『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

普通、小選挙区制を用いると、政党の数が二つに収斂するといわれています。
しかし、もし、最高裁裁判官の国民審査のように、立候補者全員を等しく不支持にしたり、逆に全員を支持する…そんな投票ができるような制度に変えるとどうなるでしょうか?

例えば、二大政党の片方(ここでは民自党とでも呼びます。)が、内部分裂を起こして四つに分かれたとしましょう。普通なら、分裂をした方は候補者一人当りの票が減ってしまい、分裂しなかった方(同様に、主民党と呼ぶことにします。)に勝つことは絶望的です。
しかし投票制度が国民審査のようなものなら、旧民自党の支持者達は、四人の候補者全員に支持の〇を付けることができます。これなら、候補者一人当りの得票は分裂前と変わりません。選挙前の候補者調整で、選択肢が狭められることもなくなると思います。
しかも、民自党系の四人の候補者のうち、誰が当選するかを決定する手段は、民自党の支持者達にはありません。四人のうち誰が当選するかは、民自党を支持しない人達の票で決まることになります。多数派の中でも、少数派に配慮した者だけが議席を得るだろうと思います。

上の二点は国民審査のような投票制度の長所だと思いますが、本当にこの長所は発揮されるでしょうか?短所としてはどのような事が考えられるでしょうか?
また、小選挙区制を改良?した例として、フランスのような二段投票やニュージーランド等の委譲式と比べて、どうでしょうか?
そもそも、国民審査のような投票制度の、実現性はあるのでしょうか?裁判官の(あれの投票は事実上無意味でしょう。)以外、実例を知らないのですが。

いっぺんにいろいろ聞いてしまい申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (9件)

本論とは直接関係がありませんが、



>>「一票で特定候補の当落がコントロールされる選挙制度があってはならない」といいますが、<<

 私は一人の「有権者」により当落がコントロールされるということを申しましたので、誤解のなきように。

 また、
>>独裁者が有権者の数だけ居れば、独裁者が存在しないのと同じです。<<

 というのも少々言葉遊びが過ぎるようです。みんなが独裁者という場合の一人一人を指して「独裁者」とはそもそもいわないわけですからね。ま、それはそれとして。

>>その手段である「一票を投ずる」事に、政府の運命を左右する力がないはずが無いと思います。<<

 私も別に一票が無力だといったつもりはありません。一票「そのもの」よりも、一票の「積み重ね」に重きを置いているだけです。有権者は、あえていえば、私の一票が、ではなく、この一票の積み重ねが、ある候補者を当選させるとは思うでしょう。そういう意味での期待はあるでしょうが、これはあなたがおっしゃる言葉通りの意味ではないはずです。

>>それはフランス式やニュージーランド式でも言えることです。<<

 フランスでもニュージーランドでも、有権者は明確な選択を下すことができますし、その機会があります。フランスでは、一回目の投票の時に自分の好きな候補者に投じ、二回目では次善の候補に票を入れることができます。そして、候補者はそれを、投票結果の形で明確に認識することができます。移譲式もしかり。しかし、○×を候補者の数だけつけるお説のような方式では、そういう意思表示の機会が奪われています。ですから、この指摘はあたりません。

 なお、フィギュアスケートにたとえた例が挙げられていましたが、これは採用することはできません。なぜなら、投票は本質的に持ち点制とは異なっていますし、なぜCBが中間点をBに投じるかの理由も明らかではありませんから。

>>この高支持率は自民・公明だけでは全然足りません。この時、民主党の一部支持者は管さんより小泉さんを支持していたのでしょうか?<<

 その通りです。ただし、民主党支持者は民主党を依然として支持していることは、同じ調査で行われている政党支持率の質問で確認することができます。

>>他の候補者に関係なく支持不支持を選べる審査式は、元首の支持率調査と似た振る舞いをすると私は考えます。<<

 前提とされているのは、確か議員選挙であったはずですが。議員選挙と、施政の最高責任者を選ぶ選挙(元首選挙という言葉は、あいにくこなれた言葉ではありません)では自ずと有権者の投票行動は異なりますので同列に論じることはできません。また、施政の最高責任者を選ぶ選挙と似た振る舞いをすることが、議員選挙でもいいことであるとは私は思いません。

>>お話の「年金改革に反対の自民党員」の場合、共産党が首相をやる方が自民党がやるよりも、初期の内閣支持率は高いと思います。<<

 そういう結果がでる選挙制度がいいとお考えなら、それでも結構でしょう。ただし、それが国民の選択であるかどうかは別の話です。

>>だから元首は一つの国家に一人しか居ないし、一人しか当選しない選挙制度が存在します。<<

 上述の通り、小選挙区制と、大統領選挙の類を混同してはいけませんね。その次の

>>審査式は小選挙区の仲間なので、直ちに国家の船頭が多くなってしまうことはありません。<<

 も、申し訳ありませんが、私にはよく理解できない言葉ですので、できれば補足していただけないでしょうか。

>>ところが、あなたの知っている投票制度で、細部を妥協する作業が必要なもの、いや、どこが細部なのか有権者が決めれる制度が、審査式以外でありますか?大半は、一番支持する候補と、そのほかの候補の間のみに、大きな方向性の差があることを前提にしていませんか?1番目と2番目に大きな違いを感じない有権者(分裂したばかりの党の支持者)を無視していませんか?<<

