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30歳主婦です。
父が急死し、およそ四ヶ月が経ちました。
始めの一ヶ月は殆どどのように過ごしたのか記憶が無く、ただ必死に母を慰めて支えていたと思います。過食になって激太りし、睡眠不足でイライラしたり、ヒステリックになって涙が止まらなくなったり吐き気が続いたりと辛い数ヶ月を何とか乗り越えて来ました。
しかしここ最近、体中のあちこちが不調です。時折、突然父の事を思い出し、涙が止まらなくなって辛い事はありますが、以前よりは精神的に安定して睡眠も取れていると思います。
目・耳・鼻・内臓・関節、あらゆる箇所の異常に不安な毎日です。
各病院に行こうと思っているのですが、精神的なものから体調不良になっている可能性もあると聞きました。
こういった場合、まずは心療内科に掛かった方が良いのでしょうか?私としては精神的不安定さも以前程感じていません。なのでカウンセリングを受けても実際患者になりうるのかなと思ってしまいます。
とはいえ正直自分の状態がよくわからないというのが本心ですが、手当たり次第に病院を回って一刻も早く安心を貰った方が賢明でしょうか?
因みに各病院で診察して貰う場合、父の死の事は伝えた方が良いのでしょうか。口に出すと涙が出てくるので出来れば言いたくありません。

経験者様のご意見があれば是非聞かせていただきたいです。
宜しくお願い致します。

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A 回答 (1件)

すべては心から発せられていることですね。



気持の準備もないまま、お父様が急逝された。
あなたもお母様もパニック状態になったはずです。

それでもあなたとしてはお母様が心配で、自分の気持ちを押し殺して誠心誠意お母様に尽くした。

やっと何とかお母様が落ち着いてきて、ちょっとホッとしたところで、今度はそれまで押し殺していたあなたの気持ちが膨れ上がる。

あなたの心の中では、当然のことながらお父様の死については決着がついていない。
心の葛藤やひずみが身体の各所に現れている。

このような状態だと思います。

心療内科を受診されることが良いと思います。
お父様の急逝、その後のお母様の状態、その間のあなたの状態、すべて話すべきです。

涙が出てしまうのは、あなたの心が不安定だからです。
この間の一連のことが自分の中で消化できていないからです。

ジッと話を聞いて、適切な対応をしてくれると思いますよ。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

お礼が遅くなり失礼致しました。
温かいお言葉が心に沁みます。早速心療内科を受診しようと思います。
うまく話せるかわかりませんが、心の中に溜まった重たい泥のような感情を少しでも吐き出せるよう、じっくりお話をしてみたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/02/17 21:38

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Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q親の死を乗り越えたものの、無気力。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また人付き合いも悪くなりました。

軽い夢遊病のような状況です。一番苦しい時期に悲しみを堪えてふんばらなければならなかったこともあった反動なのか、喜怒哀楽の感情が上手く制御出来ていない感じがし、頭には常にモヤがかかったような状態です。行動にせよ言動にせよ、以前と比べて明らかに”芯が通っていない”と感じます。

はた目から見る分には正常のようですが、このような状態が続くとマズいな、とは感じます。

どうしればようでしょうか?もし似た様な状況を克服した方がいましたら、何か良い方法を教えて下さい。
よろしくお願いします。

尚、多忙のためお礼が遅れてしまうかも知れません。ご了承下さいませ。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また...続きを読む

Aベストアンサー

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんでしょうね。いっしょです。

一人で、好きなだけ、泣き通す時間が必要でした。

で、それは、今だったら、もうすっかり正常なので、ちょっとした、ニュースとか、写真とか、音楽、美術、なにかちゃんとしたものにふれたとき、すぐに来ますけど、(ニュースを見たらすぐ泣けるという意味です)

当時は、まとまった時間、集中出来る環境がないと、なんかとにかくぜんぜんダメでしたね。
「今、そのモードじゃない」という感じでしょうか、切り替え「しちゃならん」と思ってるからか、切り替えスイッチ、入らないんですよね。

わたしの場合は、死んだ家族と、同居の家族のほうが、ある意味、立ち直りが早くて、
わたしのほうがついて行けなかったです。それもものすごくつらかった。時間のたちかたが、ひとりひとり、違うんですよね。本当に違います。もうそれはどうしようもない。

なので、一人暮らしの、一人の部屋で、「もう帰省した」とか「旅行中」とか、友人や彼氏に嘘をついて、ひとりになりきりました。買いだめして。ちょうど、夏休みとか冬休みとかの長い企業だったので。

やっと集中出来て、モードに入ると、もう、あきれるほど、何時間でも、泣けるんですよ。
びっくりです。

それで徐々に治った感じですね。

参考になれば。

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんで...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q親が亡くなり喪主になったら、会社を何日休みますか?

まず午前中に親が亡くなるor危篤と電話がきましたら、会社すぐに早退しますよね。
そして病院で親の遺体をみて、葬儀社と打ち合わせ、1日後を通夜とし、通夜の日は会社を休みます。
そして2日後は葬儀・告別式でまた会社を休み。
合計で、当日の早退+2日の休みをもらうのが普通でしょうか?
それとも通夜や葬儀・告別式は夕方からなので、午前くらいまでは会社に行くのが普通ですか?
つまり3日連続早退でしょうか?

