「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

『〈つながる/つながらない〉の社会学ー個人化する時代のコミュニティのかたち』長田攻一・田所承己=編
を読んだところ、いくつか疑問がありました。

若者というものは、特に現代社会にお いては、社会の変動を最も敏感に反映する存在の一つであり、それは対人関係についても同様ということができる。(p.108)
→なぜ、若者は現代社会において社会の変動を最も敏感に反映する存在といえるのか。

ギデンズによれば、近代化において人々の関係性の在り方が変化し、親密な関係性に関して「純粋な関係性」の出現という形をとったという。「純粋な関係性」とは、たとえば友人関係であれば、互いの属性・社会的地位・経済的利得などにとらわれず、「その人と友人であること自体に対して精神的に満足できるか」を最も重視するわけであり、人びとはそうした基準に基づいて、友人関係の在り方を自らの判断で選択していくというわけである。
また、いったん成立した関係性に対しても、絶えず当事者自身が再帰的にモニタリングを行い、必要に応じてその関係性の在り方を変えていくことになる。一度友人関係になったからといってその関係性がそのままのかたちで永続するとは限らず、「この人との友人関係はこのままでよいのか」と絶えずチェックされ、当事者のいずれかがせの関係に満足できなくなった場合にはつきあい方のルールが変更されたり、場合によっては友人関係そのものが解消されたりすることもありうる。

→「純粋な関係性」というのは理解できたのですが、本書ではこうした関係性の変動を、近代化に伴う民主主義の発達につながるもの、と述べています。なぜ、民主主義の発達につながるのでしょうか。

どちらかの質問だけでも良いので、回答お待ちしています。

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A 回答 (3件)

おじさんです。


「なぜ、若者は現代社会において社会の変動を最も敏感に反映する存在といえるのか」
→私も回答1の方の考えに同感です。
あのフランス革命は、若者が立ち上がり成功させたものです。
それ以来、革命は学生しか起こせないとまでいわれてきました。
「なぜ、民主主義の発達につながるのでしょうか」
→これも同じ理由です。
家族を安定的に養う立場では危険を冒せません。
どんなに封建的で腐敗した社会であっても、その仕組みの中で家族を養っていれば、それを壊すわけにはいきません。それが保守ということです。
民主化の発展とは、問題を暴き、それを改善するプロセスのことです。
この行動を革新と呼びます。
革新の最たるものが革命です。
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質問に対する回答ではありません。

