日本語の文法には、自発動詞・可能動詞・受け身動詞、また自発・可能・受け身の意味の助動詞がありますが、それらの見分け方と使い方に混乱しています。
「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」という文の「考えられる」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。
また「その場面は、昨日のことのように思い出された」という文の「思い出された」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 後日このスレを見る方のためにコメントします。
    十分には頭が整理できないままあのようなお礼を書いてしまいましたが、よく見るとNo.3では『受け身動詞』については述べられていませんでした。
    その後別のサイトでも質問してみましたが、そもそも外国人に対する日本語教育では文法用語も完全には統一されていないどころか、「助動詞」の概念を用いない方式(?)さえもあるのだそうです。『受け身動詞』とはその場合に使用される文法用語であって、国文法では使用しないものだとのことでした。ただしNo.4さんが述べておられる内容も、動詞の分析・種別という意味では有効なもののようです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/03/14 01:30

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A 回答 (5件)

最初に、ウィキより要点のみ抜粋してみます。


『自発の助動詞』
⇒【動詞の未然形に助動詞「(ら)れる」をつける方法は、特に主観的な考え・感覚などを示す動詞に用いられる。】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95)#.E8.87.AA.E7.99.BA.E5.8B.95.E8.A9.9E
『自発動詞』
⇒【動作主は重要でなく(もしくは不明で)、それよりも被動者を強調したい場合に、活用形式を変えて自動詞化(脱使役化)したものが用いられる。】
例:
建てる→建つ
掛ける→掛かる
置く→置ける(「気が置けない」)
沸かす→沸く(「風呂が沸く」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_ …
『可能動詞』
⇒【現代日本語(共通語)において五段活用の動詞を下一段活用の動詞に変化させたもので、可能(行為をすることができること)の意味を表現する。「書く」に対する「書ける」、「打つ」に対する「打てる」の類をいう。】
例:
会う・買う・扱う→ 会える・買える・扱える
行く・書く・歩く→ 行ける・書ける・歩ける
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD% …
--------------------------------------------------------------------------

1.「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」
:
上にお示ししたウィキの定義から考えるに、「考える」は五段動詞ではないので可能動詞ではない。
また、「主観的な考え・感覚などを示す動詞」と言えるから、下一段動詞の未然形「考え」+助動詞「られる」 の組み合わせと考えて良さそう。
むろん、五段活用動詞であれば 未然形+助動詞は「れる」。
以上は、動詞か助動詞かの見分け方のひとつに(とりあえずは)なるように思います。
次に問題になるのは使い方(用法)ですが、これは、シチュエーション次第ですべての可能性があると言わざるを得ません。
我々が実際に遭遇する頻度の高い(と私が思う)順にならべてみました。(厳密な区別ではありませんが())
・可能⇒「その問題に対しては、(可能性として)さまざまな答えがあると考えられる」
・自発⇒「(誰もが知っていることだが、)その問題に対しては、(自ずと)さまざまな答えがあると考えられる」
・受身⇒「その問題に対しては、(大勢の人々から)さまざまな答えがあると考えられる」
・尊敬⇒「(専務はひとつの答えしかないと考えるようですが、社長は、)その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」
受身の場合は、「その問題は」とするほうが文として違和感がなくなるでしょう。
尊敬の場合は、「考えられている」「考えておられる」などとするほうが自然な文になるかと思います。

2.「その場面は、昨日のことのように思い出された」

こちらも助動詞で、理屈は1とほぼ同じです。
頻度の高い(と思う)順に並べてみます。
・自発⇒「その場面は、昨日のことのように(自然に)思い出された」
・受身⇒「その場面は、昨日のことのように(わたしの頭の中で)思い出された」
・可能⇒「その場面は、昨日のことのように思い出せた」と可能動詞を使うのが自然でしょう。
助動詞で可能を表わす場合、「その場面は、昨日のことのように思い出される」と現在形にする必要があると思います。むろん、「思い出せる」とすることもできる。
・尊敬⇒「あの場面はなかなか思い出せないようでしたが、その場面は、昨日のことのように思い出された」
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

本格的で納得できるご回答、ありがとうございました。
確かにシチュエーション次第で意味が左右される場合がありますよね。
私の頭の中でも、そのあたりのことがひっかかっていましたが、問題が浮き彫りにされた感じです。
自発動詞・可能動詞・受け身動詞と自発・可能・受け身の意味の助動詞の、すべてについてご説明いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2015/03/07 18:33

