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それともあの時代は緊急脱出装置とか無いから不時着=死なんでしょうか。
第二次大戦中、広島長崎や東京大空襲のB29みたいな飛行機の乗組員が不時着した場合、地上でどんな待遇が待っていたんでしょうか。
まともな裁判はあったのか、それとも兵隊や現地住民に囲まれて今回みたいな袋叩きが普通だったのか、どんな感じの扱いをすることが日本や空襲被害国では一般的なのか歴史的に今回の出来事はどのように評価されてるのか知りたいです。

※悲惨な戦争を早期終了させ平和な世界を夢見て高潔な覚悟をもって作戦に参加したカーチスルメイ氏やヨルダン人パイロット氏やポールチベッツ氏などの歴史の善悪を問う質問ではありません。
空爆を行ったパイロットが敵地に落ちた時何が起こるのかという趣旨の質問です。

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A 回答 (6件)

殴られる叩かれる程度はごく普通の事でしょう


稀に、飢えた島民の食料になった事例もある

刑事犯ではないので裁判は関係ない、戦時捕虜である
地元の巡査とか憲兵に引き渡されて連行->捕虜収容所
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
制度自体はあるけど実際に捕虜として扱うかは空襲被害者側の自由なんですね。
人を反撃不可能な上空から一方的に叩いておいて地上に降りたらパイロットのジンケンガー言い出すなんて当時もやっぱりありえないですね。
普遍的な価値観ということを確認できてホッとしました。

お礼日時:2015/02/06 10:16

ほとんどの場合


捕虜収容所に送られ、終戦まで収容されてました。

・村人に殺された
・医学実験で生体解剖された
・帝国陸軍の軍法会議で死刑にされたのも

あります
そもそも武装解除して拘禁した捕虜は、
終戦または捕虜交換まで、兵下士官
は食費に相当する労働はさせていいが、
勝手に裁判してはならず、一定の文化的生活を保障する
義務が国際法上あります。

上官の命令で米兵を処刑したために、
戦後 戦犯として死刑にされた「私は貝になりたい」
は有名ですね( ^^) _旦~~

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
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>あの時代は緊急脱出装置とか無いから不時着=死なんでしょうか。


 ⇒パラシュートが必ずあるので撃墜・不時着=死ではありません。

>第二次大戦中、広島長崎や東京大空襲のB29みたいな飛行機の乗組員が不時着した場合、地上でどんな待遇が待っていたんでしょうか。
 ⇒基本的には憲兵が拘束して収容所送りです。収容所では戦時国際法に準じた処遇です。終戦間際の名古屋空襲の際のように、撃墜された搭乗員を「捕虜」ではなくて「一般市民を無慈悲に殺傷しようとした無差別爆撃であり、搭乗員はハーグ条約違反の戦犯」と現地指揮官が判断して軍律審判で死刑にしたケースもあります。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0% …

>兵隊や現地住民に囲まれて今回みたいな袋叩きが普通だったのか
 ⇒千葉県日吉村での事件のように、激昂した地域住民による殺害事件は結構起こっていたようです。
 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/yokoh …

 日本の搭乗員が間違って殺される事件も発生、その後は飛行服の袖に日の丸の徽章を縫い付けるようになったとのこと。

 基本的には捕獲⇒捕虜、現地トラブルで殺害事件もあった、という形だと思います。
 
>どんな感じの扱いをすることが日本や空襲被害国では一般的なのか歴史的に今回の出来事はどのように評価されてるのか知りたいです。
 ⇒今回のケースは単なる意図的な犯罪であり、戦争でのケースとは全く違います。また歴史的に評価されるのは今後の話です。

*カーチスルメイ氏うんぬんはたいていの日本人を不快にさせると思いますので、あえて記載される必要はないんじゃないかなと思います。
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この回答へのお礼

>>日本の搭乗員が間違って殺される事件も発生、その後は飛行服の袖に日の丸の徽章を縫い付けるようになったとのこと。

いい情報をありがとうございます。
日本軍人が被害にあうまであまり問題視されず、不時着してもがく米兵士をリンチして裁かれた空襲被害者もいない、ということは、空爆などをやった人物は袋叩きにされても仕方ないしむしろ被害者の当然の権利みたいな意識は一般的なものだったんですね。
価値観がそんなにずれていないことを知って安心しました。
ていねいなご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/02/06 10:11

