ちくのう症(蓄膿症)は「菌」が原因!?

私は、彼になった人にいつも同じ過ちをして相手に不快な思いをさせてしまいます。

簡単に言うと、原因は、(1)幼少時の寂しさが無意識に露出するのか。(2)単たる私の弱さか
と分析しています。

いつも無意識にしてしまうため、どのようにしたら自分を変えることがでしょうか?
もちろん、相手をを愛そうとすることが大事だとわかっています。しかし、愛の受け取り方や愛し方がわからず、愛しているつもりがいつも追いかけてばかりで、うんざりされてしまいます。

学生時代に、父親くらいの年の離れた男性と長く付き合い、同棲し、結婚も考えた経験もあります。とても癒され、一度治ったと思っていましたが、それから15年くらい経ちました。彼も心が寛大で包容力のある方で、私に優しく対応してくれますが、やはり、無意識に同じ過ちをしてしまいます・・・。

どなたかアドバイスをいただけるとうれしいです。

■彼にしてしまう過ちとは
 (1) 仕事、学歴、趣味等の達成度を、彼に評価してもらい、自分の存在をさらに認めてもらおうとすること。
 (2) 自分がストーカーや変質者に嫌な目に会うと、彼に被害者意識で相談し、彼の気を引こうとすること。

■生い立ち=原因なのか??
 (1) 中学を卒業して、家を出るまで、アルコール中毒の父親が、自宅の壁にビール瓶やガラスのコップを投げつけ、恐ろしくて、男性恐怖症になっていました。女子高に入りました。(→彼が大好きで安心するのに、彼と室内にいると何を話してよいのかわからなくなる)

 (2) 父親から安心して抱擁された経験がなく、いつも愛されたいと思って育つ。(→彼にもっと愛されたいと努力してしまう)

 (3) どのようにしたら父親が振り向いてくれるのか、父の顔色ばかり伺って考え言動してきた。(→彼の顔色ばかり伺って考え言動してしまう)

 (4) 父や機嫌の良い時に、テレビと会話している内容から、高学歴のタレントが好きだと知りました。
   父と会話が成立した記憶はありません。
   勉強して、よい大学に入ったり、資格をとれば、私を認めてもらえて、愛してくれると思って生きてきた。(→彼に学歴、趣味等の達成度を、認めてもうらおうする)

 (5) それとも、上記(1)~(4)のような育った環境と関連性はなく、私の単たる弱さでしょうか・・・?

A 回答 (7件)

> やってみました。



お疲れ様です。

> 1)自分には価値がある
> 2)自分は幸せでいていい
> 3)親にも自分にも罪はないと思います。

ではそれを父親に面と向かって言うのがよいです。頭の中で。


あとは、彼氏と会う時も頭の中でそう言ったらいいと思います。

言っているうちに慣れてくる。

価値があるのですから、彼に対して何かを証明する必要はないし、
彼の前で幸せでいればいいです。

もちろん、仕事で成功して嬉しければ一緒に喜んでもらえばいいですし、
嫌なことがあったら話を聞いてもらってスッキリすればいいです。

自然体ですよ。
自然体の自分になじむまで、誰の前でも、彼の前でも

> 1)自分には価値がある
> 2)自分は幸せでいていい
> 3)親にも自分にも罪はないと思います。

と思ったらいいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

taka-aki様

ご指導いただき、本当にどうもありがとうございます。
これまでで、最も有効な策のように思います。実践してみます。心を整理して納得した上での自己暗示なので、癖を治せそうです。

>価値があるのですから、彼に対して何かを証明する必要はないし、
彼の前で幸せでいればいいです。

このコメントを読んで、’こんな極普通のことが普通にできていなかったんだ’と気づかされました。とてもシンプルで心が整理されました。

同時に、深層に封じ込めていた辛いことも思い出し、同じように考えられないか検討してみました。

父は、いつも私のパンツを脱がせお尻をかじり、自分の歯型をつけて、私が泣きわめくのをみて誇らしげに楽しんでいました。
30歳過ぎても許せなかったです。行動はしませんが、今でも、お尻をかじりたいと言っています・・・。

許すべきことではですが、非常に乏しい愛情表現しか知らず、あるいは自己満足なのか、そのようなコミュニケーション手段しかもっていない稚拙な人間に育った父もまた、家庭環境がそうさせたのかもしれません。わかりませんが、彼はかわいそうな人間なんだと、同情して、許すしかないのでしょう。

許すなら、親に罪はないと、言えるかもしれません。引きずっていては、自分が前に進めませんね・・・。

自分には、提案いただいた暗示を続ければできるような気がしてきました。自然体になれるまでゆっくり時間をかけてみたいと思います。

これほど質の高いコメントをいただいたことに感謝いたします。

お礼日時:2014/12/06 13:57

貴女は難しく考え過ぎています、人との付き合いは何時も一対一です。

貴女が相手を大事にしたい気持ちが在るなら、ただ単に相手を大事にするだけで可能です。

話しかけられたら、その話に素直に応じるだけです、『おい』と呼ばれたら『はい』です。あとは黙って話を聞くだけで『相手は満足をします。』たった是だけの事を、貴女は『良く思われたい、といった予期不安が頭をもたげています。』

相手に良く思われたいのなら『相手の話を良く聞いてあげるだけで終わっています。』それ以上の何を貴女は期待するのでしょうか?

それから貴女がして上げる事は、相手のためになる事だけを考えるだけで事が足りています。その上に貴女は何を期待する事がありますか?

毎日のたわいない言葉のやり取りだけで、人生は成り立っています。

そう云ったたわいない言葉のやり取りを楽しむ時『会話が成り立っています。』その上に貴方が何かを求める時『全てがぶち壊しになっています。』

年老いた老夫婦の会話でさえも『おい』『何ですか?』で始まっています。相手の心を理解しようとする心使いを、相手は何時だって喜んでいます。

貴女に必要な事は『自分を理解してもらう努力ではなくて、相手の心を理解する努力』と思います。それが出来た時、相手の方は『可愛い女』として貴女を理解します。貴方の望みが叶う時が来ます。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

tumaritou1様

どうもありがとうございます。
そうだったんですね。そんなことで、相手が満足したり、よく思われるんですね・・・。

1対1でも、おそらく怖さから構えてしまいます。
私には、何気ない単純な受け答えが、特別のことのように感じるので、まずはこのような事を身近なところから練習して自然に身につくように努力したいと思います。

