先の質問で判断停止という用語を覚えたのですが、ひらたく解釈すると、
何らかの前提を信じることで、その前提より以前に前提があるかもしれないことを保留してしまう
、、、という意味に受け取ってよいのでしょうか?
「何らかの前提を信じることで」の部分がちょっと違うような気もしますが、
おおざっぱに言ってしまえばこれでOK?
もし解釈が間違ってたらここから先は質問になりません。
間違いを正してください。
さて、解釈がまあそれでよしとしようであるなら、
そうして得た答えというのは、生活上の解決にはつながっても、
元々の問いに対する答えとは別物の気がします。
知識を得ることで、なんとなく納得できてしまう疑問。
考えることをそこでやめてしまうとしたら、
知識が哲学することの邪魔をするということになりませんか?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
ぎゃくにエポケー(判断中断)というのは:
知識やそのときの状態と段階でさらに思考を繰り返しおこなうことで
ひょっとすると哲学することが邪魔されるかも知れない
という考え方の上に立っている。
はずです。そしてその場で判断を一たん打っ棄っておくことによって――その提唱者( E. フッサール)の思惑にあっては―― さらに《直観(ヒラメキですね)》が得られるという見通しのもとにあります。
判断を中断することによって――知識も気持ちも余分なものにはいっさいこだわらないとすることによって―― 《純粋意識》に達して言わば《ものの見えたる境地》にいたる。ということだと捉えられます。
参考資料として:
【Q:現象学の 本質直観を くわしくおしえてください。】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7034634.html
ご回答ありがとうございます。
つまり、得た知識を背負ったまま立ち止まるのではなく、
背負ったものを放り投げてしまえということでしょうか。
リセットしない限り、得た知識に縛られますものね。
リンク先を開いたとたんに「長っ!」と思ってしまいました。
日頃マンガくらいしか読まないもので・・・。
そういうわけでせっかくなのにまだ読んでおりません。
おそらくは専門用語が飛び交う内容と思うのですが、
それを一つ一つ調べて多少なりとも理解するより早く、
私は考える能力を失う年齢になってしまいそうです。
哲学は、青年に必要なものかもしれませんね。
No.11
- 回答日時:
カレー評論家が、カレー食べないで評論してるのと同じでしょうかね。
経営者は経営哲学食べますんで。
人間は、自分の哲学を導き出さないで
人の哲学を掲げ食べたつもりでは、中身がスカスカになります。
人の確証を自分の確証に裏付けられる所まで掘り下げて引き上げた時だけ
人の確証を得るは機能します。
手抜きは手抜きとして反動がどこかで出ます。
無知の知が骨身に染みるまで、多くは続くものと思いますよ。
辛酸を舐めるしか、気がつかないのも人間かもしれませんね。
壁が在るから成長があり、ピンチがチャンスになるのですから。
遠回りが一番の近道だったと分かるまでに多くが至らないのは
今の日本が「手抜きの楽で、旨い汁吸おう」って腹づもりが
個々の中で過去の歴史以上に膨れ上がって来ているのかもしれないですね。
過去最大のぬるま湯時代ですから、当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。
反動で真摯な欲を持った人達も出てくるでしょうから
後30年も見てれば分かりますよ。
加わるも良し、見てるのも良し。
自分がどのポジションで居ようとするかだけですから。
誰しもね。
さて、30年後も第一線に立って居たいので今日も歩きますかね。
おっしゃるとおりと思います。
大人は、子供の疑問に対し、処世術を教えますよね。
経営者には経営学を、というような感じで。
人はなぜ哲学をするのか。
例えばあなたの例にある、第一線に立ち続けるため?
しかし、それが、人生にどのように価値のあることなのか。
子供(と、年寄り)はそこに疑問を持つんですよね。
どなたかに、哲学は青年のためのものなのかな?言ったのも、そういう意味です。
私は、皆さんのように難しい言葉や理屈を知りません。
それによって得ることのできる(できた)環境も知りません。
だから、子供の視線(と、自分では思っています)で質問させてもらっています。
うっとおしいと感じることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします。
No.10
- 回答日時:
>あなたの回答からも、別の質問を・・・。
>世に疑問の種はつきまじ。
食べない感想文集めの人は、みんなそうなってますね。
食べて集めてる人も居ますが、消化不良?
