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ブータン帰りのある人が言ってました。
無であると分からないことが有なんだよねって。
さてどこが間違いなのでしょう。
 

 

A 回答 (17件中1~10件)

確実に真であると定義できないような抽象的・概念的な事象に対し、「間違い」と断定する考え方こそ間違いだと思います。



ブータン帰りの人がそう思ってるのなら、その人と、その考えに共感できる人のなかでは真。
それ以外の考えを持つ人にとっては偽。
考えを持たぬ人であるなら、少なくとも真偽を問うことすら許されない。

哲学であるなら、踏み込めるのはそこまでだと思います。
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この回答へのお礼

 

分からないと感じるのは心のなせる業である。
分からないと感じるのであれば、その分からないと感じる主体が存在しなければならないはず。
分からないと感じる心の持ち主である。
そもそも無が何かを感じることは出来ません。
 

お礼日時:2014/12/07 08:07

言い換えてみましょう。


「有であると分からないことが無なんだよねって」
これ、般若心経の「色即是空、空即是色」と同じ意味、仏教の神髄です。
凡人に理解できないのはやむを得ません。
斯くの如く云う小生も、クズのような凡人の一人です。
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この回答へのお礼

>言い換えてみましょう。
>「有であると分からないことが無なんだよねって」

これは様々に言い換えることが出来ます。
「既に満たされていることが分からないことが満たされていないってことなんだよねって」
「既に幸福であることに気付かないことが不幸ってことなんだよねって」

「色即是空、空即是色」、仏教の神髄ってこれのことだったんだよね。
 

お礼日時:2014/12/07 08:19

まず、「有」とは何であるか言ってみて下さい。


それから説明しましょう。
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この回答へのお礼

 
>まず、「有」とは何であるか言ってみて下さい。

それは簡単なことです。
「宇宙は存在する」、これが有です。
 

お礼日時:2014/12/07 09:33

般若心経の「色即是空、空即是色」と同じ心境なのでしょう。

私はこの内容を本当だと思える嘘だと思っています。これを仏教の真髄と思っている馬鹿者がたくさん居ます。しかし、この内容は死を意識する時には有り難いのです。騙された状態て人生を過ごして、死んでゆくのも良いかもしれません。
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この回答へのお礼

 
>これを仏教の真髄と思っている馬鹿者がたくさん居ます。

仏教=般若心経=「色即是空、空即是色」でしょ。
 

お礼日時:2014/12/07 08:25

”有”、かりそめの現象界。


その中でそのまま現象でしかなければば、”無”という現象の実在を分かることはできまい。
ではないですか。目がみていることだけの世界に意識と存在があれば、目の後ろの観ている存在を知ることもできませんね。
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#3の者です。



>「宇宙は存在する」、これが有です。

それは、『有』を『存在』に言い換えただけの、言語上の置換に
過ぎません。
その「有」や「存在」の内容について明確にして下さい。
私は、「無とは分からない事が有である」を証明しようとした
訳ではなく、自分の生きているこの世界(有)について、詳しく
分析した結果に過ぎません。
私以上に「有」の現象的多様性や原理的階層性について
分かった上での間違いのご指摘であれば、同じ深淵を覗いた
者として真摯にそれを伺いたいと思うのみです。
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この回答へのお礼

 
「宇宙は存在する」の対局にあるのが「宇宙は存在しない」という信仰です。
結局、無を願う人達は「宇宙は存在しない」、「宇宙は存在して欲しくない」と願っているのです。
これは無の思想であり、信仰です。
しかしながらこれは哲学ではない。
無の思想、「宇宙は存在しない」からは如何なる有意義な哲学は生まれないと断言できます。
哲学はまず「宇宙は存在する」という事実から出発します。
宇宙が存在しなければ如何なる物理学も成り立ちません。
 

>私は、「無とは分からない事が有である」を証明しようとした
訳ではなく、自分の生きているこの世界(有)について、詳しく
分析した結果に過ぎません。

自分の生きているこの世界は存在すると感じているのであれば、既に答えは出ているのです。
宇宙は無ではありません。
 

 

お礼日時:2014/12/07 11:13

こんにちは。


>無であると分からないことが有である

無=>無い。
である事が分らない=>無い。
ことが有だ=>な~んでカ?
と言う事になる。
この場合には、有無と言う言葉が先ず有る。
有ると無い=>○○が、有るか無いかの問いかけ
であるはずであるのに、そこが欠けている。
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この回答へのお礼

 
えーと、哲学ってのはね、言葉遊びであってはならんのです。
往々にしてこのような言葉遊びを持ち出すもんだから、哲学は腐敗してしまったんです。
「宇宙は存在する」。
まずこれが哲学の出発点でなければなりませぬ。
 

お礼日時:2014/12/07 11:20

先日も別の質問に回答したのですが、



「言語があるから、物が存在する」

といふ説は、ひとつの見方にすぎず、言葉があつてもなくても現実の世界は存在します。
それと同類の勘違ひと思はれます。
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この回答へのお礼

地球が誕生した当時、人間はいなかった。
だから言葉もなかった。
しかし地球も月も太陽も存在した。
言葉があつてもなくても現実の世界は存在します。
 

お礼日時:2014/12/07 20:54

 こんにちは。




 ○ 無であると分からないことが有である

 ☆ この命題について何か言えということですが 二点あります。


 1. これは 世界のあらゆるコトはマチガイなくうつろいゆくものである。と言っています。それとして 合理的な世界理解です。

 2. ただし 表現の問題をことさら取り上げるならば 《無であると分からないことが有である》と言ったのでは 《無である》ことがあたかも限りなくつづく状態であるかのように言ったことになります。

 2-1. この《限りなく続く無の状態》とは何ぞや? という問いが必然的に出て来ます。

 2-2. じつはすでに 張本人に訊きました。その結果 よう答えなかった。《無》とは《否定する》ことだと言うのみです。


 【Q:《無に還元する》の《無》とは 何でしょう?】その回答No.1
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8826773.html


 
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この回答へのお礼

>1. これは 世界のあらゆるコトはマチガイなくうつろいゆくものである。と言っています。それとして 合理的な世界理解です。

日本的に言えばこの世は諸行無常であるという観念、西洋的に言えばヘーゲルの弁証法的世界観を意味しましょう。


>《無》とは《否定する》ことだと言うのみです。

おそらくそうなのでしょう。
無を願う人達はこの世に大勢います。
このような人達は、宇宙は存在して欲しくない、この世は無であって欲しいと願っているのです。
そして宇宙を否定し、宇宙は存在しないなどと考えたりするのです
このような人達は無の境地を求めて座禅を組んだりします。
あるいは色即是空、空即是色と唱えたりします。
全て願いであり、信仰です。
哲学ではありません。
 

 

お礼日時:2014/12/07 12:59

こんにちは。


ANo7です。
>
「宇宙は存在する」。
まずこれが哲学の出発点でなければなりませぬ。

ブ~タン帰りの、アル人の言葉で──
宇宙が「無であると分からないことが有なんだよねって」
──どこが違うのか?との質問になって居ます。
宇宙は存在して居ます、現在は光速でです。
しかし、これは哲学とは言わないと思います。
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この回答へのお礼

 
>しかし、これは哲学とは言わないと思います。

一つはっきりさせておきます。
あらゆる思想も如何なる哲学も宇宙が存在しなければ全て無意味なのです。
それ故、まず「宇宙は存在する」という真実から哲学は出発します。
 

 

お礼日時:2014/12/07 21:24

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