お礼日時:2014/12/12 20:31

> 無意識の行動の恐怖について、分析してみました。



無意識ですか。では自分が自分についてどう思っているのか少し検討してみてはどうでしょう。

1)自分には価値がある or 自分には価値がない

2)自分は幸せでいていい or 自分は幸せでいてはいけない

3)自分には罪はない or 自分には罪がある


それぞれどちらの感じがしっくりくるのか。

自分が自分についてどう考えているかが、自分の行動を決めているのではないかと思います。

そして引きずっているのだとすれば、父親と相対した時の、自分が自分に感じる感じを、いまだに引きずっているということでしょう。

それが正しいかどうかは別にして。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

taka-aki様

どうもありがとうございます。

やってみました。

1)自分には価値がある

2)自分は幸せでいていい

3)自分には罪はない or 自分には罪がある
→親にも自分にも罪はないと思います。(深層心理では、親に罪があると思っているかもしれない)

無意識の言動パターンを意識的に改善できずに、彼を不快にさせることについては、自分に罪があると思います。親は関係ないとわかっていても、深層心理では、育った環境を原因にしてしまうことは、まだ引きずっているのだと思います。

毎回同じ理由で、失恋していることに気がつき、それを克服する対策を考え、トライしなければならないと痛感しました。10代の頃に比べると、あともう1歩という感じもします。

自分の言動をよく分析して、見つめ直したいと思います。

よい機会をいただきありがとうございます。

お礼日時:2014/12/06 12:04

・恋人は親の代用品じゃないです。


 彼自身のことをちゃんと見てやらないと失礼です。

・親など、もう死んだと思って、頭の中の親の存在に、「さようなら」を言いましょう。
 頭の中で親のお葬式をやっておくのもいいですね。


・恋人に自分のことを認めてもらうこともいいですが、
 自分で自分を認めてやることも必要でしょう。
 笑顔で、「大好きだよ、自分」と言いましょう。

・自分の不運を相手に構ってもらうネタに使うのはどうかと思います。
 そうするとあえて不運な目に会おうとすることによってそのうち破滅します。


>(5) それとも、上記(1)~(4)のような育った環境と関連性はなく、私の単たる弱さでしょうか・・・?

関係なくはないでしょうが、結局、自分自身がどうなりたいのか?が問題ですよね。

自己肯定感を高めて、仕事の成果に対する条件付き肯定ばかりに頼らなくしたい、とか、
被害者的ポジションで同情を引こうとしつつ陰鬱に過ごすことをやめたい、とか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

taka-aki様

どうもありがとうございます。
昨夜は、重く閉ざした、普段は空けない心の鉄板を開けてみました。自分を愛してきたつもりでも、まだ、どこから受け入れていないところがあるのかもしれないと思い、洗い出してみました。

普段は、代用品などと思っておらず、お葬式もして10年以上経ちました。しかし、頭ではわかっていても、コントロールできない無意識の行動の恐怖について、分析してみました。

過去の分析から、自分がどうなりたいか、いろいろな本を読んだり、人と話して、紙に書いて、常に模索中です・・・。

お礼日時:2014/12/06 09:44

 十中八九、AC(アダルトチルドレン)だと思います。


 私が下手な空想で分析する事もできますが、それよりもあなた自身が分析すべき事です。
 信田さよ子さんの『アダルトチルドレン完全理解』と言う本が非常にわかりやすかったので図書館でも行って読んでみて下さい。現状自身の分析もしっかりとなされているようですが、カテゴライズされた客観視も一つの薬になると思います。
 本気で自分自身を変えたいと思うのなら、自助グループへの参加をお勧めします。病ではありませんし、特別な事例でもありません。気を楽にして自分自身と向き合うと良いと思いますよ。

この回答への補足

kirin1985様

どうもありがとうございます。
本を読んでみます。
ACであることは自覚しており、あらゆることを試してきました。学生時代は、精神科や心理カウンセリングも受けていました。自助グループという存在は初めて知りました。自主的なグループは広告で見かけたことがあった記憶がありますが、怪しいと思って、恐くていけませんでした。グループについて調べてみます。
信頼のおけるグループなどご存知でしたらご教授いただけるとうれしいです。

補足日時:2014/12/06 08:52
    • good
    • 0

考えすぎ



自信持ちましょう

彼が求めていることをしてみては?

未来は新しい時がくる
    • good
    • 0
この回答へのお礼

kibou21様

どうもありがとうございます。
今回は、重く閉ざした、普段は空けない心の鉄板を開けてみました。
いつも、彼が求めていること以上をしてしまい、飽きられてしまい、浮気されて終わってしまいます・・・。なにかのバランスを失っているのだと思います。

お礼日時:2014/12/06 09:21

基本的に彼の意識をこちらに向けたいという自然な気持ちだと思うのですが、その意識を向ける手段が小さいころからの習慣で稚拙で単純な方法しか知らない、幼い時に父親からの恐怖を回避するための方法(すみません、失礼な言い方です)というだけだと思います。


「生い立ち=原因なのか??」と書かれてますが、原因というよりもあなたにとってのモデルケースなのだと思います。いま大人になってみてその時々でどのような対応を取れば良かったか考えてみてはいかがでしょうか。

一方彼はどうなんでしょうか。一緒に居るだけで満足なのかもしれません。
しかしあなたは「意識がこちらに向いてるな」と確認できるのは彼から高評価されてる時なのかもしれませんね。

高評価=お互いの存在価値という構図ができあがってしまうと、ずっと褒め続けてないと存在価値がないということになってしまいます。結果が求められる組織では存在価値というのは非常に重要だと思いますが、そういう関係にしたくないなら彼からの評価を求めるというよりも、外部で評価されたことを報告するスタイルにしてみてはいかがですか?

この回答への補足

premacy2007様

どうもありがとうございます。

いただいたコメントがとても参考になりました。だから、彼とバランスを崩してしまうのかもしれません。
平行線ですね・・・。ご指摘いただき心がほっとしました。感謝いたします。
「一方彼はどうなんでしょうか。一緒に居るだけで満足なのかもしれません。
しかしあなたは「意識がこちらに向いてるな」と確認できるのは彼から高評価されてる時なのかもしれませんね。」

補足日時:2014/12/06 09:13
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qパニック発作を引き起こした原因について

パニック障害になる前に
人と話すのが得意ではないのに、がんばって話して脳が停止するような感覚が何日かあったのですが
ストレスになってたんですかね?