舌自慢のアンケート落とし?
味わう舌は、自分だけの物だから
自分が味覚障害にならない事だけ気をつければ
世の中は十分に美味しく味わえます。
食べてる人は味わえるけれど、食べたつもりの人は
おそらく山ほど居る。
そこが残念に思うところです。
次の次で質問に仕立てようと思ったのですが、
補足回答をいただきましたのでコメントを。
食べる必要がなく、感想文だけ必要な立場の人がいると思うのですよ。
例えば、カレーチェーンの社長とか。
飲食店経営者は自分の舌で確かめる、、、は「べき」論かと。
経営者が料理人ではなく商売人でしかない場合、
必要とされるものは自分の味覚ではなく、感想文ですよね。
万人受けするものを提供しさえすれば、目的が達成できるわけで。
なまじ知識があるものが自分で食べてみて○○というスパイスが・・・
と考えるのが哲学とするなら、商売という目的のためにはじゃまになります。
目的によっては、人の確証の上に自分の物を組み立てることの方が、
世の中を美味しく味わう手段になりうるな、、、と考えてしまいました。
「目的によっては」。
つまり、哲学の目的は何だろう?というのが、疑問として湧いたということです。
No.9
- 回答日時:
こんばんは。
わたしの回答№8は
エポケーは ただ当座の判断を中断するというだけではなく
やはり主観の内なる《純粋意識 あるいは 本質直観》といった
抽象的な理念を扱うような領域に到ることと切り離せない
ことをおぎなったものという趣旨について 捉えてもらえないですか?
かんたんなことだと思います。
《そのことを受け取った》でおしまいとしていいわけです。
そういうやり取りも かないませんか?
>そういうやり取りも かないませんか?
「かないませんか?」という語感から、
私、何か不愉快にさせることでも言ってしまったかと・・・。
全く他意はないのですが、もしそうだとすれば謝ります。
先のご回答からは、《超越論的領域》なるものが、
超越という言葉から、現在あるものを乗り越えるという意味と受け取りました。
そして、乗り越えなければ進めない存在が「神」であると解釈しましたので、
哲学は神に挑まないのだろうかと思ったしだいです。
しかし、「そのことを受け取った」という言葉から、
字義通り乗り越えるという意味ではなく、
可能性を認識して、判断停止するという意味なのだろうかと、
今、思っています。
No.8
- 回答日時:
エポケーは ただ当座の判断を中断するというだけではなく やはり主観の内なる《純粋意識 あるいは 本質直観》といった抽象的な理念を扱うような領域に到ることと切り離せないものと――フッサールの哲学にあっては―― 捉えられるということ。
現象学的還元というとき 還元される行き先のこととしてです。この点は おぎなっておくべきと考えます。《超越論的領域》と言っています。ほかならぬカントの《物自体》にかかわると言えば早いでしょうか。
つまり 何のことはなく 《神》の問題です。
☆☆【Q:現象学の 本質直観を くわしくおしえてください。】№7補足欄 ~~~~~~~~~
▲ (フッサール:超越論的領域) ~~~~~~~~~~~~~~~
( a ) 超越論的問題の発見によって初めて 世界すなわち現実の世界および可能的な世界一般と超越論的主観性との区別が可能になる(そしてこの区別によって初めてラジカルな哲学が始まりえた)のであり
( b ) そしてこの超越論的主観性は 世界の存在の意味を自己の内部で構成する主観性として 世界の存在に先立つものであり 従ってまた世界の実在性を 自己の内部で顕在的および潜在的に構成された理念として 完全に自己のうちに保持しているのである。
( c ) 確かに 世界のうちにあらかじめ与えられているすべてのもの 換言すれば《それ自体としての存在》を主張して現われるすべての超越的なものについての 普遍的な判断中止と超越論的‐現象学的還元とによって初めて 具体的な超越論的存在領域が開示され そしてそれと共に構成の諸問題 とりわけ《括弧に入れられた》超越が《超越論の手引き》として機能することによって展開される構成の諸問題への道が開かれたのである。
( d ) 次いで 超越論的に還元された自我の内部で行なわれる《他者》の構成の解明は 現象学的還元と超越論的領域を超越論的相互主観性(超越論的自我全体)へと拡大させる結果となった。
(『論理学』 FTL.237 立松弘孝編『フッサール・セレクション』2009 p.140-141 前身は『世界の思想家19 フッサール』1976)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 1. 《超越論的主観性》( a )は わたしの理解では 《ヒラメキ――イメージ直感および観想直観――》のことだと見ます。あるいはさらにその奥の《非思考の場》です。
2. これが《世界の存在に先立つものであり》( b )というのは 非思考の信仰がと言わずとも(つまりそれは ブラックボックスに入れておくとすれば) 直感および直観のヒラメキが 理性ないし思考に先行するということだと見ます。〔感性にも先行する《直観》です〕。
3. そのときの《理念》は おそらく《ヒラメキ》と《理性ないしコギト》とのあいだに位置するのかも分かりません。
4. 《〈それ自体としての存在〉を主張して現われるすべての超越的なもの》( c ) これが《理念》やあるいは《まだなお混沌とした状態にある直感イメージ》のことを言っていると。
5. つまり《それ自体としての存在》は ここでは 心の最も奥にあるとされる《物自体》のことではないようです。
6. ( d )で《自我の内部に〈他者〉が構成される》というのは つまりは《超越論的相互主観性(超越論的自我全体)》と言っているところは 何ともまだ分かりかねます。
〔いわゆる《相互主観性 Intersubjektivitaet 》がすでに《わたしなる心の奥深くに》成っている。と言っていましょうか。――今回の引用に際してのおぎないです〕。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《知識や判断を一たんほっぽり出して》と言いましたが もしその思考や判断や感性やに先行する領域へと還元されるのなら その《純粋意識》は 知識を超えていますから 知識を打っ棄っておく必要も じつはない。ということになるのでしょう。
>つまり 何のことはなく 《神》の問題です。
何度も詳しく回答いただき恐縮です。
難しげな言葉がたくさんなので、今わかるところだけ。
きわめて表面的に、薄っぺらく受け止めると、
とりあえずわかんねーことは神の領域にしてしまえー!
といったところでしょうか。
哲学は、神には挑まない?
いや、、、我ながら表面的すぎ。
一生懸命まじめに答えていただいてるのに申し訳ない。
哲学やその用語について勉強する気がないわけではありません。
長年勉強されてきた方に、おいそれとついていけたら、その方が困りものでしょう。
ご回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
カレーを食べた人の感想を集めて回るより
カレーを食べた方がいいと思います。
それを本人が気がつくかどうか。
人の確証は人の物であって、参考意見だとしても
自分の物ではない。
人の確証の上に自分の物を組み立てても
砂上の楼閣のごとく消え去る時が来る。
そこでの「分かったつもり」が、哲学において
一番厄介な問題かもしれませんね。
そうですね、哲学でなくとも、
「わかったつもり」は困りものですよね。
でも、自分の味覚はあくまで個人的なもの。
嫌いだから食べないという解決は個人限定。
それが、「でも、他の人はそうは思わないかも」
という考えにつながらないとしたら、
時として暴走という結果を生むような気がします。
#6さんの回答から次の質問を考えつきましたが、
あなたの回答からも、別の質問を・・・。
世に疑問の種はつきまじ。
ご回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
現象学の創始者フッサールあたりだと、
「世界は在る」
「リンゴが外界に存在する」
というようなことを括弧の中に入れて、このことについてエポケーするんですよ。
これが真実かどうかは確かめようがないので。
そして、これを前提にした議論をしない。
たとえば、
「リンゴが赤く感じられるのは、リンゴの表面で反射された光が目に入って…」
という説明はダメ。
これはリンゴや光などが外界に存在することを前提にしているので。
じゃぁどうするか。
リンゴが外に存在しているかどうかについては分からないけれど、
見ることによって生じるリンゴというイメージ、観念は、私の心の中にある。
これは疑いようのない事実。
そして、見て生じたこの心中のリンゴは、私たちがどう願おうが、伸びたり、縮んだり、形や色が変わったりもしない。いくら強く「消えろ」と念じても、消えてなくなったりもしない。
つまり、これは、見ることによって生じる心中のリンゴが主観的な存在ではないということだ。(だから、我々は外に客観的なリンゴがあると思う。)
これが本当に客観的なものかどうかは分からないけれど、
まぁ、
このあたりを出発点に哲学(現象学)しようじゃないか。
こういうような態度を現象学的還元という。
本当は、
ノエシス・ノエマというようなことも言わなければならないんでしょうけれども…。
なるほど。
じゃぁ・・・という疑問がわいたのですが、
お礼欄にそれを書いて回答してもらうと、
元の質問からずれていくので、次の質問にしたいと思います。
事務局に関連する質問と受け取られたら勝手に締め切られてしまいますので、
とりあえずこの質問の回答をもう少し待ってみてからということに。
#5への返歌もあるかもしれませんし。。。
いつも丁寧なご回答ありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
この哲学カテで「胡蝶の夢」なんてことを流行らせたのは私なんです。
そして、
荘周チョウチョが、本当にわたくし・ネムネコの回答者生命にとって極めて危険な存在であり、わたくしを葬り去る存在になりうることが明らかになりました。
身をもって知ることになってしまいました。
「荘周チョウチョはわたくしの味方である」というのは、
わたくしの単なる思い込みに過ぎず、ドグマであった。
荘周チョウチョのこと、友達だと思っていなのに(グスン)。
このことについて《エポケー》するべきであった。
括弧に入れて、慎重に行動するべきであった…。
No.4
- 回答日時:
こんばんは。
《エポケー・判断停止》は、
考えても分からないものは、判断せずに保留する
ですよね。
このことを「括弧に入れる」と言ったりもします。
カレーを初めて見たとします。
「美味しいのか、不味いのか、甘いのか、辛いのか」
なんてことは、
幾ら考えても分からない。
判断できない。
であるから、
この判断を保留するのですよ。
エポケーする。
このことを確かめるためには、
目の前のカレーを実際に食べてみればいいんですよ。
また、カレーを何度か食べたヒトがいるとします。
そのヒトは過去の経験から、
このヒトは「このカレーは辛い」と判断するでしょうね。
しかし、この判断は間違っているかもしれない。
このカレーは辛くなくて、甘いのかもしれない。
辛味成分がまったく入っておらず、しかも、お砂糖がたっぷり使われており、すごく甘いかもしれない。
実際に食べてみた。
そしたら、辛さはまったく感じられず、えらく甘かった。
「カレーは辛いものだ」というのはその人の思い込み、独断、ドグマであり、事実や真実とは異なっていた。
であるから、
「カレーは辛いものだ」という信念(?)も括弧に入れなければならない。
まっ、こんなニュアンスですかね。
☆知識が哲学の邪魔をすること(場合)ってありませんか?
◇邪魔をすることがあります。
昨晩、知識を少しひけらかしたために、
質問者さんへの回答が大量に削除されてしまいました(^^ゞ
実は、ネコ神様の話のあと、
ユングの元型説、アニマ・アニムスへと展開する予定だったのに、
削除されなければ本当にこうした話をするつもりだったのに、
できなくなってしまいました。
無意識・潜在意識と神話、宗教などとの関係について議論を展開するつもりだったのに、できなくなってしまった(グスン)。
アニマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B% …
お陰で哲学できなくなった(涙)。
このことから明らかなように、
余計な哲学知識は哲学することの障害になります。
昨日はお気の毒でした。
まあ、正直、あれが削除されないとすればよっぽどだとは思いましたが。
>このことから明らかなように、
> 余計な哲学知識は哲学することの障害になります。
そうなのかなぁ(笑)
カレーの件、判断を放棄するという意味では、
状況的に思考停止と同じ気も。
>無意識・潜在意識と神話、宗教などとの関係について議論を展開するつもりだったのに、できなくなってしまった
そんないっぺんに来られても私は受け止められません。
言葉は、洪水のように流れると、相手を飲み込むだけではないでしょうか。
ご回答ありがとうございました。
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