見分け方はありません。


日本語の感性の有無によります。
考えられる、考えることが可能=可能。
思いだされた、自発、可能、受け身、いずれでも解釈可能です。
場面は、された=受け身。
思い出す、された=可能、自発
思い出す=自発
思い出せる=可能
思い出される=自発および可能
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
やはりシチュエーションとか前後関係にも左右され得るようですね。

お礼日時:2015/03/08 18:44

「可能動詞」はほぼ共通認識としてその存在が認められています。

(ただし、「起きれる」「寝れる」「来れる」などは、いわゆる「ら抜き言葉」として否定する立場と、認めようとする立場に分かれます)すでに回答が出ているのでこれ以上触れません。
 「自発動詞」については「Wikipedia」に書かれているのをNo.3の方が紹介されていますが、この内容には、少し疑念を抱いています。言えるのは「日本文法大辞典」で紹介されている「自発的動詞」(自発の助動詞が付いたのと同じような意味を表す「中相動詞」)であり、具体的には「泣ける」「授かる」「……にあずかる」「教わる」「売れる」「くずれる」であるが、これも可能動詞の一部を取り込んでおり、やはり問題はありそうです。
 「受け身動詞」という語はあまり聞きませんが、そういう言葉が出て来る理由は、「生まれる」「恵まれる」というような動詞は、本来「生む+れる」すなわち誰かによって生まれる(産まれる)が言葉の由来であることは容易に分かります。他動詞の受け身形が「産まれる(生まれる)」と一語の動詞を造り、それを「受身動詞」と呼ぶ人があると言うことでしょう。似たような例に「恵まれる」があります。「恵む+れる」という構造は一致しています。このように常時受け身形しか使われない動詞を、特に「受け身動詞」と呼んだのかと思います。

 具体的な質問について書きます。「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」「その場面は、昨日のことのように思い出された」この二つの「られる」「れる」はNo.1の方がおっしゃるように、明らかに「自発」の助動詞です。
 「れる」「られる」は「受け身・自発・可能・尊敬」を表しますが、たとえば「言われる」が常に「受け身・自発・可能・尊敬」を表していると考えることは表現自体を常に曖昧な状態に置いている可能性があります。当然、発言の状況すなわち「場」を重要視しなければなりませんが、それでも時々どちらの意味で使われたのか分からぬ場合があります。
 しかし、だからといって、自発・尊敬・可能・受け身のいずれにも解釈可能ですましているわけにもいきません。その中で使用に限定的なのが「自発」です。「日本文法大辞典」に「自発」の助動詞が続きやすい動詞を三つのグループに分けているが、煩瑣になるので、代表的な動詞をあげておきましょう。
 「思い出される」「案じられる」「しのばれる」「夏の到来が待たれる」「前の失敗が悔やまれる」「残酷な仕打ちが恨まれる」「知られる」「想像される」「推定される」「と説明される」「思われる」「考えられる」「見られる」「判断される」「(故郷の山が)眺められる」「泣けてくる」
 以上がその例ですが、1、「感情がある事物に志向する」2、「ある事物についての認識をえる」3、「思考・判断を表す」などの傾向があります。
 多く、判断文の最後にくる「思われる」「見られる」「考えられる」はほぼ「自発」と考えてよさそうですが、「と言われる」の場合は受け身と考えるべきでしょう。なお、可能動詞の一部「思える」「泣ける」「笑える」などは自発の助動詞と関係なく「自発」を表すことがあります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
いろいろな人からのご回答を総合して考えると、各文の意味についてはシチュエーションによるところが大きいようですね。

お礼日時:2015/03/08 18:41

> 「考えられる」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。



動詞「考える」+可能の助動詞「られる」 ⇒ 考えることが可能。考えることが出来る。

> 「思い出された」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。

複合動詞「思い出す(思う+出す)」+自発の助動詞「れる」の過去形「れた」
                         ⇒ 無意識(勝手,自然)に思い出した。

助動詞「れる/られる」は、更に「尊敬」もあります(例:先生が来られる)が、これは主語が偉いさんですから、割と判りやすいです。
「受身」も割りと簡単で、動詞「○○する」を「される」「させられる」と言う構造です。

ややこしいのは、「自発」と「可能」の見分け方のみと言っても良いかと思いますが、これも上述の通り、「○○する」のが「可能/出来る」がしっくりくる場合が「可能」で、無意識的な感じが「自発」です。

