『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

私はNHKのマッサンが好きで見ていますが、マッサンに出てくる鴨居商店の鴨居欣次郎がサントリーの創業者で、そこから独立したのがニッカウィスキーの創業者、マッサン(亀山政春)ということでいいのでしょうか?
知っている方、回答お願いします!

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A 回答 (1件)

 そうです。


史実では
・1923年、大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画。
社長の鳥井信治郎がスコットランドに適任者がいないか問い合わせたところ、
「わざわざ呼び寄せなくても、日本には竹鶴政孝という適任者がいるはずだ」という回答を得た
。鳥井は以前摂津酒造に模造ワイン製造を委託していたことがあり、竹鶴とも数度面会したことがあった。
鳥井は竹鶴を年俸四千円という破格の給料で採用した。同年6月、竹鶴は寿屋に正式入社。

1924年11月11日、山崎蒸溜所が竣工され、竹鶴はその初代所長となる
1929年4月1日、竹鶴が製造した日本最初のウイスキー『サントリー白札』(現在のサントリーホワイト)が発売される]。
1934年3月1日、後続の技師が育ってきたこと、竹鶴が帝王教育を任されていた鳥井の長男・吉太郎に一通りの事を教え終わったこと、
最初の約束である10年が経過したことから、竹鶴は寿屋を退社。
4月、北海道余市町でウイスキー製造を開始することを決意)、資本を集め、7月に大日本果汁株式会社を設立し、代表取締役専務に就任した]。
筆頭株主は加賀証券社長加賀正太郎。加賀の妻は1924年以来、竹鶴の妻のリタから英会話を学んでおり、
竹鶴が事業を始めることを聞いた加賀は他の2人の出資者と共に竹鶴を支援することにしたという。

1935年5月、日果林檎ジュースの出荷を開始。
1940年、余市で製造した最初のウイスキーを発売。
社名の「日」「果」をとり、『ニッカウヰスキー』と命名する

竹鶴さんは、一日一本、 サントリー(後にニッカ)飲んでたとか\(^^;)...

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。マッサンが実話であると知り、自分でも調べましたが、詳しい回答を貰い、納得しました。

お礼日時:2015/01/17 11:01

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