Aベストアンサー

パニック障害の経験者で完治した経験があります。』ので、生半可な専門家よりも詳しく説明出来ます。


パニック障害の原因は、その障害を感じている人が、本人の頭の中に作り出している『幻』を、あたかも存在するものと思い込んでしまって、避けようともがいて返って身近なものにして、実感してしまう現象です。

自分で、”自分” から危機回避とか危険回避をしようとしていると言うものです。

もう一つの方面から説明します。それは、花粉症のメカニズムを使っての説明です。花粉症とは『自分の免疫機能が自分の身体を攻撃する現象』ですが、このメカニズムと同じメカニズムが働いています。

花粉症の場合では、免疫機能が『アレルゲンと認められたものが、(実際にはアレルゲンではないものに対してまで)体内に存在すると感知した場合に発動します。』そのアレルゲンを体内から排出するための防衛機構が働く事を意味します。又この間違ったアレルギーにならないものにまで過剰反応して暴走してしまうものが花粉症のメカニズムです。

『心や行動や感情』に対しても人間には『危険回避』と言った花粉症に対する身体の反応と同じ様に反応する、防衛機能が存在しています。パニック障害とは今書いた『自己防衛機能』が暴走をしてしまう現象です。

始めに暴走する原因を書いて、後で暴走しない方法とか考え方を書いてみますので参考にして下さい。

パニック障害が起きる背景を始めに説明をして置きます。分り難い事を書きますので分らなくとも良いですので、兎に角読んで置いて下さい。私の云う事が腑に落ちた時貴方はパニック障害から抜け出していると思います。只理解するには時間が掛かるかも知れません。

身体にはアレルゲンと判断する機能が存在するように、心にもそう云った判断する機能が存在しています。是を説明する為には脳の構造を説明する必要が在ります、或いは脳の機能と言ったほうが分りやすいかも知れません。

是は誰にでも備わっている機能ですが、簡単に説明します。生まれたばかりの赤ん坊を想像して下さい、生まれたばかりで何も教え込まれていない『白紙状態の脳』を想像して下さい。学問を学ぶと言う意味では『赤ん坊の脳は白紙』の状態であって、何も知らないでいると考えられますが、実際では『全てを知っています。』

その証拠は、見たものに対して安心出来るものか?、恐怖に値するものか?は教えてもらう必要がない事で証明出来ると思います。又自身の生命維持をする機能という意味に置いても、自分の生命を維持する機能を働かせる事は既に知っています。

此処で問題にしたいのは、『見たものに対して安心出来るのか?、恐怖に値するものか?』という問題です。是は母親の懐にいる時には『”安心して”すやすやと眠っている状態』を言いますが、『”安心”させている者が存在しているからです。』

言い換えるなら『自分の心=自我意識』に『外界からの情報を安心出来るのか?、恐怖に値するのか?』を教える機能が存在している事を意味します。

この教えられた情報によって『赤ん坊が安心したり、恐怖に陥ったりしています。』是がパニック障害に於けるストレスになります。心地良いものは当然ストレス源にはなりません。心地悪いものが問題になってストレス源になります。

此処まで書いて貴方の問題に触れて置きたいと思います、貴方の嗜好に対する問題点です。貴方は好き嫌いが激しい部分があるという問題です。人として生きて行く場合では、良い事も悪い事も誰にでも大体は、等しく襲ってくると考えられます。良い事ばかりに恵まれる人などいないという意味です。

処が貴方の願いは、良い事ばかりを願っていて、厭な事を嫌い過ぎている点が問題になっています。

自分が感じた『五感から得た情報をストレスとして感じるのか如何か?』が問題になっています。

話を変えて”ストレス”の意味を考察します、誰でも同じ環境の中で生きていますが、パニック障害になる人と平然としている人に大別されます、その違いは『同じ環境』の中にストレス源を作り出している人がパニック障害で苦しんでいる事実があります。

言い換えるなら、他の人がストレスにしないものをストレスとして感じている、という意味です。強い言い方をするなら『本人が頭の中にストレスを作り出している部分がある。』という意味です。

もう一つ付け加えるなら、ストレスの意味ですが、それは『受容れたくないもの全般』をストレスと表現します。ですので貴方にパニック障害の症状が出る場面では『受容れたくない情報』が貴方の心に送られている事が原因で貴方はパニック障害としての症状が出ています。

此処が大事なところです、この情報が貴方にとってのパニック障害の原因です。貴方が『受け取りたくない』と感じてしまう情報が、花粉症における『免疫機能を発動させるきっかけになっている事です。』

この情報で、貴方は防衛機制を自分の心に掛けています。つまり『逃げ出したいとか、危険回避をしよう』がパニック障害の原因と結果になっている事です。

したがって貴方がパニック障害から解放されるという意味は、『今までストレスとして受け入れる事が出来なかった事柄を、ストレスにしない、人間性への変貌が求められている事を意味します。』

難しい事を書いていますが、決して難しい事ではありません。今までのように『好き嫌い』の激しかった部分に少し、学びの部分を積み上げるだけで良いのです。

私の云う事を実践して下さい、それは『良い事に遇った場合では”喜び過ぎないでいる事、厭な事に遭った場合では落ち込み過ぎないでいる事』たった是だけです。

今の貴方とパニック障害から抜け出した貴方の違いとは、感じた事柄に対して『向きになって感情に走ってしまっているのか?或いは感情的にならずに冷静でいられるのか?』たった是だけの違いで、パニックになるかならないのかに分かれているからです。

貴方が完全にパニック障害から抜け出した暁には、『湧き上る感情(雑念)に右往左往するのか?或いは”雑念は雑念”としてそのままにして置けるのか?』の違いをマスターしています。

パニック障害とは、『只の雑念に右往左往しているに過ぎないからです。』

パニックになるような事が起きたとしても『泰然自若』としていられる事を学ぶ場として貴方に『パニック障害』という学びの場が与えられています。

パニック障害の経験者で完治した経験があります。』ので、生半可な専門家よりも詳しく説明出来ます。


パニック障害の原因は、その障害を感じている人が、本人の頭の中に作り出している『幻』を、あたかも存在するものと思い込んでしまって、避けようともがいて返って身近なものにして、実感してしまう現象です。

自分で、”自分” から危機回避とか危険回避をしようとしていると言うものです。

もう一つの方面から説明します。それは、花粉症のメカニズムを使っての説明です。花粉症とは『自分の免疫機能が自分...続きを読む

Q人生何歳からでもやり直せるという風潮が死ぬほど嫌い

薬剤師になりたいのですが
40歳から薬学部に進学したら卒業するのは46歳ですよね。
現実的にいく意味があるのでしょうか?(就職とか)
薬学や人体に興味があり、やりがいもありそうだと思ったので
進学したいのですが・・あと給料もボチボチ良さそう・・
(お金よりはやりがいや興味が優先)
無事に卒業しても50前のじじいを雇ってくれる病院や薬局はあるのでしょうか?
あと働きながら昼間の大学に通ってるのは新聞奨学生くらいですよね?
現実と照らし合わせると難しいか・・
もうじき38歳になる独身おっさんで貯金0の日雇い労働者の質問です。

Aベストアンサー

意味があるかどうかは、自分が決めること…

現実はどんな年齢でも目の前にある…

やり直せるかどうかとはあんまり関係ない。
やる人はやる。その事実があるんだからしょうがない。

Q離人症

離人症を克服したという方いらっしゃればどのように克服したのか教えていただきたいです。
(自律訓練法が役立つ・・・etc)


あとやはり自分は離人症だから…と考えたり、離人症のことを思い出すということはよくないことなんでしょうか?
こういうことをとらわれているというのでしょうか?



