先日祖母の部屋を整理していると出てきた小判です。
裏には真ん中に何かのマークがありその右上に「保」の字が書いてあり左下には「大吉」とかいてあります。
この小判は本物なのでしょうか?

重さ以外の本物と偽物の見分け方などあれば教えて欲しいです!

よろしくお願いします!

「この小判は本物なのでしょうか?」の質問画像

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古銭」に関するQ&A: 古銭を送りたいんですが

A 回答 (4件)

天保小判ですね


 この小判は品質がよく、大きさも重さもかなり均等です
縦60㎜×幅32㎜ 重さ11.20g 品位 金568/銀432
 が標準です。

まずは大きさ、重さを計り
 上記のサイズかどうかしらべましょう
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2000円くらいで買えるニセモノなんじゃないかと思うのですが・・

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形がきれいなのでレプリカ品でしょう


それでも金が使われてるので、良くて98000円

本物は15万円以上
http://www.kosen-moriyuki.com/annai04_6.html
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古銭商へ持ち込んで、仮に買い取るのならいくらと質問。


本物だったら、買い叩く店だったとしても、万以下ってことはないでしょう。
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Q偽物小判

偽物の小判と本物の小判を見た目で見分けるいい方法はないですか?

Aベストアンサー

見た目で見分けられるようなら小判として使用できないでしょう。

金の純度が高いと柔らかいので噛んでみてその柔らかさで判別した話は見聞きしましたが、後世経済事情がわるくなり小判の改鋳が多く、金の純度が低下してこの方法も難しく成ったと思われます。

Q小判の金焼け

小判で言われる金焼けとはどう言うことですか?金色が薄らいでると言う事ですか?

Aベストアンサー

「金焼け」とは、金製品の色調が経年変化することです。どのような色に変化するかは、金以外の混合物の種類や割合によって異なります。

小判表面の金の純度は、色揚げによって100%近くまで上っていますが、それでも若干の銀が残っています。この銀が空気中の物質(主として硫化物)と反応し、黒色に変化します。したがって小判の表面には、ややくすんだ、ぼけたような色調の部分が生じます。

小判の金焼けは、時代の風情を感じさせるものですが、金焼けが進むと金貨としての価値を損ねますので、空気を遮断した密閉ケースに保管することが必要です。

Qもしも小判流出がなかったなら

もしも幕末における小判流出がない、もしくはもっと早期に解決できていたら・・・ その後の歴史はどうなっていたでしょう?
たとえば、太平洋戦争以前に日本は経済的に「絹」以外の外貨獲得手段を得ることはできたでしょうか?
たとえば、日露戦争の戦費にあれ程苦しむことは無かったのかもしれません
金の保有量が紙幣の信用度を決した時代はつい40年ほど前まで続きました。
もしも小判の流出が無かったのなら?
歴史はどう変わっていたと思いますか?

Aベストアンサー

幕末における小判流出がそのあとの歴史にそれほど大きくかかわっているとは思えません。

というのは、江戸時代が終わり、明治時代に発布された「新貨条例」で日本のお金の単位制度が大きく変わったからです。

太平洋戦争で日本の経済が苦しくなるのは、やはり戦争には莫大なお金がかかる上に、これまでずっと頼りにしてきた列国がABCDラインを行って、日本に対し経済封鎖を行ったことや日米通商航海条約・日英通商航海条約の廃棄などが一番の原因だと僕は思います。