 そういう特殊状況のみに目をとらわれていては、正しい議論はできません。それとも、政党は、選挙の前には常に分裂するのですか。それに、○×式で有権者は細部を選択できると考えるのは、明らかに間違っています。○をつけた候補者の、どの政策を支持するかは明らかにすることができませんからね。

 以前、お説のような制度では政党間の違いがあっという間になくなってしまうというお話をしました。そのことにはあなたも同意されたと思います。それなのに、今、政党間の違いを前提される理由が私には理解できません。違いがない政党間で候補者を選ぶ理由は何ですか、という問いにもお答えがないようです。

>>審査式は択一の制度(のように使う有権者もいるでしょうが)ではありません。だからこそ、有権者は政策決定の好きな段階に参加できるのです。<<

 それも違いますね。重ねて申しますが、○×式で立候補者の数だけ投票できるとして、かつ、「政策決定の好きな段階に参加できる」=自分の好みの政策を訴える候補にはすべて投票する、と仮定すると、「有権者が最も重きを置く政策は何か」が分からなくなってしまいます(なぜなら、選択肢は候補者の数だけの○か×かしかないからです)。あげく、全員に○がついた場合には、この有権者は結局何の選択もしていないことになります。
 では、どこまで○をつけるのか。これは有権者個人の主観にゆだねられますが、上述したとおり、政党間の政策に大きな違いがなくなってしまう以上、結局は選択肢を奪っただけの結論になると私は繰り返し申しています。なぜか。○×式では、「支持を得る」ことよりも「不支持されないこと」が重要になるからです。○をつけられることより×をつけられないこと、と言い換えても結構でしょう。従って、本当に重要な政策課題においてこそ、違いがなくなってしまいます。

>>大体、有権者の全体意思を反映できる候補は存在するのですか?<<

 いませんね。ただし、○×式にしたところで、それは同じことですよね。多数の○を得たからといって、その候補が全体意思の体現者であるとはいうことはできない。ならば、その点について、一票制と候補者の数だけ投票できる制度に違いはありませんから、議論する意味はありません。

>>せいぜい、小泉さんの記録した、8割の部分意志が関の山でしょう。なら、元首になったときの支持率が最も高そうな候補を当選させるのは、不合理ではないと思います。 <<

 上でも少し申し上げましたが、お話の前提は「議員選挙」であったはずですね。元首を選んでいるわけではありません。またもし、元首を選ぶとしても、元首は一人しか存在しない以上、「一人以上の人」に投票できるお説のような制度は、やはりどう考えても合理的な思考の結果とは思えません(それにたとえ、どんな効用があろうとも)。○×式にもそれなりの利点があることは一応理解したつもりですが、それは、かなり限定された特殊な状況の下であって、多くの場合にはその利点はでてこない、と、あなたの説明を読んだ限りでは理解せざるを得ません。

この回答への補足

No.1の補足で書いた通り、話の前提は「元首の選挙」です。議員定数が一人でない限り、議会が多数決原理(議員が三人以上いないと出来ません)で議決をする限り、「議員選挙」は比例的なもの(全国一区の大選挙区制や全国一区の比例代表)でないとダメだと思います。だから、その議会の議員選挙にいかなる類の小選挙区制・ブロック制を用いることには私も反対です。

確かに、私は元首の選挙と小選挙区制を混同しています。大統領選や首長選を小選挙区制より先に挙げなかったのは、やはり、選挙改革が国勢選挙だけで行われたからでしょう。選挙制度は改善する対象ではないという思い込みを、私は国勢選挙だけでしか払拭できませんでした。混乱させてしまい申し訳ありません。

「私も別に一票が無力だといったつもりはありません。一票「そのもの」よりも、一票の「積み重ね」に重きを置いているだけです。」
それなら、可能性を考えにいれたら、一票の可能性に重きを置く考え方と、積み重ねの可能性に重きを置く考え方は同じ結果になると思います。違いは、有権者が「俺の一票は最期に投票されるはずだ。だから、票の積み重ねはありえない。投票箱の中身は推測するしか無いが、万が一、誰かが同着1位なら俺の一票で当落が決まる。」か「俺の一票は最初に投票される。だから、俺の一票で結果が決まるわけがない。俺の一票の後に続く票の数は推測するしか無いが、ある程度積み重なるはずだ。」ということではないでしょうか?投票の順番なんて結果に関係ないから、私は自分の考えやすい「最期に投票」で考えました。

そんなに「一番支持する候補」を表示することが重要なら、内閣支持率調査のように、「一番支持する候補には◎を付けて下さい。小選挙区では〇と同様に扱われます。◎は比例区の議席配分に使います。」と、小選挙区の結果には影響が無い項目を別に用意すれば良いでしょう。もっと単純には、首相選と議員選を同時にやれば、いや、同時でなくても議員選の結果を見れば、共産党首相の誕生を自民党の共産党化に結びつける事はありえないと思います。

「政党は、選挙の前には常に分裂するのですか。」
選挙後に、どっかの党みたいに派閥に分裂するより、ずうっと良いと思います。どうせ派閥に分裂するなら、選挙直前に分裂して、有権者に「どの派閥が良いですか?」と問うほうが、選挙後料亭で多数派工作をするよりましだと思いませんか?
もちろん現行の票割れする選挙制度では、政党は選挙前には絶対に分裂しないと私は思います。ただ、ニュージーランド式や審査式は票割れが無いので、これらの制度の下では、主要な現行政党は選挙前に派閥ごとに分裂すると私は思います。

