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※以下、書籍の「夢を叶えるゾウ」のネタバレが多少含まれます。


本棚に仕舞ってあった「夢を叶えるゾウ」を久しぶりに読みました。
「やりたいことで認められたら、人生が変わる」「やりたいことは幼少期の頃、夢中になったことに手がかりがある」と(私の受け取り方なので実際は少し違うかもしれませんが)書いてあり、ぼんやりと自分の「やりたいこと」について考えてみました。「これ一本で食べていきたい!」とまでは思いませんが、自分が好きな分野で他人から評価されるのはとても幸せなことだろうなと思いました。

幼少期好きだったことを思い出すと「絵(イラスト)を描くこと」と「本を読むこと」でした。この2つは暇さえあれば行っていた記憶があります。高校生くらいまでは、将来の夢はイラストレーターでした。しかし教師や親に「お前は才能がない」と大反対され、一時はその反対を押し切ろうとしましたが、自分より年下で絵が上手い人間が沢山いる現実を知り挫折しました。今でもたまに絵は描きますが納得のいく出来ではなく、書き上げる度に「下手だなぁ」とテンションが下がります。よく「向いている人は、上手くいかなくても辛いと感じない」と言いますが、私はそれに当てはまりません。毎日絵の練習をしても力量が上がっているのを感じず、大体半年ほどで嫌になってしまいます。

もう一つの方ですが。元々児童書は読んでいましたが中学一年の時に初めてライトノベルを読んで、その作品の世界観に衝撃を受けて「私もこんな小説が書いてみたい!」と強く思いました。その後は絵を描きつつ、そちらが飽きれば小説を書き…という形で作品を作っていたのですが。私の書く小説は周囲から不評で「全然面白くない」「インパクトがあるだけで中身がない」と散々なものでした。私の同級生(そこまで親しかったわけではないですが)に作家デビューして現在も活躍中の子がいます。彼女の作品は世間で高評価を得ており、同じ歳でも力量に雲泥の差があり勝手にショックを受けています。在学中に彼女の作品を読んだことはありましたが、ここまで力があったとは当時思いませんでした。

誰に迷惑をかけるわけではないので勝手にやればいい話なのですが、これまで受けた評価からなかなか応募しようという気持ちが湧いてきません。でも反面「このまま何も挑戦せずに死んだら後悔しそう」という気持ちもあります。何かの分野で花開く人って「私って才能ないかも」なんて思わないのでしょうか?不安を感じず、飽きることも無く突き進めることが「才能」なのでしょうか?
何かの分野に挑戦したことがある方…夢を叶えられた方、または諦めた方。あなたはどうでしたか?漠然とした質問で申し訳ないのですが、みなさんの考えをお聞きしたいです。

A 回答 (5件)

鉛筆を持ち出した頃から絵を描き続け、絵の学校に行き、現在建築系のデザイナーです。


高校までは寝てても美術の成績は良かったが、その先の専門学校(美大に落ちたのね)では
ちょっと飛び抜けてる人が集まるから段違いに上手い人はたくさんいて、私は人並程度に埋もれました。
でも1日中絵を描けるから別に良かったんだな。とにかく絵を学びたかったからな。
で、デザイナーってのはボツを食らいまくる仕事なんだな。
ある企業のロゴを200回以上作り直した事もあった。

10年以上やってて評価らしきものをもらうようにはなったが
私が求めているのは自分の理想であって、他人のその場限りのいい加減な評価ではない。

あなたは褒められる事を求めているからすぐに嫌になるのでしょう。
>これまで受けた評価からなかなか応募しようという気持ちが湧いてきません
>このまま何も挑戦せずに死んだら後悔しそう
それだけ?好きじゃないのかい?褒められるためのネタでしかない?

