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パーリ語経典とサンスクリット語経典の歴史的な違いについて、大雑把に知りたいです。

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A 回答 (2件)

どうも、真宗の俗にボーズと呼ばれているものです。

ねむねこ氏が回答を寄せておられますので、回答は控えようかと思いましたが、補足として書いておきます。

>>パーリ語経典とサンスクリット語経典の歴史的な違いについて、大雑把に知りたいです。
 まず、サンスクリットと一口に言いましても、仏教史的な視点からは大きく三つに分けられます。
 先ず最も古いのはヴェーダ語と呼ばれるもので紀元前十二世紀から十三世紀ごろまでさかのぼることができます。
 次に、紀元前四世紀から五世紀ごろにパーニ二という文法家がヴェーダ語をもとに文法を整えなおしたサンスクリットで、こちらを「古典サンスクリット」と呼ぶこともありますが、一般にサンスクリットと呼ぶときはこれの事ですかね。
 最後にこういった言語をもとにスラングを多く含み、文法的な基準をあまり守っていないのが、仏教サンスクリットで仏梵語と呼ばれるものになります。
 このへんをまとめてサンスクリットと呼ぶわけです。ただ、この二番目の「古典サンスクリット」ですが古典とはいっても、インドの文化人は二十世紀初頭までは普通に使っていたはずですので、これのみをサンスクリットと呼ぶこともあります。

 お釈迦様ご本人は現在の研究ではマガダ語もしくは東インド訛りの言語を主に使っていたといわれていますが、在世当時そのほか多くのインドの地方言語に訳されていたようです。このことを伝えるものに、バラモン階級出身のヤメールとテークラという兄弟がお釈迦様に
「お釈迦様のお説教が、文法的にめちゃくちゃな言語に訳されています。私たち兄弟に任せてもらえば、ヴェーダ語に訳して文法的に美しくて誤訳も少なく人につたえられますよ。」
というと、お釈迦様は
「いやいや、普通の人が使ってる言語じゃなきゃダメよ」
とおっしゃったという事が残っていますから、当時からすでにたくさんの言語に訳されていたようです。ですから、チベット伝承によれば部派仏教の時代にはそれぞれに部派が違う言語で仏教を伝えていたことが記されています。西北インドで栄えた説一切有部派サンスクリットまたは仏梵語、中インドで起こった正量部はアパブランシャ語、西インドで栄えた上座部はピシャーチ語、南インドの大衆部派マハーシュトラ語(現在この言語の般若経典が発見され「大乗大衆部起源説」がみなおされてもします)、といわれています。
 このなかで、西インドの言語であるピシャーチ語がパーリ語の源流の一つと考えられています。先ほど申し上げた通りお釈迦様はマガダ語もしくは東インドの訛りの言語を中心に説法をされていたようですが、その法話を聞いて多くのお弟子たちがそれぞれの地方にそれを持ち帰り、それぞれの地方言語で布教活動をされました。その中でも、インド西方海岸地方で多くの信者を獲得したといわれるのは説法第一プンナ尊者、西インドアヴィンティ国を中心に布教活動をしたのがマハーカッチャーヤナ尊者など、西インドにはお釈迦様の有力な弟子が多く布教を行っております。そのためお釈迦様滅後西インドは大変仏教が盛んになり、サンーチーやバルフートの大塔、エローラやアジャンターのような多くの仏教遺跡もこの地域が仏教の中心地となった証です。そして、その地方で使われていたピシャーチ語とお釈迦様がもともと使っていたマガダ語のハイブリット言語としてお釈迦様滅後すごく早く見積もって二百年から三百年くらいの間に現れたの、パーリ語という事になります。
 これは、現存する経典の中では最も古い起源をもった言語となります。しかし、それでも、どれだけ早く見積もっても二百年から三百年ごろですのねむねこ氏のおっしゃるように「小乗非仏説」や「上座部非仏説」という事が言われます。また、写本という事になりますとパーリの経典群は五世紀ごろの人であるブッダゴーサ長老が取捨選択して再編纂したものが基本になっていますので、経典漢訳が始まったのが始皇帝の時代という伝説もありますが実際は二世紀頃から始まりますので、漢訳の方が写本としてはパーリよりも古いものも存在しています。ですから、そういった経典はどれかが絶対に正しいなどという事はなくパーリ、サンスクリット、漢訳、チベット語総合的に解釈していく必要があります。
 このあたりが、ねむねこ氏の回答への補足です。