回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

具体的な質問を頂きましたので、具体的にお答えしたいと思います。

『私は離人症になってからいつも離人症のことが気になってしまい、最近は「時間とは何でできている?」とか「自分という存在(魂)とは何でできている?」とか哲学的なことを考えてしまいます。
このこともやはり離人症によるものなのでしょうか。』

と言う質問の答えは、貴方の性格によっていると思います。そもそもそういう性格の中に『離人症』と言うものが育っています。貴方の性格は『自分自身に敏感』と言う特徴があります、ことばを替えて言うなら『疑問を抱きやすい、或は不安を抱きやすい性格です。』

こういう不安になり易い性格が、離人症に変化しています。それは『心の奥底での、自己防衛機制』が働くと言う意味です。受容れたく無いものを、『心から追い出そうと言う機制です。』

もう一つの質問です『また離人症、神経質体質な人は日常生活をどのような心構えで送っていけばいいのでしょうか。』と言う質問の答えが、神経症を解決する答えになりますが、今の貴方には信じがたい事と思いますが、よく読んで置いて下さい。

その解決する道筋は、決して難しい事では在りません、只私の言葉を信じられるのか或は、貴方が自分自身の考え方を信じられるのかの違いです。

神経症の症状は、離人症の他にも沢山存在しますが、その症状は『意識した事柄全てが、症状になるる可能性を秘めています。何故なら意識した内容を嫌っているだけだからです、

嫌っている感情の『虜にならないように、意識してその意識している感情を追い出そうと規制を掛けている事が、症状の発生となって、更なる厳しい規制の掛け方が、しっかりとその感情を固定させています。

その機制の対象が貴方の場合では『離人感』と云う事です。

その症状が、離人症であっても、対人恐怖症であっても、強迫行為であっても『湧き上がる自身の感情を意識した内容として嫌っている事』は神経症では共通項となっています。

と言う事で、神経症の治し方を書いてみます。是は飽く迄も神経症の治し方を書いていますので、『貴方が願う、離人感の治し方とは、全く別です。』

離人症は治そうとすればするほど、離人感が強くなってゆきます。離人症は治そうとしなければ治っています。離人感を無くそうとする事が『反って、離人感を生じさせて、その感情を打ち消そうと言う心の働きが、固定させています。』

神経症の正しい治し方は存在していますので、この事をもう少し詳しく書いてみます。

神経症とは『湧き上がる自分の感情を、打ち消したくなってしまう現象です。』神経症が一生治らないでしまう場合では、一生湧き上がる自分の感情を打ち消そうとし続ける場合です。

神経症が治る場合では『湧き上がる自分の感情に、優劣や、良し悪しを付けなくなる場合です。』

離人感に襲われた時でも、良いとか悪いとかを言う必要がなくなった場合には『離人感』は消滅しています。此処まで来た時に完治したといいます。

離人感など、有っても無くとも良いや、と言う態度です。それは『離人感』を受け入れる事が出来た時です。

今の貴方は『湧き上がる自分の感情の中で、離人感のみを嫌っているだけだからです。』湧き上がる自分の感情には逆らう事など出来ない、と言う諦めが必要です。

神経症の完治を望むなら、『症状などの相手をしない人間性を確保する事が有効です。』

今の精神医学の方向性は間違っています。症状の改善を望まなくなるという人間性が確保出来た時点で『症状が消滅する事=完治する事』を知らないで、闇雲に『症状の改善のみが図られています。』

是では治らないように、治らないようにしている事を意味するからです。

『また離人症、神経質体質な人は日常生活をどのような心構えで送っていけばいいのでしょうか。?』

と云う事をもっと具体的に書いてみます。

『心の使い方を学ぶ事です。』

何も考えずに生きる事をやめて、『丁度のところを学ぶ事が有効です。』この意味は、例えば挨拶一つでも、『心を砕いて使う事です。』挨拶する相手の距離をどのくらいが丁度良いのかや、声の大きさはどのくらいが丁度良いのかと言う風にして、全身全霊で『丁度のところを探る事です。』

意識を集中させる事の意味は『意識を分散させていながらなおかつ、目の前に意識を集中させる事です。』

歩く場合では『靴の底の減り方を、気にしながら歩く事です。』この意味は、靴の底が平らに減る様な工夫をしながら歩く事を意味します。

自分の一挙手一投足に付いても『全身全霊で対処する事』を学ぶ事です。

又今度にします、聞きたい事には答えたいと思います。

具体的な質問を頂きましたので、具体的にお答えしたいと思います。

『私は離人症になってからいつも離人症のことが気になってしまい、最近は「時間とは何でできている?」とか「自分という存在(魂)とは何でできている?」とか哲学的なことを考えてしまいます。
このこともやはり離人症によるものなのでしょうか。』

と言う質問の答えは、貴方の性格によっていると思います。そもそもそういう性格の中に『離人症』と言うものが育っています。貴方の性格は『自分自身に敏感』と言う特徴があります、ことばを替え...続きを読む

Qパニック障害の克服

2か月前位にパニック障害(不安神経症)に陥り、病院にも行き気持ちの切り替え、森田療法など行って少しずつですが、症状がでなくなってきて症状が出ても軽めで済むようになってきました。
ですが、昨日症状が出てしまい、しかも症状が重く最近良くなりだしていたのにショックで、冷や汗ともう治らないんだと思い込み出して本当に落ち込み、そういう時に限って悪い方向ばっかりに考えてしまい、もうワケわからなくなってしまいました。こうした心(脳?)の病は症状が出ても自分は治るんだといつも思って付き合って行けば治るんでしょうか?もうショックで仕方ありません…

