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とあるHP。
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 元々創造主であるあなたが創造主に戻るのは簡単です。今あなたが触れている環境、今あなたの目に映る全ての映像、あなたの体験するあらゆる香りや感触、その全てを生み出したのは自分であるという考え方を受け入れた人が創造主です。この考えを受け入れたとたんに覚醒が起こり始めます。新人類の意識です。
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/30souzousyuhe.htm
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っとあります。
私が創造主で、時間と空間を作っているのですか?他人をも?

つまるところ・・・・

>今あなたの目に映る全ての映像

っとあります。

これって、私の、目=映像のことですよね?

それを、私が潜在意識?で、創っているということなのでしょうか?

そうなると、他人は、私が間接的に、創っているということなのでしょうか?

つまり、他人は意識のない、ロボット人間なのではないでしょうか?

・・・・

でも~?
他人も、私も、人間の脳がありますよね?

脳がある=思考がある=全ての人間は考えて、生きている=ロボット人間ではない
=他人も私も意識がある=独我論はウソ、、、

ってなりませんかね?

それに、私も、他人も、

「明らかに、生きているように見える」わけですよ?

笑ったり、泣いたり、、、、感情も、私も、他人も、みんな、

「完璧にあるように見える」わけです。

独我論なんて、ウソっぱちでは?

ちゃんと、みんな、私も、他人も、同じ、人間としての、体があるわけですし。

心臓もあるだろうし、肺もあるだろうし、脳もあるだろうし。(観測では、体の皮膚だけでなく、内側も確定されているのでしょうかね?量子力学。)

どーーーーーー、考えたって、他人も、私も、生きているように見える、、、わけですよ。。。

独我論なんて、、、ただの、考えすぎた人の、ただの、妄想ですよね?


そうなってくると、

http://www1.ttcn.ne.jp/turu/30souzousyuhe.htm

ここのオカルトの人の思考は、完全に、間違っていて、
全ての記事が、間違っている、ってことですよね?

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A 回答 (6件)

そうとも言えます。

この世の中の事象はその存在を知覚される事によって初めて在ると認識されます。したがって誰にも知られることのない事象はその存在は無と同じです。
あなたの周りの事象もあなたが注意を向けないことは、たとえ客観的に存在していたとしてもあなたにとっては存在していないと同じです。人間は自分が知覚できる意識の世界で存在しています。したがって隣の人と同じ世界であるとは限りません。それぞれがそれぞれの世界を作り上げて生きているのだとすると、それが独我論に発展しても不思議はありません。
客観的存在などあなたが知覚出来ない限り、あなたにとって何の意味もないのです。
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全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に


詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなる。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に
認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動(時系列化=
プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、
相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用
パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)として
の宇宙を認識するのだ。

そこにおける「自我仮説(時間の流れ=記憶=過去=超光速)
と空間仮説(空間の広がり=予測=未来=光速下)の、無
(=不確定性無限)の潜在的認識可能性(感受表面での量子
相互作用=現在=光速)からの相補分化(階層的現象を経験
によって表面的に捉える事による非光速性の派生)」において、
昨日の自己も離れた他人も、同じ「認識可能性」として等価
であり、過去の自己を自覚化するという精神病と他人を自己
と同様に愛する事は同一である。
認識体は常に、認識できる環境を認識するのだ。
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その新人類の意識は自然を征服した感なんですよね。


感覚や認識が自らを順応させることとは逆なので
良心の呵責も、自然と肉体的調和も希釈されていきます。
全て完璧なのであり、疑うことをもはや失くし、
そして十全から精神や肉体の進化が止まる。
つまり「生きるに値せず」なのかもしれませんよ。

人によっては廃棄物になったり、
邪魔でなければ信仰の対象になれたり。
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その「とあるHP」に書かれていることはそれでいいのですが、それを真剣に考えても何も生まれないでしょうね。


といいますのは、そのHPの内容は一般の人には何も当てはまらない夢のようなことだからです。
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ネットが普及すると、情報量が増え、真実の探求が進む、期待した者もいたようで゛すが。


