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私が座右の銘にしている故福岡正信氏の言葉です。
皆さんのご感想はいかがでしょうか。
因みに、皮肉った意味はなく、率直な質問です。

A 回答 (19件中1~10件)

科学は自然を説明しようとするものです。


ただ、現状では自然を見極めるほど進歩しておらず
一面的なものにならざるを得ないということなんでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
その通りですね。
質問に書いた福岡氏の言葉もそういう意味だろうと思います。

お礼日時:2015/03/20 10:13

>cliomaxiさんは科学が最高峰と考え過ぎで、自然の仕組みの素晴らしさに感動できないのだと思ったからです。



参ったなぁ。
本当に読解力の無い方のようですね。
理知的に見えて実は偏狭。
私は以前の回答に、自然を利用しようという西洋的な思想ではなく、人間は自然の一部であるという東洋的な思想を重んじることを(何となくではあるが)理解していると回答していますよ。
ついでに云うと、個人的には一神教より全てのものに神が宿ると言う日本古来の八百万の神の方が私にはしっくり来る。
科学が最高峰だとも至上だとも一言も言ってない。
科学はツール(手段)に過ぎないとも書いている。

>最後の厳しい文章を微笑みながら読みました。
その理由は、この質問をする時に、科学至上主義の人からそのような罵倒が来ることをすでに想定しているからです。

これも通じなかったようですね。
罵倒では無く皮肉です。
自然教とでも言いますか「自然」と名の付くものは手放しで受入れ、それに反するものは排除しようとする。
科学はその際たるものとして。

誤解を恐れずに申し上げれば、頭悪いなと。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
cliomaxiさんは最初からマナーのよくない高飛車な回答に始まっていたことを自覚していないようですね。
「参ったなぁ。本当に読解力の無い方のようですね。理知的に見えて実は偏狭」
「これも通じなかったようですね。罵倒では無く皮肉です」
「誤解を恐れずに申し上げれば、頭悪いなと」
→これらは全て、包容力のないあなたの人間力の無さから出ている言葉です。
お幾つか分かりませんが、人格の無さがありありです。
子供の頃からお勉強は出来たが、多分友達からあまり好かれないのでしょう。
私の多くの友人達がこのやり取りを見ていまして、日々感想を送ってきています。
このご回答もまた我々に話題を提供してくれています。

お礼日時:2015/03/21 10:01

>Saturn5さんの回答を読んでいると、人間の思考すべてが科学になってしまっています。


その通りです。人類の自然に対する知識の全てが科学です。

ブリタニカ国際百科事典にはこう定義されています。
--現在では特に自然科学を,ときには哲学を除いたすべての学問をいう。
科学の語源であるラテン語の scientiaが scio (「知る」の意) の派生語であることから
わかるように,本来は感情や信仰から区別された,理性的あるいは知的な全学問をさす
ものであった。

>山奥で大昔から細々と受け継がれてきた人間の知恵を科学とはいいません。
種をまいたら芽が出て葉が出て実が出来ることを小学校の理科で習いませんでしたか?
それが科学です。種をまくこと自体が科学です。
高校や大学レベル以上では土の中の細菌のはたらきが必要なことを学びます。
福岡氏の理論は大学の農学部にある理論を実践しやすく改良したものです。
社会に実践すると言うことは非常に大きな功績だと思いますが、内容は全て
科学で説明できることばかりです。