まず、この回答は質問者様が期待している内容ではないかもしれない事をお断りしておきます。



A:>悲惨な戦争を早期終了させ平和な世界を夢見て高潔な覚悟をもって作戦に参加したカーチスルメイ氏やヨルダン人パイロット氏やポールチベッツ氏などの歴史の善悪を問う質問ではありません。

質問は「善悪」という個人レベルで異なる基準ではなく、客観的な事実を求めているということでしょうか。
質問者様の知識やお考えについては知る事ができませんが、
日本を降伏させるには、インフラだけではなく民間人を無差別に殺す事も必要だと判断して、空襲の際、焼夷弾で対象地域の周辺に炎の壁を作って一般市民の非難を不可能にしてから、爆撃したカーチスルメイ氏は高潔な方だということですね。

(これについて、彼は命令を実行したに過ぎないという意見もありますが、だとしたら高潔ではないただのサラリーマンに過ぎないと思います。)

質問者様は、当事者がご立派な思想によるものだと思っていれば、犯罪でも国際法違反の虐殺でも賞賛されるべきだとお考えなのでしょうか。

ルメイの求めた「平和な世界」とやらですが、正義を気取る為に自分達の行為には隠蔽し、一方で捏造でさえある「戦争責任」を日本人に押し付ける事で成立した「平和」に「高潔さ」や「正義」はあるのでしょうか。

【「南京大虐殺」「慰安婦」誤った史実一人歩き米高校で試験にも、】(占領下の洗脳 私の回答はNo4)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8905687

【太平洋戦争】(大東亜戦争へのアジア諸国の評価 私の回答はNo5)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8877786



B:【A級戦犯は冤罪】(動画)
ttps://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo
(3:05 キット提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名をあげることができる)

ごりっぱで高潔な覚悟による空襲をしたり原爆を使用しなくても、条件さえ合えば日本は降伏するつもりでした。
これについては↓の私の回答(No3)をご覧ください。

C:【新型爆弾が落とされることを事前に知っていた市民】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8901601.html



D:>それともあの時代は緊急脱出装置とか無いから不時着=死なんでしょうか。

質問者様にとっては、パラシュートは緊急用でも脱出装置でもないのでしょうか。
また、「不時着」とは、とりあえず死ななかった場合です。(死んだ場合は墜落だと思いますが)

【不時着】
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/192428/m0u/
(航空機が故障・燃料不足・悪天候などのため運航不能となり、目的地以外の場所に着陸すること。)


E:>空爆を行ったパイロットが敵地に落ちた時何が起こるのかという趣旨の質問です。

回答E:時代や「敵地」の定義が不明なので、「敵」による としか言えません。

大東亜戦争中の日本の捕虜の扱いについては、総じて酷いものではなかったと思います。
これについては↓の私の回答(No17)をご覧ください

【日本人は敵の捕虜になるなら自ら自害、または自爆せよ】(日本と連合国の捕虜の扱い)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8898368

「墜落」して死亡した搭乗員については、相応の配慮を以て埋葬されています。



F:>まともな裁判はあったのか

回答F:まともな裁判 も まともでない裁判 もありませんでした。

まず戦争時の戦闘行為は犯罪ではありません。
なので、国際法を犯していない限り、捕虜を犯罪者として裁く権利はありません。

Fの疑問ですが、質問者様の「戦争」について無知が原因だと思います。
これについては↓の私の回答をご覧下さい。

【ドイツと日本はなぜ戦争の反省度が違うのか?】(私の回答はNo12)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8688472.html


誤解している方が多いようですが、「戦争」とは国家同士が国際法に基づいて行う行為です。
そして、国際法では捕虜の扱いは決められています。
しかし、それ以外の何か(テロ組織やゲリラ等)が捕まった場合は、国家に所属する「兵士」とは認められないので捕虜として扱われる権利もありません。
それらに「兵士」が捕まった場合も、彼らは国家ではないので国際法を守る義務もありません。
(ヤクザであっても、警察が逮捕した場合、その待遇は法に則ったものになりますが、ヤクザに捕まった警察官はどうなるかわかりません)


