが、それ自身が《直接》指し示す実体がない。指示対象を示す機能を働かせてこそ間接的には実体がある場合があり、意味を持つ可能性があるが、「これ」等の機能語はそもそも意味を持つことが可能でない。

 4. 議論内容は さらに単純です。こ・そ・あ・ど の指示詞は 意義だけではなく意味を持つという反証を挙げます。







 5. さて 機能語が 次のように定義する《意味》を持つことを証明すればよいわけです。
 
 ★★(同上) 意味があるとは、自身の肉体的、現実的な、感覚、感情、情動、などで、生(生き方)にかかわっているクオリアがある。ということに〔する〕。

 6. 《それ》という語は: 

 6-1. 二人が話し合っている場合 共通に知られているものごとを指すはずです。
 6-2. あるいは 一度出て来て共通に知っていると見なされるものを指すはずです。
 6-3. そして 一見確かに意味はあまりなく 指示対象を示す機能を持つ語として使われているようです。

 しかも
 6-4. 《互いに共通に知られているモノゴト》を特定の相手とのあいだで この《それ・その》なる語で指し示した〔(6-3)〕ときには けっきょくそのモノゴト(=つまり指示対象)のことだけではなく そのモノゴト〔(6-1)〕をめぐって展開された過去の出来事として互いに共通におぼえている《感覚・感情などのクオリア》をも示唆することが出来る。のではないでしょうか?

 6-5. もし相手はおぼえていないとすれば 話し手にとってはそのような共通のモノゴトおよびそれにまつわるなつかしさなどの思い(つまり 《意味》)を共有していると〔話し手が〕見なしていることを意味します。

 6-6. 《きみ ソレがだな。あれこれは じつは かくかくしかじかなんだよ》と言ったとしたら 話し手は 相手とのあいだに《ソレが指し示すモノゴト》が共有されていると見なしています。しかもそれだけではなく 相手のおそらく願っていたり要望したりしていることを指してソレと言っている。のではないか。

 6-7. つまり 相手は 話し手が相手自身にとって都合のよいように対処してくれると望んでいる。それを知っていて話し手は そのような共有のことをまづ確認するようにソレという言葉を用いた。しかも 話し手はただちに相手の欲するようには行動しがたいということを言おうとしている。


 6-8. 別様の会話において:《あぁ ソレなんだがなぁ。つまり 確かにそうなんだが いまちょっとソレについてはうんぬん。》という文章におけるソレは 話し手が先に持ち出そうとするのではなく そうではなくすでに相手から話が出たときのそのモノゴトを承けて言った語です。これも ただし同じく 話の成り行きはよくない事態になろうとしているのですが それでも話し手は そのモノゴト(たぶん ひとつの問題)を相手とやはり共有していますよと言おうとして ソレという指示詞ないし機能語を用いている。〔このような場合には コレとかアレといった指示詞は使わない〕。ここで《共有していますよ》という言外のホノメカシは 《感情や思いなるクオリア》をともない 《意味》を帯びている。のではありませんか?

 7. これらの反証は 言われるところの例外に当てはまるのでしょうか?

 ★★ 指示対象を示す機能を働かせてこそ間接的には実体がある場合があり、意味を持つ可能性があるが

 8. つまり いまは コレではなくソレですが この《そ・さ・し(其)》には おそらく指示対象となっているモノゴトが 対話における互いの関係としての言わば《間主観性》を帯びるといった《感覚や思い》つまり《意味》を持つ。こういう論旨です。

 まづここまでを問うてみます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「それ」だけに意味がない。「それ」が指すものがなければ意味はない。という単純なことです。

ですから、意味があるようなものをもってこられてそれに意味があると言われても、意味があるのは「それ」じゃなくて、「それ」が指すものでしょ。

「それ」に意義があり、「それ」が指すものに意味がありうる。ということです。

お礼日時:2014/12/03 18:16

こんにちは。




文における《機能語》と《内容語》の役割の違い。

─────────
文法的な役割を持つ語を機能語、それ以外の一般的な意味を持つ語を内容語という。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E
─────────


ほいで、
質問者さんは、
 「この本は分厚い」を不完全文
 「本は分厚い」を完全文
と分類したいのだろうけれど、副助詞or係助詞の「は」は、機能語でしょ。
であるから、これも不完全文ということになる。

では、
 「本 分厚い」
はどうか?