もし良かったら、福岡氏の自然農業の手順で科学で説明できないところがあると
思われるならば書いてください。

自然の力は、今まで、そしてこれから何世紀もかけて創る人間の科学ではとうてい
及ぶことができません。人間は自然を科学の範囲の中で利用できるのです。
本当の意味で自然がどれだけ偉大であるかを知るためには科学がわからないといけません。
アフリカの原住民にF1の車を見せても、ただ速い乗り物で終わります。それはそれで、
素晴らしい感情を持ったのかも知れません。しかし、大学の工学部の生徒ならば、
ピストンが音速を超えていること、エンジンの排気量の割に大出力であることを知ります。
どちらが、本当の意味で「知る」ことになるでしょうか?
ただ「自然が偉大だ」だけを言っていても始まらないのです。何がどのように偉大で
あるかを解明していかないといけません。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
最初の「その通りです。人類の自然に対する知識の全てが科学です」
→そんな解釈は一般社会では通用しませんよ。お気持ちは分かりますが。
「もし良かったら、福岡氏の自然農業の手順で科学で説明できないところがあると思われるならば書いてください」
→それは現在の結果論ですよ。福岡氏の当初の考えを学会は理解できず無視しました。
かなり前に、早稲田大学理工学部大槻教授が「科学で解明できないものはない。解明できていないものは、まだ解明できていないだけだ」と発言しました。
世間で笑いものになりました。これはもう傲慢そのものです。説得力がゼロです。科学が負けたくないという一心のみです。
Saturn5さんの回答を読んでいると、大槻教授を思い出しました。
因みに、私は科学を否定していません。これからも人間の知恵が体系化した科学として人類に貢献していくと思います。

お礼日時:2015/03/21 09:12

科学は自然の中に存在している。


科学が創造するとき、科学は自然となる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「科学は自然の中に存在している」
→そういえるかもしれませんね。
「科学が創造するとき、科学は自然となる」
→難しい言葉ですね。

お礼日時:2015/03/21 08:25

あいやぁー、同感致しますよ、そのお言葉。


男と女のようじゃのう。

そして、化学は、子孫繁栄につながるものを、少々含んでいて、
少々、子孫繁栄につながらないものも、含んでいるね。
両方ありかのう ?
おもしろいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「男と女のようじゃのう」の意味はよく分かりません。
化学でなく科学ですが、その話しも面白いかもしれませんね。

お礼日時:2015/03/20 14:40

>皆さんのご感想はいかがでしょうか。



私の率直な感想は意味が分かりません
他の回答者は福岡正信が自然農法の提唱者だから自然を農業と解釈してますし
gouzigさんもそのように理解してるようですけど
そもそもどういった文脈でこの言葉が使われたのかが不明ですから
私においても他の回答者においてもgouzigさんにおいても福岡正信の言葉として
考えればなんとも言えないと思います

ただそれは福岡正信の言葉として考えた場合であって、gouzigさんの座右の銘として捉えるなら
この質問においてこの言葉の意味をgouzigさんの解釈で確定できます
その場合、gouzigさんの解釈では「科学は自然に遠く及ばず」とはどういう意味なのでしょうか?

あるいは、gouzigさんがこの言葉をgouzigさんなりの解釈をしたように、他の人間は
どのような解釈をするのかということを問うてるのでしょうか?

すいませんが質問の意図が不明瞭なので指摘させてもらいました
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
各回答者の方々との議論を冷静に見ておられていますね。
「gouzigさんの解釈では「科学は自然に遠く及ばず」とはどういう意味なのでしょうか?」
→確かに、少ない質問文では分かりにくいですね。
福岡氏は自然農法の提唱者として世界的に有名なのですが、氏が書いている書籍は哲学書としての評価が高いようです。氏の哲学には「人間は額に汗して働いてはいけない」という考えがあるのです。驚きでしょう?その意味は、人間が汗して働くのはより多くのものを得たいという欲望からでるのだと云っています。それが耕作や科学肥料、農薬を大量に投入することになり、土中の微生物の働きを破壊するということです。
私が座右の銘にしている理由は、そういう人間の欲に関する内容も含んでいます。
わが国の戦後の経済成長の過程でも、氏が危惧することが多々あると認識しています。

お礼日時:2015/03/20 11:03

何もしない土地からいきなりコメや麦が取れるのでしょうか?