「細部…○をつけた候補者の、どの政策を支持するかは明らかにすることができません」
普通の小選挙区制のことですか?
審査式なら、〇が複数なので、ある程度支持する政策を読み取ることが出来ます。〇が付いている候補者に共通している政策が支持されている政策、×の人に共通しているのが不支持の奴です。政策を基準に○×を付けることにより、その候補者が誰か、という違いを細部と見なしています。
一回の選挙で有権者が取り得る投票の仕方は、普通のは(候補者)通り、仏式は(候補者×2)通り、審査式は(2の(候補者)乗-2)通り、新西蘭式は大体(候補者)の階乗通りです。審査式一票当たりの最大情報記録能力は、新西蘭式に次ぐ大きさです。また審査式の投票の仕方は、普通の制度の投票の仕方を含んでいるので(一人だけ〇)、審査式で読み取れない情報は普通のでも無理です。
問題は、如何に有権者が細部と考える情報をカットして、一票の情報記録能力を、過半数を取れる方向性の表現に配分しているかだったと思います。最大情報記録能力は投開票時の負担に直結するので、効率良く使わねばなりません。

審査式に限らず、小選挙区制ではデパート効果が出てしまいます。では、そこでの政党間の違いとは何かというと、新参個人政党、つまり、私が党首の政党(党員一人)との違いです。デパート効果に毒されるためにはある程度選挙に立候補し続けなければなりません。しかし、新参政党は大抵初めての立候補なので、政策にばらつきがあります。このばらつきが政党間の違いになります。随分前に「政党間の違いが分からなくなったら、私が立候補するから、私に投票しなさい。」と書いたのはこのためです。理想をいえば、あなた自身が、政党とは違う独自の国策を持って、立候補すべきです。絶え間ない新参政党の下克上圧力が、小選挙区制を健全に保っていると思います(だから、二大政党制はだめになると思います)。デパート化した政党と、あなたの独自意見が同じなら、それはそれで良いではないですか。

補足日時:2004/06/25 13:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

本当のことを言うと、元首選挙はどうでも良くて、この制度を衆議院選の小選挙区に適用した場合のことに興味があったんです。現行よりちょっとはましになるのかなと。もちろん、全議席を比例で埋めるのとは比べものになりませんが。

疑問は解決しませんでしたが、自分の考えをある程度整理することが出来ました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/07/08 12:56

おっしゃることをあまり正確に理解できていないと思いつつ、とりあえず書いてみます。



お説の○×式の投票制度にしろ、現行の一票制にしろ、有権者がコントロールできるのは「自分が持っている票」に限られます。で、有権者は、「A候補は強そうだ」とか「A、Bの二人が接戦のようだ」といったアバウトな情報は持っているかも知れませんが、これは「確実な情報」(以前、私の言った「完全情報」にあたるもの)ではありません(だから、「A候補は当選確実」といった風評が事前に流れた場合、まれにA候補が落選してしまうことがあるのです)。
 こういう状況下で有権者は、*特定候補の当落をコントロールすることは絶対にできません*(当然、してはなりませんが)。これは、どの投票方式でも同じですが、要するに「他の有権者の意思を読みとったり、他の有権者に自分の意志を強制する手段がない」という、ごく当たり前のことを前提しているからです。だからこそ、有権者は本当に自分の意志で投票することができるのです。

 さて、接戦を演じるA、Bの両方ともに投票できる場合、A-11さんがおっしゃるように片方に○、他方に×をつけなければ選択する意味がないとすれば、Aが所属する政党の支持者は、Aに○をつけ、Bに×をつけるでしょう。逆もまた然り。では、第3党のCを支持している人は、どう投票しますか? 本来、Cの支持者にとっては、一見するとCのほかにA、Bにも投票できて、当選者を決めることに参画できるからいい、ということになるのかもしれません。しかし、AかBの当選を決めるのがCの支持者、という状態は、おかしくはないですか? またこの場合、「移譲式」と違って、Cの支持者は「AかBか、どちらかといわれればこっちだ」という消極的な選択であったという意思を表示できません(○か×しかつけられないから)。ですから、CのほかにAにも○をつけた人は、その人にとっては消極的選択であったにもかかわらず、最初からAの支持者であったかのように扱われてしまうのです。

 こういう状況での投票の結果、Aが当選しました。Aは正しい民意を代表しているでしょうか? また選挙情勢を正しく見極めている賢い有権者が、自分の意志が反映されていないこの状況を「よし」とするでしょうか?

 なお、絶対多数についてのお話がありました。根本的な誤解があるかも知れませんが、政治は限られた資源をいかに配分するかというゲームですから、必ず選択が伴います。選挙も政治そのものであるとするならば、必ず選択されなければいけません。甲という場所と乙という場所に橋を造りたい、しかし予算はどちらか一方しか出せないというときに、では甲に先に作りましょうというのが政治であって、「甲も乙も」という状態では国家は破たんしてしまいます。ですから、民主主義は古来から、比較の上で多数の意見に少数者が従う、ということをルールにしてきたわけです。