Aベストアンサー

パニック障害はあなたも書かれているように、以前は不安神経症と言われていた症状だと言って良いと思います。

あなたは病院に行き、気持ちの切り替え、森田療法などを行なったとのことですが、森田療法の場合には神経質性格の特徴を持っていることが必要になると思います。

つまり、心配症や自己内省性の強さ、負けず嫌いといった神経質性格の特徴を持っている場合には森田療法の学習により不安神経症を克服していくことも出来ると思います。

しかし、こういう神経質性格の特徴を持っていない場合は思うような効果は出てこないと思います。

ただ、神経質性格を持っていたとしても、神経症は良くなったり後戻りしたりを繰り返しながら、少しずつ良くなっていくものだと言われています。

また、森田療法では不安神経症は心や脳の病気ではないと言っていると思います。

ですから、もしあなたが、不安神経症を心や脳の病気だと考えているとしたら、この時点で森田療法の考え方は身についていないということになると思います。

不安神経症は「死の恐怖」に対する「とらわれ」が出来た状態であり、うつ病や統合失調症などの心の病気とは全く異なるものだと言われているのです。

そして、だからこそ、森田療法の学習をしていく中で、この「とらわれ」が薄らいでくると症状を克服していけるのだと思います。

ですから、もし、あなたが神経質性格の特徴を持っているのであれば、森田療法の考え方をきちんと身に付けていけば、充分、不安神経症を治していけると思います。

ただ、今は森田療法を掲げている病院でも、きちんとした森田療法の指導を行なっている所は少ないように思います。

ですから、むしろ、あなた自身で森田療法の学習をしていった方が良いのではないかと思います。

パニック障害はあなたも書かれているように、以前は不安神経症と言われていた症状だと言って良いと思います。

あなたは病院に行き、気持ちの切り替え、森田療法などを行なったとのことですが、森田療法の場合には神経質性格の特徴を持っていることが必要になると思います。

つまり、心配症や自己内省性の強さ、負けず嫌いといった神経質性格の特徴を持っている場合には森田療法の学習により不安神経症を克服していくことも出来ると思います。

しかし、こういう神経質性格の特徴を持っていない場合は思うような...続きを読む

Q乗り越えられる試練

神様は乗り越えられる試練しか与えないとは言いますが…手をつくした結果どうにも乗り越えられそうにない場合は、どうしたらいいんでしょうか

もう諦めるか、それとも数年越しに頑張るしか無いのでしょうか

Aベストアンサー

乗り越えられる試練と言うと、響きは良いかも知れませんが、諦める事も『乗り越えられる試練』の内に入ると思います。

ただそう云った問題の前に立った時如何考えるのかで結果は違うと思います。出来なかった言い訳を考えるのか?或はどうやったら出来たのか?の違いです。

出来なかった言い訳だけを考えたり、出来なかった理由はいくらでも見付ける事は出来ると思いますが、それだけでは進歩が無いと思います。

出来た可能性を探す事の方が良いと思いますが、それが出来なかったとするなら諦める事も選択肢の一つと思います。全てを諦めると言う言い方は言い過ぎかも知れませんが、『万策尽きるほど』考え尽くしたのかを考えたらさっぱりすると思います。

針の穴にらくだを通す事さえ出来る考え方もこの世の中にはある事も知って下さい。不可能を可能にする智慧を学ぶ試練を貴方は、今、体験しています。

Q精神疾患の、真の原因は?

神経症というものは、どうして、発症するのですか。
どうすれば、解決するのですか?
解決するための、根本を、教えて下さい。

鬱についても、原因は、何ですか。
どうすれば、解決するのですか?
解決するための、根本を、教えて下さい。

Aベストアンサー

私が知る限りでは、神経症と鬱病などの精神病は、発症もそれに起因する原因も違うと思います。
神経症は、過度のストレスが大きな要因になる心の病だと思うのですが、精神病は、色々な要因が重なっての発病で、脳の神経伝達物質の異常の病気だと思います。ですから、神経症は、薬に頼らなくても治る場合がありますし、カウンセリングなども有効でしょうが、鬱病の場合は、薬の治療は、欠かせないと思います。

Q仏教の教えの矛盾?

仏教の本を読んでいると、「我れ、私」というものの実体は、物質的なものはもとより、非物質的な霊魂なども含めて、その実体はないと言っているように見えます。
一方、「輪廻転生」があると言っているように見えます。

しかし、「我れ」というものがないとすれば、一体何が生まれ変わると言うのでしょうか?
「我れ」がないと言うなら、生まれ変わる主体がないのだから、「輪廻転生」はないことになると思います。
生まれ変わりがあると言うなら、その生まれ変わる主体があって、それが生まれ変わると考えるべきだと思うので、生まれ変わる「我れ」の実体がある(例えば霊魂など。)ことになり、「我れ」には実体がないと言う命題と矛盾するのではないかと思います。

しかし、これまで長い間、偉いお坊さんたちの間では、この二つの命題の間には「矛盾はない」と理解されて来ていたのでしょうから、多分、この二つの命題に関する私の理解が不十分なのだろうとも思います。

そこで、一見矛盾するように見えるこの二つの命題を矛盾なく理解するには、この二つの命題の、それぞれの本当の意味をどう理解したら良いのか、また、両者の関係をどの様に理解すれば良いのか、どなたかご教示頂けると大変有難いと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

仏教の本を読んでいると、「我れ、私」というものの実体は、物質的なものはもとより、非物質的な霊魂なども含めて、その実体はないと言っているように見えます。
一方、「輪廻転生」があると言っているように見えます。

しかし、「我れ」というものがないとすれば、一体何が生まれ変わると言うのでしょうか?
「我れ」がないと言うなら、生まれ変わる主体がないのだから、「輪廻転生」はないことになると思います。
生まれ変わりがあると言うなら、その生まれ変わる主体があって、それが生まれ変わると考えるべき...続きを読む

Aベストアンサー

 あけましておめでとうございます。真宗のボーズと呼ばれているものです。しばらくお話しさせていただきやす。

>>仏教の本を読んでいると、「我れ、私」というものの実体は、物質的なものはもとより、非物質的な霊魂なども含めて、その実体はないと言っているように見えます。
>>一方、「輪廻転生」があると言っているように見えます。
 そうですな。そういう理解でいいと思います。

>>しかし、「我れ」というものがないとすれば、一体何が生まれ変わると言うのでしょうか?
>>「我れ」がないと言うなら、生まれ変わる主体がないのだから、「輪廻転生」はないことになると思います。
>>生まれ変わりがあると言うなら、その生まれ変わる主体があって、それが生まれ変わると考えるべきだと思うので、生まれ変わる「我れ」の実体がある(例えば霊魂など。)ことになり、「我れ」には実体がないと言う命題と矛盾するのではないかと思います。
>>しかし、これまで長い間、偉いお坊さんたちの間では、この二つの命題の間には「矛盾はない」と理解されて来ていたのでしょうから、多分、この二つの命題に関する私の理解が不十分なのだろうとも思います。
 この矛盾を指摘して今でも影響力を持つ説として挙げられるのは和辻哲郎氏の『原始仏教の実践哲学』という書籍かと思います。かいつまんで和辻氏の説を説明しますと、輪廻には主体となる「我(attan・アートマン)」が必要である、しかしお釈迦様は「我」を否定する、故に輪廻と無我は両立しない、だから輪廻説はお釈迦様の説でがなく後に付け加えられたものであろう、というのが和辻氏の説です。この説は仏教学者中村元氏においても『中村元選集』15巻で輪廻説は無我説と矛盾することが学者によって指摘されているというような内容があったはずで、中村氏をもってしても批判は加えられておりません。
 ですから、質問者のする輪廻と無我は矛盾するという指摘は中村元氏でもひっくりかえせなかった、矛盾を見つけたという事ですからなかなか鋭い指摘といえます。 

