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夏目漱石の"私の個人主義"という本で漱石は他人本位ではなくて、自己本位という考えを持つようになりました。しかし、私には自己本位とはどういうものかよく分かりませんでした。よろしければ、どういうものか分かる方がいらしたらどうか教えていただけませんでしょうか。

A 回答 (2件)

私の個人主義とうい本は昔読んだことがあります。

自分は一人で生きているのではない。といった内容だったように思います。その中で出てくる自己本位。自己本位とは“自分自身に生きる”ことだとおもいます。自分勝手生きるのではなく。自分自身に生きるのです。それは生きていることが素晴らしいんだと思える自分に変わること。なかなか難しいかもしれないですけど“どんな状況に置かれても自分は自分が好きだ!”といえる自分になることではないでしょうか?腐った自分もがんばっている自分も何もない自分もすべて素晴らしい好きだ!といえるのです。自分が幼いころ学歴の何もない母が漏らしたことがあります。「人間はなぁ、どんなときでも一生懸命やるのが人間の本当の姿だよ。」自分はそれを自分自身に生きることだと思って日々すごしています。最後にこれを釈尊は『随自意』といいました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
自分もこれから一生懸命やりたいと思います。

お礼日時:2004/07/04 22:36

まず『私の個人主義』の「他人本位」はこのように説明してあります。



「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。…たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです」(『私の個人主義』 講談社学術文庫)


この発言の背景としてあったのは、漱石の、日本人が英文学を学ぶことに対する疑問でした。
英語を母語としない日本人に、英文学が理解できるのか。
自分の判断とイギリス人の判断が異なった場合、自分の方が正しいと、一体何を根拠に主張することができるのか。

この場合、「他人本位」というのは、自分の頭で読み、理解し、味わうのではなく、他人の目を借り、解釈をしてもらい、わかったような気になることです。
イギリス人の解釈や評価を鵜呑みにし、それをそのまま日本に紹介することです。

さらに漱石のこの問題意識は、文学にとどまることなく、日本における西洋文化の移入についても通じていきます(江戸末期に生まれた文学者たちは、漱石も鴎外も、あるいは二葉亭四迷も、日本の将来について、非常に大きな責任を感じていたことが特徴です。このような問題意識は、数十年後に生まれた芥川龍之介や志賀直哉には無縁のものでした)。

漱石は開国して以降の日本の文化をこのようにとらえていました。

「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。…西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。…この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである」(『現代日本の開化』)

漱石は当時の日本の文化自体も、他人本位のものである、と考えていたのです。

漱石は「人の借着をして威張つてゐる内心の不安」(『私の個人主義』)を抱え、一部の人からはロンドン滞在中に“狂人になった”と噂されるほど悩んだ挙げ句にたどりついたのが、「自己本位」という考え方でした。

漱石は帰国して『文学評論』と題して、イギリスの18世紀文学史を発表します。

「言語こそ違へ、内容は文学である。文学といふ点に相違がない以上は、趣味を以て判断すべき以上は、自己の趣味の標準を捨てて人の説に服従するという法はない」(『文学評論』)

これは、文学に日本人である「自分の立脚地」を堅めた漱石のマニフェストとも言えるべきものです。
イギリス人による英文学の評価とはまた別個に、日本流の英文学の解釈にも意味がある、と漱石は考えたのです。

『私の個人主義』のなかで、漱石は「自己本位」とは、
「自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行く」
ことであると述べます。

さらには、こうした「自己本位」に立つだけにとどまらず、他人の個性をも尊重すること。
社会の中で生きていくための倫理的修養を積むこと。
これが漱石の言う「個人主義」であると考えることができます。

一方、日本文化に関しては、漱石は、たとえそれが外発的なものであっても、「上皮を滑つてゆく」ものであったとしても、そうした開化は避けられないと考えていました。
そのなかで個人が生きていくにはどうしたらよいのか。
それは「個人主義」に徹するほかはない、と考えたのです。

漱石の「他人本位」「自己本位」「個人主義」を簡単にまとめると、このように言えると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
とても詳しくて、分かりやすかったです。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/07/04 22:38

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