日露戦争のころの日本の財政の悪さについては、そもそも「戊辰戦争」や「西南戦争」がその前に起こっていたことが原因です。あの明治における二大戦争の結果、明治政府はお金にとても困りました。なぜなら、当時の明治政府の財政基盤はその前身の江戸幕府の財政を引き継いでいたからです。江戸幕府の財政基盤はお金ではなく、お米。新しい時代にはお米はお金の価値としては役に立ちません。そこでそれの対策として地租改正や不換紙幣を発布したりしたのですが、結局うまくはいきませんでした。
ですがそのあと「日清戦争」がありましたよね?あれで日本は莫大な賠償金(2億両=今の価値で言うとと何兆円とか)を手に入れることができたのですから、財政は潤ったはずです。日露戦争直前に山県有朋が厳しい徴税を行ったのは、その当時臥薪嘗胆という言葉も流行ったようにロシアに対し大きな反発があったからだと思います。なぜそんなにもロシアに対して反発が強かったのかというと、「日清戦争」でせっかく手に入れた「遼東半島」をロシアによる「三国干渉」で邪魔されたから。だから、あの当時は日本全体がロシアと戦争することに対してどちらかというと賛成的だったと思うんです。もちろん、社会主義者や一部の人などは戦争に反対していましたが・・・(「君死にたもふことなかれ」で有名な与謝野晶子は思いっきり反対していますしね。)

もし小判流出がなかったら・・・そうですね・・・攘夷運動があそこまで過激にはなってなかったと思います。というのは、小判が流出することによって貨幣鋳造を行い、金の含有量を減らしたことが原因で、当時物価がめちゃくちゃ上がりました。その物価の急騰が貧しい武士などの反感を買ったのです。じゃあ、その物価の急騰は誰が原因だろう?幕府?いや、外国のやつらだ!あいつらがいるから、物価がめちゃくちゃ高くなっている!だからあいつらを日本から追い出そう!といって始まったのが、攘夷運動です。だから、小判がもし流出していなかったら物価は安定していたわけですから、あそこまで反感を買うことはなかったのではないでしょうか?
とはいっても、そのほかにもいろいろな理由があります。たとえば、アヘン戦争に負けた清国がイギリスの植民地になってひどいことになっている。日本も同じようなことになるのではないか?それを避けるためには、日本をもっと外国と渡り合える強い国にしなくては!といって立ち上がったのが「坂本竜馬」とか「高杉晋作」です。だから、一概になんともいえません。

というのが、僕の持論です。

幕末における小判流出がそのあとの歴史にそれほど大きくかかわっているとは思えません。

というのは、江戸時代が終わり、明治時代に発布された「新貨条例」で日本のお金の単位制度が大きく変わったからです。

太平洋戦争で日本の経済が苦しくなるのは、やはり戦争には莫大なお金がかかる上に、これまでずっと頼りにしてきた列国がABCDラインを行って、日本に対し経済封鎖を行ったことや日米通商航海条約・日英通商航海条約の廃棄などが一番の原因だと僕は思います。

日露戦争のころの日本の財政の悪さについて...続きを読む

Q直江兼続と大一大万大吉

石田三成さんの旗印「大一大万大吉」ですが、プレステ2の某戦国ゲームの中では、友人の直江兼続からその言葉と意味を教わるシーンがあるそうです。
直江さんの思想の中にも同じような考えがあったのは何かで読んだことありますが、大一大万大吉という言葉を石田さんに教えたという説が実際にあるのでしょうか?

Aベストアンサー

三銃士のシーンですね。個人的にはゲーム中であの場面が一番好きなシーンです。
ご質問の件ですが、おそらく創作だと思います。wikiからの引用で恐縮ですが、“鎌倉時代の武将、「石田次郎為久」(中略)も使用”していたということですので、彼にちなんで使った(あるいは先祖)のではないでしょうか。
徳川家康との対決において、三成と兼続が共同作戦を取ったという話から二人(+真田幸村)の結びつきを強調するために挿入されたイベントではないでしょうか。
もしかしたら、そういう説話が存在するのかもしれませんが、私は聞いた事がないです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90

Q小判の価値は?

昔、貨幣として金や銀を原料とした小判を使っていましたよね。

当時の小判の価値ですが、今の円に換算すると一枚いくらくらいだったのでしょうか?

もちろん小判にも種類があると思いますが、適当に例を挙げていただければと。

また同時に、当時の金銀の価値はどの程度だったのでしょうか?

金銀の価値=小判の額面

でなければ、勝手にお金を作る、もしくは勝手に小判を溶かし金銀として売ってしまう人が続出しまうと思うのですが、当時はどうだったのでしょう?

