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教え子を再び戦場へ送らせないという人は子どもたちにどのような教育をしているのでしょうか?

教え子を再び戦場へ送らせないという人は政府が右翼的になると、「平和平和」とか言っておりますが、大事なのは戦争に行かなくてもよい環境づくりではなく、どんな環境であっても教え子たちが戦場に行かないと意思表示することなのではないでしょうか?

私は学校の歴史の授業で戦争の悲惨さとガンジーの素晴らしさを知り、私は「日本が戦争をすることになったら、自分はそのときの日本政府に対してガンジーのように非暴力不服従の態度で戦場に行くのを拒否する。」と考えました。その考えは今も変わらず、例え戦場に行くのを拒否して監獄に収監され、爪をはがれたり歯を抜かれたりする虐待を受けようとも日本政府に不服従の態度を貫きます。私と同じような考えを持った人であれば、戦場へ送られて戦場で散ることはなく、獄死することになりますが、そこまでしてでも戦争に行くのを拒否するべきだと考えております。それなのに、戦争を出来る国になりつつある日本を憂いて政治家に文句を言うということは、教え子たちにせよ、そのような教えを広めようとする人も、私と同じ程度の覚悟は持っていないということでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

あくまで個人の考えです。

戦争は経済です。軍用機
兵器が必要な時巨額の税金が使われています。
子どもたちはとっくに危うさを感じています。スーパーのレジにいる高校生、「戦争が始まりそうで怖い」と言う 小学生と話すと消費税を上げて兵器を買うんだよね、アベノ○○は嫌いと言っています。デジタル世代は脆弱です。反抗心や抵抗感かありません。尾崎豊やブルーハーツは抗権力をポリシーにしていますが、今そういうアイドルはいないですよね、選挙権を18に引き下げ、憲法改悪、教科書統制、すべてつながってます。教師にも日の丸、君が代強制ですがごとし反抗する人はどんどん少なくなっています。少数でも戦争は嫌!!といい続ける必要があると思います。
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質問者のご意見とは正反対の意見になりますが、以下に意見を述べたいと思います。



戦場に子ども(教え子)送らないというの、全世界共通の親の願いではないでしょうか。
しかし、「爪をはがされたり歯を抜かれたりする虐待を受けようとも非暴力の不服従を貫く」という考え方には賛否両論があるかと思います。

戦争では無くても私生活でいろいろな虐待がありますが、そのような事態に対しても非暴力の不服従を貫くのでしょうか。非暴力では殺されそうになりませんか。自己防衛は、ある意味では本能的な反応ではないのでしょうか。

現在の状況で「戦場に教え子を送る」という状況には全くないと、私は判断しております。戦後七〇年戦争に巻き込まれなかったのは、「日本国憲法」の役割はある程度あったかも知れませんが、日米安保条約のおかげだと言えます。もしかりに沖縄が「琉球独立」という事態になったら、直ぐ中国に占領されるでしょう。

「非武装中立」あるいは「非暴力で不服従」などと主張されている方々は、「北朝鮮による拉致問題」についてどう考えておられるのでしょうか。これは、北朝鮮がわが国に侵略した結果起こした仕業です。それに対して、わが国政府が謝罪しながら平身低頭して「拉致被害者の返還」を要求しています。しかしほとんど効果がありません。

わが国が真の自首独立国家であるなら、自衛隊を活用して北朝鮮から連れ戻すべきだという考え方です。これができなということは、わが国政府は、きれい事を言っても外国に居る日本国民を守れないということです。

質問者のように意見が一部にあることは承知していますが、外国に占領された後、どんな惨めな状況になるかは、戦後のわが国の状況を思い出す・読み返せば理解できるのではないでしょうか。

戦争をしないことは、一番いいの皆理解しています。しかし、他の方の意見にもあるように、自衛をしていない国に対しては、自衛を目的に隣国が侵略してきます。過去の歴史が証明しています。

質問者自身が、「非暴力で不服従」の姿勢を貫くのは自由です。教え子の全てが同じ考えか否かは別問題です。教え子にも賛否両論の方々いると思います。

基本は、「自主独立国家とは何か」ということではないでしょうか。現在の平和を維持継続するなら、自衛のための備えが必要なように思います。
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>戦場に行くのを拒否して監獄に収監され、爪をはがれたり歯を抜かれたりする虐待を受けようとも日本政府に不服従の態度を貫きます