東京裁判では、まともな審議もされずに多くの日本人が捕虜虐待や虐殺等の容疑で有罪判決を受けています。

【九州大学生体解剖事件】(動画)
ttps://www.youtube.com/watch?v=Pv2mQLzni2k
(この事件の疑問点
・高度2-3千メートルから墜落したにも関わらず8名も生きていたこと
・この事件を語ってるのが当時入学したばかりの学生だった東野利夫のみであること
・東野利夫は九大同窓生九条の会代表世話人かつ六本松九条の会代表世話人であること
・リンゲル液が発明されて60年以上も経っているのに海水が代替血液に使えないことくらい知らないはずがないこと
・この事件の取り調べをしたのが人肉試食という嘘の調書を作ったGHQ捜査官であるこ­と
・執刀したとされる外科医がやっていないと無罪を訴えたまま拘置所で自殺したこと
http://p.tl/rh0H の石山福二郎の欄より少ない人員であったのにこんなことをしている暇があったのか
・生体解剖のデータを未だアメリカが公表していないこと)

↑で言われている「人肉食」については捏造であると判明しています。

また、日本兵には↓の中国帰還者連絡会(中帰連)のように、中国で捕虜になり洗脳された人達もいます。

【中国帰還者連絡会】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD% …
(731部隊・南京事件・強制連行などについて積極的に証言し、証言者への協力を行なうことでも知られる。

上記の活動について『撫順戦犯管理所に抑留された旧日本軍将兵が中国側に洗脳されたもの』と主張するものもいる[1]。)

【中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連)】
ttps://www.youtube.com/watch?v=RAdq0kAn24o

自称「当事者」が本当にそうとは限りませんし、そうであったとしても全ての証言が事実とは限りません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>>カーチスルメイ氏は高潔な方だということですね。

アメリカではポールティベッツ氏もカーチスルメイ氏もどちらも戦争を早期終結して日本人アメリカ人多くの人命を救った英雄、ヨルダンパイロット氏と同じ英雄です。
戦後秩序の中で日本はアメリカ側につくことを選び今もアメリカの味方なんだんですから日本にとってどちらも英雄です。
日本人の多数派がカーチスルメイ氏に否定的な考えを持っていたら勲章なんて出ないと思います。

お礼日時:2015/02/05 04:10

↓のような事例もあります。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今回みたいなのは別に珍しいことではないんですね。
戦争が異常なのか戦場が異常なのかそれともこれが正常なのか何が正しいのかよくわかりませんが参考になりました。

お礼日時:2015/02/05 04:12

 福岡県大牟田市の歴史の中にそんな話があります。


村中の人が集まってみんなで石を投げたり棒でたたいたりしたそうです。
 捕虜の収容所もありましたので、殺しはしなかったと思います。
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この回答へのお礼

福岡県大牟田市、ですね。
調べてみます。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/02/06 10:17

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洞穴掘りと芋掘り(農家の人で不足で)です。
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Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

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撃墜王って呼ばれるにはかなり大変だったのでしょうか?
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直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんとか生きのこる「その他大勢」になるか、という事になるわけです。

 ただし、生存率に関して言えば、国によって条件が異なり、落とされても歩いて自陣に返ってもう一回出撃、なんて恐ろしいことが平気で起こるWW2のドイツ(3桁級がゴロゴロ。肋骨負っても再出撃した奴もいた)、ローテーション態勢がしっかりしていて、それほどスコアを伸ばせないアメリカ、洋上を長距離侵攻が多く必然的に死にやすい日本など、「その国の事情」があるので、一概には言えません。

 なお、現在ではそもそも空戦自体がほとんど発生しないので、撃墜経験のあるパイロットの方が希少です。最後のエースは1986年のイラン空軍人でした。もう20年以上前の話です。

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
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・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
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という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

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少し前ですが、テレビ特番の「世界サミット たけしJAPAN 2009日本を考えるTV」にて
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これは本当なのでしょうか?

