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芥川龍之介の「芋粥」を勉強している外国人です。
わからないところがあるので、質問します。

①年かさの同僚が、彼れの振はない風采を材料にして、古い洒落を聞かせようとする如く
ここの「古い」は、oldという意味ですか。新鮮ではない、という意味ですか。

②彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。
「彼等の知らない誰かが――多数の誰か」は、誰でしょうか。

③痩公卿の車を牽ひいてゐる、痩牛の歩み
「痩公卿」と「痩牛」は、文字通り、痩せる公卿と痩せる牛のことですか。

④唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩く
辞書で「ものほしい」を調べると、「何か欲しい」という意味らしいですが、五位は何を欲しいですか。(「芋粥に飽かむ」ことが五位の唯一の欲望だということはわかりますが、どうして芥川龍之介さんがここで「もの欲しさうに」と書いたのかはわかりません。)

⑤東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方、比叡の山であらう。
「山の肩が霜で凍る織物のように、小さな丸い凹凸があって、その高くなっている部分が比叡の山かもしれない」ということですか。

⑥山の陰に消残つて、雪の色も仄に青く煙つてゐる。
「溶けていない雪が山のshadowに残って、青い煙が出っている」ということですか。

⑦狐が、走れなくなるまで、追ひつめた所で、それを馬の下に敷いて、手取りにしたものであらう。
「狐が疲れて止まるまで追い詰めた所で、馬の脚で狐を踏んで、それをつかめる」ということですか。

⑧急に、すべてが陽気になつた。
楽しくなった、ということですか。

⑨前にあるのは、銀の提の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。
ここの「のに」は逆接ですか。あくまで自分の推測ですが、一斗だけ(とはいえ、一斗=18.039リットルの量も恐ろしいと思いますが)の芋粥が海のように見えるのは、五位がもう芋粥を飲みたくないから、と思いますが、間違えば教えて下さい。

よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

1、ここでの「古い」は「言い古された」の意味かと。


2、その場にいない、姿のない第3者。⇒この話での一番の肝です。
3、文字通り「やせた公家」=「貧相でみすぼらしい」者が乗る車を「やせた牛」=「公家の車を引くのは、本来ならば、堂々とした体格の牛なので、更にみすぼらしい」と言うことです。
4、「もの欲しさうに」は「左右を眺め眺め」にかかっているので、「物欲しそうな目つきで左右を眺めながら」という意味です。
5、「東山」と「比叡山」の位置関係で、京の町中から手前に見えるのが「東山」の「暗い緑」で、その向こうに「霜に焦げた天鵞絨のやうな肩を、丸々と出してゐる」=「きらきらと艶やかな濃い緑の峰をこんもり丸く見せている」のが「比叡山」であるのです。
6、「溶けていない雪が山のshadowに残って、ほのかに青く煙っている」
7、「狐が(疲れて)走れなくなるまで追い詰めた所で、馬の脚で狐を踏んで、狐を手で取り押さえたのだろう」
8、「楽しくなった」でもいいとは思います。「明るくなった」も可能かと。
9、「銀(しろがね)の提(ひさげ)」に「一斗」ぐらい入る「器に」なみなみと海のようにたたえた、恐るべき芋粥。であって「の」は、「器」が省略されているだけかと… ただし、「五位がもう芋粥を飲みたくないから」そう見えた可能性はあります。

元々の原点である「今昔物語集」では「利仁」の「豪勢な生活や力」に恐れおののく五位を描いているのですが、芥川はこれを「五位」の「立場から描写」に変え、五位が「芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な」自分を自覚することで「相反する思いを、人は抱くものだ」と描いているのだと思います。

http://novelu.com/imogayu/#3a
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この回答へのお礼

suzukoさん、わかりやすく教えてくれてありがとうございます。

お礼日時:2015/07/16 18:04

1.


この部分は何を言いたいかいうと、若者から年配まで、彼の周囲の人間が (その人なりのやり方で)五位を侮辱していたということです。五位は後で、子供にも子供らしいやり方でバカにされることになりますね。
"古い"の意味については、年配の人の言うことだから それなりに古い、という程度で、厳密な意味にこだわらなくても問題ないと思います。


2.
「彼らにいじめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない」

という部分の意味ですが、これは彼らが職場で 五位以外にも特定の人物を虐めていた、ということではありません。

これは、"五位が 世の中の不特定多数の人たちを代表している" ということを言っています。
五位をいじめれば、五位を通して その不特定多数の人間をも侮辱することになる、ということです。

また、日本語の意味として、知らない人の中に、彼らを責める多数の誰かがいる、という意味でもありません。
なので、誰 と特定することはできません。

もう少し読み進めてみましょう。

「(その不特定多数の人たちが、五位の)顔と声とを借りて、彼らの無情を責めている」

という部分は、彼らのことを実際に非難する人が どこかに存在すると言っているわけではないのです。
少しわかりにくいですが、どういうことかというと、虐めている自分への非難を、彼らは 誰かに指摘されるわけではなく 自ら"自覚する"のです。

ご質問の答えは、その後の "丹波から来た男" の気持ちとして書いてあります。
この男と、虐めている彼らの気持ちは、その気持ちが長続きするかどうかが違うだけで、内容は同じだからです。

「彼らの知らない誰か、多数の誰か」
というのは、
「世間の迫害にべそを掻いた"人間"」のことです。虐めている彼らは、五位がこの人たちのことを代表している、と感じるのです。

しかし、実際に"彼らの無情を責める"のは、あくまでも "虐めている彼ら自身" が、"自分の内にある声" として感じるのです。

五位の顔と声とを前にしたとき、みんな
「世の中のすべてが本来の下等さを顕すように感じ」ます。これは、
虐めている人間が、"人間である五位"を通して自らの下等さを自覚するということです。

五位は "一切の不正を不正として感じない程、意気地のない臆病な男" であり、"腹を立てたこともない" のです。
不正であり下等なのは 虐めている側の自分なのであり、責められるべきなのも まさしく自分なのだというのを 彼らは (一瞬だけ)自覚するわけです。


4.
もの欲しそうに、と書いてありますが、五位が実際に何かを、欲しいかどうかは 確かに書いてありませんね。

ここで書かれているのは、五位がここまで馬鹿にされ蔑まれているのはなぜか、ということです。
「通りすがりの物売りまで馬鹿にするのも無理はない」 のはなぜでしょうか。

物語の最後に、この時の五位は 「飼い主のない むく犬」のようだった、と書いてあります。

しかし、や芋粥に飽きたいという欲だけをもって、幸せであったとも書いてあります。彼の欲は それだけであり、その他は持っていなかったのです。彼は不幸を感じてはいませんでした。

ここで作者が表現したいのは、五位が 普段通りに振る舞っている時でさえも、いつも飼い主のない、飢えた野良犬のように貧相で みすぼらしかった、だから皆が彼を蔑んでいた、ということであって、実際に五位が何かを欲しがっていたと いうことではありません。



---



風景などの表現に関しては、絵を見るのと同じく ご自分のイメージを大切にして読まれるのがいいと思います。
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この回答へのお礼

moovestさん、教えてくれてありがとうございます。とても助かりました。m(__)m

お礼日時:2015/07/16 18:05

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