プロが教えるわが家の防犯対策術!

小学1年生になった子供がいます。
通っていた幼稚園は自由のびのびで優しい先生方に接していたので、
お友達が困っていたら助けてあげたりとても優しい心を伸ばして
いただけました。

卒園してからもランドセルを見せに行くとか夏休みに集まるとか
何回かあるのですが、息子は行きたがりません。

在園中に、節分の時期が近づくと「鬼が来るよ」と言われたり、
卒園が近づくと卒園式ギリギリまで「卒園出来るかどうかまだわからないよ」
と言われていたのが嫌だったみたいです。

お友達で何かと「先生に言うよ」という子がいて、それにビクビクして
言うことを聞いてしまうことがあったため、「それは脅しだから
もし言われても気にしなくていいんだよ」と話したことがあり、
幼稚園で先生達が言っていた「鬼が来るよ」とか「卒園出来ないかもよ」
も脅しだと気付いてしまったようです。

節分の日は鬼に扮した先生が登場して、子供達を本気で怖がらせ
泣く子も多数出ます。

普段の保育はとても良いと思っていたのですが、その2点に関しては
私自身も疑問に思っていました。
もう卒園してしまったので過去のこととして流せば良いのですが、
こういう指導はどこの幼稚園でも行われていることなのでしょうか。

夏休みの集まりの出欠確認で、幼稚園に正直に伝えた方が良いのか
とも思っています。

A 回答 (3件)

私見です。



>「卒園出来るかどうかまだわからないよ」

これは私も賛成できません。
何のためにそんなこと言うのかわかりかねます。
中学生とか高校生で仲良い先生と、お互いわかってる軽口を言い合ってるわけではないですし。

>「鬼が来るよ」と言われたり、
>鬼に扮した先生が登場して、子供達を本気で怖がらせ泣く子も多数出ます。

私はこれは賛成です。
「鬼がくるから、先生の言うこと聞け」という話ではないですよね。
節分を含め、文化的なイベントって「子どもの頃にだけ信じている」ものではないですか。
鬼がくるのも、サンタがくるのも、大人になっていく過程でそんなものはいないと誰もが悟ります。
でも小さい頃は鬼が怖かった、お化けが怖かった、サンタさんがいると信じていた・・・
そういうのって、「思い出」ではないですかね?
日々、執拗に鬼だ鬼だ言って怖がらせているわけではなく、節分という行事の中ですよね?
だったら、私は有りと言うより、それもひとつの大切なことな気がします。
もちろん、「泣くのが可愛い」とかで執拗に怖がらせるのは、どうかと思いますよ。
常識的な範囲で、その日イベントの中で・・・という話です。

集まりでそんなことをどうこう言われたら、もしかしたら幼稚園はそのイベントを
やらなくなるかもしれませんね。
節分の日に、鬼役の先生もいなくて、ただ豆まきだけする・・・なんかそういうのは
「個人的には」ちょっと淋しい気がします。
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2点というのが分かりにくいです。


鬼が来るよと卒園できないかもよ の2つなのか。
それともこれらを1くくりにまとめ節分に鬼が来て泣かせることを合わせて2つなのか。

先制に言うよ、ということに関しては私はプラスの意味もあると思います。
何も悪いことをしてないなら先生に言われても平気だから胸を張っとけばいいのですから。
教師もきちんと勉強し経験を積んでいますので無罪で叱ることは意図的にしないでしょう。
また「先生! 〇〇ちゃんが~!」と毎度のように言う子はきちんとチェックして真偽を確かめたり、まずは自分で気持ちを伝えるように促すのが基本です。
大人になれば警察なんかに言うよ~! 状態の監視下にあるとも言えますから今から不必要にびくびくすることもないと学ぶのも悪いことではありません。
ただその気持ちにもっていくには工夫と努力が要ります。
まずは目の前の大人が悪いことをしてないならびくびくしない姿を模範として見せることが大切です。

卒園できないかもよ、は正直使う教師も結構います。
ただそのあとフォローを入れるかが大切です。
叱ったことをそののちキチンとできた、もしくは優れたところを見せた場合「やっぱり大丈夫だね!」
と気持ちを支えてあげることが必要です。
ダメなものはダメというけど良いところもちゃんと見てると子どもが感じることができれば指摘されたことを直し良いところは伸ばそうとします。
何のフォローもしないと子どもは指摘されたことを消化できずもやもやしたまま家に帰ることになります。

子どもを鬼に扮して怖がらせる、というのは日本の伝統でもあり世界中に同じような文化があります。
実は秋田のなまはげも虐待だからと辞めるように圧力がかけられています。
ですが子どもを研究する人たちの中には近年若い世代に倫理道徳が欠けていっているのは「自分=神」のような考えが広がってるからだという方がいます。
少子化もあり大事に大事に育てられすぎてわがままになり社会性が育たないのは確かに見られます。
以前は空から神様が見て、太陽が常に行いをチェックし、悪いことをすれば閻魔さまや鬼がお仕置きするという風習で高い規律・道徳・倫理を日本社会が持っていました。
親世代が教師や警察をあなどり鬼や地獄なんてないと笑ってしまうことで子どもたちは社会や大人を軽く見て好き放題する、というのは筋が通った説です。
これもやはり身近な大人が模範となる生き方を見せ手本とならねばなりません。
例えば信号無視をしている大人が子どもに「ルール守れ」と言っても説得力がない、極端にえばこういうことです。

ただ鬼の電話みたいなアプリに子育てしてもらうのはもうだめだと思いますね。
そんな育児力もないのに親になってしまっては子どもがかわいそうです。
叱るにしても最近よく見るのが「ほら、あの人が起こってるよ」とかいう親たち。
自分が良くないと思うからきちんと正すように伝えることもできないのかとあきれてしまいます。
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この回答へのお礼

鬼が来るよと卒園できないかもよ の2つです。
卒園式の練習の時に「まだみんなは卒園出来るかどうかわからない
んだよ」という風に言われたみたいです。
なので、何か良くないことをしたからという状況ではなかったようです。
子供は本気にして不安がっていました。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/22 21:13

私も疑問に思うタイプの指導ですね…。


「○○をしたから××が無い(出来ない)よ」とか「そんなことをすると○○に怒られるよ」とかですよね。

素直な子どもは確かに「そんなのしたらダメだよ!せんせー!」と言うことはあるでしょうけど、大人は
「なんでこうしたらダメなのか」「こうしたらこうなるからしてはいけない」
「先生やおうちの人と一緒なら安全だから出来るよ」と
「なんで」を伝えないといけないと思うんです。
(うちの保育園でもそういう方針ということを懇談会で教えていただき安心しました)

確かに子どもからすれば悪いことをしたら鬼が来るかもしれないし、いい子にしていればサンタさんが来る(という想像の)ドキドキの世界ですし
卒園出来ないよ、という表現も、小学生にはなれないんだ、と不安に思うでしょう。
その時の理由をきちんと子どもに理解出来るよう説明していたのかどうかから聞いてみてはどうでしょうか。
「なんで?」「どうして?」を聞いてから、納得いかなければこうした方がいいと思うんです、と意見を伝えてみるといいと思います。

私ならこうします、という意見になってしまいましたが参考になればと思います。
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この回答へのお礼

この前この話を聞いてから子供の口から話題にのぼることは
ありません。
こちらから蒸し返すのも良くないので、また出てきたら子供に
聞いてみようと思います。
子供たちの気持ちを一番に考えてくれる幼稚園だったので、
きちんと説明されていたとは思う(思いたい)のです。

ありがとうございます。

お礼日時:2015/05/22 21:05

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