 絶対多数の概念は投票制度によって変わるという趣旨のことをおっしゃっていますが、私に言わせれば、○×を候補者の数だけつけられるお説のような制度は、選択ではありません。「共産党は嫌いだけど、年金改革には反対」という自民党支持者は、もしかしたら自民党のほかに共産党にも○をつけるかもしれませんが、その結果、自民党支持者の票+共産党支持者の票で共産党候補が当選した場合、これは有権者の意思を反映したものですか? 最初に述べたことを形を変えて繰り返しているだけですけれども、これは部分意思の集合ではあっても、有権者の全体意思であるとは、少なくとも私には思えません。細部で完全に支持はできなくても、大きな方向性は○○党支持、だから○○党に投票するというのが健全な民主主義だと思うのですが。

この回答への補足

「一票で特定候補の当落がコントロールされる選挙制度があってはならない」といいますが、別の一票でその効果を完全に打ち消せるなら、その選挙制度は多数決原理を満たしていると私は考えます。独裁者が有権者の数だけ居れば、独裁者が存在しないのと同じです。そもそも選挙は、政府を作る権利を国民が得るための仕組みです。その手段である「一票を投ずる」事に、政府の運命を左右する力がないはずが無いと思います。

「AかBの当選を決めるのがCの支持者、という状態は、おかしくはないですか?」
それはフランス式やニュージーランド式でも言えることです。小選挙区制の中で、例外は普通の奴しかありません。

「Cの支持者は…消極的な選択であったという意思を表示できません(○か×しかつけられないから)」
それでは、フィギュアスケートの審査員のように、有権者は候補者一人につき千点の持ち点を持っているとしましょう。CのなかにはAの(消極的)支持者(CAとします)が1/3、残りがBの支持者(CB)としましょう。
ここで、CBはBに500点(もちろん、Aには0点です)、CAがAに千満点(Bに0点)を付ける場合を考えて下さい。CBの1/3しかいないCAが、CBの意志をちょうど打ち消しています。フィギュアスケート審査で中間点を用いると、その審査員の意志が過小評価されるのです。私の提案した選挙制度は裁判官のが由来ではありません。いつかのオリンピックの審査員買収事件が、フィギュアスケート審査式の実現可能性を教えてくれたのです(中間点があったら、開票作業が大変です)。

「最初からAの支持者であったかのように扱われてしまう」
森・小泉内閣の支持率調査がその例です。森内閣の最期の支持率と小泉内閣の最初の支持率を単純に足すと100%になる、と自民党の誰かが言っていたような気がします(日経リサーチ社の調査によると、16 %→80%)。この高支持率は自民・公明だけでは全然足りません。この時、民主党の一部支持者は管さんより小泉さんを支持していたのでしょうか?では、この調査は民主党員を小泉自民党の支持者として扱ったのでしょうか?有権者は「民主党支持者の一部は小泉自民党の軍門に降った」と判断したでしょうか?他の候補者に関係なく支持不支持を選べる審査式は、元首の支持率調査と似た振る舞いをすると私は考えます。お話の「年金改革に反対の自民党員」の場合、共産党が首相をやる方が自民党がやるよりも、初期の内閣支持率は高いと思います。

「政治は…選択が伴います。…「甲も乙も」という状態では国家は破たんしてしまいます」
だから元首は一つの国家に一人しか居ないし、一人しか当選しない選挙制度が存在します。審査式は小選挙区の仲間なので、直ちに国家の船頭が多くなってしまうことはありません。

そして、政治に参加する集団は多数派と少数派の二つしかない、という理解は政策決定の最終段階にしか当てはまらないと私は考えています。政策決定の最初の段階は、構成員が一人の集団(個人)が有権者の数だけある状態ではないでしょうか?当然、細部では個人は一致しません。しかし、個人のままでは多数派になれないので、各個人は細かいところを無視・妥協して大同団結する作業が必要です。
ところが、あなたの知っている投票制度で、細部を妥協する作業が必要なもの、いや、どこが細部なのか有権者が決めれる制度が、審査式以外でありますか?大半は、一番支持する候補と、そのほかの候補の間のみに、大きな方向性の差があることを前提にしていませんか?1番目と2番目に大きな違いを感じない有権者(分裂したばかりの党の支持者)を無視していませんか?
審査式は択一の制度(のように使う有権者もいるでしょうが)ではありません。だからこそ、有権者は政策決定の好きな段階に参加できるのです。「細部で完全に支持はできなくても、大きな方向性は○○党支持、だから○○党に投票するというのが健全な民主主義だと思うのですが。」妥協の目的が多数派になることにある以上、○○党が多数派で無い限り、○○党支持よりもっと大きな方向性が表現できなければならないと思います。多数派にならない以上、それは第二政党支持者にすら言えることです。審査式以外の選挙制度は、最終段階になるまで第二政党支持者の妥協を許しません。だから、第二党の死票は再利用すらされないのです。

大体、有権者の全体意思を反映できる候補は存在するのですか?せいぜい、小泉さんの記録した、8割の部分意志が関の山でしょう。なら、元首になったときの支持率が最も高そうな候補を当選させるのは、不合理ではないと思います。

補足日時:2004/06/24 17:04
    • good
    • 0

>>だから幾つかの小選挙区の自民党支持者は、比例票を公明党へ入れるのですね。

一票差で比例ブロックの議席が一つ自民党から公明党へ流れる場合を気にしたら、「比例は自民を捨てて公明に」と叫ぶ小選挙区の自民党候補者の世迷い言を支持できませんから。<<

