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人を殺すということを償うには、自分の命を捨てるしかない。そう思います。
殺人を犯した人間が得をする今の世の中は間違っているというよりは、狂っていると思います。
もしも自分の家族が殺されて、殺した本人が釈放されたのちに結婚したり、子供ができたりとかで幸せになっていたら、僕だったら我慢できません。
結局は死刑廃止派の人たちは被害者の心の傷を無視して、命を尊ぶ自分カッケーなやつらです。
そして、いざ自分の方にそんな不幸が訪れるとすぐ手のひらを返して死刑賛同派になる。
全くもって気持ち悪いですね。
死刑廃止派は殺人者と同等に無価値だと僕は思っています。

そこで質問です。私は高卒で馬鹿ですが、有識者の皆様は 命を命で贖うことについて 哲学的見地から いかが考えですか?

A 回答 (13件中1~10件)

死刑廃止は、冤罪回避ですよね。


冤罪により失った時間は取り戻せないですが、命まで失ってしまったら
無実の人が死ぬように追い込んだことになります。

つまり新たな殺人が行われてしまうと言うことです。

冤罪だと分かった時、冤罪をきせられた人の為に
次は誰が死刑になるのでしょう。

裁判長? 裁判員に選ばれた一般の人? 死刑執行に判を押した大臣?
死刑支持者の誰か? それともスイッチを押した被害者の家族?

もし、あなたの家族が逮捕され冤罪で死刑になったとします。
そうなった時、気持ちのやり場はどこでしょうか?

そういう事が誰にでも起き得るので、廃止は常に話しに上がります。


憲法は、恨みを晴らす「仕返し」として
定められているのではありません。

仕返しであれば、日本も中東のように仕返し合戦
つまり内乱が頻発し、常に暴力により罪のない人が殺されるのです。
仕返しの発想でしたら、必ずそうなって行きます。

仕返しを多くの人が取り入れて行けば、争いは絶えません。
そういう世界に住みたいのか? が問われてしまいます。

仕返しは、暴力が次の暴力を生み出します。
それを真摯に考えて生きなければ
日本も暴力が日常的に行われた時代に逆行してしまいますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>裁判長? 裁判員に選ばれた一般の人?
死刑判決が出るには 裁判員が6人いるとして 最低 そのうちの4人が死刑の判決を出しているはずです。そして、その4人の中から抽選で一人選んで 安楽死してもらいます。
つまり、どんな悪人にでも命にはそれなりの重さもあるわけだし、ましてや、冤罪は絶対にあってはならないこと。ですから、死刑を出すからには それなりの責任と覚悟が必要なのではないかと。それと、司法への信頼も裁判員に判断を仰いでもらうのはどうでしょう?

お礼日時:2015/07/17 05:42

>それでこそ民主主義じゃないかな?



すると、

>命は命で贖うべき
>殺人を犯した人間が得をする今の世の中は間違っているというよりは、狂っていると思います。

民主主義によって人を殺しても死刑ではなくなる判決が増えるんだから納得するしかないですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>民主主義によって人を殺しても死刑ではなくなる判決が増えるんだから納得するしかないですよ。
それでもいいんじゃない? 死刑賛成派でも 死刑がなくなるより民主主義がなくなる方が困る人は多いと思う。

お礼日時:2015/07/18 17:13

>死刑の判決を出した裁判員にやってもらえばいいんじゃないでしょうか?



悪くないけど死刑判決が出にくくなるのは想像できますよ。
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この回答へのお礼

>>12
それはそれでいいんじゃない? 国民の意思を 120%反映させて、それでこそ民主主義じゃないかな?

お礼日時:2015/07/18 13:28

私が言いたいのは死刑を肯定するなら殺す覚悟がいるんじゃないかってことです。


この種の議論にはいつもこれが抜けていると感じているわけです。
死刑廃止派と同じように殺す覚悟がない死刑肯定派もある面で無責任さを感じますね。
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この回答へのお礼

>私が言いたいのは死刑を肯定するなら殺す覚悟がいるんじゃないかってことです。
そうです。だからこそ 私は遺族が適任者だと思ったんです。ところで、https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4721303.htmlの質問では 私は hakobuluさんの考えに近いです。ただ、わざわざ 国民から 執行人を選ばなくとも 死刑の判決を出した裁判員にやってもらえばいいんじゃないでしょうか?