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実際のところはどうなのでしょうか。
(南北戦争が最も死者は多いとは思いますが、内戦なので回答はアメリカ以外の国でお願いします。)

ソース元なども含めて教えて頂ければ幸いですが、大体でも教えていただければありがたいです。

Aベストアンサー

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が使ったトラックの約9割がアメリカ製だったくらいです。アメリカがトラックや弾薬、燃料をソ連に送ったので、ソ連はほとんど戦車とか戦闘機だけ作っていれば良かったのです。そもそもアングロサクソン人国家であるアメリカにとって大西洋と太平洋では圧倒的に大西洋のほうが重要であり(ワシントンDCは東海岸であることをお忘れなく)、太平洋戦線なんて言葉は悪いですが片手間でやっていたようなものです。

どうしても私たちは日本人なので自分たちを買いかぶってしまいますが、そもそもアメリカは対ドイツ戦に勝利してから太平洋戦線で反撃しようと考えていました。けれど、(欧州戦線でメインの)陸軍が反撃しているのに(太平洋戦線でメインの)海軍は反撃しないのでは国民への体裁も悪いことから主に米海軍が強く主張して太平洋戦線でも反撃することにしました(あとは国民的人気が高かったマッカーサーも主に自分の体裁から強く主張した)。だから、1943年まで太平洋戦線に投入された主な地上部隊というのは海兵隊一個師団程度です。

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が...続きを読む

Q真珠湾攻撃で空母を大破していたら?

真珠湾攻撃の日に空母3隻は湾にはおらず打ち漏らした事は良く聞きますが、この3隻を大破していたら歴史は変わったのでしょうか? 3年8ヶ月の太平洋戦争が4年になったのでしょうか?? 大勢には影響しなかったと思いますが、実際はどうでしょうか? 歴史にたら、ればで論じても仕方のないことですが、こうなった事には変わりないくらいのコメントでも頂けると参考になります。

Aベストアンサー

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられますが)、それと空母に所属する飛行隊も壊滅したと仮定しますが・・・
まず、最初の日本軍の真珠湾攻撃において空母を大破させたなら、日本軍は史実では行われなかった第二撃を行う可能性もあるかと。第二次攻撃を行わなかった理由の一つが敵空母の所在不明です。それが真珠湾で大破し、ましてや史実での戦果予測ではハワイの敵航空部隊も壊滅に追い込んでいる状況です。特に日本側の水平爆撃隊は損失機0でもありました。第二次攻撃を行いさらなる戦果を得たかもしれません。
それはともかく、当然、米国としては空母を大西洋から回すと考えます。

当時、大西洋には就役したばかりで訓練中のホーネット(1942年2月より任務開始)、レンジャー、ワスプ、ヨークタウンの4隻の大型空母がいました。
ただし、レンジャーは防御に問題のある艦であり、史実でも太平洋での戦闘は無理だと判断され主に大西洋で輸送、護衛、訓練、上陸支援などの任務につきました。1942年10月の南太平洋海戦で米国は無傷の大型空母が0隻となる「アメリカ史上最悪の海軍記念日」と米国側が言うほどの最悪の状況だったにも関わらず、レンジャーが太平洋に投入される事はなかった事から、真珠湾で空母3隻が大破してもレンジャーだけは大西洋で任務につくかと考えます。
なお、ワスプは史実では1942年に太平洋艦隊に編入されるまでは、マルタ島への戦闘機輸送任務を数回従事するなどしており、日本との開戦後、すぐに太平洋に投入するとすれば、その分、マルタ島の航空戦力が低下し、地中海を通る北アフリカ戦線のドイツ軍への補給路への攻撃がその分、和らぎ、ドイツ軍に多少有利な状況になるかもしれません。