皆様の知識経験を教えてください、お願い致します。

Aベストアンサー

補足です。

私の会社では忌引きは目一杯休まないと「変な人」扱いされます。
親が亡くなったのに仕事するの??と言われますね。

日本の会社は基本的に冠婚葬祭には優しいです。

特に亡くなったのが親、配偶者、子供など近い身内の場合、忌引きを目一杯使って休んで文句を言われる事はまずないですし、非常識だなんてこともまず言われません。

もしそんな事を言う人がいたら、その人こそ非常識ですね。

もちろん、ブラックな会社だとまた別ですが^^;

Q親が突然他界してなかなか立ち直れません。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができておらず
私は時々悲しみで押しつぶされそうになるのです。

母は高齢のわりには元気でしたが、この夏の猛暑の影響もあったようで
突然他界しました。
倒れる前日までは「普通のお婆さん」という感じで
普通に生活していました。

私はできるだけ楽しげに生活して普段はなにげなく仕事したりしてますが
誰もいない家に帰ると
「口では表現できないような喪失感」に襲われ、
これがいったいいつまで続くのだろうかと悩んでいます。

「父も母もいなくなって一人ぼっちになってしまった」
という寂しい気持ちにおしつぶされそうになり
なにをやろうとしても集中できないのです。

いつかこういう日(両親ともに亡くなる日)がくる・・・
と自分で自覚してたつもりですが
自覚が足りなかったのか、気持ちが乱れます。

また母の突然の死後
私の体調も不安定で
不眠や胃腸の不調に悩まされ、クリニックに通ったりもしてますが
「口では表現できないような喪失感」までは治せません。

ただ、自分が幸せだと思えることもあります。
それは今、母に心から「ありがとう」と思えること。
そして私が母を最後まで看取ったことです。

仮に親が元気でも
親子関係が険悪な状態が長期化してたりすると
それは不幸せだと私は思うのです。

また母の死後知ったことですが、
母は周辺の人から評判が良かったことを知りました。
周辺の人からは「心が優しい親切なお母さん」、「真面目で誠実な人」
「年齢を感じさせない若々しいお婆さん」など・・・。

家の中では
母は歳をとってからは
よく私に愚痴を言ったりもして私はウンザリすることもよくありました。
でも今ではそれさえ大切な思い出です。

そのように言われていた母を亡くしたことに
いっそう心が悲しくなるのです。

早く立ち直りたいと思えば思うほど、
何故か自信がなくなってしまい自分が情けなくなるのです。

親や家族を亡くして悲しい思いをしたとき、
人はどうやってその悲しみをのりこえるのでしょうか?

親を亡くすとこんなにも気持ちが乱れ
自分がもろくなるものなのでしょうか。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができて...続きを読む

Aベストアンサー

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙であり、心なのですから、もっともっとお母様との想い出話を目に見えない糸電話で会話して下さい。

私の場合は親が突然死では無かったのですが、私が外国で仕事をしていたので、看取る事も無く、葬式すら出る事無く、日本に帰国後、墓参りをした時に親不孝者と悔やみ、嘆いた事を今でも想い出して悲しくなる時が在りますが、不思議に親の残した言葉が、心の中から蘇って来ては懐かしむ事がしばしば今でも在ります。
ただ、辛かったのは、遺品として父親が愛用していた、コーンパイプと万年筆を見た瞬間は男泣きしながら、物凄い喪失感に襲われました。
そして、今でも遺品を見ながら父親と会話をしています。
貴女とは違いますが、無理に忘れる事も無いし、喪失感でも良いじゃないですか!姿が無くても、見えなくても心の会話を一生しましょう。
心がもろく成っても、目に見えない糸電話で母親が支えてくれてるので心配ありません。
永遠の心の糸電話を楽しんで下さい。

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙で...続きを読む

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Qがん末期の非常に危険な状態とは

がんの末期において危険な状態の血圧の低下というのはいくつぐらいまで下がっていくと危険なのでしょう。また呼吸の浅さはどうやってわかるのですか。酸素吸入の目盛りを上げると血圧が上がるのはなぜですか?脈拍数の低下の非常に危険なボーダーラインというのはいくつなのでしょうか。他に油断を許さない危険な状態というのは何で判断するのか教えて下さい。

Aベストアンサー

 兄が脳腫瘍で亡くなりましたが、そのときの状況でも。

 病院で血圧を測定する機械に触れましたが、上が60を切ると機械が電子音を出して緊急性を表していました。
 また、血中の酸素濃度が95%を下回ると危険な状態と言えるようです。逆に言うと、95%を上回るように酸素を送り込む必要があります。
 こういった状態のとき、脈拍数は180と非常に高い数値を示していました。血圧や血中酸素濃度が低いにもかかわらず脈拍数が落ちてきたら非常に危険だと言えるでしょう。

 本当に死の直前では、呼吸が見るからに弱弱しくなり、呼吸が止まることがどんどんと多くなりました。呼びかけると思い出したかのように呼吸を始める感じでしたが、まさに「息を引き取る」という表現そのままに死へ至りました。

 全体としては、「血中酸素濃度の低下」「急激な血圧の低下」「呼吸の力強さの低下」の順で危険度が増す感じでした。
 あくまで脳腫瘍の例ですが、参考になればと思います。

Q死んだ親を思い出して寂しく思う時はどうしたらいい?