お礼日時:2015/07/18 12:13

>それなら、被害者遺族が適任者でしょう。



そうとは言えないでしょう
主婦がスーパーで豚肉を買いました。
の適任者はその主婦ですかね。
死刑にしてくれと、処刑させてくれは違うと思いますね。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>主婦がスーパーで豚肉を買いました。
これは話が飛躍しすぎだと思いますよ。人間の命を豚の命と同格に扱うのは いくら何でも無理があるでしょう。

お礼日時:2015/07/18 11:19

No4です。


お礼を拝見して、自分でなるほどなぁと思いました。
確かに私は、死刑を除草剤のようなものとして考えていると言って差し支えないと思います。
必要なのは、むやみやたらに除草剤をまくことではなく、本当に除草剤が必要なのか?またどのくらいの量の除草剤が必要なのか?その見極めと、
そして大切なものを枯らさず排除されるべきだけを排除する除草剤の開発です。
きっと完璧なものは完成せず、ずっと試行錯誤(と言えば聞こえはいいですが、迷走)を続けるのでしょう。

質問者さんは、質問からしててっきり死刑をどんどんしろ!という考えの方なのかと思っていましたが、お礼を見ておや?と思い、改めて質問を確認したところそうでもないのですね。
現行が正しいとお考えで、死刑廃止を訴える人を非難したい、ということでしょうか?
私個人的には、を本人に伺った上で、きちんと考えてらっしゃるなら「私はそうは思わないけどそう考える人間もいるだろう」あるいは「確かにそうだ、私もそう思う」と思うのだと思います。直接お話したことはありませんが。
「死刑廃止を何故唱えているか、死刑を廃止しないことに対するリスクをどう考えているか」をろくに考えもせずただ「残酷だから」「命を奪うのはいけないことだから」と言うだけならあなたのおっしゃる通りどうかと思いますが、頭ごなしに気持ち悪いとは思いません。

ちなみにいまさらですが私も高卒です……質問者さんの求める回答者ではなかったですね。すみません(^^;
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

すみませんでした。質問でも書いたことは 必ずしも私自身の考えではありませんでした。結局のところ、私も何が一番正しいのかは分からないんですよ。
でも、いつも同じ視点からの質問からは 回答の方向性も決まりがちなので 多角的な見方がしにくくなります。

そうですね。私は どっちかと言うと 反対派の方の意見が欲しいんです。でも、
こういうサイトは同調的よりも反論的な回答が集まる傾向にあります。

お礼日時:2015/07/17 21:07

No.7です。


蛇足です。


>日本なりに「健全な社会の構築」を考えた上で、現在の死刑制度があるのです。

と、言いましたがこれは内政問題に関しての事です。
国際問題に関しては、「日本なりの考え」ではなく、「国際法」に照らし合わせて考えないといけません。

例えば、最近話題の安保法制に関しては、自民党は戦略ミスをしました。
野党や憲法学者は「日本なりの考え」という日本国内の価値観の問題としてこれを違憲と主張しました。

自民党は国際問題としてこれを、国際法を基準に議論すべきでしたが、野党や憲法学者が言う日本国内の価値観で戦ってしまい、船田事件(長谷部事件)に至っては、国際法を理解した人を入れるべきが、宗教価値観のようにガチで国内の価値観に染まった人を入れると言う途方もないミスをしました。
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「ヨーロッパ人の言う~」の説明を入れたら長くなってしまいました。


時間がある時に読んで下さい。

>命を命で贖うことについて 哲学的見地から いかが考えですか?


哲学的見地からなら、良いのでは。
同じように、哲学的見地から「冤罪を防ぐために死刑を廃止すべき」と言う意見もあります。


両方とも哲学的知見です。
ただの思想です。


「ヨーロッパ人は、冤罪が理由で死刑を廃止した。」と言うのを鵜呑みにしている人がいます。
彼らの言葉を鵜呑みにしてはいけません。これ、ただの建前です。哲学的知見です。思想です。
目的を実現するための、手段として用いているだけです。

死刑廃止国のヨーロッパ諸国でも、「有事の際の敵前逃亡は死刑」。
これを採用していない国は、探すほうが大変です。

つまりヨーロッパでは、殺人などの凶悪犯者は死刑にならないのに、人を殺す事が嫌で逃げ出した兵士は死刑になるのです。

「目的」として、「冤罪を防ぐために死刑を廃止」というなら矛盾します。
敵前逃亡犯の判断にも、冤罪が100%ないとは言い切れません。目的が冤罪による死刑を倫理的にゼロにするというならば、「有事の際の敵前逃亡は死刑」も、廃止しなければなりません。しかし、それは彼らは絶対にしません。あくまでも手段であって、目的ではないからです。





あなたの、「命を命で贖う」というのも、「目的」であれば、矛盾します。
何故なら、死刑執行の際も、犯罪者とはいえ執行者が命を奪っているので、その人も命で償わなければなりませんし、業務上過失致死傷罪も死刑を適用しなければなりませんし、有事の際の自衛隊員が敵を殺した際も、そのつど自衛隊員は死ななければならなくなります。しかし、手段として用いる場合は矛盾しません。



日本人(特に朝日新聞、人権派の弁護士や東大憲法学者と、それに影響された人)は、ヨーロッパ人が言う手段を、「目的」として勘違いしてしまう癖があります。「冤罪が理由で死刑を廃止した。」と言われれば、それを鵜呑みにして猿真似しようとする。「人権は絶対大事」と言われれば、人権を守る事が「目的」と勘違いして盲信してしまう。

