日本語の文法には、自発動詞・可能動詞・受け身動詞、また自発・可能・受け身の意味の助動詞がありますが、それらの見分け方と使い方に混乱しています。
「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」という文の「考えられる」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。
また「その場面は、昨日のことのように思い出された」という文の「思い出された」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 後日このスレを見る方のためにコメントします。
    十分には頭が整理できないままあのようなお礼を書いてしまいましたが、よく見るとNo.3では『受け身動詞』については述べられていませんでした。
    その後別のサイトでも質問してみましたが、そもそも外国人に対する日本語教育では文法用語も完全には統一されていないどころか、「助動詞」の概念を用いない方式(?)さえもあるのだそうです。『受け身動詞』とはその場合に使用される文法用語であって、国文法では使用しないものだとのことでした。ただしNo.4さんが述べておられる内容も、動詞の分析・種別という意味では有効なもののようです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/03/14 01:30

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A 回答 (5件)

最初に、ウィキより要点のみ抜粋してみます。


『自発の助動詞』
⇒【動詞の未然形に助動詞「(ら)れる」をつける方法は、特に主観的な考え・感覚などを示す動詞に用いられる。】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95)#.E8.87.AA.E7.99.BA.E5.8B.95.E8.A9.9E
『自発動詞』
⇒【動作主は重要でなく(もしくは不明で)、それよりも被動者を強調したい場合に、活用形式を変えて自動詞化(脱使役化)したものが用いられる。】
例:
建てる→建つ
掛ける→掛かる
置く→置ける(「気が置けない」)
沸かす→沸く(「風呂が沸く」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_ …
『可能動詞』
⇒【現代日本語(共通語)において五段活用の動詞を下一段活用の動詞に変化させたもので、可能(行為をすることができること)の意味を表現する。「書く」に対する「書ける」、「打つ」に対する「打てる」の類をいう。】
例:
会う・買う・扱う→ 会える・買える・扱える
行く・書く・歩く→ 行ける・書ける・歩ける
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD% …
--------------------------------------------------------------------------

1.「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」
:
上にお示ししたウィキの定義から考えるに、「考える」は五段動詞ではないので可能動詞ではない。
また、「主観的な考え・感覚などを示す動詞」と言えるから、下一段動詞の未然形「考え」+助動詞「られる」 の組み合わせと考えて良さそう。
むろん、五段活用動詞であれば 未然形+助動詞は「れる」。
以上は、動詞か助動詞かの見分け方のひとつに(とりあえずは)なるように思います。
次に問題になるのは使い方(用法)ですが、これは、シチュエーション次第ですべての可能性があると言わざるを得ません。
我々が実際に遭遇する頻度の高い(と私が思う)順にならべてみました。(厳密な区別ではありませんが())
・可能⇒「その問題に対しては、(可能性として)さまざまな答えがあると考えられる」
・自発⇒「(誰もが知っていることだが、)その問題に対しては、(自ずと)さまざまな答えがあると考えられる」
・受身⇒「その問題に対しては、(大勢の人々から)さまざまな答えがあると考えられる」
・尊敬⇒「(専務はひとつの答えしかないと考えるようですが、社長は、)その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」
受身の場合は、「その問題は」とするほうが文として違和感がなくなるでしょう。
尊敬の場合は、「考えられている」「考えておられる」などとするほうが自然な文になるかと思います。

2.「その場面は、昨日のことのように思い出された」

こちらも助動詞で、理屈は1とほぼ同じです。
頻度の高い(と思う)順に並べてみます。
・自発⇒「その場面は、昨日のことのように(自然に)思い出された」
・受身⇒「その場面は、昨日のことのように(わたしの頭の中で)思い出された」
・可能⇒「その場面は、昨日のことのように思い出せた」と可能動詞を使うのが自然でしょう。
助動詞で可能を表わす場合、「その場面は、昨日のことのように思い出される」と現在形にする必要があると思います。むろん、「思い出せる」とすることもできる。
・尊敬⇒「あの場面はなかなか思い出せないようでしたが、その場面は、昨日のことのように思い出された」
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

本格的で納得できるご回答、ありがとうございました。
確かにシチュエーション次第で意味が左右される場合がありますよね。
私の頭の中でも、そのあたりのことがひっかかっていましたが、問題が浮き彫りにされた感じです。
自発動詞・可能動詞・受け身動詞と自発・可能・受け身の意味の助動詞の、すべてについてご説明いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2015/03/07 18:33

見分け方はありません。


日本語の感性の有無によります。
考えられる、考えることが可能=可能。
思いだされた、自発、可能、受け身、いずれでも解釈可能です。
場面は、された=受け身。
思い出す、された=可能、自発
思い出す=自発
思い出せる=可能
思い出される=自発および可能
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
やはりシチュエーションとか前後関係にも左右され得るようですね。