尚、自発は「思われる」「感じられる」「偲ばれる」など、感覚的,感情的な表現が多いかな?とは思います。

一方で可能動詞は、概ねは助動詞「れる/られる」形とは異なり、「見える」「行ける」「打てる」など、「れ」以外のエ行の語尾になります。(例外もあるのでご注意を。)
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
#1さんが言われるように、自発とは自分ではそんなつもりが無かったのに、自然とそういう動きが起こることですが、
「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」については、やはり受動の意味だと思うべきでしょうね(#1さんは自発と言っているのが気になりますが)。意味的な面からの解釈も必要なようです。
自発動詞・可能動詞・受け身動詞については、さらに調査してから必要に応じて別の質問とさせていただくことにします。

お礼日時:2015/03/07 16:13

①「考えられる」


 
 「られる」は自発の助動詞です。「考える」は下一段動詞なので「れる」ではなく
 
 「られる」が付きます。

②「思い出された」

  話を分かりやすくするために、「思い出される」で見てみます。この場合の「れる」も

  自発の助動詞です。「思い出す」は五段活用動詞なので、「られる」ではなく「れる」が

  付きます。

自発とは、自分ではそんなつもりが無かったのに、自然とそういう動きがを起こることです。

「亡くなった人のことが、しのばれる」「春が待たれる」の「れる」も、自発の助動詞です。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
> 自発とは、自分ではそんなつもりが無かったのに、自然とそういう動きがを起こることです。
改めて言われてみると、その通りですね。ここで自発動詞・可能動詞・受け身動詞(これらの存在、特に自発動詞の存在を否定する説もあるようですが)を考え合わせると、混乱してしまうのです。

お礼日時:2015/03/07 16:03

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例えば
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と言うように。

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普通に「思います。」と言った時とどう違いますか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「れる」「られる」には、受け身、可能、尊敬以外に、もう一つ大変重要な用法として、自発というのがあります。質問者さんの例は、まさに自発の「思われる」です。その意味は、自分で意識してそう考えようとしているわけではないのに、自然にそうなってしまう、と言う意味です。

この自発の用法は、日本独特のものだそうで、少なくとも西洋の言葉には存在しない用法なのだと聞いたことがあります。西洋人には無い用法があるとは、何を意味するのでしょうか。それは、日本人には、西洋人と同じ様に、受け身、可能、尊敬という物の見方があるのですが、それに加えて、もう一つ別の物の見方、あるい世界観を持っていると言うことです。物理学や数学の世界で、1次元、2次元、3次元などという言葉を聞いたことがあるでしょう。数学の世界では次元が1次元増すと、その次元の分だけ自由度が増え、それより低次元の世界では不可能なことや、見えないものが見えてきます。「れる」「られる」に関して、西洋人はいわば3次元の世界に住んでいるのですが、日本人は4次元の世界に住んでいるのです。したがって、日本人は、この独特な自発の「れる」「られる」を持っているお陰で、西洋人達には見えないものがみえ、感じることができると言う自由度を持っているのです。

ところが、残念なことに、近年になって、何でも西洋のことが優れていると思うような人が増えてきて、「れる」「られる」の用法の中から、自発の用法が消えかかって来ているとのことです。自分たちの折角持っている、この世界の見方の独特な自由度を減らしてしまうのは、もったいないと思います。質問者さんは、是非この日本人の優れた用法を意識して、世界に誇るべき日本人の財産をなくさないようにしてほしいです。

「れる」「られる」には、受け身、可能、尊敬以外に、もう一つ大変重要な用法として、自発というのがあります。質問者さんの例は、まさに自発の「思われる」です。その意味は、自分で意識してそう考えようとしているわけではないのに、自然にそうなってしまう、と言う意味です。

この自発の用法は、日本独特のものだそうで、少なくとも西洋の言葉には存在しない用法なのだと聞いたことがあります。西洋人には無い用法があるとは、何を意味するのでしょうか。それは、日本人には、西洋人と同じ様に、受け身、可...続きを読む

Q「~やら~やら」と「~とか~とか」の違い

物事を複数並列する時に「~やら~やら」と使っていますが、
最近の若者がよく使っている語で、同じようなものに「~とか~とか」があります。
「~やら~やら」と「~とか~とか」は、どう違うのでしょう?
なんとなく用法が違うとは思うのですが、正確にはわかりません。
以前から気になっています。どうぞ御教示ください。

Aベストアンサー

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?

ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、
私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。
「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。

これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。
1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。」
2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。」
1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。
2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。

1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。」
2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。」
これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。
2は素直な人が話しているなら単なる並列。
ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。

とまあ、こんなところです。
前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。
色々な回答がつくといいですね。

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?
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Q「を通じて」と「を通して」の使い分け

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。

「を通じて」
1.秘書を通じて社長との面会を乞う。
2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。
3.テレビを通じて広告をする。
4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。

「を通して」
1.書物を通して世界を知る。
2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
3.仲人を通して娘の縁談を進める。
4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。

 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。どうか、よろしくお願い致します。

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を...続きを読む

Aベストアンサー

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。)
なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。
・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない(#4のご回答でも指摘がある。)
・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。

私なら、もっと軽い感じに、
「実践的な臨床経験を積み重ねる。」
「臨床経験を積み重ねる。」
「臨床の経験を重ねる。」
「臨床の実践経験を積む。」
などなどでもよさそうに思います。


#4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、#2と#4は、似ているようです。
特に、思うのは、

>4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。
→このとおり「つうじて」
>2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
→「つうじて」
>3.仲人を通して娘の縁談を進める。
→このとおり「とおして」

この三例は、#2と#4で同じですし、自分が改めて考えても、この通りでおさまりがいいと思います。
改めて、いくつか意見を述べておきます。

一つ目は、
「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、
「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、
ということです。
(短めの漢語は、中間。)

二つ目は、
「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。
「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、
もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。

三つ目は、
「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。
「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。

四つ目は、
「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、
「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。

これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。

改めて考えても、#2#3も、#4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。

#4では
>「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの#3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.)
とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。
#3では
>「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、
>(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。)
>具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、
>ということです。

「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」
というのは、"単なる" に意味の重点があって、
「秘書に重きをおかない」という意味です。


ところで、質問では、
「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。」
とありますが、
この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど...続きを読む

Q自発の「が感じられる」と「を感じる」の違いについて

 日本語を勉強中の中国人です。自発の「が感じられる」と「を感じる」の違いは何でしょうか。どうも自発が中国語にはないので、その感覚を理解するのに苦労しています。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

誰しも自然に感じられるもの、嫌でも感じてしまう感情を「自発」と言う。「自然発動」、「自動的発動」、「自動的発現」とも考えうる。

一方、「感じる」は、自然発生的に生ずる、本来の人間に備わっている感覚というより、その人の育ち方、教育、思想哲学により、微妙に、個々人によって違うことがありうるもの。

感じるには、様々な感じ方があるが、人間が本来持っているベースの感覚によって自発的に感じられることには、あまり、大差が無いということ。

Q「してから」と「したあとで」の違いは何でしょうか

 日本語を勉強中の中国人です。「してから」と「したあとで」の違いは何でしょうか。教えてください。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。以前書いたもののコピーですが。

48.4 V-てから
 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という
意味合いがあります。ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、
「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の
場合は、「~てから」の方がぴったりします。

     買物をしてから、映画を見ました。
     これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。
     歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝御飯を食べてから歯を磨き
     ますか。
     見てから読むか、読んでから見るか。
     ピカッと光ってから、どーんと音が聞こえる。

 以上の例では「~あとで」でも言えますが、以下の例ではどうでしょうか。

     切符を買ってから中に入る。
     ちょっと口をすすいでから歯を磨く。
     準備運動をよくしてから、泳いでください。

 これらは、「~あとで」で言えないことはありませんが、少し不自然です。
これらの「AてからB」のAは、Bをするために必要なことで、「あと」にす
るのでは無意味な場合です。 

 また、時間の経過を表す場合も、「~あとで」は不自然です。

     夜が明けてから人家を探そう。(?あとで)
     秋が来てから、急に人通りが多くなった。(×あとで)
     日本に来てから、3か月になります。
     占領が終わってからでも、もう50年近くの時間が過ぎた。
     最初の文明が生まれてから1万年。

 「だ」が付いて文末に来る場合もあります。「~のN」の形にもなります。

     乾杯は会長が来てからだ。
     起こすのは医者が来てからでいい。
     そのあとのことは、まずやってみてからの話だ。

 「V-てからでないと、~ない」という表現がよく使われます。

     まずモノを見てからでないと、何とも言えませんね。
     入会金を払ってからでないと、アクセスできません。

 それから、「Aのあと今まで(に)」「A以来ずっと」の場合も「~てから」
が使われます。

     勉強を始めてから、多くのことを学びました。
     生れてから、ずっとこの町に住んでいます。
     パソコンもウインドウズになってから、多少使いやすくなった。

