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哲学する人間は 触媒である。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8866566.html

どちらの質問者も喜ぶ。これでまるくおさまるのではないか?

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A 回答 (6件)

>> 哲学する人間は 触媒ではない。



そのとほりです。酒を飲んでみればわかります。

エチルアルコールは、自然状態でも、すこしづつ酸化してゆきます。しかし、触媒があれば、急速に反応が進みます。したがつて、夜ワインを飲んでも、朝にはほとんど酢酸に変化します。飲酒運転の心配はありません。触媒とは、事故や違反を避けるためのものです。

では哲学はどうか。夜、哲学的思考をすると、朝、頭が痛くなります。もしくは、頭が思想、論理、方法などでいつぱいになります。結果として、運転中に意識散漫となり、事故や違反の原因をつくります。

さらに、触媒はエチルアルコール1分子からATP3分子をつくり、エネルギー源となりますが、哲学は考へることで、逆にエネルギーを消費します。

また、この触媒反応には亜鉛(あえん)を必要としますが、哲学に必要なのは敷衍(ふえん)です。

このやうに、哲学と触媒は、相容れないものです。

触媒は、反応の前と後とで、変化しないものです。哲学する人間はそれでよいのでせうか。他の人との相互作用によつて、みづからが変化してゆかなければならないのではないでせうか。

>>どちらの質問者も喜ぶ。これでまるくおさまるのではないか?

触媒でも、触媒でなくても、どちらでもいいと思ひます。
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この回答へのお礼

plapotaさん。ご回答ありがとうございます。

哲学する人とか、触媒とかそんなこと関係なしに、みなさんのおかげで自分は変わったと思いますね。B氏の質問に初めて回答をつけたのは一行くらいだったか。それでさっと逃げましたよ。論理に強いとB氏におだてられて再度勉強しました。

2005年のころは、哲学カテは地味な感じでした。回答者が専門家と一般人のボタンをおして回答していました。そのころ自分は答えが出る理系の回答がほとんどでした。一回退会して2011年からまた参加したら宗教批判が多くて驚きましたし知識がないので回答のつけようがありませんでした。。H氏への回答が最初で、アルケーとは何かという問答でした。これが自分には一番共有できる問題でした。

B氏やH氏の過去の問答を読んでみますと、最初は、こういういいかたも変かもしれないですが、まともなんですよ。H氏はああみえて繊細な方だと思いましたね。

昔話になりましたが、今後ともよろしくご教示ください。

お礼日時:2014/12/25 23:50

atomonadosさん おはようございます。



私は、穏健的改革主義なので、こちらの意見にも一理ありと回答します。

ところで、マイナーの哲学者ですが、横浜市立大学の創始者である、「三枝博音」という哲学者を知ってますか?

1963年に起きた、横須賀線の脱線事故でなくなってますが、哲学というより学問一般について下記のようなことを言ってます。

「何のために学問をするのか。それは、誰のために大学があるかを考えるところから始まる。他人のためではなく自分のために学ぶのである。封建時代には、親のために学び、国のために学んだ。しかし、私たちの時代は、自分自身の社会的教養のために学ぶのである。なぜなら、国の動きや家風によって変化が起こっても、自分自身が崩れないために学ぶのである。私自身の人格の自立ができればできるほど、それは社会的なのである。ここにこそ、闘って悔いることのない自分で責任を持つ確実さが、生まれてくる。」

これは、学問(哲学)する上で大事な精神と思います。哲学する人間は触媒でない。

ちなみにこの名言を過去の哲学者の辛らつな言葉に直すと下記の言葉になります。

「無教養な人間であるより、むしろ乞食であるほうがましだ。乞食に欠けているいるのは金だが、無教養なものには人間性が欠けている」アルスティポス

現在の日本において、格差社会がこのまま広がり、親が子供に教育させる費用がなく、子供に十分な教養を身につけさせることが出来なくなるというのは、由々しき問題です。

また、文部科学省は「ゆとり教育」という大失敗を犯しました。やってみなければ、教育という効果は、わからないと思いますが、子供は、マウスやラットのような実験動物でない。そこらへんを文部科学省の官僚はわきまええているのか?

また、現在において、ノーベル平和賞をもらった、マララさんに言わせれば、日本は学ぼうと思えば、いくらでも学べるという贅沢な国ですが、そのような国において主体性がない学生も問題と思います。

atomonados派、bragelonne派を越えて、これからも私とお付き合いくだされば幸いです。
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この回答へのお礼

amenhotep2000さんこんばんは。

>ところで、マイナーの哲学者ですが、横浜市立大学の創始者である、「三枝博音」という哲学者を知ってますか?

知りませんでした。このような哲学者が反証としてあげられるということですね。情報ありがとうございます。

アリスティポスの引用はディオゲネス・ラエルティオス著『ギリシア哲学者列伝』からですね。

。 英語が得意なのではないですが、書籍は持たない主義なのでしかたなく、こちらから引用します。

http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Per …

[70]

"It is better," he said,
"to be a beggar than to be uneducated; the one needs money, the others need to be humanized."