農業とは種をまくから収穫できるのではないですか?
種をまくと作物が取れるというのは人間の経験による知識であり、
それを利用するのが科学です。

福岡式自然農業の特徴に粘土団子があると思います。
粘土と種をを混ぜると鳥に食べられないし、種の乾燥も防げるというのは
経験に基づく科学ではないですか?
レンゲの種を混ぜておくと作物がよく育つというのも、レンゲの根の細菌が
窒素を利用してアンモニアを作るという科学ではないですか?

「科学は自然に遠く及ばず」というのは当たり前のことです。
自然は単純な勝つ複雑な理論で、そのパワーも人間が及ばないくらい大きい物です。
だからこそ、研究をして人間が使えるようにしたいと考えるのは当然でしょう。

本当に自然が良ければ、何もしないことです。
自然は種もまかないし、収穫もしません。粘土団子も作りません。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
書かれていること、事実でしょうね。
ただ、前回のお礼コメントにも書きましたが、科学の定義を最大限に広げ過ぎです。
人間の経験の積み重ねで培った考えが全て科学ということではありません。
Saturn5さんの回答を読んでいると、人間の思考すべてが科学になってしまっています。
科学の定義はそうではありません。学問的に体系化され客観的に評価されたものが科学です。
山奥で大昔から細々と受け継がれてきた人間の知恵を科学とはいいません。
福岡氏の言葉の意味もそういうことです。

お礼日時:2015/03/20 11:18

>ご回答を読む限りでは理解は難しいと感じました。



これはANo.2に対してのものですが、私が分らないのは科学は自然に云々の意味では無く、そんな当たり前の言葉を何故に座右の銘にしてるかです。
私からすれば「水は無味無臭(美味い水があるとかは置いておく)」を座右の銘にしているようなものです。

>科学以外を認めようとしないお考えが垣間見れます。
つまり、それが科学信奉です。

読解力が無いと言うか思い込みが激しいと言うか・・・。
逆にあなたの方が完璧なまでのデジタル人間ですね。
つまり1か0、自然か科学かの2者択一しか考えられない。
そして福岡氏は科学を否定していないと言いつつ、あなた自身は明らかに科学に拒否反応を示している。
その証拠に科学寄りの回答をする回答者に対して「心棒者」とレッテルを貼る。
農業は科学であると言うのを受入れる事が出来ない、よくいる偏狭的な自然崇拝(科学拒絶)論者の何者でも無い。

あなたもある種のトンデモさんですね。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
私が座右の銘にしている理由はサイエンスとして説明できない部分があるのです。
「ご回答を読む限りでは理解は難しいと感じました」とご返事したのは、cliomaxiさんは科学が最高峰と考え過ぎで、自然の仕組みの素晴らしさに感動できないのだと思ったからです。
cliomaxiさんは科学の勉強をしてきた反面、自然に関しては不勉強なのです。
最後の厳しい文章を微笑みながら読みました。
その理由は、この質問をする時に、科学至上主義の人からそのような罵倒が来ることをすでに想定しているからです。

お礼日時:2015/03/20 10:01

>「自然に任せるだけで畑ができますか?」


>→それができるというのが福岡氏の論です。
福岡氏は「最終的に、種をまいて藁をふるだけになった」
と書いておられます。
種をまけば芽が出て、育ち、実が出来る。この流れは自然でもありますが、
そういう事を覚えて人為的に種をまくのは科学ではないですか?
藁をまくと微生物が分解して肥料になるのは科学ではないですか?
微生物の酵素反応も優秀な触媒による化学反応と同じではないですか?

福岡氏は最初からひらめきで今の農法になったのではないでしょう。
何年もの間にいろんな事を試行錯誤して、最終的に今の形になったのでしょう。
それこそが科学ではないですか?

科学が自然の力に及ばないのは当然です。
でも、その中で人間は何万年にもわたって、生活しやすい工夫をしてきました。
それが科学です。
初期の人類は畑を作ることもなく、獣や貝類の採取生活でした。
それが畑を作った方が定住できて効率がよいとわかることが科学ではないですか?
また、採取生活においても鏃や弓の形を工夫するのも科学ではないですか?