お礼日時:2015/03/08 18:44

「可能動詞」はほぼ共通認識としてその存在が認められています。

(ただし、「起きれる」「寝れる」「来れる」などは、いわゆる「ら抜き言葉」として否定する立場と、認めようとする立場に分かれます)すでに回答が出ているのでこれ以上触れません。
 「自発動詞」については「Wikipedia」に書かれているのをNo.3の方が紹介されていますが、この内容には、少し疑念を抱いています。言えるのは「日本文法大辞典」で紹介されている「自発的動詞」(自発の助動詞が付いたのと同じような意味を表す「中相動詞」)であり、具体的には「泣ける」「授かる」「……にあずかる」「教わる」「売れる」「くずれる」であるが、これも可能動詞の一部を取り込んでおり、やはり問題はありそうです。
 「受け身動詞」という語はあまり聞きませんが、そういう言葉が出て来る理由は、「生まれる」「恵まれる」というような動詞は、本来「生む+れる」すなわち誰かによって生まれる(産まれる)が言葉の由来であることは容易に分かります。他動詞の受け身形が「産まれる(生まれる)」と一語の動詞を造り、それを「受身動詞」と呼ぶ人があると言うことでしょう。似たような例に「恵まれる」があります。「恵む+れる」という構造は一致しています。このように常時受け身形しか使われない動詞を、特に「受け身動詞」と呼んだのかと思います。

 具体的な質問について書きます。「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」「その場面は、昨日のことのように思い出された」この二つの「られる」「れる」はNo.1の方がおっしゃるように、明らかに「自発」の助動詞です。
 「れる」「られる」は「受け身・自発・可能・尊敬」を表しますが、たとえば「言われる」が常に「受け身・自発・可能・尊敬」を表していると考えることは表現自体を常に曖昧な状態に置いている可能性があります。当然、発言の状況すなわち「場」を重要視しなければなりませんが、それでも時々どちらの意味で使われたのか分からぬ場合があります。
 しかし、だからといって、自発・尊敬・可能・受け身のいずれにも解釈可能ですましているわけにもいきません。その中で使用に限定的なのが「自発」です。「日本文法大辞典」に「自発」の助動詞が続きやすい動詞を三つのグループに分けているが、煩瑣になるので、代表的な動詞をあげておきましょう。
 「思い出される」「案じられる」「しのばれる」「夏の到来が待たれる」「前の失敗が悔やまれる」「残酷な仕打ちが恨まれる」「知られる」「想像される」「推定される」「と説明される」「思われる」「考えられる」「見られる」「判断される」「(故郷の山が)眺められる」「泣けてくる」
 以上がその例ですが、1、「感情がある事物に志向する」2、「ある事物についての認識をえる」3、「思考・判断を表す」などの傾向があります。
 多く、判断文の最後にくる「思われる」「見られる」「考えられる」はほぼ「自発」と考えてよさそうですが、「と言われる」の場合は受け身と考えるべきでしょう。なお、可能動詞の一部「思える」「泣ける」「笑える」などは自発の助動詞と関係なく「自発」を表すことがあります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
いろいろな人からのご回答を総合して考えると、各文の意味についてはシチュエーションによるところが大きいようですね。

お礼日時:2015/03/08 18:41

> 「考えられる」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。



動詞「考える」+可能の助動詞「られる」 ⇒ 考えることが可能。考えることが出来る。

> 「思い出された」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。

複合動詞「思い出す(思う+出す)」+自発の助動詞「れる」の過去形「れた」
                         ⇒ 無意識(勝手,自然)に思い出した。

助動詞「れる/られる」は、更に「尊敬」もあります(例:先生が来られる)が、これは主語が偉いさんですから、割と判りやすいです。
「受身」も割りと簡単で、動詞「○○する」を「される」「させられる」と言う構造です。

ややこしいのは、「自発」と「可能」の見分け方のみと言っても良いかと思いますが、これも上述の通り、「○○する」のが「可能/出来る」がしっくりくる場合が「可能」で、無意識的な感じが「自発」です。

尚、自発は「思われる」「感じられる」「偲ばれる」など、感覚的,感情的な表現が多いかな?とは思います。

一方で可能動詞は、概ねは助動詞「れる/られる」形とは異なり、「見える」「行ける」「打てる」など、「れ」以外のエ行の語尾になります。(例外もあるのでご注意を。)
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
#1さんが言われるように、自発とは自分ではそんなつもりが無かったのに、自然とそういう動きが起こることですが、
「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」については、やはり受動の意味だと思うべきでしょうね(#1さんは自発と言っているのが気になりますが)。意味的な面からの解釈も必要なようです。
自発動詞・可能動詞・受け身動詞については、さらに調査してから必要に応じて別の質問とさせていただくことにします。

お礼日時:2015/03/07 16:13

①「考えられる」


 
 「られる」は自発の助動詞です。「考える」は下一段動詞なので「れる」ではなく
 
 「られる」が付きます。

②「思い出された」

  話を分かりやすくするために、「思い出される」で見てみます。この場合の「れる」も

  自発の助動詞です。「思い出す」は五段活用動詞なので、「られる」ではなく「れる」が

  付きます。

自発とは、自分ではそんなつもりが無かったのに、自然とそういう動きがを起こることです。

「亡くなった人のことが、しのばれる」「春が待たれる」の「れる」も、自発の助動詞です。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
> 自発とは、自分ではそんなつもりが無かったのに、自然とそういう動きがを起こることです。
改めて言われてみると、その通りですね。ここで自発動詞・可能動詞・受け身動詞(これらの存在、特に自発動詞の存在を否定する説もあるようですが)を考え合わせると、混乱してしまうのです。

