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日本人て我慢が美徳でやたらと形式に拘って非合理的なことをすることがありますよね?
例えば、椅子に座ってもできる作業なのに立ってやれ!
もっと楽しくやればいいのに職人の世界なんか弟子は親方からわざとキツーイものの言い方をされて弟子はじっと堪えて育つなど、
公職選挙でも不在者投票から期日前投票に変わったのも最近です。

アメリカに本社がある銀行の日本支社の窓口に行った時の話、窓口で対応した男性職員は最初に「この会話は接客サービス向上の為、録音させていただきますので予めご了承ください」と言われた。
そう言われれば相手は最初から下手なこと言えない、と思うわけで密かに録音されていて後から実は録音されていた。と反撃されるよりいい。
(コールセンターでは最近日本でもある)
アメリカは日本人に比べて、こうすればお互いに後々嫌な思いをしなくて済む。人生を楽しむという考えなんかも日本より進歩してるのかな?
それとも、資本主義思考が日本より浸透しているからなんでしょうか?

私は英語圏で生活経験もないので知識不足なら具体的に教えてください。

質問者からの補足コメント

  • ご回答ありがとうございます。
    ただ、フランス、スイス職人の厳しさをテレビ番組で、これは番組を制作した側の意図があったのかも知れませんね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/05 14:55

A 回答 (4件)

アメリカに住んでいたことがあります。



合理・非合理ということであれば、日本人はたしかに非合理的な行動や判断をすることが多いと言われます。ただ、それを言っているのは欧米人が多く、アメリカ人はたしかに合理的ではありますがヨーロッパ人は国と文化にもよりますが、実はそれほど合理的ではない部分もあります。

アジア人は全体的に欧米人に比べれば非合理、アフリカ人やアラブ人はもっと非合理、ロシア人は白人種でありながら、意外に非合理(というより不合理)かもしれません。

オーストラリア人はアメリカ人と同程度に合理主義者のような気がします。

アメリカの合理主義は、単に考え方が合理的であるということでなく、社会の基本が合理主義であるといえます。いいかえればルール主義です。いろいろな人種が混じって暮らし、それぞれの宗教観や価値観を保障するために「個人的な価値観はどんなものでも認めるが、社会を構成するルールを決めたら従ってもらう」合理的なルールに基づいて動いています。(こうすればお互いに後々嫌な思いをしなくて済む、という理由ではありません。この考え方は実に日本的です。ルールがある限り愉快だろうが深いだろうがルールに従うのが合理的な考え方です)
そのため、規則や手続きもルール化されており、そこから逸脱することは許されません。日本のように「大岡裁き」のような「人情」はそもそも排除するところから、社会の基本を始めているからです。

*ルールに従うのがなぜ「合理的」か、人間の感情は実に不合理だからです。同じシチュエーションでも立場が違えば不合理と感じることも違ってきます。どちらに配慮しても、両方を満足させることは非常に難しいことです。ルールに従って手続きすればそれは「公平」であって、少なくともどちらの立場も不利にはなりません。「ルールそのものが不公平ならどうするんだ」という考え方をするなら、それはルールという意味が分かっていません。明らかにルールに不公平・不公正があるなら合理的に考えてそれを正せばよいからです。したがって合理的な社会では常に「論理的に議論すること」が重要になります。

ヨーロッパ人になると、歴史がある分多少老獪になってきます。日本的にいえば「練れている人が多い」ということです。アメリカ人に比べれば融通も利きます。ヨーロッパ人は単刀直入なアメリカ人を「馬鹿正直」と評価していますので、老獪である自分たちを「真の文明人」であると思っています。

*さきほどのルールの合理性でいえば、ヨーロッパ人は実に老獪であるといえます。たとえばオリンピック競技で日本人ばかり勝つようになると、ルールが変更になります。彼らからすれば「特定の国または人種ばかりが勝つようなルールは不公正である」ことが分かったからです。でも実際にはヨーロッパ人が勝ちやすい形にルール変更されていることが多く、このあたりが老獪であるといえます。その点についていえば、アメリカ人はお人好しなほど公平で「誰に対してもフェア」を貫く国民性であるといえます。

日本人はアジアの国であることは間違いないでしょう。仏教的な思想と儒教的な思想が入り、そこに日本的な価値観が入っています。

ヨーロッパもそうですが「自分たちが伝統的にやってきたものは変えない」という頑固なところがあります。職人技の基本やそれを体得するための指導方法などは「昔からこれでやってきた」という非合理な理由で見直しがされないし、社会全体も「昔からのシキタリ」とか「そういうものと決まっている」という不合理なものがたくさんあります。

そういう社会で生きる私たちは、合理的な対応が難しい時があり、また非合理な対応のほうが楽であることも多い、ということを知っていると言えます。

それでも、実際には何百年と続くシキタリややり方は時代によって変化しているものです。そのあたりは実に合理的に解釈して変化させているのですが、それらは奥に隠れて見えなくなります。たとえば、昔は正月のあいさつは訪問するのが当たり前だったのに、いつのまにか郵便はがきが「正しい年賀のあいさつ」にとってかわり、今はメールやLINEでの年頭のあいさつに変わりつつあります。後50年したら、スマホの画面であいさつするのが当たり前で、電話したり訪問したりするのは「プライベートの侵害」で気が効かない人、ということになるかもしれません。
しかし、日本人のしきたりとしての年賀のあいさつは不合理なまま継続されるわけです。