そんなわけで、おそらくワスプ、ホーネット、ヨークタウンが太平洋に回されると考えます。
そして、ミッドウェー海戦までは史実と同じような展開になるのではないかと考えます。
そして珊瑚海海戦でも史実と同じように米国空母1隻が撃沈され、1隻が中破となり、ミッドウェー海戦になるかと思いますが、ここで仮定の上に推測でしかありませんが、真珠湾で大破した空母が修理を完了し戦線復帰。
米国は無傷の空母1隻に復帰した3隻の計4隻の空母で日本艦隊を迎え撃ちますが、問題は空母の航空部隊です。
史実では、ミッドウェー海戦での米空母部隊は訓練が完了していないパイロットまで作戦に参加させるほど切迫した状況でした。
今回はハワイ攻撃時に3隻の空母の航空部隊は打撃を受けているので、なおさら酷い状況かと思います。空母は戦線復帰しても技量の未熟なパイロットを多数使う事になり、この点において、日本側は非常に有利になるかと思います。

ただし戦争に絶対はありませんから、日本が史実通りミッドウェーで敗北する可能性も充分あります。
その場合は、やはり史実通りの展開となり敗戦の道を辿っていくかもしれません。

しかし、ミッドウェー海戦で勝利した場合は戦局が大きく動くかもしれません。
まず、ミッドウェーで米国側がパイロットの低い技量が災いして敗北し、空母が全滅したとして、日本軍が次に狙うのはハワイです。
これは史実でもミッドウェー海戦前に、9月以降を目処にしてハワイ攻略戦の準備命令が陸軍では既に出されています。
ですが、その前にインド洋が焦点になります。
史実では6月に北アフリカ要衝のトブルク要塞を陥落させたドイツ軍が勢いに乗っており、ドイツとイタリアからインド洋での通商破壊強化と有力な艦隊派遣の要請が来ていました。
この状況に日本もインド洋で潜水艦隊や水上艦部隊を派遣する命令を出し準備していましたが、ガダルカナルの戦いが生じ、インド洋での作戦は極少数の部隊に任される事になりました。
しかし、ミッドウェーで勝利すれば米国はハワイの防備強化と航空部隊、艦隊再建に忙しく、ガダルカナルへの反攻は行わないでしょうから、日本は史実で予定されていた通りか、それ以上の戦力をインド洋に投入して通商破壊戦を行うかと思います。

インド洋は連合軍にとって、北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連への軍事援助で全体の約3割がインド洋を通りました)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路であるばかりか、インドからイギリスへ戦略物資を運ぶ海上交通路でもありました。
もし、この海上交通路が阻害されれば、各戦線は崩れるかもしれませんし、イギリスは戦争遂行に大きく響くでしょう。
特にイギリスは1942年にはドイツのUボートの通商破壊戦により、穀物などの輸入量が低下し消費量が輸入量を上回り備蓄で何とか凌いでいました。また貯蔵していた商船の燃料も3ヶ月分を切っている危険な状況でした。これにインド洋でさらに大きな被害を被ればイギリスは持ち堪える事ができないかもしれません。
元々日本には政府上層部の言う「通商破壊戦により英国の死命を制し米国の態度を変える」「英米連合軍の弱点は英国にあると考えられる。海上交通を断ち英国を餓死せしめて英国を屈服せしむること最も捷径なり」「英国の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしめる」という、まず英国を叩き、それにより米国との講和へ持ち込もうと言う戦略がありました。これが実際に成功するかどうかはともかく、英国の死命は海上交通路にあり、もしインド洋を日本が制すれば、前述した各戦線に致命的であり、英国にも大打撃だった事でしょう。

また、日本の潜水艦隊は開戦時に南方とハワイ方面に大きく二分され作戦しており、ミッドウェーで勝利した場合も当然、インド洋だけでなくハワイ~米本土、オーストラリア~米本土間で通商破壊戦に全力をあげる事になるかと思います。
史実では大戦初期は日本の潜水艦も遠く米本土沿岸で暴れ周りましたが、戦局の推移とともにそれもできなくなりました。しかし、ミッドウェーで勝利し米国の大型戦闘艦艇も多くを沈めたとなれば太平洋で通商破壊戦に力を入れる事も可能になるかと思います。
そうなれば、米軍も大西洋にばかり護衛艦を投入するわけにもいかず、その分、大西洋のUボートが楽になり戦果を拡大し英国を一層苦しめる事になるかもしれません。