私が見る限り、福岡氏は生物学、環境学、経済学に優れた科学者です。
今までもそれぞれの分野には偉大な業績を挙げたひとはいましたが、それを
人間の生活に統合して応用する人が少なかったのです。それ故に、農業は
化学肥料と農薬に頼り、危険で栄養価の低い農作物を生み出す結果になったのです。
それを反省して、自然農法を改良していくことも科学だと思います。

どちらが優れているかではなく、人間が確実に頼れるのは科学しかないのです。
人間が生きていくためにはかならず科学が必要です。歩き方、走り方にしても
物理学が必要で、天候の年変化を知るにも天文学が必要です。
自然は水や空気と同じで我々の周りにあるもので軽視されやすかったです。
それ故に、産業革命以後、重化学工業がもてはやされてきました。
その状況が続く中で、自然農法が脚光を浴びていますが、自然農法自体が
科学の集大成なのです。技術や知識は知らない間に我々の身についていますので、
わからなくなっているだけです。
とにかく、自然に任せるだけでは何もできないのです。また、科学の力が自然の
力に及ばないのも事実です。ですから、人間は知識を使った、できるだけ自然の
力を利用して環境に負担をかけない生き方をしていかないといけないのです。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
書かれていること、よく理解できます。
ただ、科学を最大限に広げ過ぎです。
「人間が生きていくためにはかならず科学が必要です」
→それは決して否定いたしません。しかしながら。
「人間が確実に頼れるのは科学しかないのです」
→そこまで云うといい過ぎです。人間の思考として危険です。
福岡氏に関しても、ここまで世界が認めると「科学に取り込んでしまおう」という意図が見えます。
Saturn5さんのお考えは、科学が遅れをとることに耐えられないからです。
それが科学信奉なのです。

お礼日時:2015/03/19 19:42

>つまり、人間の思考が文明、科学という広義のお考えのように感じます。



ちょっと違います。

>辞書によりますと、科学は学問と同意義のようですから。

こちらも含んでいます。
単なる人の思考ではありません。
つまり自然の摂理、法則を探求、究明し自然に(理論立てて)学ぶ事です。
乱暴に喩えるなら、自然は沢山の錠であり、科学はそれを一つ一つ開ける鍵です。
鍵は錠になったりしませんから、比較する方がどうかしてます。

>福岡氏は自然を理解する創造力から思考が発展しているので科学ではないと思います。

想像力のことでしょうか?
確かに当てずっぽに思いついたままなら科学的とは言いません。
それで上手くいったら只の偶然です。
しかし、万物の理りを全て知っている(それこそ神)でも無い限り想像力だけで自然を理解する事など出来ません。
逆に得体の知れないスピリチュアル臭を発してしまいます。
福岡氏も色々な事を試行錯誤してそこに辿り着いた筈です。
結局人間が出来る事は限られているし、自然には敵わんなと。
しかしその結論を導くまでの行為は科学です。

科学教と揶揄されるのと同じ様に、科学駄目だ自然万歳教も似たり寄ったりだと思います。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「想像力のことでしょうか?」
→違います。自然の仕組みを農業に応用する創造力です。
単なる想像ではありません。
「確かに当てずっぽに思いついたままなら科学的とは言いません。それで上手くいったら只の偶然です」
→科学以外を認めようとしないお考えが垣間見れます。
つまり、それが科学信奉です。
「科学教と揶揄されるのと同じ様に、科学駄目だ自然万歳教も似たり寄ったりだと思います」
→福岡氏も私も科学駄目だ自然万歳など一言も云っておりません。
最初のご回答に「私は科学至上主義者ではありませんが」と書かれていましたが、この最後の文章に、なりふり構わぬ科学至上主義者ぶりを見せています。

お礼日時:2015/03/19 19:09

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