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ちょっと真面目な質問です

昭和天皇崩御の日ですが、我が家は兄の誕生日会をやっておりました

(ちょうど土曜日だったため、1月9日(月)が3学期の始業式でした)

「働いてましたよー」って方いらっしゃいますか?

どのようなご職業に従事されていますか?

ほとんどのお店が半旗で休みだったかと記憶していますが、どうやって誕生日ケーキを買うことが出来たのか、謎です。。。

A 回答 (15件中1~10件)

大学生でしたが、その日は友人とスキーに行きました。


いつもBGMが流れるゲレンデが、その日はシーンと静まり返っていました。
静寂の中、黙々と滑っていたら突然、スピーカーから聞こえてきたのが、「新しい元号は平成であります」でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

スキー場も営業していたんですね

全く知りませんでした

しかしあの小渕さんの名シーン「平成」が音声ですか!?

中学校の卒アルにも載っています

あれは衝撃でした

お礼日時:2015/01/08 21:20

おはようございます。



> 昭和64年1月7日土曜日 (1989年)

この時私は大学生。その時何やっていたか・・・

恥ずかしながら、ある課題で大間違いしてつき返されて、再提出受付日の前夜(6日)大学で夜中まで数人と手直ししてました。帰るのも億劫になりその一人(のちの卒研・卒論の相棒)のアパートで雑魚寝しました。

お気楽な大学生・・・提出期限14時に間に合えばイイや~とのんきに近所のラーメン屋へ行けば臨時休業。しょうがないので大学(売店)でパン買うか・・・となって行くと初めて天皇陛下崩御を知りました。

もちろん学内の売店にパンは無く・・・食堂は元々閉店でしたし、昭和の終わりの一抹の侘しさと今度なんて年号だろう?、そして腹減ったな~と全く不謹慎でした。この科目は単位落とすと留年の可能性があり四苦八苦してたので良く覚えてます。提出後その泊めてくれた友人を自宅に連れて行き食事を一緒にとりました。

また、何でこんなに覚えてるか?ですが、この4日後に祖父が亡くなりました(昭和天皇と同じ年の生まれ)。そのドタバタもあってですが・・・。

当時の亡母の備忘録を朝方見たのですが我が家の概略はしょって・・・

・子供は昨夜電話で帰らず。課題か遊びかわからない。夕方友達の△クンつれてきて食事。
・天皇陛下崩御 買い物も近所の商店は休業。大型スーパーも商品が並んで無い。ほとんど買えず帰宅。
・夫は出張を切り上げ昼すぎ帰宅。客先が自粛で一時中止・延期になり困ったと数社電話で悩む。
・夫、出社。未だ帰宅せず(実際帰宅は明け方)。
・実家(母方)から電話。崩御の話しと見舞いに来るように。こちらも覚悟か。

日付が変わってしまい、自身の仕事としてではないのですが、オヤジは中間管理職でした。人員・期日も扱うのでこの後も祖父の葬儀含め最悪状態でした。

一応私的、真面目に(汗)。

毎度の長文愚答でした m(__)m
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

大変な1年でしたね

私は学生時代、ぷらっぷらっしてて単位落としまくり

苦肉の策で他クラスに混じって詰め込み授業でした(笑)

気楽な大学生はここにもいます!!

且つ我が家の当時は質問文通り兄の誕生日

ケーキでお祝いですよ!?

まさに「1つの時代が終わった」ってことですね

お礼日時:2015/01/08 21:30

こんばんは(⌒∇⌒)ノ"



高校生でした。
平成元年度卒業生でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私の昭和63年+平成元年は中学2年生

おもんない学校生活でした

好きでもない男子がチラ見するし…

「壁ドン」されなくて良かったです

お礼日時:2015/01/07 19:41

michiyo さん、こんにちは。



>昭和64年1月7日

某国へ赴任していた私は当時28歳、オフィスに日本人は2人しかいませんでしたから若造の私が実質的な NO 2、後は全てローカル・スタッフという陣容で、今と同じく金貸しをやっておりました。

