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 早速ですが質問です。「日本」ってなんで、「にっぽん」というのですか?誰か教えてください。また、同じように、「JAPAN」がなぜ「ジャパン」なのか、知っていたら教えてください。
どちらか片方だけでも十分です。よろしくお願いします。

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A 回答 (8件)

日本は紀元前から日本です。



ジャパンは魏志倭人伝の時の時代の漢字の発音を知ればすぐに解決します。
その他の国が日本を何と呼んでいるか?を考えるとこの説で正しいと思います。

魏志倭人伝の時には時代が漢から三国時代そして普へと移り変わり行く中で発音も変化したのです。

邪馬台国の発音は「や(いあ)またいこく」です。
ところは中国では当時の発音が「ジィァ」に変化していたのです。
これがジャに変化してジャパンになりました。

日本という文字は信じられないかもしれませんが、紀元前から利用されています。
記紀が書かれる以前から日本は日本だったのです。

大和は当て字でその後に倭の国の呼び名を嫌がった当時の日本人が和を当てて大倭から大和にしたのです。

ところが記紀以前の書物が火事で紛失したのをいいことに記紀以前には漢字は日本には存在しなかったというものが現れました。

魏志倭人伝でも日本人が漢字で魏の人間に漢字でいろいろと説明しているにもかかわらずに無視して、漢字は記紀編纂の時代から、とか、聖徳太子が日本の国名を考え出したなどと言う事を主張しているのです。




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九州年号の大和(大化)元年(695年)に畿内大和の豪族(日本)が倭(九州王朝)の天皇を殺害し王朝が交代してからです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E% …
日本の称号は、元々畿内の先住民が使用していたようです。神武東征によってヤマト王権が日本の称号を使うようになったのでしょう。
神武天皇が東征の砌上陸されたのが日下(くさか・玖沙訶)の蓼津
日下が日本になった。

世界の多くの言語において日本を意味する固有名詞は、ジャパン(英:Japan)、チャパーン(愛:tSeapáin)、ヤーパン(独:Japan)、ジャポン(仏:Japon)、ハポン(西:Japón)、ジャッポーネ(伊:Giappone)、ヤポニヤ(波:Japonia)、イポーニヤ(露:Япония)、イープン(泰:  )、など、ある時期にある地域の中国語で「日本国」を発音したもの(ジーパングォ)を写し取ったジパング (Xipangu) あるいはジャパング (Japangu) を語源とするとするのが定説である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC# …
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 ある説を紹介します。


 古事記の序文に「日下(にちげ)を玖沙訶(くさか)と言うのは、従来の慣用通りに用いて改めない。」といったことがわざわざ書かれています。クサカに日下の字をどうして当てたか。これが、なぜ日本と書いてニッポンと読むか、を解く鍵になります。日下は、日本書紀に「河内国の草香邑」として登場し、現在の東大阪市日下町あたりとされています。
 なぜ、日下と書いてクサカと読むか。
「長谷(ながたに)の泊瀬(はつせ)」「春日(はるひ)の滓鹿(かすが)」「飛鳥(とぶとり)の明日香(あすか)」のような枕詞的な修辞句があります。やがて、修辞句は、長谷(ハツセ)、春日(カスガ)、飛鳥(アスカ)と地名表記そのままに使われるようになりました。同様に「日下の草香」という枕詞的修辞句があり、日下と書いてクサカと言うようになりました。では、日下のもともとの読み方は、何だったのでしょう。
 河内と同じく大阪をさす言葉に難波があります。難波は、ニギハヤヒが天磐船に乗って天降った地とされ、ニギハヤヒを祖神とする一族の拠点でした。ニギハヤヒは、神武よりも早くヤマトに君臨した王です。難波(ナニハ)は、古代朝鮮語で日の出、日の門、日の庭のことで、「日の出る聖なる場所」を意味しました。太陽を迎える難波の中で最も東にあたるのが日下です。日下は、太陽の昇るところ、まさしく「ヒノモト」でした。
 最初、ヒノモトは、河内の草香(日下)という限られた地方をさしました。それが次第に意味する範囲を拡大し、ついには全体を指すようになりました。
 当時の知識階級であった渡来人は、広範囲のヒノモトに日本という文字を当て、日下と区別するため、音読して呼びました。これが、ニッポン、あるいは、ニホン、ジッポンの始まりです。
 ニッポンが訛ってジッポンになったか、もともとジッポンと言ったかは不明ですが、このジッポンがヨーロッパに伝わりジャパンとなりました。
 