彼らが言うのは、あくまでも手段であって、「目的」ではありません。本当に目的なら、「有事の際の敵前逃亡は死刑」も冤罪の懸念により廃止しないといけなくなりますし、「人権は絶対大事」なら破壊消防も許されません。




彼らのいう事は、あくまでも「手段」なのです。
目的は、「健全な社会の構築」です。「健全な社会の構築」のためならば、死刑をしても良いし人権も制限しても良いと言うのが彼らの本音です。そして、それは現実問題として必要です。



ヨーロッパでは一般人に対する死刑の適応は廃止されましたが、日本はヨーロッパではありません。
ヨーロッパの制度を猿真似すれば「健全な社会の構築」ができる分けではないので、日本なりに「健全な社会の構築」を考えた上で、現在の死刑制度があるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

majimemaruさんは死刑には反対なんでしょうか?

お礼日時:2015/07/17 13:56

お礼ありがとうございます。



なるほど。
そうやって死刑制度が、実質無くなるってのは
面白いかもしれません。

誰も死刑に賛成しなくなりますからね。
もしくは、裁判員裁判が消えますから。


あなたの考えでは、たとえば裁判員としてあなたや
あなたの家族が死刑になっても全然OKな訳ですよね。
他の人もそう考えるのでしょうか?


恨みに飲み込まれる人生が、地獄だと言うことを
身を以て知るような強い制度を作り出せば
日本も確実に治安が悪くなりますね。

法が仕返しを認めれば、それが一般的な正義として
誰でも当たり前だという意識になって行きます。

誰かの正しさで、誰かが憂さ晴らしの相手として
簡単に殺されるか分からない時代は
日本の暗黒時代になるでしょう。

自殺できない人間は、喜んで殺人を犯すことになりますし。


裁判員として死刑にされるのも、その人の考える正しさで
不意に殺されるのも私は望まないし、地獄の人生を送るのも
パスしたいですね。

暴力に正しさがあるなど、大多数が考えない
日本であるよう願っています。
そんな時代が訪れたら、日本人は衰退の道を
ひた走るようになりますからね。

誰かを裁く暴力を自分の中に持てば、それが生き地獄への切符だと
多くの日本人は理解できると私は信じています。

法は罪を裁き人を裁かない今の制度が、これからも守られるのを
見守って行きたいと思います。
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私も基本的に死刑賛成派(遺族感情もありますが、それ以上に「そんな人が再び世の中に出てくることが危険すぎる」ため)なのですが、一つだけ越えられないものがあり、「どんどん死刑にしろ!」とは言えないと考えています。


冤罪です。
ニュースでたまに取り上げられているのでご存知かとは思いますが、警察は一度容疑者扱いした人を「やっぱり犯人じゃありませんでした」というと自分の成績が落ちたり、再び時間が経っているのでより難しくなった犯人探しをしなくてはならなくなったり、賠償を求められたりするため、とにかく一度容疑者となった人を犯人だと決めつけたがる傾向にあります。
また、仮に本人が「自分がやった」と言っていても、誰かを庇っていたり、あるいは言わされている可能性もあります。
弁護士も勝つために雇われた存在ですので、仮に容疑者が「やっていない」と言っても、状況からしてこれは確実に犯人にされる…と踏めば「無罪」ではなく「減刑」を狙っていきますから、警察だけでなく弁護士も容疑者に対して「自分がやった」と言わせる可能性があるのです。
もしDNAなどの証拠があっても、それが容疑者を陥れるための罠でないと100%言い切ることなどできない……
たくさんの人が見ている前での現行犯逮捕以外は、冤罪の可能性がゼロとは言い切れないということです。
罪を犯していない人を、誹謗中傷の的にし、テレビを通して衆人観衆の前に晒しあげ、仕事などの社会生活をぼろぼろにし、自由を奪う、それだけでもすさまじい非道さですが、その後の真実の解明のために叫ぶことさえできなくなる死刑は、冤罪の観点から見ればあってはならないことです。
もちろん、本当に殺人を犯した人は、(ずっと虐待やDVをされていてそこから逃れるために…とか、介護の末の嘱託殺人などを除いて)死刑になってしかるべきだと思っていますけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

#1さんで書いたお礼も参考ください。ということは kawagutinozomiさんも司法への不信感を抱きつつ、その不信感も kawagutinozomiさんを死刑反対に至らせるレベルには達していないものの 死刑に対し 疑問を払拭しきれていないと ということですよね。
それと、kawagutinozomiさんにとって 死刑のイメージは 除草剤に近いんでしょうかね。悪い雑草を枯らしてくれるが、時として 大事な花まで枯らしたり、その毒が自分の体内に入ることもあるけど、やっぱり 除草剤は手放せないみたいな....。

お礼日時:2015/07/17 05:34

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