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徳川秀忠は父・家康が建てた江戸城を16年で建て替えたそうですが、建築材料はどうしたのでしょうか。
ほぼ全て新しく調達したのか、それとも家康が建てた江戸城の材料を再利用しているのか、どちらでしょうか。

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A 回答 (3件)

秀忠将軍の元和期における江戸城修築の史料を追っていくと、先ず、元和5年、幕府は、上総の土屋利直に助役を命じたこと、薩摩の島津家久と、土佐の山内忠義等が、木材及び石材を、幕府に献上したこと、などの記事が見え、修築記事はここからから始まることがわかります。



その後、元和8年に、完成した本丸御殿へ秀忠が移り、同じく新造の北の丸御殿に、忠長が移るところあたりまで、修築記事の史料が続きます。

それら史料を見てみると、多くの大名が、木材・石材を新規に切り出して幕府に献上、幕府自身もまた、直轄地から建材を新規調達している、などのことがわかります。

つまり、一部に古材のリユースが行われたのかもしれませんが、少なくとも大部分は、木材も石材も、新材だったと推測できます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり、秀忠のときは大部分を新規で揃えたんですね。

再度の質問で申し訳ないのですが、そうだとすると家康の作った初代江戸城の建築材はどこにいったのでしょうか?
初代江戸城の天守は大阪城の天守の3倍の体積があったそうなので、それだけ大きな建築材を使える建物はかなり限られてくると思うのですが。

お礼日時:2015/06/02 19:56

家康の前に、かなりボロいですが、江戸城そのものはありました。


家康さん、ケチで最低限の改築しかしていないでしょうから、
建て替えというより、増築でしょう。
自分で調達というより、各大名家に負担させるので、資材の再使用で予算を抑える必要はなかったかと。
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この回答へのお礼

太田道灌の時代から江戸城があったことは知ってますが、家康の江戸城はそれとは全く別次元の規模、豪華さの城でしたよ。
増築なんてレベルではなかったと思います。

秀忠は家康の江戸城を築15年で解体して、それを上回る新しい江戸城を建てたわけですが、さすがにそれだけの負担は諸大名に負担させるとしても厳しいのではないかと。

お礼日時:2015/05/31 21:35

この前、テレビでやってましたが、



利用出来るものは、再利用してたそうですよ。

NHKの歴史もの番組でした。
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この回答へのお礼

おそらく「歴史秘話ヒストリア」のことだと思いますが、家光は建築資材を再利用したとのことですが、秀忠についてはそういった説明がありませんでした。
また、建築の期間も秀忠のときは家康と同じく1年かかっているそうです。

なので、どうったのかなと思い質問させていただきました。

お礼日時:2015/05/31 21:26

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