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フランス人の友人から聞いたのですが、大戦中にフランス都市部へのアメリカ、イギリス軍の爆撃は
ドイツ軍のいそうなところは片っ端から空爆したのでかなりフラットな状態にされたらしいです。一体、どの都市を爆撃して行ったのでしょうか?今日の朝日新聞にもある都市の爆撃ではフランス民間人が2万人も死んだそうです。もう少し、そのあたりの歴史を勉強したいです。

A 回答 (4件)

最も被害が大きかったのはカーンの街でしょう。


ノルマンディ上陸作戦で,交通の要衝と目され爆撃で廃墟にされ、
その後、ドイツ軍とイギリス軍が死闘を演じます。

カーンには平和記念館ができています。
http://normandy.memorial-caen.com

フランスをドイツから解放したのはアメリカですから、
フランス人は表立ってアメリカ人の悪口を言いませんし、
記念式典にはレジスタンス(占領下ドイツに抵抗した人たち)が大きな顔をしていますが、
ノルマンディやフランドルのフランス人は,アメリカ嫌いが多いようです。
ドイツ兵を追い払って進駐したアメリカ軍の風紀が悪く、
食料の横流しに始まり,略奪、暴行、殺人を行い、
ドイツ兵の方がよっぽど紳士的だったという老人もいるようです。

しかし,最近はアメリカ軍の無差別爆撃に抗議する動きもあるようで、
ノルマンディー上陸作戦70周年記念式典では、連合国軍の爆撃などで死亡したフランス民間人約2万人に対する戦後初の仏国家追悼式がカーン市の平和記念館で行われました。
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ナチスドイツは、比較的容易にフランスを占領しました。


フランス主力軍は、無力で抵抗できず、ドゴール将軍も亡命を余儀なくされていました。
そのため、ドイツ軍の爆撃は殆ど行われていません。
無差別空爆を最初に行ったのは矢張りドイツ軍。有名なピカソの『ゲルニカ』は、スペインの都市ゲルニカへの無差別爆撃に対する怒りを込めた名画です。ロンドンも無差別爆撃、砲撃の目標にされましたが、後にイギリス空軍もドイツの主要都市への無差別爆撃でお返ししています。
連合軍の爆撃も、目標地点に対する無差別なものになったようです。
制空権を失った日本に対しては、十分な偵察飛行が出来ましたから、攻撃目標がピンポイント化されました。
下町の町工場が兵器産業の主役であったことから、東京大空襲では一般人の犠牲が多かったようです。何故か皇居は攻撃を免れています。
男性が戦線に狩り出されて生産力が低下すると、女性労働力が町工場にまで狩り出されました。女学生の勤労奉仕など、日常化されていました。それは各国共通でしたが、フランスは国軍が居なかった事、女性の狩り出しも少なかった事が、日本とは様子の異なる点です。
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米軍について記します。




アメリカは第8空軍という部隊がイギリスに駐留し、作戦を行っていました。
目標は都市、インフラ、工場、基地など多岐に渡りますが、ノルマンディー間際の爆撃は「片っ端」という表現は正しいかもしれませんね。


どれくらいの規模、回数だったかという数字はすぐには挙げられませんが、第8空軍の退役軍人が立ち上げた「8th Air Force Histrica Society」の下記が参考になるかと。

 ※これは攻撃側の視点で、住民側の被害の視点は完全に抜けてますので予めご了承下さい。


http://8thafhs.com/targets.php
(英文で恐縮です)


ここのフランスにチェックを入れて検索するとフランス国内の目標が表示されます。
全作戦が表示されますが、Bomber Command Missionというのが爆撃ミッションです。

 ※都市が目標でなくとも、都市の中に基地などあれば市民は巻き添え食いますね...。
  スマート爆弾なんて便利なものは当時は存在しませんから。

ロンドンには亡命政府である自由フランス政権(首班は後のフランス大統領シャルル・ド・ゴール)が在る関係で下手なことは出来ませんが、それでも慎重にやった結果だと思います。


英軍もそれなりに爆撃してるはずですが、そちらは見てません。ごめんなさい。
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>一体、どの都市を爆撃して行ったのでしょうか?



主にノルマンディーからドイツ方面にかけての戦場になったフランス領でしょうね。パリや戦場にならなかった中部や南部のフランスの各都市は爆撃を受けませんでした。
当時のフランスはヴィシー政権がなんというかナチスの属国で、その一方連合軍側にはド・ゴールの自由フランス軍がいるという「どっちにも参加している」というような状態でしたね。ただ、一部の物好きのフランス人を除けば積極的にナチスドイツに協力する人たちはあまりいなかったようです。感覚的には、日本人が韓国軍に参加するかどうかみたいなもんかな。

ナチスドイツが作った宣伝映画で今に残っているものを見たことがあるんですよ。アメリカ軍の爆撃機が撃墜されて乗員がパラシュートで脱出して、捕虜になってそれをカメラに撮られているのですね。するとそれを見ているフランス人たちがアメリカ人を殴るんです。フランスの街を爆撃しましたからね。それをドイツ兵が「やめろやめろ」と制止するんです。
しかしパリ解放となると一転、今度はフランス人の間で「対ドイツ協力者」を吊し上げるようになります。戦場カメラマンとして有名なロバート・キャパの代表作のひとつに、町中を引き回される女性の写真があります。女性はドイツ軍士官の子供を生んでしまったので「対ドイツ協力者」として髪の毛を丸刈りにされて、「市中引き回しの刑」にされています。隣りにお巡りさんがいますが、あのお巡りさんは彼女を引き回す役ではなく、引き回される彼女がリンチされないために横についているのです。
戦争中はそんなことをやっていたのに、ドイツが負けたら突然に対ドイツ協力者を吊し上げてしれっとしたことについてはフランスでは長年タブーにされてきたそうです。しかし、近年になってようやく「ドイツが負けた途端に手の平を返したっていうのはやっぱり反省すべきなんじゃないか」というようになってきたようですね。
「第二次大戦中のフランスへの爆撃はどのくら」の回答画像1
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