数ケ月前、母を亡くしました。父はすでに亡くなってるので私(男です)は天涯孤独になりました。

もともと母と私は別居してましたが、母は体調を崩すことがあったので、母のことが心配になり母と二人で同居してました。

母とは喧嘩することもよくありましたが、母と私は仲は良かったです。

しかし、ある人に「いい歳を男が母と仲が良いだなんて甘えてる」と言われたことがありショックを感じました。
甘えてると思いますか?

あと世間の人は死んだ親を思い出して寂しさを感じたとき、どうやってその寂しさを紛らわしてるのでしょうか?

(結婚したら?という人もいますが、当面は結婚する気にもなれないのです。)

Aベストアンサー

こんにちは。
色々皆さんが回答されてるので僕はひとつだけ。
気を紛らわすのはいいですが、やはり強くなるのが一番かと。
あなたの周りの友達や同僚、後輩や部下、上司でもかまいません。
あなた体験談を聞かせてあげてみてはどうですか?まだ、親が生きているうちにやるべき事、後悔しないようにした方がいいこと。
聞いたほうは煙たがるかもしれませんが、なかにはそれを聞いて人生がかわる人もいるかもしれない。
決して恥ずかしいことではないですよ。
みんな頭ではわかっていても親孝行とかなかなか出来ずに後悔してしまいます。それを背中を押してあげるようになれば、あなたはきっと強くなっていくし、そんなあなたを見てる両親はきっと誇りに感じてると思いますよ。
あなたは優しい人です、みんなにもその優しさを…
長くてごめんなさい!

Q「死んだら無」ではないかもしれないエピソードを・・

母の死からもうすぐ100日になります。
母が亡くなった後、ヘルパーさんから不思議な話を聞きました。

ヘルパーさんのお母様が亡くなった後、百箇日位まで親戚の霊感がある人から、ちょくちょく電話がかかってきてお母様からのメッセージを伝えてきたそうです。
それは、ヘルパーさんの家の中の事で、遠くに住む親戚の人は知らないはず事ばかりでびっくりしました。
百箇日が近づくと、親戚の人に見えるお母様の姿もだんだん薄くなり、メッセージも減ってきたようです。
私の母と同じ病気で亡くなった方だったのですが、亡くなってすぐの様子は 入院中に出来なかった色々な事をして結構気楽にやってるよという話だったので、死んでも無ではないんだなぁ、母も病気から解放されて楽になったかな、ということが私の支えでした。

ホーキング博士の「死後の世界はない」という発言がちょっと淋しくて、でも博士もまだ生きているわけだしと思うのですが、
「無ではないかもよ」というエピソードを聞かせて頂いたら嬉しいです。

今回は、死後の世界があるかないかではなく、(生きている人にはわからないのだから)
「無ではないかも」限定でお願いします。

百箇日過ぎたら、より前向きに生きて行きますのでよろしくお願いいたします。

母の死からもうすぐ100日になります。
母が亡くなった後、ヘルパーさんから不思議な話を聞きました。

ヘルパーさんのお母様が亡くなった後、百箇日位まで親戚の霊感がある人から、ちょくちょく電話がかかってきてお母様からのメッセージを伝えてきたそうです。
それは、ヘルパーさんの家の中の事で、遠くに住む親戚の人は知らないはず事ばかりでびっくりしました。
百箇日が近づくと、親戚の人に見えるお母様の姿もだんだん薄くなり、メッセージも減ってきたようです。
私の母と同じ病気で亡くなった方だったので...続きを読む

Aベストアンサー

うちのじいちゃんが死んだ時。。。

霊感の強い従兄の子が、葬式で「あそこにじいさんいるよ」と言っていた。
自分は霊とか信じないタイプだから「ふ~ん」って流していたけど、その従兄の子は、葬式までうちに来た事がなかったんだよね。

んで、じいちゃんが生前、部屋の出入りに使っていた窓があったんだけど、そこから出入りしているよ~と従兄が教えてくれたのには驚いたよ。

そこの窓から出入りしているのを知っているのは、うちの家族だけ。。。
どう見ても、通常は出入りに使うような窓ではないから、従兄が知る訳ないんだよね。
「マジで。。。?」と思ったけど、それを聞いたうちの父ちゃんは「そうか、じいさんが歩いているか。。。」と嬉しそうにしていたよ。

うちのじいちゃん、死ぬ時はもう歩けなかったからね。
死んでから、膝の痛みも無く、歩けるようになったんだな~と思ったな。

怖い幽霊とかは見たくはないけど、家族とか「もう一度会いたい」と言う人であれば、幽霊でもいいから会いたいと思うよね。


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