「どっちがましかというと」と彼が言うには、
「乞食だな、無学より。だって、乞食は金がないだけだが、無学は人間性がないからな」

これは詭弁ですね。真に受けて行き過ぎた教養主義に陥らないようにしてください。

それから教育問題に触れられていますが、自分もそのような思いを抱かないわけではないです。ただ自分の中で解消することを考えて、現在の社会を肯定し、自分の反応を調整しますね。社会的には保守主義なんですよ。しかし自分の中では改革が行われます。


これからもよろしくご教示ください。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/25 19:10

「哲学する人は、未知について思索を深めようとする人。

その先で‘その時点での未知の普遍性‘に到達できれば、その成果は人類にとっての触媒的な存在になる。ただしこの場合‘触媒的存在‘を作った人も、そこからの動的な展開に呑み込まれて変貌を遂げていく。哲学者自身は不変の触媒ではなく、前進しようとするそれ以上の存在なのではないか。‘その時点の未知だった普遍性‘からさらに先の未知へと思索を深めようとするのが、哲学者がその本質を見失わない生き方なのでは。」
 私はこんな風に思います。
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この回答へのお礼

suzumenokoxさんこんばんは。

ご回答ありがとうございます。

哲学する人とは未知について思索を深めようとする人なのですね。そうだと思います。

自分も触媒的存在と哲学する人を分けるということで同じ考えです。その関係をうまく表現していただいたので助かります。

これからもよろしくご教示ください。

お礼日時:2014/12/25 19:08

自分の概念が適切に形成されているかを自らでチェックしない人は


無意識に自分の問題を人に解いてもらおうとし、解いてもらったことを
確認することより、解いた人への批判が哲学だと勘違いする人が多いです。

自分の認識を認識できない(そういうことをやろうとしない人は結果としてできない)ので
哲学が使えない状態での話しは、質問や論点が最初からずれてしまっていて
何の意義も無く、結果も伴うものでは無かったりします。


人の暇つぶしに付き合うのは、付き合いたい人が付き合うだけで十分。
そこで世の中が丸く収まる結果が来るかなと思います。

自身の時間は、誰しも自身が興味あることに注ぐことになる。
人間一人の時間は有限ですから、それでいいと思います。
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この回答へのお礼

kanto-iさんこんばんは。

おっしゃるとおり、自分の気持ちを代弁していただいているようでありがたいです。

ご回答ありがとうございました。これからもよろしくご教示ください。

お礼日時:2014/12/25 19:07

集合A:哲学する人間


集合B:触媒(=触媒的な人間)

AはBを包含せず、BはAを包含しない。

ただし、AとBの積集合が存在する事は否定しない。
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この回答へのお礼

Mokuzo100nennさんこんばんは。

人間を全体集合(議論領域)とするのですね。

論理演算
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86% …

ここにベン図が描かれているのでこれを参考にするとわかりやすいと思うのですが、自分はこのベン図の2円の交点のうち上の点を基準として下左上右、4つの領域の要素の存在を表す記号を使って表現します。たとえば、論理積は下の領域で┰(細い横線は基準を示すだけ、筆記の場合はiを使います。)

さて、集合A(哲学する人間)を、命題A(哲学する人間が存在する)命題B(触媒的な人間が存在する)のようにみなすと、

肯定判断A→Bは、┓→┏=┣(含意の真理パターン

否定判断A→¬Bは、┓→┛=┻(否定論理積の真理パターン)

となり、互の相違点が視覚化できます。

肯定判断の反証は、左の領域の要素の存在を反例として上げればよい。amenhotep2000さんが三枝博音氏をあげられたように。

自分やsuzumenokoxさんは論理積の領域を空集合としています。


ところが、木造さんはそれを否定しないとおっしゃる。自分は困りました。

それで考えたのは、否定判断┻(否定論理積の真理パターン)と論理┰積の真理パターンは、

 ┻ ∨ ┰ = ╋

で補完しあってトートロジー(恒真)になります。つまり、木造さんは正しいことをおっしゃっています。


ご回答ありがとうございました。これからもよろしくご教示ください。

お礼日時:2014/12/25 19:07

『哲学する人間は触媒』であると主張する者は、


彼が歪曲しているとみなす連中を、哲学という
彼のいう『触媒』により、彼のいう『化学反応』
によって我に還すべきと主張する。そして、哲学
をする彼自身はその後何事もなかったかのように
元に戻ると。

彼は大きな間違いを犯している。触媒に化学反応を
起こすことなどできないのだ。触媒はあくまでも
化学反応を『促進するもの』にすぎない。これは、
現代科学の基礎原理に過ぎず、かつそれ以上の真理
を含んでいる。古代ギリシアから現代までの偉大な
哲学者は、自ら化学反応を起こしたか?否。偉人たち
は自ら化学反応を起こさんとする者たちにヒントを
与えたに過ぎない。これをもって偉人たちを『触媒』
と呼ぶこともできよう。しかし、偉人たち自身も
常に哲学という知のエネルギー(ここではそう呼ぼう)
によって、自らに化学反応を起こそうとしていたのだ。
故に、偉人たちは純粋な触媒などではない。自己の
エネルギーをもって変化せんとするもの、それは
触媒などではない。かといって何でもない。
どのように変化せんとするか不明なものに名称など、
与えることなど不可能だろう。

結局哲学する者は、彼らに何かを求め近寄ってくる
者にとって触媒たり得るに過ぎないのだ。
彼らを対岸から横目で傍観するような者にとっては
自己発火を試みる得たいの知れね異物に過ぎない。

遠く離れた地から哲学により異国の思想を
『化学反応』により『還元』せんなどとは
愚かと言わざるをえない。

この回答への補足

ご閲覧の皆様へ

A否定論 「哲学する人間は 触媒ではない」の対偶は、
「触媒であるなら哲学する人間でない」になりますが、これはどう思われますか?