>>そこで、一見矛盾するように見えるこの二つの命題を矛盾なく理解するには、この二つの命題の、それぞれの本当の意味をどう理解したら良いのか、また、両者の関係をどの様に理解すれば良いのか、どなたかご教示頂けると大変有難いと思います。
 もちろんこの矛盾に対して答えたかたはいらっしゃいます。例えば、和辻氏が批判の対象として木村泰賢氏の『原始仏教思想論』なんかが、通仏教的な矛盾の解決を論じています。木村氏の文章はショウペンハウワー氏など、西洋哲学の人の言葉を使ったりして現代的な理解として論じておられますが、私は西洋哲学ちんぷんかんぷんなので、木村氏の説をもとに私のわかる言葉書きます。もし木村氏の実際の文章が気になるのでしたら書籍を手に取ってみてください。
 まず、お釈迦様は実際に筆をとって言葉を残したことはありません。あくまで、現存する資料はお釈迦様が亡くなってから三百年以上たってから書きとめられたものである、という事を前提におきます。しかし、ながらお釈迦様の教えを知るにはそういった文献によらざるを得ません。そのなかでもっとも古い成立起源をもつ経典の一つが『スッタニパータ』というものです。この中で輪廻がどのように説かれているか、最古層といわれる部分から抜き出していきますと、(文章は中村元氏訳を使います。『ブッダのことば』岩波文庫)

779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。

877 かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを塾考し、知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」
(文中「種々なる変化的生存を受けることがない」というのは、わかりにくいのでほかの方の訳と原文を比べ
ますと「いろんなものに輪廻して生を受けることがない」ってことです)

901 あるいは、ぞっとする苦行にもとづき、あるいは見たこと、学んだこと、思索したことにもとづき、声を高くして清浄を讃美するが、妄執を離れていないので、移りかわる種々なる生存のうちにある。

902 ねがい求める者は欲念がある。また、はからいのあるときには、おののきがある。この世において死も生も存しない者、──かれは何を怖れよう、何を欲しよう。
(文中「この世において死も生も存しない者」というのは、やっぱりわかりにくいのですがほかの方の訳や原文を比べますと「この世において生まれ変わり死に変わりしない者」という意味でしょう)

1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ビンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

1055 師が答えた、
「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。

私が抜き出せるのはこんなところです。(もっとあったら誰か教えてください。)現存する経典の最古層でお釈迦様は輪廻についてこのように説いておられます。もっともお釈迦様の立場が分かりやすいのは1055かと思います。簡単に言えば、「輪廻しないようにならないといけない」と説いているわけです。しかしながら、このような文章を使って「ほらお釈迦様は輪廻を否定している。お釈迦様は輪廻を説かなかった」と結論付ける方が学者のなかにもがおりますが、確かにお釈迦様は「輪廻すること」を否定はしていますが、「輪廻説」自体は否定していません。こういった文章を読む限り、お釈迦様は輪廻を前提においた解脱という事を説いています。

 では、その時の輪廻の主体は何か?これは『中阿含経』(パーリ『中部』)の中で、漁師出身の嗏帝(サーティ)比丘という方が

サーティ比丘は
「私はお釈迦様の教えをこのように理解します。識だけは、流転輪廻するが、変化することがないと」
と話していた。それを聞いて、お釈迦さまはサーティを呼び出して
「サーティよ、その識とはどんなものですか?」
と問いかけると
「尊い方よ、識とは、語るものであり、感受するものであり、ここかしこで善悪の行為の果報を受けるものです」
と答えたするとお釈迦様は
「そんなことを私はいつ説いたのですか?。私は様々なお話をしましたが、縁によって生ずる識を説いたのではなかったですか。すなわち『縁がなければ識の生起はない』と」。
と御叱りになった。

というような内容です。ここで、問題になるのは、お釈迦様は何について叱ったのかという点です。この中では、「識とは縁によって生ずるものだ」と叱っておられます。決して、「輪廻の主体が識である」という事を叱ったわけではありません。
 そのようなことを念頭において、今一度『スッタニパータ』最古層に目をやりますと、1055には「偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。」とあって、偏執と識別を無くすことで輪廻から解脱することができると考えられています。この中村訳では識別と訳されている部分は、仏教語として識と訳されるもので、先ほどのサーティ比丘のいう識と同じ言葉です。この識という言葉も意味は多岐にわたりますが、区別し知るものという意味で簡単に言っちゃえば「これが我なんだったっていう執着」ってことですかね。十二縁起(十二因縁)などでは、識の原因は行、行の原因は無明という根本的な無知であるとされていますから、こういうことも含めた識なのでしょう。

 大まかに言えば、これが我なんだという執着が、いわば輪廻の主体です。そして、その執着を取り除いていって「そっか我を我たらしめるものなんて、無かったじゃないか」と気が付くことで輪廻からの解脱を勧めるのが無我説という事ではないでしょうか。ですから、仏教においての輪廻説は我(アートマン)というものを必要としない輪廻説といえます。

 大変おおざっぱなので木村氏の説とはまた違っているかもしれませんが、私の理解はこんなところです。どうぞご自身の理解をより深めていってください。
 急ごしらえのため誤字脱字乱文、引用の間違いがりましたらご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛

 あけましておめでとうございます。真宗のボーズと呼ばれているものです。しばらくお話しさせていただきやす。

>>仏教の本を読んでいると、「我れ、私」というものの実体は、物質的なものはもとより、非物質的な霊魂なども含めて、その実体はないと言っているように見えます。
>>一方、「輪廻転生」があると言っているように見えます。
 そうですな。そういう理解でいいと思います。

>>しかし、「我れ」というものがないとすれば、一体何が生まれ変わると言うのでしょうか?
>>「我れ」がないと言うな...続きを読む

Q大人になってから自己肯定感を高めるには

自己肯定感が低く、引きこもりになりそうです。
小さい頃から自殺願望があり、騙し騙し生きて来ましたが、20代にして限界がきました。
大人になってから、自己肯定感を高めるにはどうしたらいいでしょうか?

