アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 
イスラム教徒は毎日5回礼拝するという。
それが彼らの信仰の証であるという。
キリスト教徒もイスラム教徒ほどではないが毎週日曜日には教会に出向き礼拝するものだという。
普通の日本人は礼拝などしません。
礼拝の回数が多いほど信仰深いと思われているかもしれない。
だからイスラム教徒やキリスト教徒は信仰深いのであり、礼拝をしない日本人は信仰深くないと考えがちである。
果たしてそーであろーか。
実のところイスラム教徒もキリスト教徒も決して信仰深くないのである。
真に神を信じているのなら毎日5回も礼拝する必要はなく、毎週教会に出向く必要もないからである。
これらの行為は信仰の証ではなく、単なる社会集団的パフォーマンスにすぎない。
またこれら礼拝する人達はそもそも神が何たるか分かっていないのである。
非信非拝非願。
非信ー神は信じるためのものではない。
非拝ー神は拝むためのものではありませぬ。
非願ー神は何かを願うためのものでもありませぬ。
では神とはなにか?
神は万物の根源、宇宙の法則のことである。
神は信じるためのものではなく、感じることのできるものである。
彼らイスラム教徒もキリスト教徒もまずこの辺りがまるで理解できていないのである。 
それ故にイスラムに至っては年中テロに明け暮れる始末である。
イスラム教徒やキリスト教徒が信仰深いと考えるのは間違いである。
むしろ我々日本人の方がよほど信仰深いと考えて間違いありません。
 

A 回答 (1件)

イスラムの神もキリストの神も


神は万物の根源、宇宙の法則のことではない。信じるためでも感じるものでもない。
神が違うから異教なのだから。神をまるで理解できていない。

前提が間違うと結論も間違い。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

>神が違うから異教なのだから。

これが答え?
チンプンカンプンで何言っとるのかさっぱり分かりまへん。
 

お礼日時:2015/02/03 22:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!