お礼日時:2015/03/07 16:03

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普通にここで答えてくれたら一番ありがたいです。
回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「る・らる」の基本は「受け身」です。「自発」「尊敬」「可能」はその派生義です。
「受身」=「受動態」は「能動態」に変換して解釈すると分かりやすいと思います。

◎受身
「我人に見られけり」(私「ガ」人ニ見ラレタ の意)
 →「人、我を見けり」
 →「誰カガ俺ヲ見タ」
 →「俺、誰カニ見ラレタヨ」

「親も時として子に教へらる」
 →「子も時として親を教ふ」
 →「時ニハ子供ガ親ヲ説教スルコトテダッテアルサ」

「舅にほめらるる婿」
 →「婿をほむる舅」

◎自発
「昔のこと思ひ出でらる」(昔のこと「ガ」(私ニヨッテ)思イ出サレル、の意)
 →「我、昔のことを思ひ出づ」

なお、「自然と~する」という解釈のしかたをすると、どんな動作でも自発に思われてきます。
「婿は好人物だったので誰からも自然とほめられて……」は「自発」ではありません。
「私はその時、(昔のことを思い出そうとしたわけではないのに)、昔の事が思い出されて……」
と( )を補って解釈できれば「自発」です。

「風の音にぞ驚かれぬる」 (目を覚ます(おどろく)つもりはなかったのだけれど)風の音に目が覚めました。)

なお「自発」は受身文で、主語は人ではない事が多いので、敬語表現はおおげさになりません。
「思ひ出でられ給ふ」「思ひ出でさせられ給ふ」ではなくて
「おぼし出でらる」「おぼし召し出でらる」となります 

◎自発の否定表現
自発は
「私はその時、(PをQしようとしたわけではないのに)、PがQされて……」
という表現ですが、自発の否定表現は
「私はその時、(PをQしようとしたのに、結局)、PがQされることなく……」
となります。

「ものも言はれざりけり」(私は(言おうとしたのに結局)ものも言えませんでした)
「文字も書かれず」(私は(なんとか書こうとしたんですが)少しの文字も書けませんでした)

つまり自発の否定表現とは不可能表現のことです。
「る・らる」が否定を伴わないで「可能」の助動詞として使われるのは室町時代以後です。
「古文」の授業の時には「自発の肯定表現」を「自発」、
「自発の否定表現」を「(打消しをともなった)可能」
と答えておくのが「生徒の知恵」です。

◎尊敬
尊敬表現は動作主体を直接示さない表現から発達します。

「大納言、詠まれけり」は
 「大納言、歌を詠みけり」
→「(歌)、大納言(に)詠まれけり」
です。「る・らる」で表現される尊敬はさほど高い尊敬ではありません。

「参られけり」は「参る」が「身分低い者が身分の高い人のもとへ移動する」
という謙譲語で、「大将」よりはもっと身分の高い人がかかわっていて、
(しかも文面には現れない、)それで「大将」に対する敬語は「る・らる」程度に
とどまっています。

「仰せられし」は「おほす」が「高位者が低位者に命令を発して何かをさせる」
→「高位者が低位者に何かを言う」という意味なので「言う」の尊敬表現となっています。
それにさらに「る・らる」が加わっています。

◎まとめ
古文で「る・らる」が出てきたら、まずその動作表現(動詞未然形)を能動態にして、
その主語・目的語が何であるかを見極めてください。それが分かれば、その状況を
自分の言葉で表現出来ます(機械的な逐語訳をせずに)。

「る・らる」の基本は「受け身」です。「自発」「尊敬」「可能」はその派生義です。
「受身」=「受動態」は「能動態」に変換して解釈すると分かりやすいと思います。

◎受身
「我人に見られけり」(私「ガ」人ニ見ラレタ の意)
 →「人、我を見けり」
 →「誰カガ俺ヲ見タ」
 →「俺、誰カニ見ラレタヨ」

「親も時として子に教へらる」
 →「子も時として親を教ふ」
 →「時ニハ子供ガ親ヲ説教スルコトテダッテアルサ」

「舅にほめらるる婿」
 →「婿をほむる舅」

◎自発
「昔のこと思ひ出で...続きを読む

Q【古典文法】 動詞+使役の助動詞/使役動詞

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どのへんが難しい(間違えやすい)など、解説も合わせて頂けると
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answer
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Wikipediaでも紹介されています通りに、
「自発的対象性の破れ」という言い方は一般的になっている、
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「青二才」「青くさい」というように、
青には未熟者、若造、かけだしのひよっ子といった表現に使います。
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恥ずかしくも懐かしく思い返されるといったところではないでしょうか。


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