さて昭和天皇御崩御の一報に接したのは、日本人会の仲間からの一本の電話でして、個人的な用件が済んだその後で付け足しのように 「 ところでさ~、天皇が亡くなったよねぇ。 」 「 え~!! 」 てな感じで、それを先に言えと・・。

何しろ当時はバブルの真っただ中、出張と称した関係各位の訪問が引きも切らず、デイリーの業務は殆どローカル・スタッフに任せっきりでアテンド稼業に精を出す毎日でしたが、その時もさる大企業の中堅幹部が来ておりまして、無論通訳も重要な業務の一つ、しかも現地取引先への表敬訪問を控えておりました。

さて困った、 当然話題に上るであろう「 大喪の礼 」 ってどう訳せばいいのかが分からない、私の英語なんぞは当然付け焼刃でしたから慌てて先の仲間に聞いたところ 「 ああ・あれか~、 Japanese emperors’ funeral ( 直訳すれば天皇のお葬式 ) でいいんだよ 」 と・・。

「 何だそのままか 」 というのが、昭和天皇御崩御の報に接した当時の最大の記憶でして、今思えば何とも罰当たりな私でした。

この回答への補足

金貸しの意味がたぶんわかりました

※来週月曜日、聴いて下さい

かなり端折られましたが…

補足日時:2015/01/09 23:32
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この回答へのお礼

isokenセンセー回答ありがとうございます

今日はお帰りが早かったんですね

で?金貸しだったんですか!?

初耳です

でも、銀行系・信販系・流通系・サラ金系と多岐に渡りますね

印象がガラッと変わりますけど、海外ってことは信販系と予想ww.

バブルの頃、ヤナセのセールスマンがパープルの3ピースを召されていたのが強烈な印象です

さて、お葬式って funeralなんですね

私ならdie+ボディランゲージで貫き通します

これが英検4級の実力です

我が家もパーティーでしたし、あと2~3日遅かったら冬休みが延びたのに…

isokenセンセーだけを悪く言うわけにはいきませぬ

お馴染みのさる回答者様は「エロビデオ」ですよ?

こうも違うとは・・・

お礼日時:2015/01/07 19:30

MTNさん こんにちわ!



意外でしょうが・・アフタヌーン ティーでケーキを作ってました。

たしか・・葬儀の時は お店を閉めたと思いますよ。

早朝からの仕事でしたので ラジオで聞いた覚えがありますぞ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

は!?

アフタヌーンティー!?

ここでびっくりですわ

アフタヌーンショーの間違いでは??

葬儀=大喪の礼でしょうか?

この日も学校は臨時休校でした

お礼日時:2015/01/07 17:44

確か早朝でしたよね。


渋谷の109のぴあステーションの外階段に、暗い始発前から
凍えながら並んでいたら、電光掲示板に「天皇陛下御崩御」
という文字が流れはじめ、行列にささやきが起きたのを覚え
ています。
早朝の出来事なので、その日はやっていたお店も多かった
ですよ(無事、チケットもゲットしたし)。
皇室からの発表で「過度な自粛はしないように」というコメ
ントもあり、“自粛しないから責められる”という雰囲気も
ありませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

>皇室からの発表で「過度な自粛はしないように」というコメントもあり

これ、意外でした

そんなことあったんですね

ウチら田舎だったからしーんとしてたんかなぁ?

ちなみに、何の興行チケットだったか興味あります

お礼日時:2015/01/07 17:56

私は郵便局に勤めていました。

この年の年賀状は、いつもより大変少なく、年賀作業が楽でしたね。しかし、残業手当がいつもより大変少なかったですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

ホホウ

当時はまだ郵便番号が5桁でしたよね

手作業も大変だっただろうと思われます

今は7桁になって随分楽かしら?

年賀状も影響=なんとなく自粛ムードだったんでしょうか?

