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僕はソフトテニスをこよなく愛していたのですが、
勝つために戦うという姿勢に納得いきませんでした。
運命には所詮勝てないじゃないですか!
自分に嘘をついて戦うことなど、真にソフトテニスを愛するものには縁がないのです。
しかしソフトテニスは僕の思惑を聞いているのですか?

質問者からの補足コメント

  • 誤解ですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/12 21:05
  • 誤解しないでください!

      補足日時:2015/05/12 21:06

A 回答 (3件)

勝ち負けに一喜一憂するのはストレスですし、こだわる必要もないです。

スポーツは遊びであり、楽しむのが目的なのです。プロ以外は。
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>勝つために戦うという姿勢に納得いきませんでした



おかしくはありません。

ソフトテニスでは様々なテクニックを使うことができます。
その様々なテクニックを使うことが面白い、やろうとしたことができない、それが練習によってできるようになることが面白い、という考え方はあります。
この場合、試合でも勝敗には関係ありません。
やりたいことができたかどうかですから。

最初から「勝つために」だとすれば、様々なテクニックは不要の場合もあります。
極端にいえば、すべてサービスエース、レシーブエースなら勝てますから、他のテクニックは必要ありません。
「試合に勝つ」ということに限定してしまえばそういうことになります。

それじゃ面白くない、というのがあなたの考え方でしょう。

>運命には所詮勝てないじゃないですか!

すべての結果に対して、それを「運命」というのであればその通りです。
喜ばしい運命もあるし悲しい運命もありますから。

ただ、ここで言う「運命」とは試合の勝敗でしょう。
「試合」という前提があって、試合は勝敗を決めるものだから、勝敗には「運命」が介在すると。

ただ、すべての結果が運命だとすれば、試合の中でやろうとしたことができなかったことが「運命」ということになります。

それでは、なぜできなかったのかは、普段の練習不足かもしれませんが、これも「運命」ということななります。

なぜ練習不足だったのかというと、あなたの取り組み方が甘かったのかもしれません。
これも「運命」です。

すべてが「運命」ということになってしまいます。

とすれば、「試合をしなければ良い」ということになりますが、やろうとしたことができたかどうかは、試合でしか確認できません。

試合の中でやりたいことをやってみる。
上手くできて、結果としてポイントが取れて、その積み重ねが最終的に勝ちに繋がる、ということです。
最初から「勝つために」とは違います。

ただ、どのように考えようと、すべてを運命のせいにしてしまうのは間違いです。
何かをしようとした結果だって運命ですから、「できた」「できなかった」で終わってしまいます。
その結果から何を考えその後何をするかが大切なのですから。

ソフトテニスに接する人の考え方は様々で良いです。
こう考えるべき、というのはありません。
「勝つためではない」というあなたの考え方もあって良いです。

ただ、部活などの組織で練習するのであれば、その組織の方針がありますから、必ずしもあなたの考え通りにはならないことがある、ということですね。
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スポーツの勝ち負けは運命ではありません



勝ち負けが無いソフトテニスは、ただのキャッチボールです。



>しかしソフトテニスは僕の思惑を聞いているのですか?
聞くわけが無い
この回答への補足あり
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