少し私の発言を誤解されているかも知れませんが、私は
「一般に有権者は、自分の投じる一票により比例の議席が他党にうつったり、小選挙区の選挙結果が変わるということを想定して投票行動を決めているのではない」ということをいっているのです。候補者が呼びかけた結果、比例では公明党に投票する人がいるのは事実ですが、それは小選挙区を最重視する候補者や有権者の気質にもたぶんに由来していますし、上述の通り、私は有権者が票差を検討の上投票行動を決めるという前提に立っていませんので、そういう解釈に基づいて誤った理解をされるのは心外です。

この回答への補足

こんな誤解紛いのことを書いたのは、私がNo.6の説明を良く理解していないからです。

「得票率の一番低い人が当選する」選挙制度だと有権者全員が知っている世界(もちろん、仮定の話です。)で、各政党どころか選挙管理委員会や学者・知識人・報道機関・世論調査も「自分の支持する政党に一票を投票するのが最適戦略だ、合理的だ、良いそうです、すべき、する予定。」と明(迷)言している場合を考えて下さい。
この場合、同着1位になったときの制度の振る舞いを考えずに、どうして有権者は「他のやつらは支持する人に投票しても、おれ一人は、自分の支持しない政党に投票するぞ!」と考える気になるのでしょうか?

現存する選挙制度は、No.6の解答が大体正しくなるように設計されたものだと思います。他の選挙制度でNo.6の解答が正しくなるとは限らないのですから(陶片追放を挙げてくれたではありませんか)。
そこになんらかの選挙制度があったとき、有権者はどうやって投票行動を決めるのでしょうか?未知の制度なら、選挙制度の存在を初めて知った小学生のように、社会科の教科書に従うのでしょうか?自分の支持する候補者の呼びかけに従うのでしょうか?自分の一票で発生する変化を考えることはないのでしょうか?有権者の気質によって全然違うと思いますが、取り敢えず合理的な気質の人の場合だけで結構です。よろしくお願いします。

補足日時:2004/06/23 10:58
    • good
    • 0

>>「くじ引きになる場合のため」を否定すると、自民党支持者がなぜ自民党以外の候補者に投票しないかが分からなくなります。

票差が一票にならない場合は、一人の有権者が誰に投票しても結果は変わらず、自民党候補者に特定する理由が有りません。<<

 自民党支持者が自民党候補者に投票する理由は、私は「自民党を支持しているから」だと思っていますが、この理解は間違っていますか? 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

だから幾つかの小選挙区の自民党支持者は、比例票を公明党へ入れるのですね。一票差で比例ブロックの議席が一つ自民党から公明党へ流れる場合を気にしたら、「比例は自民を捨てて公明に」と叫ぶ小選挙区の自民党候補者の世迷い言を支持できませんから。
また一つ疑問がとけました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/17 10:53

 せっかくの機会ですから、もう少し議論を進めてみましょう。



>>実際、一票差やくじ引きで決着した選挙を私は知りません。<<

 これは、認識を改めていただいた方がいいですね。国政選挙では、さすがに票の母数が大きいのでこういうことは滅多にありませんが、地方選挙ではしばしば、1票差で落選して裁判沙汰になったり、同数でくじ引きをしたりと言うことがあります。あまりに珍しくなくなってきたので、新聞でも地方版にしか載らない場合が多いほどです。

>>学問上では、合理的な有権者は投票所には行かないことが証明されているそうです。<<

 どの学者さんが言っているのか、私は寡聞にして知りませんが、選挙そのものを否定するととられかねない研究をするとは、なかなか勇気のある先生ですね(笑)。

>>それでも有権者が投票に行く目的はなんなのでしょうか?「万が一、一票差やくじ引きで決着しそうになったときに、同数の得票をした候補の内、より政治家に相応しい人を当選させるため。」これしか考えられません。<<

 これも、反対の例はいくらでも挙げられそうな気がします。一つ言えば、なぜ、鹿児島1区(でなくてもいいが、要するに「自民党の牙城」といわれる選挙区)に住む共産党の支持者は、やっぱり共産党の候補に投票するのでしょうか。別に社民党でもいいのですが、彼らは、「くじ引きを防ぐため」「1票差の選挙を防ぐため」に投票しているのですか? 

>>まず、万が一、二名が同着で1位を争っている場合を考えます。<<

 さて、ここで暗黙のうちに前提されているのは、「有権者が、完全情報を持っている」ということですが(つまり、有権者の判断の基礎には「同着で1位を争っている」という情報があるということです)、これは、正しくありませんね。いかなる選挙の達人でも、そこまで正確な判断はできません。
 より一般に、「競り合っている」という言葉に置き換えるとしても、上で述べたように、一票だけしか投票できない場合、有権者の少なくない割合の人は、「勝ちそうな候補」あるいは「勝たせたい候補」ですらなく、勝敗とは関係なしに、「自分の支持する政党」に投票します。「よりよい候補を当選させる」ために有権者が投票をすると言うのは、現実に即したものではありません。

 では、候補者の数だけ○×がつけられる=投票できる選挙区にあって、競り合っている上位2人は、どう行動するでしょうか。
 たとえば税金に対する姿勢が典型だと思いますが、片方(仮にA候補)が減税を言い出した場合、もう片方のB候補は「増税」とは、ほぼ間違いなく言いませんね。これが決定的な敗因になりかねないからです(相手に○をつけられ、自分には×をつけられる重要な要素になりますから)。そうであるならば、Bは減税に加えて、公共事業費の増加を言い出すかも知れません。これに対してAは、公共事業費の増加に加えて、選挙区内に高速道路を造ると言い出すかも知れません。
 こうした連鎖により、双方の政策はほとんど同じものになっていくことが容易に想像されます(全国レベルで競り合っている2つの政党についても同じことがいえるでしょう)。

 この、そんなに大差のない有力な2候補に対して、あなたの想定では有権者はどう行動しますか? 「ましな方の候補」の判断基準は、何になりますか? 「ルックスがいい」「若い」「お金持ち」といった要素で決めることにはなりませんか? それがいやな、まじめな有権者は、両方に○をつけて、運を天に任せるでしょう。その結果、ルックスがよくて、若くて、お金持ちの方の候補者が当選することになるのです。これが、本当に優れた投票方式ですか?

