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東京都での路面電車は、都電荒川線だけですか?

A 回答 (3件)

かつて昭和40年代に入ったばかりの、私がまだ5歳くらいの時は、都電は都区内に43系統ありました。



自動車の普及で交通渋滞の原因として、廃線が進み、最後の時期に残ったのが、27系統三ノ輪-王子経由-赤羽と、32系統荒川車庫前-王子・大塚経由-早稲田でした。荒川車庫は27系統の三ノ輪-王子間にあって、この2線の車庫でした。なので、王子-荒川車庫間は、27系統と32系統が、同じ線路を走りました。

この2系統で道路を走る場所は、27系統は赤羽から王子まで(現在の王子駅前電停に、北本通から入ってくる路線)と、32系統が飛鳥山電停から王子駅前まで、明治通りを通ってくる場所、そして小台付近から町屋駅前付近までと、併用軌道区間は少ない上に、大通りを走るのは飛鳥山-王子間と赤羽-王子間のみでした。

この2系統も廃線が決まっていたのですが、27系統王子駅前-赤羽間を廃止したとき、こちら分の車両は廃車しなかったことで、到着時間になると、ラッシュ時間は4両くらいがつながって電停に到着し(都電の団子運転と言われました)、待っていた人のほとんどを載せてくれること、残っている区間のほとんどの区間が専用軌道で、電車の遅れがほとんどなく運行されるため、道路を走るバスが渋滞で遅れて走る中、都電は定時運転であったこと、専用機ふぉうがカーブがきつくて幅が狭すぎるため、廃線後に道路に転換しても歩行者専用道路か、良くて一方通行にしかならないため、その対応にとは苦慮しました。

その中で当時の沿線住民から、遅れが少ない住民の足として残して欲しいと嘆願書がとに届き、その後の都議会で、当時の美濃部都知事が都電は現在残っている区間を一つの路線として、荒川線とさせる。路線は存続させる、と明言したことで、現在も東京名物として残りました。

その後豊島区が向原電停で分岐させて、池袋駅前(東口)までの路線を建設すると言いだし、敷設免許も取りましたが、それから約20年経った現在では、建設はされて居らず、最近は話も聞かなくなりました。

東急世田谷線は、大正14年に開業した玉川電気鉄道(路面電車型式の軌道線)玉川線をルーツとした路面電車で、渋谷-三軒茶屋間でした。略称は、東急合併後も「玉電」でした。

田園都市線を大井町線の延長的に建設(玉電が一部並走)した際、渋谷下高井戸間を廃止、この時現在の田園都市線は、新玉川線と名付けられ、軌道線は世田谷線になっています。

路線は現存している区間は並走道路の整備がうまく出来なかったこと、専用軌道を前線走ることで、自動車の邪魔にはならないこと(まるで都電荒川線ですね)で、存続となったと言われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/31 13:44

軌道法で営業されているのは、都電荒川線と東急世田谷線ですが、東急世田谷線は、道路を使用する区間は若林踏切だけです。

(これは路面利用と言うより踏切と言うべきですが、遮断機が無く自動車用信号で車の通行を制限しているので、ある意味貴重な存在です)
併用軌道が王子駅付近で残っている、都電荒川線のみが路面電車と言っても過言では無いでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/31 13:44

東急世田谷線があります。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/31 13:44

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