すばらしい!貴方は英雄です。でもそれは誰にもできることではありません。ほとんどのひとは私も含めて強権の脅迫には降参します。情けないことですが、人間とはそういうものだと私は思っています。

ですから、貴方の考えは一般的ではありません。
私には、戦争を可能にするという安倍製嫌のような、そんな世の中にならないように、反対の一票を投じるとか、予防するのが精一杯ですが、凡人にでもできるそれが一番確実で賢いやり方だと私は思っています。
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戦争で人類は生き延びた。



冬が来るたび身近な人類を襲い人肉を食して
生きた人々・・・遠い昔の事では無い。
シベリアではほんの200年ぐらい前の事。

世界でも人肉喰わずに済むようになったのは
同じような時代。だから二本足の羊という言葉
がまだ通用する。生き残る為に人肉を食した。

一神教はね他人を食べる論理として発達した。
異教徒は人間では無いという事で食べていた。
だからキリスト教徒は平気で黒人を食べたんだ。

食べるのが良いんだから殺すのは平気で良い事。
キリスト教対イスラム教を見て御覧、今でも戦う。
現代は偶然食料が間に合うので他の奪い合いなのさ。

あなたの考えは甘いと思う。監獄では無くて他人の
胃袋に入るのだ。現代戦でも生きたまま皮を剥ぐという
事は珍しく無いのだ。徴兵法があれば拒否は死刑も在る。

死刑か戦場に出て戦死するか生き延びるかの選択なのだ。
確かに戦場に行かなくて済むよね、でも戦死より早くて
確実な死刑になるんだよねー
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今の日本の自衛隊って、志願制です。



>例え戦場に行くのを拒否して監獄に収監され、爪をはがれたり歯を抜かれたりする虐待を受けようとも日本政府に不服従の態度を貫きます。

そもそも、現在の日本で、↑のような徴兵は起こりません。
兵器がハイテク化して、取扱いが難しいので、徴兵で嫌々やらせても、本来の性能が発揮できないらしいよ。
向いてない奴に事故られた方が困る・・・ということでしょうか?
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専守防衛、戦場には「行かない」が、国を守るために迎え撃って戦うと、私は学校教育で教わったつもりでいます。


憲法第九条も、宣戦布告をしないことと、軍隊としての戦力を持たない ということで、民兵によるゲリラ戦は認めていると思っています。

ベトナム戦争が行われている時期に義務教育でしたから、この辺は先生も真剣に生徒、児童に考えさせていましたよ。
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五番さん



はっきり間違っています。日本が平和を獲得したのは日教組の平和教育が貢献したから戦士した教え子はいないと書いてありますが
それがあなた方の教育を肯定することでしょうか?
戦士した教え子がいなかったのは日本国憲法を国が尊守したからではないんですか?全てがあなた方の成果なんですか?そう思い込むことが疑問です。

戦争を喧嘩にたとえましょう。喧嘩がなければ平和でしょうが あなたがいくら謝ろうが喧嘩を仕掛けてくる人がいるように 日本がいくら戦争を回避したところで戦争を仕掛けてくる国はあるのです。戦争は一方の決定でできる行為なので日本がいくら頑張っても無駄な時がありますね。

戦争は絶対にしてはならない。この教えだと、このような仕掛けられた戦争も戦いを放棄して相手国に占領され、日本国民が強姦され暴行され殺戮され、都市を崩壊され、日本国民に対して強制労働をさせ、日本国民に対して服従を迫る外国軍に対しても戦わないんでしょうか?

その危険は現実に日本近海にたくさんあるじゃないですか?尖閣諸島での中国との対立、竹島の韓国の占領、北方領土のロシアの返還要求拒否

これらの国境紛争において戦争を避けろだけの主張だと、これらの国が戦争もやむを得ないという態度をとってきたら、じゃあ尖閣諸島あげますから戦争はやめましょうよ。竹島あげますから戦争はやめましょうよ。北方領土あげますから戦争はやめましょうよ。

これがあなた方の正義なんですか?

それで終わる話だと思いますか?

