個人事業主の方必見!確定申告のお悩み解決

パリ・ノートルダムの大聖堂についてレポートを書いているのですが

大聖堂は 宗教改革でおこったプロテスタントが カトリック教会の建物である大聖堂を「偶像崇拝の何ものでもない」として破壊したのか 

それとも カトリック教会はアンシャンレジームのもとで王権と結びついていて大聖堂=ブルジョワの象徴であり フランス革命時にブルジョワに反抗した国民・革命政府が その象徴である大聖堂を破壊したのか

どちらなのでしょうか?

それとも 宗教改革でプロテスタントが大聖堂を破壊し、そのあとフランス革命がおこって革命政府が破壊したのでしょうか 

それとも フランス革命がおこったあともプロテスタントによる破壊はまだ続いており プロテスタントと革命政府の同時進行で破壊されていたのでしょうか

参考文献など読み漁ったのですが 難しく結果よく分かりませんでした(:_;)

大聖堂はなぜ 誰によって破壊されたのか 分かりやすく教えていただけると嬉しいですm(__)m

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

以下のとおりお答えします。



>大聖堂はなぜ 誰によって破壊されたのか
⇒一言で言えば、「フランス革命の革命派が、キリスト教弾圧のために破壊した」と言えるでしょう。

(1)革命派には、いわゆる理性主義者や無神論者が多く、彼らの尊重する教義や主義にとって、既存の宗教の存在が邪魔であった。
(2)当時カトリック教会の聖職者は、王族に代表されるような特権階級に属していた。それゆえ聖職者は、王族や貴族らと並んで、革命的民衆の敵と目されていたのである。
(3)革命勃発以来、聖職者の追放と教会に対する破壊や略奪がなされた。くだんのパリ・ノートルダム大聖堂も、この際の犠牲になったものと考えられる。
(4)革命勃発から約4年後、フランス全土にわたって、ミサの禁止や教会の閉鎖などが実施され、祭具類が没収された(1793年)。それらは一旦造幣局に集められ、おそらく兵器や道具類の鋳造用として溶かされたらしい。
(5)もちろん、破壊を免れた教会や修道院もあったが、それらの一部は、倉庫・工場・牢獄などの施設に転用する目的のために転用された。
(6)その後もカトリック教会への迫害は7,8年間続いたが、ナポレオンがローマ教皇と「コンコルダート」(政教条約)を結んで和解した(1801年)。

ただし、このように無神論者を中心とする革命派が、キリスト教を徹底的に弾圧し、カトリック教会や修道院を破壊したが、「フランス革命は、本質的に宗教や最高存在の崇拝を否定するものではない」とする説もあるそうです。

以上、ご回答まで。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなりすみません

回答ありがとうございます

とても役に立ちました

参考にさせていただきます(*'ω'*)

お礼日時:2014/12/06 21:40

 WIKIの記事を読まなかったのですか。



 「1789年のフランス革命以降、自由思想を信奉し宗教を批判する市民により、大聖堂は「理性の神殿」とみなされ、破壊活動、略奪が繰り返されていた。1793年には西正面の3つの扉口および、王のギャラリーにあった彫刻の頭部が地上に落とされた。ノートルダムの歴史を語る装飾が削り取られ、大聖堂は廃墟と化した。」とあります。

 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます

もちろん読みました

読んでも分からなかったから質問してるんです

お礼日時:2014/12/06 21:36

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード


人気Q&Aランキング