 合理的に行動する有権者の姿は、候補者の姿勢によって変わります。そして、中選挙区から小選挙区への移行が、ある程度候補者の姿勢を変えたように、当選することを願う候補者の姿勢は、選挙制度によって影響を受けます。
 私は前回、国民審査方式の投票制度で選挙を行うのは論評に値しないともうしましたが、絶対多数を得た候補が落選する可能性のほかに、上述のように選挙という制度自体をゆがめてしまう危険性があることも、指摘しておかなければならないでしょう。

この回答への補足

くじ引きが行われるなんて冗談だと思っていました。地方選挙はサボれないのですね。

「どの学者さんが言っているのか、私は寡聞にして知りませんが、選挙そのものを否定するととられかねない研究をするとは、なかなか勇気のある先生ですね(笑)。」

「選挙と投票行動の理論」現代政治学シリーズ(7)
編者…白鳥 令 発行所…東海大学出版会

の、第1章「公共選択の理論から見た投票行動」を6ページ程見て下さい。「不投票のパラドックス」と言う語句が現れると思います。その語の注釈を辿ると、反民主主義学者の名前が分かります。ちなみに本文には、投票行動の数理モデルを作ろうとした学者達が、このデマに右往左往する姿が綴られています。

「くじ引きになる場合のため」を否定すると、自民党支持者がなぜ自民党以外の候補者に投票しないかが分からなくなります。票差が一票にならない場合は、一人の有権者が誰に投票しても結果は変わらず、自民党候補者に特定する理由が有りません。
また、自民党に大差を着けられていても、共産党候補者が2位なら、共産党支持者、いや、自民党より共産党がましだと思う人は「くじ引きになる場合のため、を肯定する」でも共産党に投票するはずです。先に書いたように、くじ引きにならない場合のことは、誰に投票するかを決めるのに関係しません。
「99%で自民党が単独1位で当選」「…単独1位」なんて情報に候補者を選ぶ力はまったくないのです。「0.9%で共産と自民が同着1位」「0.05%で民主と自民が同着1位」「0.05%で共産と民主が同着1位」「…同着1位」これらが、誰に投票するかを決める上で重要な情報と私は考えます。

>>まず、万が一、二名が同着で1位を争っている場合を考えます。<<
「万が一」の言葉や、「最期に」のステップを見れば分かるように、これは「可能性・確率に対する」完全情報です。
旅行に行くとき、ガスマスク・防弾チョッキのどちらか一つを持っていく場合を考えてみましょう。ガスマスクを選ばず防弾チョッキを選ぶ人に理由を尋ねたらきっと「万が一、どっかの武装勢力が誤って空爆する場合を考えて。」と答えるでしょう。この人には「必ず爆弾が降る」という完全情報なんかありません。彼が持つ完全情報は可能性についてのもの「毒ガスより爆弾が降る可能性の方が大きい」です。雨傘を鞄にいつも入れている人も「必ず雨が降る」という完全情報は持っていません。
だから、ここは正確に「同着1位の場合」です。

「競り合っている上位2人は、どう行動するでしょうか。

こうした連鎖により、双方の政策はほとんど同じものになっていくことが容易に想像されます(全国レベルで競り合っている2つの政党についても同じことがいえるでしょう)。」
以上のことは、国民審査方式以外の小選挙区制、いや、二大政党制になってしまった場合全てについてもいえることです。
http://www.katokoichi.org/database/kj-9904-nai.h …
「顕著に出た小選挙区制の弊害」のデパートの喩え話を見て下さい。もっとも、国民審査方式やニュージーランド方式は候補の乱立による弊害が少ないので、競争率は他の小選挙区制に比べて高くなるでしょう。すると、御指摘の連鎖はこれらの制度ではより早く進行すると考えられます。
しかし、この連鎖の進行の速さは、政治家と世論との間にズレが出来たときに、選挙が政治家を修正する速さと同じなのではないでしょうか。定数一の小選挙区制は、もともと比例的な結果を生めません。なら、せめて世論の変化への対応速度は欲しいものです。国民審査方式の下でもし、「ルックスがよくて、若くて、お金持ちの方の候補者が当選することになる」状態で政治家と世論との間にズレがあったら、私が世論にフィットした政策を掲げて立候補しますので、ご安心下さい、と同時に一票お願いします(供託金も援助してくれるとありがたいです)。