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日本という名前は確かに聖徳太子の時に使われていますが、実際に国号として使われ始めるのは8世紀だったかの天武天皇の頃だと言われています。

「日本」は対外的な呼称として使われ始めたそうです。詳しくは講談社「日本の歴史」00巻の「日本とは何か」に確か書いてありました。
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"japan"の方はもう一つの方にしたので「日本」だけ。



中国の歴史書「旧唐書」の東夷伝になって初めて「倭国」と「日本国」を併記し、それによると、「日本国は倭国の別種なり。その国、日の辺に在るを以っての故に、日本を以って名をなす」とか「或いは曰く、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本となす」とか「或いは曰く、の日本は旧小国、倭の地を併す」などと日本の主張を書いています。

「ひのもとの」という「やまと」にかかる枕詞が在るので、それが転訛したもので、「日の出処」=東にある国であることの主張だと思います。
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「東の方」という意味の「ひのもと(日の出るところ)」に漢字を当て、それを音読したものが「日本」だそうです。



平凡社の世界大百科事典には三宅武郎氏が次のように書いておられるようです。

「欧米においては日本をJapan, Japon, Japao などと称するが、その由来については、北音説・ポルトガル人先称説(前野良沢ら)と、南方音・オランダ人先称説(大槻文彦ら)とがある。

前者は<日本国>の中国北方音(漢音系)jih pen kuo にもとづいてマルコ・ポーロの<東方見聞録>中の写音Zipangu, Jipangu その他がおこなわれたこと、および最も早く日本に渡来したポルトガル人によって伝えられたであろうことを説き、後者は<日本>の中国南方音(呉音系)であるyat punを、オランダ人がJapanと写したのに由来するものであると説いている。」
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 「ニホン」または「ニッポン」という国名は7世紀の初め、政治をおこなっていた聖徳太子が中国に送った国書に、自国のことを「日の出るところ」と表現したことが起源になっています。

その意味をとって漢字で表記したもの、つまり「日本」が国名として使われるようになりました。「日本」は、はじめ「ヤマト」と発音されていましたが、奈良時代に「ニホン」または「ニッポン」が用いられるようになりました。
 二つの読み方は現在どちらも使われています。両者を区別する法的根拠または一般ルールはまだ確立されていません。ただし、国際スポーツ大会や郵便切手などに使われる場合は、通常「ニッポン」と発音されます。
 Japan、あるいはこれに類するヨーロッパの言語での呼び方の由来には、主に2説があります。
 その一つは昔、中国北部地方で、日本国のことを Jih pen kuo と呼んでいたのを、ポルトガル人が Zipangu または Jipangu と聞いたという説。
 もう一つは、中国南部地方で日本のことを Yatpun というのを、オランダ人が Japan(ヤーパン)と聞いたという説です。
 他にも別の説があるかも知れません。
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「倭」という、中国人の付けた名を嫌い、自ら「日本」と名乗ったようです。

「日の出る国」という意味です。

安土桃山時代にポルトガル宣教師によってまとめられた「日葡辞書」によると、読み方は「ジッポン」だと思いました。だから安土桃山時代までは日本でも「ジッポン」と発音していた可能性があります。

Japanは「ジパング」から。「ジパング」は呉方言「ジッペン?」からではないでしょうか?
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