別回答者様からのコメントですが、確かに皇族方が病院へお見舞いに行かれるニュースも流れていました(気がついた)

>残業手当がいつもより大変少なかったですね

これはイタイ…

貴重な体験談、感謝します[おじぎ]

お礼日時:2015/01/07 17:40

 崩御されたのは始業式の前でしたね。

昔のことを忘れかけているようです。
 始業式で黙祷を捧げたことを思い出しました。
 パチンコ屋の話は本当です。私がその日パチンコをしていたのでよく覚えています。
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この回答へのお礼

再び回答ありがとうございます

そこまでしてパチンコですか!?

ま、我が家も「ハッピーバースデー」やってましたけど

人のこと言えないですね(^^;

お礼日時:2015/01/07 14:39

ハタチで銀行員でした。



当時の銀行はまだ完全週休2日ではなく、第2・第3土曜日が休みで12月31日も開店していました。
ロビーにテレビがあり普段から1日中NHKを流していましたが、ニュースで陛下の容態が流れる度に緊張が走りました。

そして1月7日。

天皇崩御の速報が流れると同時に上司は慌てて倉庫から新品同様の国旗を出して来て半旗を掲げたのですが、初めての事なので上手く掲げるまでに随分と時間がかかりました。
土曜日ですから当然半ドンなのですが、行員は全員待機。残業を片付けながらロビーのテレビに注目です。
待っていたのは『新しい年号の発表』でした。

『平成』が発表された次の瞬間から店内はバタバタでした。
というのも、各種伝票・住所変更などの諸届用紙の日付欄の訂正が必要になったのです。
全ての用紙の日付欄は『昭和○○年○月○日』になっていたので、昭和を平成に訂正する作業があったのです。
窓口の先輩方も外回りの営業のオジサン達も(もちろん私も)膨大な書類を相手にひたすら手書きで年号の訂正をしていました。
『平成』の文字がゲシュタルト崩壊しかけた時、本部から『訂正用のゴム印を作っている。月曜には支店に届くので無理はしないように』という主旨のFaxが届き、とりあえず手書きでの訂正作業が終わったのは午後4時過ぎだったと思います。
『陛下には大変申し訳ないけど、土曜日で助かった・・・』と皆で話していました。

でも一番大変だったのは、訂正用のゴム印を作る業者さんと、日付欄から年号欄を外し生年月日欄に平成を加えた書類を作る業者さんだったと思います・・・(-_-;)

余談ですが、1月9日に受け付けた口座開設の中に平成元年1月8日生まれの赤ちゃんのものがありました。

この回答への補足

貴重な体験談、ありがとうございました

補足日時:2015/01/13 00:16
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

銀行員さんかぁ

わかっているけどそこかしこから大変さが伝わってきて「おおっ」とトリビアのボタンを連打したくなります

かと思えば「エロビデオをチラ見していた」とのコメントもあり…

この差はなんなん!?

ま、話を戻しまして、ハンコ屋さんもそうでしょうが、印刷屋さんもそれはそれは忙しかったんでしょう

小渕さんの「平成」忘れられません

(質問者様の)銀行と言えば、平成になってから拓銀の破綻、公的資金投入、吸収合併が急加速しましたがそちらは大丈夫でしたか?

お礼日時:2015/01/07 14:20

当時25歳で、食品企業の本社内にある健康保険組合に勤務していました。



今こそ土曜は休みですが、当時は土曜日も仕事でした。
ご崩御の報を知ったのは、利用していた私鉄と地下鉄の駅の間にあるお米屋さんで(今はなくなっています)お昼に食べるサンドイッチを買おうと店に入ったところラジオがかかっていて「?」と思って聞き入ったらオーナーさんが「死んじゃったんだって」と教えてくれました。
出勤したら、確か受付の女の子と秘書の女の子は制服のリボンタイが通常えんじ色でしたが、この時は黒をしていました。
正午に総務部長の号令で、黙とうを捧げました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お仕事されていた方、やっぱりいてるんですね

何せ私は13歳ですから視界が今より狭いわけでこのような質問になりました

実は・・・黒いリボンもコソッと準備されていたんでしょうか?

私が社会人だったら間違いなく忌引きで休みますね

お礼日時:2015/01/07 14:03

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