Aベストアンサー

>当時の小判の価値ですが、今の円に換算すると一枚いくらくらいだったのでしょうか?
換算するときに何を基準にするのかで変わります。
お米の値段を使うか、他のものを使うのかで変わってきます。
時代小説ファンの方達は1両=10万円とすることが多いですが、昭和40年代ごろになんとなく流布した見方です。
お米の値段は、現在は政府の統制があり、あまり当てにならないというのが現在の考え方です。
まぁ~かけ蕎麦の値段などが、生活感としてはいいのかな、と思っています。
かけ蕎麦=16文 1両=4000文~6000文 これでいくと、1両=25万円~30万円 となりますがいかがでしょうか

>もちろん小判にも種類があると思いますが、適当に例を挙げていただければと。
小判の種類に関わらず1枚=1両です。
現在の貨幣と同じ考え方です。

>また同時に、当時の金銀の価値はどの程度だったのでしょうか?
江戸では、幕府が決めた通貨が主として使われていましたが、大阪では銀の固まりを通貨として主に使っていました。
この銀の固まりは重さで表示されていました。
大阪で「ぜに○○もん」と言ったときと江戸の人が「ぜに○○もん」と言ったときでは内容が違います。
大阪の人の「もん」は匁(もんめ)で江戸の人は「文」です。
これは歌舞伎でも起きています。元禄時代につくられたものは「匁」の方を使っていすが、江戸歌舞伎では「文」を使っています。
この銀の固まりを小判や銭に交換する相場市がありました。(現在の外国為替市場とほぼ同じです)
両替商と呼ばれる人達は、この相場の変化で利益を上げていました。
相場ですから、毎日変わっていました。
平均の例としては
1606年 1両=72匁6分~75匁
1621年 1両=57匁5分~63匁
1841年 1両=62匁5分
1863年 1両=85匁9分
御存知の通り小判の金の含有量は時代ともの減っていますので、それだけ金の地金は値上がりしていました。

ここでもっとやっかいなのが、銭と小判との両替も相場だったということです。
今で言えば、1円玉と1万円札を交換するのが、その日の相場で決められていたということです。
現在のドルと円との交換と同じように考えて下さい。
平均
1688年~1703年(元禄時代) 1両=4000文前後
1700年~1820年         1両=4500文前後
1820年~1865年         1両=6500文前後
注:1000文を1貫と呼びました。(重さの単位と同じ言葉が使われているので、ややこしいです)

庶民が小判を手にすることはまずありませんでした。
現在でも10万円札など出てきたら、日常生活には不便で使えません。
庶民は全国共通で銭(文)を使っていました。
全国を横断する大口の取引には小判を使いました。
つまり、銀は大阪(関西)の地域通貨です。人の交流に従って江戸へ流れ込みました。

参考
1両=4分……幕府が始まったときには 1両=4000文と決めました。
1分=4朱
通貨としては1文銭 4文銭 1朱、2朱 1分 1両 丁銀 小玉銀(こつぶ)です。

(天保銭などというのが出てきたのは幕末です)

>勝手にお金を作る、もしくは勝手に小判を溶かし金銀として売ってしまう人が続出しまうと思うのですが、当時はどうだったのでしょう?
いました、いました。
作っても、使っても、持っていても、捕まれば即刻首を切られました。(いまのような裁判もへちまもありません)
贋金造りは、何時の時代、何処の国でもやっていました。

とにかくややこしい通貨制度です。
江戸時代の人が算盤が上手いわけです。
読み、書き、算盤が必修だったのも良く解ります。

>当時の小判の価値ですが、今の円に換算すると一枚いくらくらいだったのでしょうか?
換算するときに何を基準にするのかで変わります。
お米の値段を使うか、他のものを使うのかで変わってきます。
時代小説ファンの方達は1両=10万円とすることが多いですが、昭和40年代ごろになんとなく流布した見方です。
お米の値段は、現在は政府の統制があり、あまり当てにならないというのが現在の考え方です。
まぁ~かけ蕎麦の値段などが、生活感としてはいいのかな、と思っています。
かけ蕎麦=16文 1両=40...続きを読む


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