 あと、気になったのがねむねこ氏の御返事に
>>ブッダの冥想を自力でして
ブッダの瞑想を実践しておられるという事ですが、それって本当にそうですか?お釈迦様自身の瞑想法についてパーリ経典の中から探っていきますと、サマタとヴィパサナーがあります(漢訳経典では止と観と訳されます)。その比率はサマタとヴィパッサナーの併記が最も多く、次はサマタ単独、そしてヴィパッサナー単独は『相応部』一か所のみだったはずです。しかも、この『相応部』のヴィパッサナー単独で説かれる文章の前には、それに対応するサマタの文章もあったはずですから、部分的にはヴィパッサナー単独で説かれているとは言っても、全体的な視点からすればサマタとヴィパッサナーそれぞれが単独で説かれている部分といえます。そんな中で、日本の上座部系の宗派の方の中にはいまだにヴィパッサナーこそがブッダの瞑想法としている方々がいらっしゃいます。また、サマタをちょこっとやってからヴィパッサナーをやるという方々もいらっしゃいますが、この双方が経典の中にあるものと比べると大変簡略化されたもので、その瞑想法は二十世紀以降に在家信者向きや僧侶の機根劣化のためかあまり瞑想がされなくなったためにわざわざ僧侶向けに簡略化した瞑想法であったりとかするものばかりです。もちろん効果がないとか意味がないとかいうものではありません。私も他宗お坊さんと交流がありますので、真言阿字観、曹洞禅、マハシ式ヴィパッサナーの経験はありますがどれも素晴らしいものです。しかし、上座部系の方が使う「ブッダの瞑想」なる言葉は間違い、もしくは過剰広告であると考えます。古来からという言葉でいえば、日本のに伝わっている瞑想法の方がよっぽど古い場合があります。舶来の「本物」という言葉に弱い日本人がやりがちな間違いになっていないか心配です。どうぞご自身の瞑想法はいつごろ出来たものか調べてみてください。

>>読めばだいたいブッダの語った内容か、ニセモノかの判断は概ね感じます。
これも、すごいですね?私はいくら読んでもさっぱりわかりませんよ。現在日本や海外の仏教研究者の中においても、経典から真の釈尊像や真の仏教をサルベージしようといういわゆる仏教の非神話化は不可能であり、神話的な要素は海外研究者ジョンストロング氏は

それらの物語はブッダについてのフィクションーすなわち彼のまわりに生じた伝承や伝説ーを含んでいるであろう。しかしそれら「フィクション」は多くの点において事実より真実である。

と述べたおられます。また、ピーター・メースフィールド氏も、

これまで仏教は神話学に無知なものによって非神話化にさらされてきたが、今はそれ自体として理解されるべきである。

と主張しています。よっぽど、日本人より客観的に仏教が見れているんじゃないかと思います。私たちは無知な手法で非神話化し勝手な取捨選択によって、事実を追って多くの真実を捨て去っているのかもしれません。私が思うに、「これはお釈迦さ様の実際の教えで、こっちは偽物」とか「これは本当の釈尊像、他は偽物」というのは、はっきり言って仏教を勉強するやつがかかる中二病です。私も昔は中二病患者でしたので、そんな中二病はさっさと治した方がいいですよ。結局それは仏教そのものの理解を遅らせる結果になってしまいます。