まぁ、文(?)が内容語だけで構成されていますので、完全文になるのかもしれませんが、これでは「本」と「分厚い」の関係が曖昧です。
 「(一般的に言って、)本は分厚い」
 「(ある特定のor全ての)本は分厚い」
 「分厚い本」
上の3つのどの内容を表わしているか、分からない。
であるから、文法的な役割を決定する機能語が必要であって、内容語に機能語を加えることによって文の内容が明らかになる。


「この本は分厚い」は、英語ですと
 This book is (very) thick.
ですかね。
ここに登場するthisとisも機能語。
ですから、thisとisを取ると、まぁ、thisだけでもいいですが、
 Book is thick.
これは、英語の文としては絶対にありえない!!
Bookに定冠詞や不定冠詞がついていないという文法的な理由からではなく、これは絶対におかしいんですよ。
理由は、ヒ・ミ・ツです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ねむねこさん。

意義と意味の区別をここでもしています。そしてここでは、意味が「ある・ない」に焦点をあてず、意味の「ある」可能性に焦点を当てました。

便利な用語「機能語」「内容語」をありがとうございます。
採用させていただきますと。

ぼくの考えでは、「機能語」のうち指示語を含む文は不完全文ですから、
「は」がもし、指示語なら、
 「本は分厚い」はナンセンスな文ですが、
「は」がもし、指示語でないなら、
 「本は分厚い」は意味を持つ可能性が残ります。

単独で「は」は、意味をどうやっても持つことができないと思います。それは指示語にも重なるところですが、指示語が【文外のもの】との関係であるのに対し、「は」に関しては、【同一文中の内容語】を関係付けるという意義があるのです。その前提に立てば、文が内容語と、その内容語を関係付ける機能語で成り立っているのなら、それは「完全文」ではないか。とぼくは思います。断定しないのはまだ不安があるからですが。

とりあえずのところ「本は分厚い」が、もし意味を不可能にするとすれば、「は」に原因があるのではない。ということで、「本 分厚い」への傍論には進みません。

>文法的な役割を決定する機能語が必要
これは、(内容語の)文法的な役割を決定[明示]する機能語が必要ということでしょうか。

「機能語も意味不可能、内容語も意味不可能なら、それからなる文は意味不可能なものとなる」ことになりますから、もし、文を意味可能とし、機能語が意味不可能とするなら、内容語は意味可能としなければならない。すなわち、内容語単独で意味することは可能である。
ですから、文法的な役割を決定する機能語は、なくてもよいのです。

「ヒ・ミ・ツ」だけでも意味は可能なんです。あなたに意味があってぼくに意味がないとしても。
ただ、ぼくの「?」という意味をいうなら意味はありますが、このややこしいところまで手を伸ばしたいとは思いますが、言葉がついてきません。

お礼日時:2014/12/03 18:03

こんばんは。




>「「この文ってどの文よ?」と言っても、人権を侵害しないでね。」

・・・何が何でも、人権は不可侵です。
(憲法的保障・・・「ヒラの法(笑)」は勿論、「契約」も人権を侵せるはずもない)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人権不可侵 人権不可侵 と唱えれば御利益ありそうですね。

お礼日時:2014/12/03 13:57

こんばんは。




>「解消法探すのが面白かった。その次の段階は、つまらなさを感じた。もう話題にしてもワクワクすることがなかった。
こういう経験を経て、なおここで取り上げようと思ったのは、言葉の使い方への警鐘のつもり。」



>「さて、
文A「この文は偽である」
にあなたはどう反応するか。なんなの>おもしろがる>つまらなくなっている>またー、でなんなの?」

どこまでも、どこまでも真摯に対応するのが、スジである。
・・・「おもしろい」「つまらない」「あきた」、と言えば?


>「ぼくは言う。文Aは、ナンセンスであってパラドクスは成立しない。と。
「この文ってどの文よ?」これが正しい反応である。

それとも、「この文」とは文Aでなければならないのか?」


「「この文ってどの文よ?」これが正しい反応である。」

ありがとうございます。
論理的ですね。
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この回答へのお礼

こんばんは。いつもご回答ありがとうございます。

>どこまでも、どこまでも真摯に対応するのが、スジである。
・・・「おもしろい」「つまらない」「あきた」、と言えば?

採用させていただきます。

>「「この文ってどの文よ?」これが正しい反応である。」

ありがとうございます。
論理的ですね。

ええ、まあそのようにこころがけてます。

「この文ってどの文よ?」と言っても、人権を侵害しないでね。

お礼日時:2014/12/03 01:15

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