面白そうなことが書かれていたので、通りすがりに岡目八目で減らず口をきくだけです。
>人々の関係性の在り方が変化し、親密な関係性に関して「純粋な関係性」の出現という形をとったという。「純粋な関係性」とは、たとえば友人関係であれば、互いの属性・社会的地位・経済的利得などにとらわれず、「その人と友人であること自体に対して精神的に満足できるか」を最も重視するわけであり、人びとはそうした基準に基づいて、友人関係の在り方を自らの判断で選択していくというわけである。
私は、人間って社会的な生き物であると思っています。社会と個人、個人と個人は社会の中で位置づけられているもので、社会から切り離れた独立した存在というのは本来ないもの、一種の幻想や理念型だと思います。親子や老若などの社会的成熟過程での位置付け、ジェンダー、住んでいる社会の中、別の社会集団との関係、組織集団内部での位置付けが決まっているかそれが少しづつ形を変える中で、自分のアイデンティティが形成され、他人のとの関係もできるのだと思っています。それらの位置づけを離れた個人と個人というのは非人間的、非現実的な幻想や理念型なので、そうした関係を【純粋な関係性】とネーミングすること自体に認識の誤りが内在しているように思います。
ただ、民主主義の重視、民族差別や人種差別の否認、ジェンダーによる位置づけの否認、個人の尊重、個人の個性や自主性の強調という社会情勢は、その社会で生育し精神や思考力、志向性を身につけて行く個人を、【純粋に個人であること】に強迫的な志向性を持たせることになり、自己愛の強いパーソナリティの形成、自閉的行動思考傾向、社会での立ち位置の獲得不善、アイデンティティ不(非)確立あるいは拡散やモラトリアム遷延を強めるということになると思います。http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/29/hi …
そうした個人が増えれば、親子、兄弟姉妹、家庭や親族、地域社会、学校集団内で自分の立ち位置で繋がる、就業先の職場で人間関係のつながりを持つようなことはできないという人間が増えて当然です。
人間関係の用語の意味や使い方は、ヒトによって異なる面はあるでしょう。多くの場合【その場の契約や指示、ルールに則って対応する】だけのことを意味するのでなく、極端な表現をとるなら【全人的なというような方向に広がりをもった関係、位置の取り方、そしてその場限りではなくその場でそのことに従事してなくても継続する関係】が人間関係と呼ばれていました。そのような多くの理解に沿って人間関係を理解したときには、【「その人と友人であること自体に対して精神的に満足できるか」を最も重視する自分本位・自己愛偏重の他人との関係のあり方】は人間関係から外れていると思います。
そのようなヒトはここ数十年の社会環境が作り出してしまった結果であると考えるならば、現代社会では【「その人と友人であること自体に対して精神的に満足できるか」を最も重視する自分本位・自己愛偏重の他人との関係のあり方】を求めるものが若者に多くなるというのは理解しやすいです。確かに社会現象として、モラトリアム、オタク、アニメブーム、ゲーム没頭、リアル交流ではないスマホのメールやLINEの隆盛、帰属拘束の緩いフリーターの増加、未婚者や恋人不用のモノの増加、核家族でもない独居者の増加などが目立ちます。
つながりを自分で選択し自分で形成することを求められたら、そんな器用なことは出来ないということ(無理な要求、困難な要求からの逃避、退行、自由からの逃走)は増えてしまうのは、社会的には当然の帰結だと思います。つながりのあり方、社会的ロールはあらかじめいくつかのパターンが用意されていて、それを獲得していく過程が人間のポピュラーな発達、精神成長、大人への道を歩むということだったのだと私は思います。それを、「どういう生き方をするのも個人の自由、能力差や志向の差、嗜好の差はあって当然、社会も親も強制しないから、自分で自分の道を選びなさい。他人を頼るのも、他人を拘束するのもよくないからネ」と育てたら、相当多数のヒトは社会で自分の立ち位置を獲得出来ず、うつになるか自己愛になるかして、他人との関係性はとれず、「純粋の関係性」の幻想にとらわれたままになるでしょう。
えーと、「通りすがりの岡目八目の減らず口」の終わらせ方は、、、、、
うつのヒトは環境に鋭敏で強く反応します。自己愛のヒトの多くは瞬間的に感情的激発的な方向転換や感情の発露をします。また社会に於いて安定的な自己像を描けない状態は精神的には不安定な状態になるので、他人や周囲の雰囲気に過度な反応・強く反応してしまいます。 集団への帰属意識が強い場合にも集団としての方向に自分から投じるので過激な思想や行動が目立ちますが、社会に自分の安定的な立ち位置を得られない不安定な心情精神状態のヒトは、自分がのめり込むことができるなら不安定な気分から逃れられる思い込みから、強い行動性を示す集団に積極的に身を投じようとしたり、ファナスティックな意見や見解を発表するところに自分を帰属させようとしたり、とにかく極端な行動にでます。そうしたヒト、そうした若者が増えると、テロに参加やヘイト活動、オカルト、あるいは冒険や自分を捨てての援助活動への参加、傭兵などへの志願など、自分の立ち位置の獲得に走るヒトの数も増えます。
社会の枠組みに組み入れて人間関係を築かせるという社会体制が弱くなるだけでなく、「自由で対等で合理的で気分重視で自分のための人間関係を良いものとして教える」社会で育つなら、つながりがなくなり、繋がらない、人間関係が希薄で長続きせず、そして不安定で衝動的なヒトが若者を中心に増えるのは当然だと思います。
「近代化に伴う民主主義が喧伝された結果」が「繋がらない社会、繋がらない人間関係をもたらした」のだろうと思います。 民主主義を説くにも別のやり方があるだろうと思のですが、今やられている方法を継続しているなら、ドンドンと「つながらない・孤立・独尊・自愛・激発・不安障害・うつ・モラトリアム」のヒトは増え続けると、私は思います。
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思う処ではという程度しかないですが、回答がないようなので。

。。

>→なぜ、若者は現代社会において社会の変動を最も敏感に反映する存在といえるのか。

若者は、過去の柵(しがらみ)がないですし、現在に生き、将来に希望が持てるからではないでしょうか。
熟年者になると、過去の実績を積み上げて来て、自分のよって立つ所の基盤が出来ているので、将来への希望も、その基盤に制約されると思います。
しかし、確個たる基盤の出来上がっていない若者の方が、自由に時流に乗って行けますし、過去に捕らわれない柔軟性をも持ち合わせているので、変化に対して敏感に反応し、適応出来るという事ではないですか。

>→「純粋な関係性」というのは理解できたのですが、本書ではこうした関係性の変動を、近代化に伴う民主主義の発達につながるもの、と述べています。なぜ、民主主義の発達につながるのでしょうか。

「純粋な関係性」、つまり、日本国憲法14条に有るような差別(制約)のない関係性があれば、友人同士のような関係でも、自由で平等な関係を保てるので、これを敷衍出来れば、民主主義につながるという事ではないのでしょうか。

注)第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
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