ただ、合理的非合理的というのは、なにをもってしているのか、が非常に難しいと言えます。もしアメリカのような移民国家で、日本のような「建前で気を使う」文化であれば「それは日本人が気を使いたいだけでしょう!」と言われて終わりになることもあるでしょう。

かといってアメリカのようなルール国家は、日本人にはなじみが薄く疲れるときもあります。同様に国によってはタブーがあたり、目上を(日本人からすれば)異常なほど奉る文化もあります。韓国などは、目上が絶対過ぎて事故が起きても目上(機長)に対して指摘ができないほど、硬直しています。
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"アメリカは日本人に比べて、こうすればお互いに後々嫌な思いをしなくて済む。


人生を楽しむという考えなんかも日本より進歩してるのかな?
それとも、資本主義思考が日本より浸透しているからなんでしょうか?"
   ↑
米国は人種や文化が異なる人間の寄せ集め国家です。
相手が何を考えているのか、どんな価値観を持っている
のか、などが判りません。

だから、紛争を事前に防止するため、そういう技術が
発達しているのです。
また、紛争が発生した場合にも備えているわけです。

日本でそういう技術が未発達なのは、
単一的民族ゆえの共通の価値観が無言の前提として
あるからなのです。


”日本人て我慢が美徳でやたらと形式に拘って
 非合理的なことをすることがありますよね?”
     ↑
歴史が長い国は、形式にこだわることが多いと
思います。
米国には歴史らしい歴史がありません。

我慢が美徳とされたのは、日本が貧しかったからでしょう。
欧米でも、プロテスタントの質素勤勉が資本主義を
成功させた、と主張されています。
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そうですね。

日本人特有の悪いところは沢山あります。ですが、日本が今の世界でそれなりの地位や日本製品の信頼を勝ち取るまでに至ったのは、少なくともその”負”の部分が良い面ももっていたからだとおもいますよ。

iPhoneを開けてみれば沢山の日本製精密機器が使われてます。車の部品だって、ワーゲンやベンツだからといっても日本メーカの製品を沢山取り入れてます。ウイスキーだって、元々スコッチのものが日本で熟されて逆にイギリスなのでも評価されるぐらいにもなってます。日本の強さとは、目立ちやすいアニメとかラーメンとすしなんかじゃなくて、そういう世界的なシェアを持つ製造業だったりもするんです。すくなくとも今までは。

良く言われることですが、島国で、とくに国民の見た目のぱっとしない、英語すらまともにはなせない(笑)資源の乏しい一つの国でしかない日本が世界でここまで製造業でシェアを持ってるのは、その製品開発に対する努力があったからで、それはこれまでの企業の泥臭い試行錯誤に帰する部分もないとは言えませんね。プロジェクトxなんかは多分アメリカで似たようなのをつくろうと無理で全部英雄ものになるでしょうね。それが良い悪いはべつとしてそういう面もあるということです。逆に、アメリカなんかは、実は結構移民中国人韓国人のエリート(=つまり泥臭い努力でのし上がってきた変人)に取って代わられてる部分も結構ありますよ。アカデミックなんかは良い例ですね。また、日本人が英語すら出来ない、特に世界的に知名度の高い芸術や文化、学術的優位を持ってないとするならば、何も知らない世界で台頭を表すには、職人的な努力で、欧米人がギブアップしてしまうようなところも乗り越えていかないといけなかったという言い方だって出来ます。それも才能の一つです。逆に、「そういうのはバカげている。やってられっか」というのであれば、欧米的なセンスで戦えばいいですが、彼らのプレゼンテーション能力や周りを”利用”する上手さというのは、ある意味違った意味で日本人にとって難しいですからね。魅力のない人間が、中途半端にまねしたところで、誰もついてきませんから。阿部首相がどんなにカッコ付けてもオバマ大統領みたいな演説は難しいと思いますよ。でも、それが全てではないです。

寡黙という一点をとって良いか悪いかは分かりませんけど、耐え抜くような努力によって得られるものもあるという事で、それは欧米人にはまねできないという事も言えるという事です。純粋な日本人で、アメリカに単身渡って地位を得ている日本人はどちらかというとそういう面を持ち合わせつつも、上手く欧米の良いところを自分なりに取り入れられた人が多いと思います。
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日本人が形式にこだわるのは伝統的文化のせいです。

茶の湯にしても能や歌舞伎にしても、日本の古来から続く伝統文化は形式美です。形式の中に美を求めるといった考え方はけして非合理ではありません。

質問者さんの言われる「椅子に座ってもできる作業なのに立ってやれ!」や「職人の世界なんか弟子は親方からわざとキツーイものの言い方をされて弟子はじっと堪えて育つ」は、いったい何のたとえとして出されているのか理解できません。フランスのブランドメーカーの職人世界やスイスの時計メーカーの職人世界の修行の厳しさを以前TV番組で見た記憶があります。

また外銀で会話を録音すると質問者さんが言われた件は、本件とはなんら関係がありません。単に米国社会が訴訟社会だということの為です。訴えられたときの不利をカバーしたいだけの処置ですから、『人生を楽しむという考え』とは何も関係がありません。

日本人が寡黙で我慢強く見られているのは単に島国であった為外国人との接触が少なく、外国語の習得も未熟であった為です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

アメリカは訴訟社会だから、本件とは関係ない。
なるほど。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/05 15:00

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