「絶対多数を得た候補が落選する可能性」
開票作業中なのに、51%の票をある候補者が獲得した途端、なぜ「絶対多数」と呼ばれてその候補者が「当選者」の様に扱われるか考えたことはありますか?49.9999%の得票と50.0001%の得票の違いは、当選が確定するか、つまり他の候補者による逆転の可能性が有るか無いかです。「絶対多数」が100%や33%でなく、50%になっている理由がこれだけなら、「絶対多数」は当選者を選ぶ制度つまり選挙制度が決めていると言えます。私は絶対多数が50%になっている理由をこれしか知らないので、「絶対多数を獲得したのにあの人は落選した!」と言う人を見掛けたら、「あの選挙制度ではその程度の得票率じゃ絶対多数とは言えない。」と言わざるを得ません。
そんな私に本当の「絶対多数が50%になっている理由」を教えてもらえればありがたいです。

補足日時:2004/06/16 17:07
    • good
    • 0

私は、直接回答するのではありません。


質問の中にあると思われる誤解を指摘したいと思います。

日本の最高裁判所裁判官の国民審査は、裁判官の指名の上に、
1.何も書かない=信任
2.バツを書く=不信任
です。
丸を書いた場合は、無効になります=信任・不信任に数えられません。
つまり、丸を書く人が多いと、不信任の割合が高くなります。(逆効果)

この方式に対する批判もそれなりにあるようですが、
いずれにしても、質問者がしているような誤解をしている人は多く、
政府は、なんらかの広告を打つべきではないか、と思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

最初から「〇」を全て「空欄」と書き表せば良かったのですが、そうすると本題の方で誤解が起きそうなので、最初から「空欄」を使いませんでした。
そのため、このページを読んだ人から国民審査権を私は奪ってしまいました。あなたのおかげで、この犯罪行為のペースを落とすことができます。ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/15 11:22

>>私以外の有権者が上記のような合理的な賢い有権者なら、私は馬鹿正直に(本当は、狡賢く)、私に一番近い考えを持つ候補者一人のみに〇を付けるでしょう。

そうすれば、一票差で私の支持した候補のみ(小選挙区なので一人で十分です)が当選するでしょう。<<

その結果、民意がゆがんでしまいます(笑)。だって、他の落選候補だって99・9%の得票を得たのですから。1人1票を投じる小選挙区制において、1万票を得た人に1万1票を得た人が勝つのとは訳が違います。

>>「前2者が大勢の候補者から誰か一人、または限られた数の人を選ぶ方法なのに対し、国民審査方式は、信任投票に適したやり方です。ですから、その長短を比較することはできません。」と言わず、「大勢の候補者から誰か一人選ぶ方法」のみでの評価だけで結構です。<<

 そういうことでしたら、論評に値しません。上記のような現象が起こるからです。小選挙区であろうが、大選挙区であろうが(比例代表も大選挙区の一種)、選出される人数以上の人に投票することが可能な制度は、結局は有権者の意思を不明確にします。99・9%の得票を得た人が落選する制度は、たとえ選挙の形を取っていたにしても、民主主義に基づくものではありません。ですから、世界のいずれの国を見ても、当選する人数以上の人に投票することができる選挙制度はありません。

また、本論からははずれますが、

>>ちなみにニュージーランドの選挙制度は、……<<

 ただし、100人「すべて」に順位をつけなくてはならないわけではありません。実際には、ほとんどの人が自分の支持党派の中で順位をつけているわけで(当然ながら、嫌いな党派の連中に順位をつける手数は惜しいですからね)、その意味で、現実には死票は出ています。また、ニュージーランド式の移譲は、死票を出さないというよりは、死票の中にある民意を多少とも生かそうという制度ですから、その辺も誤解のないようにしなくてはいけません。
 一般に移譲式といわれる投票方式は、まず投票する政党の名簿を選び、その中で順位をつけていきます。これは、理論的には要するに比例代表制と同じことを、順位について民意が反映されるように行っているわけです。ですから前回、移譲式は比例代表と同じだと申し上げました。

この回答への補足

私の言いたかったのは、「合理的な有権者なら、全ての候補者を〇で統一することは絶対しないのでは無いか?」ということです。

有権者が投票する目的はなんなのでしょうか?
有権者が投票に行かない理由は沢山あります。大半はくだらないものですが、一つだけ重要なものがあります。「私の一票で選挙結果が変わる可能性は非常に低い。そんなことに使う労力があるなら、仕事や社会奉仕や趣味でもやる方がずうっと生存や社会や自己実現のためになる。」実際、一票差やくじ引きで決着した選挙を私は知りません。学問上では、合理的な有権者は投票所には行かないことが証明されているそうです。
それでも有権者が投票に行く目的はなんなのでしょうか?「万が一、一票差やくじ引きで決着しそうになったときに、同数の得票をした候補の内、より政治家に相応しい人を当選させるため。」これしか考えられません。
万が一の時、合理的な有権者はどの様に投票するのでしょう。
まず、万が一、二名が同着で1位を争っている場合を考えます。この万が一の時、どうすればより良い候補が当選するでしょう?他の候補への○×は票差が一票より大きいので無意味です。よって意味のある選択肢は、二名への○×4通りしかありません。「両方に〇をつける」「両方に×」ではくじ引き勝負のままです。この場合は「ましな方の候補に〇を、ダメな方の候補に×をつける」以外考えられません。「ましな方の候補に×を、ダメな方の候補に〇を」は論外でしょう。
次に、三名が同着1位…の場合は考えなくて良いと思います。これが起きる確率なんて万が一の、そのまた万が一なので(2番目に良い候補の処理に困ります。○×どちらにすれば良いのでしょう。)。
最期に、同着になる組ごとの可能性の大きさに応じて、○×を決めます。最も同着1位になる可能性が大きいのは、第一党と第二党の組でしょう。各有権者は、この二候補については、一方に〇、もう一方には×をつけなければ、合理的とは言えないと私は考えます。第三党以降については、第一党との比較で○×をつければ良いと思います。

