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戦国時代では討ち取った武将の首を殿様に見せて褒美をもらったと思うのですが、
生首はどうやって運んだのでしょうか?
生首なら2-3日もすれば蛆が湧いてくると思うんですが?

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A 回答 (4件)

君主が遠隔地にいる場合ですが、相手のクラスにより変わります。


・君主、重臣→塩漬けにする
・雑兵→近くの部隊指揮者に見せる、鼻を持ち帰る

戦国時代では重要な合戦の場合は多くは君主が帯同します。
その方が恩賞が即決し、指揮が上がるからです。
織田信長系の武将は戦場に大判、小判を持っていき、その場で恩賞を
与えました。豊臣秀吉はそのための大判を作らせました。

君主が帯同しない場合も、多くは君主の一門の重臣が指揮官と
なっているため、雑兵の恩賞はその重臣の口添えでほぼ決定できた
と思われます。重要な武将のみ、塩漬けなどで君主に送りました。
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合戦は、1日単位で戦功を確認しますから、腐ることはありません。


たいていは、夕方になると自軍の陣地に帰って、そこで確認していたようです。
大将首は、槍で突き刺し高く掲げてすぐにアピールします。

軍監という記録係のような人がいて、敵の陣地に一番乗りなどの功を記録していました。
信長の桶狭間の戦いのごろから、自己申告と軍監のチェック重視で、首実験は大将首だけに。

戦地が遠方で、本拠地まで持って帰る時は、塩漬けでした。
敵の身元確認が出来ればよいということで、敵の所持品や遺髪でOKだったこともあったようです。
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首実検はたいていその場でやりましたよ?


どうしても運ばないといけないときは塩漬け

源義経の首は奥州から鎌倉に運ばれましたが
腐っていて判別は不可能だったらしい

明智光秀の首も腐っていたが秀吉は光秀の首として処理した

関ヶ原で17の首を取った可児長吉は目印に討ち取った首に笹を付けた
彼は笹の才蔵と呼ばれた
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どうやってー塩漬けじゃないんですか、で夏なら貴重な氷を回りに詰めて塩漬けの箱にして。



大合戦有る時は敵.味方の軍艦ー兵の働き記録係がいましたねーで戦後の軍功褒賞決定時に自己申告と相違無いかで軍艦記録と相違無いかとチェックしましたーでで武将.足軽等は戦場で手柄目立つ様にアピールしてました、目に留まる様に

大東亜戦でも米に軍艦役の戦闘機乗りが居た様ですね、坂井三郎の戦記によると、有る程度の空戦想定される時は空戦域の空戦が
2.4千メートル高度位で有る時は一段上空域をグルグル回りながら監視してた様です、敵.味方の戦術データーから欠点.利点から敵機を誰が撃墜したとかのデーター記録集め役の戦闘機乗り、で坂井は一通り空戦終わるとソイツに攻撃しに行ってたと書いてます、アレは何だったのかーは戦後生き延びて冷静に考えて理解出来たと書いてました。日本戦国時代の軍艦制度が米戦闘機隊で。
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Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む


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