>「私って才能ないかも」なんて思わないのでしょうか?
思うに決まってる。いつでも捨てる程アイデアが湧くわけではない。
>飽きることも無く突き進めることが「才能」なのでしょうか?
行き詰ったと感じて他の事をしようなんてのも考える。結局他にやりたい事がなかったりするけど。
そこまで猪突猛進な人ばかりじゃないとは思うけど、褒められる事ばかり考えていないのは確実でしょう。

作家デビューした友人は褒められたくてやってるわけではないでしょう。
評価は後からついて来ただけですよ。
あなたは結果だけしか見ていないようですね。友人がどんなに努力していたかは見ていないのでしょう?
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この回答へのお礼

幼少期の頃は純粋に書くことが好きだったと思うし、それに親や教師が褒めてくれたので余計嬉しくなってやってました。でもどんどん上手い人は現れて誰も私が書いたモノには目もくれなくなり「そんな下手な作品、よく他人に見せられるね。恥ずかしくないの?」と言われて。今は純粋に好きかと言われたらそうではないと思います。嫌いにはなってませんが、他人の評価は気になるし。自分が納得のいく出来じゃないと、他人に見せてはいけない気持ちになっています(そもそも他人に見せる前提なのが間違っているのかもしれませんが)でも「作ること自体がもう好きじゃない」なら私は見て楽しむ側にいるべきで、作る側に回るのはおかしいのではないかと、doorakanaiさんの回答を見て思いました。

質問に書きましたが、作家デビューした方とは実はそんなに親しくないです。作品を作っていることは誰にも言ってなかったみたいで、デビューが決まってからその子がプロを目指していたのをみんな知りました。それまでどれだけ作品を作っていたかは知りません。でも人に見せなかっただけで努力をしていたのだろうとは思います。

お礼日時:2015/07/05 00:26

夢を叶える才能は継続する力です。


誰に何と言われても、自分の意志を貫いて夢に向かって努力することを継続すること。
今は下手かもしれませんが、努力を継続することで変わっていきますよ。
心が折れそうになったら、今ではなく先を見ましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/05 00:14

どんな分野でもプロになれるのはほんの一握りの人だけですよね。

イラストレーターの益田ミリさんは大阪でOLをしてたのですが、仕事をやめて上京して、作品をもってあちこち売り込みに行ってチャンスを掴んだんだそうです。本人に自信があったのか、不安はなかったのかまではわかりませんが、どんなに才能があっても行動に移さなければなにもはじまりませんし、質問者さんの書くものも、どこで拾われるかもわかりません。作品があるなら、応募してみればいいと思います。ダメでもともとなのです。
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この回答へのお礼

有難うございました。駄目で元々ですね

お礼日時:2015/07/05 00:14

私の友達の友達がイラストレーターでした


才能がないことを悩んでいましたが
自分でできることはしていました
お金を貯めては本物を見るために世界中の美術館にいきました
自分は才能がないから努力で補うしかないと目を肥やすことに努力しました
今ではグラフィックデザイナーとして頑張っています
収入的には同じ年の平均収入の3倍以上だそうです

他の人の話ですが
その人に教えてもらった事ですが
チャンスは誰にでも訪れる
しかしチャンスが巡ってきたときに
そのチャンスを活かせるだけの自分でないためにチャンスを逃がす
いつ巡ってくるかわからないチャンスであっても
巡ってきた時に活かせるように最善を尽くし努力することだと言ってました

質問者様は他人と自分を比べるばかりで勝手に劣等感だけ覚え
自分がしなければならないことを見失っているように思います
足らないことがあれば他で補えればいいんです
補うための努力本当にしましたか?
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この回答へのお礼

>いつ巡ってくるかわからないチャンスであっても
巡ってきた時に活かせるように最善を尽くし努力することだと言ってました

この言葉、参考にさせていただきます

お礼日時:2015/07/05 00:14

熱意でしょうね。

これがあれば、どこにでもチャンスがあると思います。
だれにでも、ガウディやジュジアーロ程度の才能はあります。
ただ、継続ができないだけとおもいます。
常に自分だったらこの場こういうデザインをするとか、
何度も繰り返せば、夢はかなえられると思います。
でも、3Dプリンタが、だれにでも使える現在。
まずは使いこなしてみれば?
美しいもの、かっこいいものの概念は
人類共通と思います。
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この回答へのお礼

有難うございました

お礼日時:2015/07/05 00:13

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