ちなみに、理解者はいません。
友人には相談できなく、家族は精神的なものは全て甘えと考えています。
恋人は、自己肯定感の低さと、結婚への拒否感から、作っていません。
精神科に行くことも、当面はできません。

克服された方、克服方法をご存知の方、アドバイスをお願い致します。

Aベストアンサー

No.5の者です。
お返事を拝読しまして、補足です。

“何をやっても出来ない” というのは、客観的な感想などではなく、あなた自身が勝手に決めたことだと思います。
自分の中で決定してしまったことは、絶対に覆りません。
まず、出来るとか出来ないとか、なぜ決める必要があるのでしょうか。
人も、案外何も出来てませんよ。
出来ているように見えるだけです。
いい加減だし、好きなように生きて、勝手です。
つまり、上手いことやるのも、下手でも好きだったり、ヘマをして迷惑をかけるのも、自由です。

優しい性格と言われるのですよね。
それも、あなたの優しさに周りが甘えているのです。
そして、自分は優しい人間であることを期待されているのだ、と、あなたが無意識に真面目に取り組もうとした結果、あなたは限界を迎えようとしているわけですよね。

あなたのご家族は、いわゆる過干渉なのでしょう。
自分の知っている環境が常識のように思いがちですが(私もそうでした)、蓋を開けてみたら、意外と世間と大きくかけ離れていたりするものです。
親やきょうだいは、愛情があるがゆえに期待もし、激励もしたいでしょう。
でも、裏を返せば、あなたを自分の思い通りに操作したい、ということです。
勝手な欲です。
長い時間をかけて、あなたが出来ない人間だと決めつけて刷込んできたのは、誰でもない、あなたのご家族とあなた自身でしょう。
それに早く気付くべきです。
ありのままのあなたでなぜいけないのか、私には解りません。
あなたの場合、自信を持って持ちすぎることはないと思います。

それから、長期間悩んでじっとうつむいたりしていると、体の機能は低下しますし、結果、脳の血流が悪くなります。
鬱病などのほとんどは、ストレスからくる単なる血流障害ではないかと私は思います。
運動はいいですよ。
好きな音楽を聴きながらとか、外の空気を吸うためだけでもいいので、ちょっと散歩にでも出かけてみてはいかがでしょうか。
体調不良は、心の悩みのせいだと思いこみがちですが、運動で体調がよくなると、心が後からついてくることも多いです。

失礼な事を長々と書きましたが、他人とは思えないので・・
もちろん、少ない情報からなので、事実とは全く違うこともあるかもしれません。
ごめんなさいね。
でも、応援しています。

No.5の者です。
お返事を拝読しまして、補足です。

“何をやっても出来ない” というのは、客観的な感想などではなく、あなた自身が勝手に決めたことだと思います。
自分の中で決定してしまったことは、絶対に覆りません。
まず、出来るとか出来ないとか、なぜ決める必要があるのでしょうか。
人も、案外何も出来てませんよ。
出来ているように見えるだけです。
いい加減だし、好きなように生きて、勝手です。
つまり、上手いことやるのも、下手でも好きだったり、ヘマをして迷惑をかけるのも、自由です。

優しい...続きを読む

Qうつ病と精神バランスを崩すの違いとは?

タイトル通りの質問なんですが、うつ病と精神バランスを崩すの違いってなんですか?

Aベストアンサー

うつ病は『自分の心を正常に戻そうとしている場合の事です。』

精神バランスを崩すとは、『自分の心を正常に戻そうとしていないながらも、おかしいと思っている状態』と思います。

処が『自分の心の正常さ』と言う課題は、何処を探したところで、そんなものは何処にもありません。こう云った無いものを探す行動や心理ですので、治り難くなっています。

人間の心の最上な状態とは『自分を忘れている時の事です。』最高な表現で言うならば、人間が天国にいる状態と表現するならわかり易いと思います。

聖書によるならば、天国に一番近い存在は『幼子』です。仏教的に表現するなら『嬰児』です。この理由を書いて見たいと思います。

幼子や嬰児が天国に一番近い存在と言う理由は『自分の心を正常に戻そうとしていない』処にあります。正常が何か?異常が何か?にさえも気が付かないからです。

自分の心に頓着する事が無いからです。この理由は『自我意識』と普通の大人が言っている意味での『自我意識』が未だ芽生えていないからです。自我が芽生えていないと言う意味は『心が一つの者として働いている状態』を指しています。

この事が崩れる事を『失楽園』と聖書は表現していますが、その理由は『自我の目覚め』にあります。自我が目覚めた場合にだけ『自分は何者か?とか、人生とは何ぞや?』と言った疑問がわきあがる様になります。

こう云った疑問が湧き上がる事を『知恵が付いた』と表現しています。その理由は『心が二つの者として働き始めたからです。

幼子の時は、人生は何ぞや?とか自分は何者か?と思考する事はありません。そう云った知恵が無い状態を天国と表現しています。

この意味は『自分の心が一つの者として働いているからです。』簡単な表現で示すなら『見ている自分』だけしか心の中に存在していないからです。その為に自分の裸を見られても『恥ずかしい』とさえも思わないことが多いと言う意味です。

それに対して、人間が成長するに伴って身体と脳が成熟して来ます。主に脳の成長におっていると思いますが、『心が二つに分かれて来ます。』このために恥ずかしいとか、疑問とかの、感情が沸き上がる様になってきます。

簡単に表現するなら、『見ている自分』の他にもう一人の自分が加わってくる事になります。新しい自分とは『見られている自分』です。

見られている自分が『自我が目覚めた姿です。』詰まり『自意識』という事になります。

こう云った関係性に気が付く人の事を『不安に成りやすいとか、神経質な人』と表現しているようです。詰まり自分自身に敏感と言う意味です。

こういった関係性を知らないで、闇雲に不安が多い場合を仏教では『無明』と表現しています。自分が自分を怖がらせている事に気が付かないでいる、と言う意味です。

是は無理も無い事だと思います、誰もこういった関係性を教えてくれる人も学校もないからです。

うつを治す医師免許を持った専門家でさえも『内因性の精神病の本態が、今日まで分っていないのは精神医学の恥辱である』と言っています、1,950年代の話です。

その後でも同じです。医師の自殺率で最も高いのは精神科医という報告もあります。心の苦しさを救うための知識を持つ筈の精神科医が『自分の心の苦しさに対処できる知恵を持たずに』他人の心の苦しさに立ち向かっているのが実情です。