自分はプラトンの著作に触発されました。そこに描かれるソクラテスという人には直接あってはいません。ソクラテスに触発されたと言っても、それは自分が作った像なのですから、自分で自分を変えたということになります。著作物が(それ自身変化しないので)触媒だとは言えたとしても、哲学する人間とは言えないでしょう。A論の待遇もまた正しいと思われます。


B肯定論 「哲学する人間は 触媒である」
http://okwave.jp/qa/q8866566.html
は、意味不明の造語がたくさんあるので議論になりませんね。いまは表題だけが真偽判断する命題ですが。

B論の対偶は「触媒でないなら哲学する人間でない」となりますね。触媒とは変化しないものです。そうでないものとは変化するものです。人間は変化するものですよね。哲学する人間に限っては変化しないのでしょうか? 一時思想が揺らいでまた元に戻る? ただの頑固者ではないですかね。哲学する人間はすべてそのような頑固者なのでしょうか?





相手側の主張の中に詭弁や誤謬があれば指摘し、こちら側も詭弁や誤謬を避けねばならないと思います。よければ参考にしてください。

詭弁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81# …

誤謬
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC

早まった一般化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E3%81%BE% …

早まった一般化は日常でよく用いられていますね。たとえば、
「動物は 食うことが出来ないという飢餓状態に落ち入っている」
一部の動物でしょ。と言いたい。一部のことがらを全体として考えたり、表現するのはよくありませんね。「きちがい」などの表現も感情論に発展するので自分は好みません。それと人身攻撃的な表現ですね。自分はこういう表現は無視します。

補足日時:2014/12/23 11:35
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この回答へのお礼

nolanecoさん、回答ありがとうございます。

>『哲学する人間は触媒』であると主張する者は、彼が歪曲しているとみなす連中を、哲学という彼のいう『触媒』により、彼のいう『化学反応』によって我に還すべきと主張する。

なんか、触媒が「俺がしてやっている」と言っている感じがありますよね。

>そして、哲学をする彼自身はその後何事もなかったかのように
元に戻ると。

そういう主張のように、同じく受け止めています。

>彼は大きな間違いを犯している。

ふむふむ。自分もそう思います。

>触媒に化学反応を起こすことなどできないのだ。

おっしゃるとおりです。

触媒(しょくばい)とは、特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないものをいう。

>触媒はあくまでも化学反応を『促進するもの』にすぎない。

同意します。

>これは、現代科学の基礎原理に過ぎず、かつそれ以上の真理を含んでいる。

独自の視点が続きそうですね。

>古代ギリシアから現代までの偉大な哲学者は、自ら化学反応を起こしたか?否。



>偉人たちは自ら化学反応を起こさんとする者たちにヒントを与えたに過ぎない。



>これをもって偉人たちを『触媒』と呼ぶこともできよう。

ああここまででひとまとまりなんですね。反論を予測しているのですね。

>しかし、偉人たち自身も常に哲学という知のエネルギー(ここではそう呼ぼう)によって、自らに化学反応を起こそうとしていたのだ。

ここが、こちら側の意見なんですね。あえて化学反応の例えを用いるなら、偉人たちが反応物質、哲学という知のエネルギーが反応に用いられるエネルギーということですね。

>故に、偉人たちは純粋な触媒などではない。自己のエネルギーをもって変化せんとするもの、それは触媒などではない。

触媒のない化学反応はたくさんありますからね。なるほどです。

>かといって何でもない。



>どのように変化せんとするか不明なものに名称など、与えることなど不可能だろう。

ここに続いて、ひとまとまりですね。おお、これは無限者ではないですか。何者でもないもの。そういうことですね。

>結局哲学する者は、彼らに何かを求め近寄ってくる者にとって触媒たり得るに過ぎないのだ。

えっ。と思うけれど、触媒として見えるとしてもそれは本質ではなく偶然そう見えるだけのことなのさ。って言うことですね。

>彼らを対岸から横目で傍観するような者にとっては自己発火を試みる得たいの知れね異物に過ぎない。

そうですね。自分はそう見られてなんぼと思います。

>遠く離れた地から哲学により異国の思想を『化学反応』により『還元』せんなどとは愚かと言わざるをえない。

?と思いましたが。これは自分が社会問題に関心がないためでした。そういえば、他の国のことが書いてありましたね。

どうも力強い論調で、賛同していただきほんとうにありがとうございました。これからもよろしくご教示ください。

お礼日時:2014/12/23 01:53

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