一応この手の中二病患者に勧めている本なんですが、
正木晃『お坊さんのための仏教入門』『お坊さんのための説法入門』
あと、日本のお坊さんに多い上座部コンプレックスには
『シリーズ大乗仏教』
なんかを読んでみてください。

急ごしらえの為誤字脱字乱文、または引用間違いはご容赦ください。ねむねこ氏も間違っていたらご指摘お願いします。
合掌 南無阿弥陀佛
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大雑把にということなので、大雑把に説明いたします。



シャカ滅後、釈迦の直弟子たちがまず経典を編集します。これを第一回結集といいます。
釈迦滅後100年くらいに仏教の戒律の解釈に相違がみられるようになり、戒律集が作られます。これが第二回結集。
釈迦滅後200年くらいのアショーカ王の時代、これに仏教の解説書、論文集が編纂され、経・律・論の三蔵が完成します。
で、この三蔵がパーリ語で書かれていたので、俗にパーリ語聖典と呼ばれます。

対して、サンスクリット聖典の方は、主に大乗仏教の経典、戒律、論文ですね。説一切有部などの北方系のいわゆる小乗部派の論文も文語であるサンスクリット語で書かれています。
大乗仏教がいつ誕生したのかについては不明なのですが、大体、紀元前1世紀くらいでしょうか。ですから、大乗仏教の経典はお釈迦様の説いたものではなく、後世の仏教者によって作成された。そして、法華経や般若心経などの多くの大乗経典は、どれも紀元後に作られています。

なのですが、
パーリ語聖典の経典・お経がすべてが第一回結集などの紀元前の時代に作られたのかというと、そうではなくて、紀元後に作られたものも多数あり、中には大乗仏教の経典よりも後の時代に作られたものがあります。
釈迦が説いたされる阿含経と呼ばれる経典群の中にも、大乗仏教誕生後に作られた経典が多数存在します。

ちなみに、第一回結集、第二回結集は伝説に過ぎず、これらは歴史的事実でないとする考え方が主流です。
パーリ語経典がいつ作られたのかについてはわからないんですよ。
しかも、歴史上実在した釈迦はパーリ語ではなく、おそらくマガダ語をしゃべっていた。パーリ語は西インドの言葉で、お釈迦さんが活動していた場所はインド東北部。これはどういうこと???
このあたりのことは結構難しいんです。
大乗非仏説ならぬ小乗非仏説、小乗のお経・パーリ語聖典も歴史上実在した釈迦が説いたものではない、という考え方すらあります。

こうした事情ですから、
原始仏教なるものが存在したとしても、釈迦滅後数世紀して編纂されたパーリ語聖典から本当に原始仏教がたどれるかというとかなり疑わしいです。
『スッタニパータ』あたりが経典で一番古いんじゃないか、釈迦の教えをよく留めているのではないか、とは言われていますが。

ですから、
原始仏教に興味がございましたら、
 ブッダのことば スッタニパータ 中村元訳 岩波文庫
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83 …
あたりを読まれると良いのではないでしょうか。

ネットにも公開されていますよ。
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/su …

そして、これから
 ブッダの真理のことば・感興のことば 中村元訳 岩波文庫
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83 …


『ダンマパダ・真理のことば』くらいになりますと、教えがかなり整理されたかたちで示されているので、歴史上実在した釈迦が本当にこれをすべて説いたのかというと、かなり疑わしいです。
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この回答へのお礼

有難うございました。私は生臭な日本の僧なのですが、ブッダの冥想を自力でして、スッタニパーダ等をパーリ語で、水野先生の辞書片手に読んで勉強しています。学者ではないので何も言わないですが、読めばだいたいブッダの語った内容か、ニセモノかの判断は概ね感じます。若い頃習った「サンスクリット語」は一体何やったんか…? と疑問が出たので質問しました。
 やっぱ ホンモノとニセモノは、自分で見分けるものですね… 

「ブッダは基本沈黙の聖者だったのでしょう…」

お礼日時:2015/01/31 07:48

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