 「AてからBまで」の形にもなります。

     小学校に入ってから大学を出るまで、ずっと机の前に座っていた。
小学校に入ってから大学を出るまでの16年間

 「は/も/より」などの副助詞をつけることもできます。

     来てからは/も  来てからさえ(も)  来てからより(も)  
ここに移ってからは、時間がゆったりと流れるようです。

こんにちは。以前書いたもののコピーですが。

48.4 V-てから
 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という
意味合いがあります。ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、
「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の
場合は、「~てから」の方がぴったりします。

     買物をしてから、映画を見ました。
     これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。
     歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝...続きを読む

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Aベストアンサー

補足について。
1.新宿で今黒沢の映画が見られます。
⇒見る事ができますの意味。上映している場所へ出掛けて行かないと見る事はできない。
2.新幹線から富士山が見えます。
⇒黙って汽車の席に坐っていても、見る事が出来る。
3.電話で天気予報が聞けます。
⇒電話を掛けないと聞く事ができない。
4.ラジオの音が聞こえます。
⇒聞きたくなくとも、ラヂヲがなっている音が耳に入る。
と云う風に理屈をつけられます。見る人、聞く人が見たい、聞きたいとと云う気持ちがある(⇒意志があると云います)と云う事です。
但し、このやうの分類は便宜的のもので必ず例外があると思って下さい。

Q考えられる・考えされる・考えさせられる

こんばんは。
次々に読んでいくうちに、僕はもっとさまざまのことを(   )ました。
A 考えられ  B 考えされ  C 考えさせられ
どっちの方がいいでしょうか。BとCは同じような気がしますが… 
買い物に行かせられる=買い物に行かされる

だから、答えはAでしょう。こういう場合、Aは可能表現ですか、それとも自発表現ですか。

この三つの表現、どう使い分けたらいいでしょうか。
以上、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

答えはCです。

「せる/させる」と「れる/られる」の「2つの助動詞」の組合せ問題です。

「せる/させる」は、使役です。
「れる/られる」は、可能・尊敬・受身・自発です。

「僕は、読むことによって、考えることを、させ(使役)+られた(受身)」です。

Aは助動詞「られる」が一つだけで、自発や可能と考えられなくもないです。

しかし前文に、「読んでいくうちに」と言う、「考える」の原因,キッカケが示されているワケです。
「自発」では無いですし、可能(考えることが出来る)も不自然です。

「本などを読むことによって、僕は考えさせられた」と言う助動詞2つの組合せが、もっともしっくり来ます。

Bは・・論外で、日本語として意味を成しません。
活用の間違い例か?
あるいは、サ変動詞「する」+助動詞「れる」と混同させる目的か?
いずれにせよ「ひっかけ」のたぐいです。

Q「同じくらい」と「同じぐらい」とはどう違う?

いま、ある文章を書く依頼を受けています。
書いていて気づいたのですが、「同じくらい」と「同じぐらい」とは、どちらかが正しいのでしょうか?
また、なぜ2種類あるような印象があるのでしょう?

教えていただければと思います。

Aベストアンサー

通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、
助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。
(*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞

唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。
------------------------------
~くらい・~ぐらい
 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」
などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。
 以前は,次のような使い分けが行われていた。
(1) 体言には「ぐらい」が付く。
(2)「この・その・あの・どの」には「くらい」が付く。
(3) 用言や助動詞には,普通は「ぐらい」が付くが,「くらい」が付くこともある。

 「ぐらい」と連濁する場合はひらがな表記も濁音表記とする。
 〈例〉10歳ぐらいの子
------------------------------

以前は使い分けが行われていたが、現在は「くらい」「ぐらい」のどちらでも良いという説です。

手もとの国語辞典(*)には、どれも「くらい」の主見出しで名詞の「位」と、そこから転じた副詞(副助詞)の「くらい」の解説がありますが、ほとんどは『「ぐらい」とも』としています。「ぐらい」は参照見出し(空見出し)になっています。
(*)新明解、広辞苑、岩波、大辞林、明鏡

『明鏡国語辞典』だけは、「くらい」の項の最後に以下の説明がありました。
----------------------
[語法]
「くらい/ぐらい」は、今は区別なく使うが、伝統的には、体言には「ぐらい」、コソアド系の連体詞には「くらい」、活用語には「ぐらい」「くらい」ともに付いたという。
----------------------