以上を納得してくれるなら、「ちなみに全て選択、全て不選択は白紙投票と同じ価値しかありません。(解答番号No.1のnetcatmeさんより)」の意味が分かると思います。

あと、委譲式の比例代表の手続きの具体例を教えて下さりありがとうございます。強力な非拘束名簿方式と考えれば良いのですね。票を取り過ぎた候補者の余り票がどう処理されるのか疑問だったもので。

補足日時:2004/06/14 18:53
    • good
    • 0

設例のような場合、賢い有権者はどのように行動するでしょうか?



おそらく、(必ずしも支持していない政党を含めて)全員に○をつけることでしょう。そうすれば、自分の投じた票は必ず生きるし、かつ、まじめに一人にしか○をつけなかった人よりも多くの票を投じることができます(○をつけることが一票を投じるのと同じことになるので)。その結果、この選挙制度のもとでは、当選者を決められず、くじ運に強い人のみが勝ち上がることになるでしょう。現実には、すべての有権者が賢いわけではありませんが、制度を設計するに当たっては、すべての有権者は、合理的に行動すると仮定しなくてはなりません。ですから、当選人の数より多く投票できるお説のような選挙制度は、きわめて不平等な結果をもたらすでしょう。従って、すでに何かの地位にある人のうち誰かを排除したり、逆に信任したりするのではなく、大勢の中から一人、または限られた人数を選ぶ「選挙」という制度としては、実現性はないといっていいと思います。

フランスの二回投票制は、少なくとも最終的に投票した有権者の過半数の支持を得る=死票を少なくするための制度。移譲式は、理論的には比例代表制に分類されるもので、いずれも、ギリシャ時代の「陶片追放」に由来する国民審査式の投票方法とは、根本的な発想が違っています。繰り返しますが、前2者が大勢の候補者から誰か一人、または限られた数の人を選ぶ方法なのに対し、国民審査方式は、信任投票に適したやり方です。ですから、その長短を比較することはできません。

この回答への補足

私以外の有権者が上記のような合理的な賢い有権者なら、私は馬鹿正直に(本当は、狡賢く)、私に一番近い考えを持つ候補者一人のみに〇を付けるでしょう。そうすれば、一票差で私の支持した候補のみ(小選挙区なので一人で十分です)が当選するでしょう。
狡賢い有権者なら、○をつけることが一票を投じるのと同じように、×を付けるのも一票を投じるのと同じ位重要だと考えるのではないでしょうか?効果は180°違いますが。
「前2者が大勢の候補者から誰か一人、または限られた数の人を選ぶ方法なのに対し、国民審査方式は、信任投票に適したやり方です。ですから、その長短を比較することはできません。」と言わず、「大勢の候補者から誰か一人選ぶ方法」のみでの評価だけで結構です。すべての有権者が狡賢く行動すると仮定しなくてはなりませんが。

ちなみにニュージーランドの選挙制度は、ビリだけ落として準決勝を繰り返す方式で、100人立候補者がいれば、100回選挙を行う事になります(実際は、一回の選挙で投票用紙一枚に100人分の優先順位を書き込み、ビリの得票を優先順位にしたがって配り直します。)。最終的には一人しか候補者がいないので、死票は一票も出ません。あるいは、優先順位1位の候補者が当選している票はほとんど無いので、たくさん死票が出る制度とも言えます。

そもそも、「死票」ってなんなのでしょう?

補足日時:2004/06/11 10:33
    • good
    • 0

 基本的には落としたい人を選択する方式という気がします。


 嫌われている政党、現在では共産党と公明党が圧倒的に不利になります。多分消えるでしょう。
 強い政党間での差が付きにくくなり、少数政党が消える可能性が強いので、二大政党制に加速が掛かると思います。「少数派に配慮した者だけが議席を得る」かどうかは疑問です。少数派の主張は支持が少ない主張なのですから、むしろ多数派の主張に偏る可能性もあるかも。多数派の有権者にとって落としたい人物にならないことが重要なのですから。
 ちなみに全て選択、全て不選択は白紙投票と同じ価値しかありません。
 メリットは、当選させたい人物を全て選べるため、同じ主張の候補者が票の取り合いで落選することがなくなること、デメリットは多数派の投票が重要になるため、候補者の主張が多数派に偏り、選択肢がかえって少なくなる可能性があること。
 それと、質問では選挙区が明確ではありません。
 どのような投票制でも、選挙区から一人なのか多数なのかが問題です。
 小選挙区制であれば、複数選択制であっても1政党から1人しか立候補者はでません。

この回答への補足

選挙区の定数についてですが、一人と断定して下さい。学術的には、定数が1の選挙区は小選挙区と呼ばれるそうなので。どのみちこの方式では、定数が二以上でも第一党が定数を独占してしまい、定数を増やす意味がありません。
地方自治体の首長選や、大統領選を想定してもらえればありがたいです。

補足日時:2004/06/10 11:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こちらの舌足らずを補ってくれ、ありがとうございます。

お礼日時:2004/07/08 13:02

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング