「客観性」と「論理性」といわれますが、具体的にどういうことですか???

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A 回答 (3件)

おもしろいな!と思って、gooの国語辞書(大辞林第二版)を調べました。

ところが、なぜか余計わかりにくくなってしまいまいた。そこで、引用を諦めて、大胆に自分の言葉で述べてみます。反論多そうなことを述べますよ。

「客観性」=
 ある対象を観察する場合に、観察される対象と、観察する者との間に、切断が存在すること。観察対象と観察者との間に存在する切断によって、観察対象に、観察者の主観の混入すことを排除できる。主観の排除は、観察者の個別性によらない観察対象の記述を獲得できることが多くなるという、「便利さを」生じせしめる。
 従来は、最良の観察行為には、客観性が必須である、との合意が暗黙のうちに信じられていたといえると思う。現代では、"本来的な観察行為において主観の混入は不可避"と見る考え方ないし反省(※)が複数の学術分野で生じている。この反省の立場に立つ場合、客観性という概念は、嘗てそれ自身に過剰に付与されれてきた価値が、減じせしめられ、本来あるべき程度の価値が付与される形態へ、変化してきている過程にある、と考えられる。

(※)他分野において生じているこのような反省が、数学においても、生じているかどうかは門外漢の筆者には不明ですが、数学と言えども(まだ教科書に載っていない)先端分野の一部では、当然このような反省が在り得るのではないか、と筆者は推量しています。まずどう見ても、公理系の選択基準というところに、その反省が反映されるのではないでしょうか。旧来の研究者は「数学は、その部分を、扱わないのだ」と繰り返すでしょう。ただ、こういうこと(○○学に属する旧来の学者は、「それを○○学とは呼ばない」、と繰り返し述べる、という現象は歴史上よくあったし、その後、その○○学が、拡張されて、それを含むに至る、という経緯も同じぐらい良くあったように思います。いざとなれば、別に、数学と言わずに、主観含数学とでも言えばよいだけですし。この考えは、もし拡張した結果が有用であれば、すなわち「便利」であれば、拡張すればよいのだ、という発想に基づいています。この「便利」という卑属な印象の言葉は、冒頭の客観性の説明に"「便利さ」を生じせしめる"という記述をしたことと呼応します。
 世の中には、排中律を真としないで構築された論理学があります。それは、直感論理学と呼称されて存在しています。数学辞典にも載っている論理学の名前です。この名前の付け方は、上記の論への重なり、を予示しているようにも思います。

「論理性」真偽の明らかな命題(複数可)を、ある規則(複数可)にのみ従って、操作して、別の命題を生み出す手続き(論理手続き)のみで、議論を展開すること。

ではないだろうか…、と思いました。以上、あまり印象に残らなかったら無視してください。
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この回答へのお礼

こんなに、くわしく書いていただけるなんて。ありがとうございます。
参考にしたいと思います(^。^)

お礼日時:2001/06/17 23:51

数学の特徴については、下記URLもご参照下さい。



参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=43691, http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=31662
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この回答へのお礼

 参考にします。ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/17 23:56

「客観性」は、誰が解いても(誤りがない限り)一意の解が得られるということ


で、それはすなわち誰かが解いたものを他の誰かが見ても理解することができる
(はずのものだ)ということ。「正しいもの」は誰が見ても「正しいもの」であ
るということ。

「論理性」は、厳密に定義された数値や公理によって公式や理論などが成り立っ
ているため、解を導く課程をすべて論理的に説明できるということ。

ではないかと思います。
物理学などで、ある公式や定理を証明するときに数学的手法が用いられるのも、
数学がこういった特徴によって裏打ちされたものであるからこそでしょう。
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この回答へのお礼

 たんてきに書かれていてわかりやすいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/18 00:13

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