プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは
先日大学を卒業した男です。

私はある部活に所属していました。
部員数は男6人と女2人の8人でした。


私は後輩たち(主に留年が決定している3人)を見下していました。
理由としては、
・単位が取れずに早々と留年が決定。(男3人)
・人の本質をみない(努力家の先輩より、ご飯を奢ってくれる先輩を慕うが、陰でその人のことをもカモと呼んだりしたり、監督や高校時代の顧問の批判もする)
・指導しても怒られていると勘違いして不貞腐れる。
・パチンコ、アニメ、バイトばかりして寝坊で授業に出れなかったりする。
・言われたことしかしない(言われたこともすぐ忘れてしまうため、毎回言っている)
・話の内容が誰かの悪口、パチンコ、バイト、アニメしかない(ダルい、ウザい、ヤバい、などボキャブラリーも少ない)
と、大まかに挙げてこんな感じです。

私もある時期までは注意したり、1人でも自主練習などをして気付いてほしいと思っていましたが、「自主的な練習だからしなくても何も言われない」や「なに1人で努力してんの?だっせー」というような感じでした。

たしかに、私の大学は毎日指導者が来るわけでもなく、何時間も練習するわけでもないため自主的な練習がメインになります。
だからといって練習しないのは学費を出してくれている親や、進路を必死に考えてくれた高校の顧問の先生、うちに来ないかと誘ってくれた大学の監督たちに申し訳ないのでやるしかないと私は思っていました。
ですが後輩たちの自主的という言葉の上に胡座をかいて怠けているのを見ると、根本的な感覚が違うのだからあまり言うのはやめておこう、と思うようになりました。
そう思ったのが昨年の6月頃だったのでそれから後輩を見下すようになりました。

引退後にマネージャーから聞いた話ですが、最後の方は後輩3人が私の悪口を他の後輩に言い、私以外の部員たちでまとまろうとしていたそうです。
マネージャーは私に気を使ってでしょうか、私に勝てないから嫉妬してそうなったと言ってくれましたが、私に勝ててもそれはそれで悪口を言うだろうとも思いました。
それを聞いたときは腹が立つことはありませんでしたが、哀れだなぁ…と感じました。
ですが同時に、見下しているのが伝わっていたのかと思うと少し後悔しています。

また、卒業式の日に、小さなアルバムみたいなものを貰いました。
卒業しても頑張って下さいと言ったメッセージが書いてあったり、写真などを切り合わせてコラージュみたいにしたりしていました。
ですが正直なところ嬉しくありませんでした。
嫌われていたことも知っていたし、仲良しクラブみたいでサムい感じがしました。
それに、上辺だけの付き合いだったんだなと思うと思い出として残しておく必要がないとも思ってしまいます。

私がこんな考えになってしまうのは根性が腐っているからなのでしょうか?
私も聖人じゃないので、全ての人を受け入れることもできないし、全ての人から受け入れられることもないのは分かっていますが、こんなふうに考えてしまうのはやはりおかしいことなのでしょうか?

A 回答 (3件)

なんか、お気の毒でした。

あんまりいい思い出を残せなかったのですね。
私の息子はこの春から大学で、スポーツ推薦で入りすでに寮生活を送っています。
なので何だか見過ごせない気がして回答しています。

人数も少なく指導者の目も行き届いてないと、そうなるかなと思います。
実は息子は中学で別のスポーツをしていましたが、顧問の指導力不足で部が分裂状態になり、いろいろと嫌な思いをして退部し、挫折を味わいました。
その時は親子で本当に苦い思いをしました。中学生ですからまだまだ未熟で、息子に一人でも頑張れとも言えませんでした。
目標を失った息子に何とか立ち直って欲しいと、高校はスポーツで有名なところへ。
そして高校では心機一転し、別の競技を始めて今に至ります。
何をするにもそうですが環境というものは大きいです。

あなたの大学の部は、まだ歴史が浅いのでしょうか。
後輩3人は確かに見下されて当然の人達だと思いますが、指導不足という事も大きいと思います。
先輩から後輩へ受け継がれる伝統やルールといったものも存在しなかったのかな、と。
きちんと率いてくれる人がいれば、あるいはやる気を持てたかも知れません。

そんな中で自分のやるべき事をやり通せた貴方は立派だと思います。
でもどうか、できないヤツ=見下されて当然のヤツ、という見方は今後は慎まれることと思います。
引き上げてくれる人がいて初めて人は活かされるという事もあります。
上下関係や仲間の大切さを学べるのがスポーツの良いところでもあると思うのに、それが出来なかったことは本当に残念でした。
これからは良い上司、同僚、後輩に恵まれますように、そしてあなたのご活躍をお祈り致します。
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この回答へのお礼

回答有難うございます

確かに、私が意固地になって自分のことしかしなかったことも原因だと思います。
ですが学生最後の年に、周りの意識改革を一から始める余裕などあるわけもないので自分のことしか頭にありませんでした。

部はかなり古くからあったようですが、寮もなく、最近は仲良しクラブ的な雰囲気でした。
私はそれがイヤでメリハリをつけようとしたのですが、後輩たちには受け入れられなかったようです。
おそらく入部したときのモチベーション自体にかなりの差があったのでしょう。

もう後輩のことは気にせずこれからの人間関係を充実させていきたいと思います。

お礼日時:2015/03/25 02:38

私の先輩(68歳)が


「人間は様々な競争で勝った負けたと右往左往するが、過ぎて見れば大した差はない」と云っています。
過ぎてというのは、定年になって見ればという意味です。
名言だと思います。その通りです。
人はそれぞれの道を歩みます。そしてその結果も自分に返ってきます。
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この回答へのお礼

回答有難うございます

確かに人生まだまだ何があるかわからないし、長い目で見ると小さなことかもしれませんが、そんなに先のことを考えて生きるのは私にとって難しいかもしれません。

お礼日時:2015/03/24 21:30

あなたの感覚は正常だと思います。


ただ、私なら部活をやめますね。「他人を見下す自分」が嫌なので。
貴重な時間をそんな人のことを考えるために割きたくありません。
どうせ同じ時間を使うなら、尊敬できる方とお付き合いをしたいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

普通ならそうなってしまいますよね(>.<)
私が高校生の時、なかなか進路が決まらなくて願書の締め切りギリギリの時期にこの大学に拾って貰った感じなので、やめることはできませんでした。

現役中は後輩に期待はしてなかったので、せめて自分だけでもと思いながら練習していたので、自分のことに集中できましたけどね(笑)

お礼日時:2015/03/24 20:40

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