そして、太平洋ではハワイ攻略戦となりますが、日本の潜水艦の通商破壊戦がうまくいけば、ハワイの防備も思うようには進まないかもしれません。
攻略自体は制海権、制空権をとれれば可能かと思います。あまり陸軍の大兵力を投入できないでしょうが制海権、制空権を握れば圧倒的有利になります。フィリピン攻略戦やマレー攻略戦、ジャワ攻略戦でも日本軍は連合軍より兵力が少ないにも関わらず勝利したのは、そうした要素において勝っていたからです。

ハワイの失陥は米国にとり大きな衝撃となるでしょう。
そもそも開戦前の米国の新聞には「日本は我々を攻撃する事はできない。軍事的にも不可能な事だ。ハワイの基地にしろ日本艦隊の有効攻撃圏の外にある」と載っていたくらいです。
おそらく、ここで活気付くのが米国内の黒人などの有色人種です。
開戦時、米国は一つに纏まっていたかのように言われますが、実はそうでもありません。
第一次世界大戦で黒人は待遇改善、地位向上を目指し、戦争に積極的に協力しましたが終わってみれば何も実りはなく失望だけが残りました。その経験から第二次世界大戦に米国が参戦した時も、有色人種の間では冷ややかに戦争を見ている部分がありました。
また、大戦を勝ち抜くため軍の増強と軍需産業での人員確保に黒人も組み込まれますが、黒人のこれまでの不満を和らげ、また人手不足を解消するために、これまで働けなかった職場や地位に黒人が就きました。
それに反発したのが白人労働者で職場放棄や暴動を起こしています。黒人側も歴史的に差別されている事から当然不満と反発がありました。1943年だけでも全米47都市で100以上もの人種暴動が発生しています。これにより、軍需産業の生産にも影響が出ています。デトロイトの暴動では黒人が軍の武器庫に突入しようとしました。軍内部でも黒人対白人の暴動が発生しています。
暴動で逮捕された黒人指導者の中には「黒人は米国内の日本軍だ」「東条首相に日本の勝利を祈る」と言い放った人もいました。
日本の勝利がこうした米国内の不満分子である有色人種を刺激し、より一層、反政府運動を大きくするかもしれません。
もしそれが広がれば米国内は酷い紛争状態となり兵器や物資の生産は遅れ、生活用品の流通にも影響を及ぼし、市民の不満を更に募らせるかもしれません。ただでさえ戦争で食肉やバター、ガソリンや暖房用燃料等色々な物が配給で不足気味なのです。それが更に悪化したら・・・
そうなれば、米国は日本と戦うより先に国内問題を解決しなければならず、日本に有利な状況で講和という事になるかもしれません。

史実では、前述した1942年10月の「アメリカ史上最悪の海軍記念日」の後に、米国では上下両院議員選挙が行われましたがルーズベルトの民主党は51議席も減らしました。ミッドウェーで負け、ハワイも攻略されたら民主党はもっと大敗し、ルーズベルト政権ももたないかもしれません。

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられます...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

QB29の迎撃に活躍した戦闘機

B29の迎撃に活躍して
最も多くのB29を撃墜破した戦闘機は何でしょうか?
月光ですか?
屠龍ですか?
それとも雷電でしょうか?
またどのような性能がB29の迎撃に適していたかも
教えて下さい

Aベストアンサー

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するようになります。小林照彦戦隊長率いる244戦隊は部品の補給、整備も行き届いていたため他隊に比べ稼働率も高く、また攻撃精神旺盛なためB29の迎撃に活躍しました。震天制空隊による体当たりをはじめ、通常の攻撃でもB29を撃墜しています。小林戦隊長自らB29に体当たりで撃墜し、生還するなど244戦隊は敗戦までに撃墜84機(うちB29 73機)撃破94機(同92機)と言う戦果を上げました。
 
 水冷エンジンについては工業力が追いついていないのを無理して使ったというのが一般的ですが、ただ単に今までの日本機のほとんどが空冷エンジンであったため整備員が不慣れであったと言う話も聞きます。同じく水冷エンジンの彗星を装備した芙蓉部隊は整備員の努力により高い稼働率を維持していました。
 