情報量の拡大=情報の質の低下 となっているようです。空想、妄想、と現実の区別がつかない、若者の増加、言われだして久しくなりますが。最近は、真実の消滅む、が言われだしているようです。あるネットの創始者が、これで膨大な百家辞典が造れる。と考えたが、すぐにそれわ考え違い、真実と定義出来るようなものはない。間違いを含んでいても、列記し、読む者の判断に委ねるしかない。と気づいたようです。もはや、言う事が当てにならないどころか、映像を見せられても、それが造られた映像かどうかさえも解らず、議論している。ような状態でしょう。そのうち、臭いやフェロモン付き、立体映像が届くかも知れません。
現代の思想(日本人などの)原典は、古代ギリシャ哲学あたりに、ありそうです。古代には、現代人の思想、心の機微などは、中国の諸氏百家と言われる、春秋戦国の時代に出尽くしている。と言われ。それに、古代インド哲学、そ上に、釈迦の哲学?があり。西洋のユダヤ教キリスト教思想などの比ではないのです。
古代ギリシャの3大哲人に切り口を当てると。
有るものを有るがままに見る者は、思惑愛好家、ではなく、愛知者、と呼ぶべき者達、では無いかね。
とソクラテスが言った。とプラトンが書き残しています。ないものを有るといい、信じる。思惑愛好家、とは
誰のこと、何の亊、を言っているのか。まずはスタ-ト、かも知れません。
次にプラトンがソクラテスの弟子を自認するなら。その考え方は、有るものを有るがままに見る亊は出来ない。との考えに行き着く筈です。人間の認識は概念の構築である。概念は個人の認識であり、真の姿、エイドス(実相)
と一致しない。実相と一致する概念、これをイデアと考え、エイドス=イデア エイドス×イデア=イデア界 を考えたのが
プラトンの思想のようです。釈迦の知恵、真実の世界、この世、に対する、かの世、の概念が近いかも知れません。
「有るとは方向性がある亊」東洋思想、釈迦や老子の考え方を思わせる言葉ですが。
カントやサルトルの書にもあり、元は多分?アリストテレス、でしょう。有るとは、変化、差異、が起こることによって、有ると認識される。物のは、変化差違を起こす、能力方向性が、その属性、として付随している。実相を定義し概念を統一する亊は出来なくとも、属性を求め定義すれば、概念の統一が出来る。すべての人が同じ認識を持つ亊が可能である。アカデミ-学舎を創設し、ギリシャ哲学を、学門、として体系化した。ギリシャ哲学の完成者であり、後に
マルクスがが、知恵を台無しにした。と「形而上学批判」で言うように、ギリシャ哲学に終焉をもたらした。
アリストテレス以後、西洋に哲学者と言えるような人物は登場することはなく。パンと娯楽、パンとサ-カス、などと言われる。ロ-マ帝国の繁栄=堕落 の時代に、神の子を名乗り、神と愛、による概念の統一を唱えるユダヤ教の青年の教えが広まり。キリスト教の誕生、ユダヤ思想の復活(思惑愛好家、がユダヤ人、ユダヤ思想を指していたなら)となります。
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独我論のつよみは そのような反・独我論については わたし(=独我論者)がその見解を認識したときに 仮象としてでも 現実となるに過ぎないと答弁することができると思っているところにあります。

わたしが認識しなければ 何ごとも屁の河童だと余裕こいて言っていられると思っているらしい。

 あとは 何ごともすべて無に還元されるものだから 仮象であるに過ぎないと言うと思います。

 ところが じつは 独我論者は その主張が人びとのあいだに普及して欲しいと思っている。つまりは 共生論です。共我論です。

 さもなければ われわれから見れば 宇宙のごみ屑としてそのまま一生を過ごせばいいと言ってやることになる――しかない。

 わたしは独我論をとなえているが 人びとに分かってもらおうとは思っていないと言う場合のみ 独我論がかろうじて生き長らえる。良心・信教の自由は 保証されています。
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