そういう原因があってうつには完治とか根治が存在していないように見受けられています。

心を病むと言う意味は『自分自身の心同士が争っていたり矛盾を起したり』している事です。

人間の心の正体を科学的な証拠で示したいと思います。それは脳です、ウイキペデアからのコピーです。


『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

この場合での右脳の役割と左脳の役割を脳卒中の為に『体験的に体感した脳科学者の動画を載せて置きます。

URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

今のコピーでお分かりと思いますが、一人の人間には『人格が二人存在しています。』この二つの意識の間の食い違いを人間は悩みとか苦しみとして受け取っています。

詰まり欲しいとしている願望が手に入らないもどかしさが、悩みや苦しみや疑問になっている事です。


此処で話の結論に入ります。うつ病と精神バランスを崩すの違いとは?と言う問いの答えは、始めに書いたとおりです。

うつ病は『自分の心を正常に戻そうとしている場合の事です。』

精神バランスを崩すとは、『自分の心を正常に戻そうとしていないながらも、おかしいと思っている状態』と思います。


人間の心が正常に働いている状態とは『正常さを求めていない時だけです。』


精神バランスを崩すとは、『自分の心を正常に戻そうとしていないながらも、おかしいと思っている状態』と思います。

分った様で分かり難い話をしていますので、切り口を替えて説明します。

人間の心は二つの機能から成り立っています、一つは『意識している自分の意識=自我意識』ですがもう一つの意識とは『自分が無意識の状態の時の無意識の意識』です。

無意識の意識とは聖書では『神』、仏教では『仏性』と呼ばれているものです。動画で説明されている通りです。

もう少しかいつまんで説明するなら、自我意識という心を働かせている意識です。人間を内発的に突き動かしている張本人です。

恋愛と言う関係性で説明するとわかり易いと思います、この人と一緒になったら幸福に成れるのかという場面では『自我の特質である、欲とか得とか見栄が入り込まないでいた時にだけ真実の姿が見えています。』

明日のことさえ分らないのに『この人と一緒にいたい』とお互いに思えた時『二人の間で赤い糸が見えています。』自我の働きを無くして見えた時です。

逆に自我が強く働いた時『こんなはずではなかった』と時間が経つほど思うようになります。

人間は大抵の場合『自我』が出ているのか『無意識の自分の意識』が出ているのかを知る事は出来ません。何故ならお互いの関係性は『没交渉』になっているからです。

女史のような事は稀なケースと思います。ですが毎日毎日『脳梁の中では』お互いに出番争いをしています。

うつ病の場合では『自我意識』の出番が多くなってしまって、心が苦しくなっています『自意識過剰』の状態です。無意識からの交替要請が『罪悪感』に代表されるような『何処から押し寄せているのか分らない心的な圧迫感です。』

この圧迫感のゆえに尚更『自意識過剰』が続いています。出番争いに置いて『自意識が勝っている時、逆な言い方をするなら、無意識の出番が無い時』をうつの状態と言います。

心的な圧迫感による不安が強いために、不安感がますます強くなっています。

悪い状態を書いてきましたので、良くなった状態を書いてみます。

心の安定を捜し求めて来て、ついに得る事が出来ないと諦めた場合です、自我意識の万策が尽きて全てを諦めた時、右脳の意識『神』の出番が来る事になります。動画に有るとおりです。自分の身体も心も無意識の意識が占領する事になります。

心の矛盾が解消する瞬間がやって来ます、動画で語られている内容です。この体験の後では二度と『出番争いをする事がなくなります。』

この出番争いをしなくなった状態を『神の僕になる』と表現しています。

神とは右脳の意識の事です。他の言葉で表現するなら、赤ん坊が生まれる前から生命維持活動をしている働きと、生まれてから『何も学ぶ事無く、不安でも安心でも恐怖をする事さえも知っている”働き”』です。

脳梁の中での出会いを『悟る』と表現しています。是以後『自我意識』はでしゃばることが無くなるからです。見ている自分と見られている自分が合体して、『見させているう者に従う』と言う意味になります。

死が目の前に迫ったとしても、幸福感に包まれて死んでゆく事を意味します。誰にも奪う事が出来無い幸福感にです。無意識の自分=神は既に永遠からやって来て、又永遠に戻ってゆく事が分っているからです。うつが治った時には、現世的な欲とか得、地位とか名誉などや見栄などの価値観が転換する時があります。

ただ悪戯な毎日に見えていた日常が、光り輝きだして、”ありがとう”の言葉の中にさえも『幸福の種が隠れていた事が分かる様になります。

幸福を探していた事が間違いで、ただひたすらな毎日の中に幸福がいっぱい詰まっていた事を発見します。心の安定を求める事が『不安の元になっていた事』不安を受容れた時にこそ、安心が隠れていた事が分かる様になります。言い換えるなら『安心を求めない時にだけ、安心が在る』と言う事実に気付く事です。


うつ病は、探しても何処にもあるはずも無いものを求めていた事を意味します。『心を正常にしようとしない時にだけ、心は安定している事』うつの苦しみは『現実には存在していな苦しみです。』頭の中に自分の良し悪しをする心が作り出した幻でしかありません

目の前の真実の世界と『頭の中の架空の世界』のせめぎあいを、うつとして悩んでいる事を意味します

うつ病は『自分の心を正常に戻そうとしている場合の事です。』

精神バランスを崩すとは、『自分の心を正常に戻そうとしていないながらも、おかしいと思っている状態』と思います。

処が『自分の心の正常さ』と言う課題は、何処を探したところで、そんなものは何処にもありません。こう云った無いものを探す行動や心理ですので、治り難くなっています。

人間の心の最上な状態とは『自分を忘れている時の事です。』最高な表現で言うならば、人間が天国にいる状態と表現するならわかり易いと思います。

聖書によ...続きを読む

Q西田の純粋経験について

西田幾多郎の純粋経験や主客未分といったものは、現代ではどのように評価され、また解釈されているのでしょうか。

私の見解では、多くの観念的な悩みが純粋経験によって消失しますが、現実は一つも変わりません。
雨が降れば傘を差し、日々の勤めに精をだし、飯も食い、そして一日一日また歳をとっていく。

頭の中の悩みを消し去ったというのは一つの功績として立派ですし、静かな思索が可能になったというのも大きなことです。

風邪を引くとか、怪我をするとか、そういったことは回避できませんが、心は軽くなったように思います。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。

リンゴは自分の中にあるという認識の世界において
誰しもが別の世界に生きているのは、ご存知のことかと思います。

その認識で観察し得たものである訳ですから
その世界で体験した者しか、その世界は存在しないと考えています。

現象は、起きる条件が揃わないと起きることがないので
それは、人によって違いというものがあるかと思います。

観察からでも、観察し得るのは自分の事のみです。

それを「環世界」と言う、つまりネーミングがある事を
つい先日知りました。

それぞれの言動の違いは、「間違いではなく違いにある」と言うのは
そこから来るのかなと思います。


ここで大切なのは、a_honaさんの純粋経験によって
誰もデメリットを負わないと言うことであり
何一つ新たな問題が起きる訳ではないという言うこと。

a_honaさんが、少し軽くなり少しでも気分良く過ごせて
少しでも笑顔が増えれば、a_honaさんの周りの人も
少しだけハッピーになれると言うことだと思います。

徐々にでも自由を広げられたらと願います。


人気Q&Aランキング