中国は次に沖縄、韓国は次に対馬、ロシアは次に北海道を要求します

それも戦争をさけるためには相手に差し上げろと言うのですか?

もちろん、国際社会に訴えたり、方法論はありますよ。でもね。国際社会つうのは、倫理観で成り立つ社会じゃないでしょう。国益の損得勘定で成り立つ社会です。従って、日本が相手の侵攻を避難しても、まかり通るとは限らないんですよ。

領土だけならまだしも、そこに住む住民や施設まで支配されても見逃せと言うのが日教組の考えでしょうか?

あなたとは対論しても結構です。そんな間違った教えを未来ある学生にして欲しくないです。

身内や同胞が殺戮されていても戦うな!戦争は拒否しろ!それが日教組なら
くそくらえだ。解散してください。

自分たちの自由が奪われることがあれば戦うのが正しい教えではないんですか?

侵略から日本を守る。場合によっては生死をかけた戦いもありますよ。

戦争を否定するなら日本から仕掛ける侵略戦争を否定しましょう。それなら賛成。でも他国から仕掛けられた侵略戦争には戦いましょうよ。はっきり言えば、戦争しましょう。同胞の殺戮があっても黙っていろと言う教えってなんなですか?
家族が殺されて黙ってますか?恋人が殺されて黙ってますか?友人が殺されて黙っますか?

平和社会をきづく努力は必要だけど、絶対に戦争をして悪いわけじゃないでしょう!違いますか?

祖国を守るために命をかけること。それによって家族や恋人や友人を守ること。そのためには外国軍の兵士を殺すこともあります。それが悪いことなんですか?断っておきますが侵略された場合のみです

何が間違えだなんで
勘違いも甚だしい
どんな学歴を持つか知らないが世間知らずも甚だしい。ふざけんな、日教組
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 平和は何もしなくても得られるものではなりません。

政府国民の努力によって作られるものです。そういった意味で平和教育はとても大切な意味を持っています。
 もちろん日本に自衛隊がなければならないでしょうし、PKO等の平和貢献活動も必要なことです。
 今の日教組には何の力もありませんが少なくともこれまで日本の若者が戦死することだけはありませんでした。何か間違っているでしょうか?
 
 
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"大事なのは戦争に行かなくてもよい環境づくりではなく、


どんな環境であっても教え子たちが戦場に行かないと
意思表示することなのではないでしょうか?"
 ↑
大事なのは、戦争に行かなくてもよい環境づくりではなく、
戦争にならないような環境づくりです。

俺は戦争にいかないといくら主張しても、戦争の方で
すり寄ってきます。
戦争は自国だけでは出来ないのです。


”戦争の悲惨さとガンジーの素晴らしさを知り”
    ↑
インドは、結局は武の力で独立した訳ですが。
ちなみに、インド独立には日本が多大の寄与を
しており、インド独立に触発されたアジア、アフリカ
諸国がその後の独立運動を起こしたわけです。


”そこまでしてでも戦争に行くのを拒否するべきだと考えております”
     ↑
勇気がありますね。
「勇気とは、それが必要になる時までは
 誰もが持っているものである」


”私と同じ程度の覚悟は持っていないということでしょうか”
    ↑
自分のことだけを念頭に入れているのであれば
それも可かもしれません。
だが、大切な人のことはどう考えますか。
大切な人がむごたらしく殺されるのを黙って
見ているのですか。
己の覚悟の為に。
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すでに回答があるように、戦争の無い世界は理想ですが、それは理想論です。


第一次大戦後、多数の死者を出したことで、「科学技術の進歩により、戦争は、昔のようなちょっとロマンのある戦いでは無くなったことを世界中が知った。これでもう、戦争は無くなるはずだ」と世界の人々は考えたそうです。
でも、その後も戦争は無くなりませんし、第2次大戦も勃発しました。

「教え子を戦場に送らない」ということは、「敵が侵攻してきても無抵抗で降伏しろ、貴方の妻や娘が目の前で、敵兵に強姦され、殺されても何もせず、それを見守るだけにしろ!生き残った自国民が奴隷になって、遠くの地で強制労働させられても、それを素直に受け入れろ!”という教えです。

「どんな環境であっても教え子たちが戦場に行かないと意思表示する」というのは、そういう売国奴的な意志表示をするということです。
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