 B29の迎撃に必要な性能は高高度での飛行性能、速度、高い上昇力、加速性、火力など格闘戦性能より一撃離脱に適した機体が良かったと思います。

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するよう...続きを読む

Q戦時中に最前線に投下されて、生き残った兵士っていま

戦時中に最前線に投下されて、生き残った兵士っていますよね。突撃ー!と隊長が言って、突撃しますよね?突撃しなかったら、身内に刺されて死にますよね。どうやって、突撃ー!と言われて、確実に死ぬであろう敵からの集中砲火の鉄砲玉を奇跡的に除けて、周りがバタバタ死んで行く中で、敵陣まで生きて辿り付き、そして全勝出来たのでしょう。

戦争で最前線で戦っていたという旧日本兵のおじいちゃん方はどうやって、最前線をくぐりぬけたのか知っていたら教えてください。

日本が戦争になったら参考にしたいです。戦場から逃げたとか通信兵で後方部隊だったとかはNGです。最前線で戦って生き残った人のどうやって生き残ったのか知りたいです。

Aベストアンサー

 父の友人で、フィリピン戦線で戦った人の話を記載します。

 アメリカ軍の陣地に対して、夜間攻撃を行って占領するという命令を受け、その人の所属する小隊(50名程度であったそうです。)も、夜の闇にまぎれて匍匐前進して200メートル位まで忍び寄り(それ以上はサーチライトが照らしていて、見つからずに接近できそうもなかったそうです。)、夜明け前に「突撃ー!」となったそうですが、とたんに米軍陣地から猛烈な機銃掃射が始まり、照明弾も打ち上げられて、地面の窪みに這いつくばったまま、前進も後退も出来ない状態になってしまったそうです。

 明るくなる前に、点呼があり、這いつくばったまま17人が返事をして、「結構生き残っているな。」と思ったそうです。

 それから明るくなり、熱帯の直射日光の下で、死体に混じって動かないようにしていたそうです。
 日中、太陽の下で、何か動きがあると感じられた場所には、米軍陣地から機銃掃射が何度も容赦なく行われるので、ずっと地面の上に転がっていたそうです。
 そして、日が沈み、夜になってから少しずつ後退して、日本側の塹壕まで戻ったそうです。
 無事に塹壕まで戻ってきたのは、結局8人だったそうです。

 父の友人で、フィリピン戦線で戦った人の話を記載します。

 アメリカ軍の陣地に対して、夜間攻撃を行って占領するという命令を受け、その人の所属する小隊(50名程度であったそうです。)も、夜の闇にまぎれて匍匐前進して200メートル位まで忍び寄り(それ以上はサーチライトが照らしていて、見つからずに接近できそうもなかったそうです。)、夜明け前に「突撃ー!」となったそうですが、とたんに米軍陣地から猛烈な機銃掃射が始まり、照明弾も打ち上げられて、地面の窪みに這いつくばったまま、前進も...続きを読む

Q終戦日以降も戦闘があったのはなぜか?

こんにちは。

一般的には第二次世界大戦の終戦日は昭和20年8月15日とになっていますが、その15日をすぎても、日本本土上空で連合軍と日本軍の戦闘機の空戦が何日か続いたと記録にはあります。

遠い外国の地ならまだしも、本土の基地において、連絡がいってなかったとは思わないのですが、、、これは「まだ負けてない」という一部の人間が行った戦闘なのでしょうか?それともほかに理由があったのでしょうか?

Aベストアンサー

知人のもと日本軍パイロットの方から実際にお話を伺ったことがあります。

その方は玉音放送の後、上官から武装解除の命令があったそうですが、どうにも我慢がならず、東北地方の軍港の軽空母?から戦闘機を発進させたそうです。
でも、結局は飛び立ってすぐに上官や仲間からの説得にあい、引き返してきたそうです。ちなみにその方は今もご存命です。

思うに、戦争末期のあの頃は、国内といえども一部の部隊では士気の低下や諸々の事情で軍の統制がくずれていたのではないかと思います。
そんな折に強硬な戦闘継続派が暴挙に出ても、それを止めたりするようなことは出来なかったのではないか、とも思います。

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む


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