結論として、
伝統的には使い分けがあった。
現代語ではどちらを使っても間違いではない。
というのが、事実上の正解でしょう。

現実には、個人の言語感覚によってかなり差があると思います。年代差や地域差もあるかもしれません。


ここまで書いて、以前別の場所で同じような話があったことを思い出しました。

『きょうのことばメモ』
  〔早稲田大学の飯間先生(日本語学)のブログ〕
http://yeemar.seesaa.net/article/14552277.html
「くらい」の清濁 2006年03月09日

「以前は」「伝統的には」というのは、江戸時代の頃のようです。

通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、
助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。
(*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞

唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。
------------------------------
~くらい・~ぐらい
 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」
などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。
 以前は,次のような使い分けが行われて...続きを読む

Q「楽しい」と「嬉しい」の違いは何でしょうか

「楽しい」と「嬉しい」の違いは何でしょうか

 日本語を勉強中の中国人です。「楽しい」と「嬉しい」の違いは何でしょうか。どのように使い分けるのでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「楽しい」は、何かを行うことに対しての感覚。
「嬉しい」は、自分が望んでいる状態になった時の感情。

「嬉しい」の反対語は「悲しい」。
「楽しい」の反対語は分かりません。「楽しくない」かな。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/3622/m0u/%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84/

Q中(ちゅう)と中(じゅう)の違いは?

辞書で調べたけど、一つの疑惑が生まれました。

辞書によると、

じゅう ぢゆう 【中】
(1)期間を表す語に付いて、その間ずっと、その期間の初めから終わりまでなどの意を表す。
「一年―」「一日―」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちゅう 1 【中】
(イ)その範囲内であること、また、その範囲全部であることを表す。
「今週―」「来月―」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

同じ「期間」を表すのに、何処か違いますか。

ここで聴解テストでぶつかった例文を出しますけど

例1.
女性: それ、今日中にしなければならないの。
男性: いいえ、そういうわけでもないんですけど。

例2.
女:ええと、あさっての午後は授業があるんですが。
男:じゃ、午前中にしようか。

ここの「今日中」と「午前中」それぞれはどの「中」でしょうか。
また、自分勝手な考えですけど、「中」の後に「に」の有無によって、意味は変わるのでしょうか。例えば:「今日中」と「今日中に」。

辞書で調べたけど、一つの疑惑が生まれました。

辞書によると、

じゅう ぢゆう 【中】
(1)期間を表す語に付いて、その間ずっと、その期間の初めから終わりまでなどの意を表す。
「一年―」「一日―」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちゅう 1 【中】
(イ)その範囲内であること、また、その範囲全部であることを表す。
「今週―」「来月―」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

同じ「期間」を表すのに、何処か違いますか。
...続きを読む

Aベストアンサー

「~中」の読みは「じゅう」「ちゅう」に分かれます。意味は継続と期限の2つに分けてみると解りやすいと思います。「世界中」のように場所を表すのもありますが、ここでは時を表す継続と期限に絞って整理してみましょう。
「じゅう」と読むもの
  継続:一年中、一日中、一晩中、
  期限:今日中、明日中(あすじゅう)
「ちゅう」と読むもの
  継続:勤務中、会議中、留守中、就寝中
  期限:今日中(こんにちちゅう)
このように見ていくと一般的傾向として漢語系の語には「ちゅう」と発音し、和語系であれば「じゅう」と発音するのではないでしょうか。
しかし、「来月中」などは2通りの発音があります。
  ・来月中(ちゅう)には完成します。(期限)
  ・来月(じゅう)公演しています。(継続)
ご質問の「今日中」は「きょうじゅう」「こんにちちゅう」ともに
期限と考えられます。
  ・今日中に仕上げます。
継続の意味を表すには ・きょう一日中開かれています。 のような
言い方になると思います。
「午前中」は
  「午前中、診察します」は継続か期限なのかとなれば複雑になりますね。前後の文脈によります。

「~中」の読みは「じゅう」「ちゅう」に分かれます。意味は継続と期限の2つに分けてみると解りやすいと思います。「世界中」のように場所を表すのもありますが、ここでは時を表す継続と期限に絞って整理してみましょう。
「じゅう」と読むもの
  継続:一年中、一日中、一晩中、
  期限:今日中、明日中(あすじゅう)
「ちゅう」と読むもの
  継続:勤務中、会議中、留守中、就寝中
  期限:今日中(こんにちちゅう)
このように見ていくと一般的傾向として漢語系の語には「ちゅう」と発音し、和...続きを読む


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