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最近神様はやはり居ないんだろうなと考えてしまい心の拠り所が無くなって辛いです。
神様がいたらこんなに不平等じゃないだろうし、神様て酷いことするなあと考えてしまいます。
震災や虐殺虐待等は、サタンのせいなんでしょうか?
居るとすれば、神様は一体何をお考えなのでしょうか?
(そんなこと聞かれてもわかりませんよね(苦笑))


私は、私たちを支配して試練を与えてくる何者かは居ると思うのですが、
キリスト教の様な慈悲深い神様は居ないと考えています。


以前、神社に行くと心が落ち着くので、よく行ってたのですが、神様は居ないと思うようになってから、行く気がなくなってしまいました。

神様が居ないとわかっていながら、
年始等、あんなに沢山の人がお詣りするのは何故ですか?

A 回答 (17件中1~10件)

神がいないとわかっているのなら、余程の理由が無いと参拝はしないでしょう。


つまり、神がいると確信しているか、いるかどうかはわからない人が参拝していると考えるのが自然です。
いるかどうかがわからなくても、もしいた場合は、期待できるわけですから、参拝する人はいると思いますよ。
要は、宝くじがあたるかどうかはわからないが、当たる可能性が無いわけではないから、買う人もいるわけです。(当たればいいなと思っている人が大多数でしょう)
縁起をかつぐとか、因習とかに関しても、それが実際に意味をもつかどうかがわからない場合でも、それを行ったり、信じているかのような行動をする人はいます。
行動自体に意味を見出すよりも、そのような行動をしても不利益が起きないのであれば、因習や他者と同様の行動をするのは、不思議な事では無いですよ。
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そりゃ、行く人は神様はいると考えているからでしょう。


また神様ではなくとも、人智を超えた存在に畏敬の念を抱くのは普通だと思います。
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初詣の話は 置いといて・・・・



神は居ますよ 

親なる神だからこそ 何もしない

子供の自由意思を尊重し 人間だけで 堕落から復帰出来る様に・・・

だからキリストが使命されたのです

人間が どんなに努力しても キリストを迎え入れないと 神の元に 辿り着けない様になっているのです(詳しく延べると 何百ページも必要だから省きますね)
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神様は自分の心の中に居るんですよ。


水に感謝する心、恵みに感謝する心。
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ちゃんと生きていけて、誰かに「ありがとう」って言いたんだけど、友達に言って、兄弟に言って、親に言って、ご先祖様にも言っても、物足りんような気持ち。

それで、多分、そこに神様がおられるという気持ちで参拝。神様、ホンマにおおきに、みんな手助けくれて苦境乗り切れました。神様、お願いやから、みんなにもようしてあげて、って。

そこに神様がいても、いなくてもどうでもいいんです。とにかく、心の底からありがとう、って言いたく、もし、おれば、手助けくれた人たちにも、いいようになるようにと、お願いしたいんだけです。

多くの人も参拝されますが、皆様、つきとめたら、私と同じような気持ちで参拝されているんじゃないでしょうか?
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お参りに行くとゆうよりも、遊びに行くと言った方が合っていると思います。


家族と、友達と、恋人と、一緒にいろんな話をしながら行くのって、楽しくないですか?

賽銭を入れて、手を合わせますが、お願いをすることはありません。

年始等にお参りするのは、お祭りに行く気分です。
他所の神社に行くのは、観光気分です。
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こんばんは



神様はいます、貴方の心に居ます。
人間は、良く生きることに意味があります。ソクラテスの「無知の知」=自分が無知であることを知る事から始まりがあります。

神社には、天照大神という太陽神に感謝するために参拝するのです。
何故なら、太陽がなければ人間は生きていけないからです。

また、人間は主観と客観で物事を判断します。
この世界が不平等に思えるのは、貴方の主観や客観による認識からです。

太陽や地球や宇宙を考えると世界は変化しながらも、人間を生かしてくれています。
自分の知らない事にであったら、その都度、判断して行動してください。
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科学的に宇宙の起源が解明されてくると神様の存在は無いと言う事になります。



ローマ法王がスティーブン・ホーキング博士に、宇宙の起源を解明してはいけないと反論したそうですが、解明されると宗教自体否定する事になるからですね。

http://desktop2ch.tv/newsplus/1288675673/

このサイトでのローマ法王の発言が神の存在を証明する事にはならないと思います。
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クリスチャンではありませんが、少し旧約聖書を読んでいます。



ヨブ記では、大天使サタン(悪魔王サタンとはまた別の存在の解釈のようです)が
神様から許可を得て、ヨブの信仰心を試すために様々な不幸を与えますが
それでもヨブは折れずに、神への信仰を貫き最後には祝福されたようです。

ヨブの子達が亡くなってて蘇ったわけではないのに??という不条理さはありますが
まぁ、神様ってそんな試練を与えることもあるもんだと思って気楽にいきませんか?

尚、初詣の神社は、キリスト・イスラム・ユダヤの「主」がおられるところではなく
精霊信仰としての神道での「八百万の神々」を祀った場所です。
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日本人の多くはキリスト教徒ではないですから、キリスト教のような「神」がいると信じている人は少ないです。

多くの日本人は、日本の伝統的な多神教を漠然と受け入れているのです。
だから、神社でもお寺でも教会でも道端のお地蔵様でも、「人が拝むものはとりあえず何でも拝む」のです。

ちゃんキリストを信じているキリスト教徒は神社やお寺へ行っても「拝み」ませんし、クリスマスに恋人とホテルへ行ったりもしません。

日本人の多くは、漠然とどこにでもかしこにでも「神が宿っている」ので、「とりあえずみんなと一緒に拝んでおけば罰は当たらない。もしかしたらご利益がある」と思っているのです。

宗教というよりは、「習俗」といったほうが適切でしょう。

心が落ち着くのは、「いつもの習慣をすると安心する」のだと思います。
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